二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ
- As Story〜8話(2) 衝突〜第九回(まだ続く) ( No.63 )
- 日時: 2012/01/29 05:49
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
EC(ここ)がどれほど裏世界で恐れられているのかは知ったことではないが、人遣いの荒さだけは世界でも一級品と言いきれる自信があった。約10メートル先の扉をくぐり、EC(ここ)の長に辞意を伝えれば、形式上脱退の手続きが完了することになっていた。
だが、拠点の屋敷の玄関から中にあがりこんだ篠原と園香は、右手奥にある大崎の執務室へ続く廊下をそそくさと進まず、なぜか左右の壁に張り付いて背中をかがめ、低い姿勢を保っていた。二人とも右手に拳銃を握り締めている。園香の右耳に、舌打ちする音が飛び込んできた。
たちの悪いことに、二人は辞めるその直前まで仕事が残されていた。それは正式な手順を踏んで依頼されたものではない。二人が屋敷の中から不穏な気配を察知したために急きょ発生した事案である。
更に追い討ちをかけるように、最後の任務の目標はトップの執務室の中に侵入しており、肝心の首領はそこにはいない可能性が高かった。何より厄介なのは、一見大きめの個人邸にしか見えない拠点に入り込んでいるという時点で、今回の任務のターゲットはECの能力者である可能性があるということだった。
廊下の左右の壁の上部に一定間隔で据え付けられたレトロなランプを模した白熱灯が薄暗く残りの10メートルを導いている。終着地点の扉が廊下の薄暗さ以上に沈んで見えた。そこに突っ込めと誘うように行く手を遮るものも何もない。
畜生、何ビビッてるんだ。
篠原が涼しげな笑みをつくろうとしたが、右の頬がひきつり戸惑いに満ちた表情になってしまう。無意識のうちに扉の向こうの闖入者に恐れをなしている自分に唖然としていた。真左に並んで低く姿勢を保っている相棒に目をやるとこちらも体が強張っているのか、重心の置き方、姿勢、気迫、目につく全ての所作がいつもよりぎこちなく見えた。
超能力者ばかりを集めたこの組織に、人知を超えた化け物のような隊員がいたとしても、最高のバディは自分たちだと自負してきた。幾たびかミッション遂行に失敗したこともあったが、それは彼および彼女の卓抜した能力、連携を一層磨き上げるために必要なコランダムの研磨剤と考えていた。だがその最高のバディは今、お互いが相棒の銅鑼のように喚く左胸の拍動を肌で受け止めてしまったがために、煽られた恐怖心で呼吸が浅くなり、そのリズムが相棒のおぼろげであった不安の輪郭をより克明に浮かび上がらせ、それが相棒ののた打ち回る鼓動を更に昂進させるという底なしのスパイラルに陥ろうとしていた。
不意に篠原が沈黙と焦燥で凝り固まった空気を砕氷船の如く打ち砕きながら自らの左肩の脇まで左の拳を持ち上げ、厳かに人差し指を天空に向けた。そして真夜中に暴走するトラックのヘッドライトに視覚を奪われた子猫のように固まっている園香を、固く唇を結んだまま錐のような視線で突き刺した。
透き通るような純白のベールの向こうでシミにまみれた醜悪な悪魔に、魂に飢えた大鎌を振るうチャンスを虎視眈々とうかがわれている数多くのミッションの中で、大鎌がターゲット、組織の隊員のどちらに向けられるのか定かであるものは一つとしてなかった。この状況は部隊のメンバーに想像を絶する精神的負担をかけていた。だからこそ、ECでは何時如何なる状況においても常に同じ集中力を維持するための訓練を、常日頃から欠かさぬよう新入りへの訓練の中で叩き込んでいた。
園香、こっちを向け!
脳みそを直に拳骨で殴られた気がした。彼女の意識をびりびりと震わせて鳴り響く怒号が廊下の壁や扉を叩くことは無かったが、体を丸めて縮こまっている暗殺者としての彼女を呼び覚ますには十分であった。
最後にあの言葉を聞いたのはこの組織に入り間もない頃、新入り向け訓練の一環で、精神を落ち着ける方法を習得するため、まずは教官役の予備隊員からその方法を見出すコツを教わり。三日間かけてそれを決定する訓練の最中だった。声は今と同じように出し抜けに右側面から園香に向かって体当たりをしてきた。がさつな振る舞いに憤然としながらも初々しさ溢れる回想の中の彼女が声のする方を見た時、月下の女の瞳には欅の樹皮のようにごつごつした指先が映し出されていた。
「指先睨めって言ってるんじゃないからな」記憶の中の篠原が溌剌とした声で意識に割り込んできた。「一点入魂だ」
そうだ、一点……。肩にぎりぎり届いている黒髪をしなやかに靡かせつつ目線を正面に屹立する褐色の扉に戻した。無心になって任意の一点に集中する。篠原がたいした考えもなく編み出した集中法。もっといい方法が思いつくまでこれでいいと使っているうちに、すっかり月下の身ミッション前の準備としてすっかり定着してしまっていた。
園香の瞳は執務室の扉のドアノブ左斜め上30センチほどのところにある木目の分岐点を、焦げ目が付くほどに睨みつけた。瞼を開いたまま視野を次第に狭めていき、気持ちを惑わす余計な事象を消していった。息を潜めるように天井に張り付いていた空調が、めったに見かけることのない年頃の女の訪問者の冷え切った体に吹き降ろす暖かい吐息の感触もなくなりつつあった。10余年にもわたる暗殺者としてのキャリア、三途の川を対岸まで渡りきってから何とか戻ってきたことは数知れず、それでも共に歩んできたパートナーの男と自然と体のリズムが同期してくる。両膝の力を抜き、更に姿勢を低く構える。長い前髪が槍のように鋭く天を向く睫毛にかかると、恍惚として蒼白の眸が細められ、隙間からうっすらと姿を見せる瞳は暗赤色の業に満ちた煌めきを見せた。
——扇、私の準備は整ったわ。
- As Story〜8話(2) 衝突〜第九回(まだ続く) ( No.64 )
- 日時: 2012/01/29 06:20
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
月下の瞑想を終え、再び腰の傍に下ろされた篠原の左の握りこぶしには、3発の銃弾がレトロな5発装填のリボルバーに篭められるのを待ちきれず、凶悪に尖った頭を見せていた。拳銃に使用する弾丸の弾頭は、たいてい先端が平らで他の部分よりも非常にやわらかくなっているか、クレーターのようにへこんでいるかのどちらかである。前者をソフトポイント弾、後者をホローポイント弾と呼ぶが、いずれの場合もターゲットに命中した際に、貫通させずに体内に止まらせるための加工が施されたものである。目標を貫通しないということは、弾丸のもつ全ての運動エネルギーがターゲットの肉体に与えられることになり、人間を殺傷させるには有利である。だが、施設や器物を破壊する場合や、マホガニーの分厚い扉越しに館に侵入した不審者を射撃——あるいは射殺——する場合にはほとんど役に立たない代物であった。そのような用途には、先端が尖り、弾丸全体が硬質の銅で覆われたフルメタルジャケット弾と呼ばれるライフル向けの弾丸の方が向いているのである。
生憎、護身用の小型拳銃しか持ち合わせていなかった篠原は言うまでもなく携帯していた弾丸も件のソフトポイント弾やホローポイント弾の類であるはずだった。だがその拳が握っている銃弾は鋭く尖っているのである。
月下の長であり、自身も氷の能力をもつ彼は、その能力によってカートリッジと.357マグナム弾に似せた弾丸を超硬質の氷で創り出し、さらに硬度を高めた氷で弾丸をフルメタルジャケット風に覆ったのである。篠原はM60のリボルバーを素早く左に振り出すと、霜で純白の化粧をした3発の.357マグナム弾——後に彼曰く「.357BLSP (Blizzard Special ) MAG」——を手際よく装填し、蟻の足音ほどの音も立てずにリボルバーを収納した。氷の呪いのかかった銃弾を孕むM60は、喘ぐように口から白く冷たい息を漏らしていた。堅気の大学生ではないことが一目でわかるような傷とまめだらけの右手でM60のグリップを力強く握りなおし、グリップと右手のなじみ具合を確認したのち軽く首肯すると、左右の瞼を束の間伏せ、軽く押し開いた。微動だにせず10メートル先のターゲットを見据えるその瞳の奥に並々ならぬ覚悟を刻み込み、眼窩のあたりがキリキリと疼くようであった。
相棒と意識がぴたりと同期しているのを感じ取った篠原は左の口角が我知らず上に吊り上がっていた。
極限まで引き絞られていた二名の隊員の視覚と聴覚が戻ると再び空調の送風口が姿を現し、いつもの物憂いうめき声が聞こえてきた。篠原がこれで行動を共にするのが恐らく最後となるであろう護身用のM60をまじまじと見つめた。喋るはずのない金属の塊に大の男が2、3回何か語りかけるように口が動いていたが、向かいの壁面で姿勢を低くして待機している運命共同体を築いた女性でもその内容を聞き取ることは不可能であった。
月下の司令官の厚みのある唇が沈黙の帳をおろすと、合図もなく二人が狩りを始めたチーターの如くしなやかに動き始めた。二人の歩幅、歩調、姿勢、目線、あらゆる要素がクローン人間のようにそろっていた。
本任務のターゲットは組織のトップの執務室にはびこる闖入者。最初のポイントは約10メートル先の執務室の扉。その両脇の壁に張り付き、執務室内部の様子を窺う。
両者の脳裏には一字一句違わず、ブリーフィングを行う自身の声が流れていた。その間にも園香の能力によって床上2ミリメートルに浮上している彼らは滑るように歩みをすすめ、12回足を前に突き出した時には予定通り赤褐色の扉を挟むように別れ、各々護身用の拳銃を両手で構えて片膝をついていた。
想定外のミッションで二人ともコンクリートマイクを持ち合わせていなかったため、扉の向って左脇に控えている園香が壁に左耳を慎重に密着させた。新入りの基礎訓練以来の原始的な試みで、気持ちが若返った気がした。これでも彼女はまだ二十歳である。
エンボス加工によって仄かなコントラストを見せるシダ植物の図柄が描かれた白い壁紙と屋内の空調のおかげで、園香の耳は穏やかな暖かさをもって屋敷の壁に迎え入れられた。壁の向こうにいる人間の人数を確認するだけであれば、玄関をくぐったときに篠原達を襲った圧倒的な殺気によって、二人と確信していた。そして、ここは彼のEC。中世の魔女狩りさながらの拷問をおくびにも出さずにやってのける残忍極まりないマフィアの輩でさえ、その二文字を聞いただけで涙と糞を垂れ流して逃げ出してしまうような組織が、アジトをがら空きにするはずもない。
ちょっと気配が強かったみたいだけど、片方はかわいそうな闖入者……。すっかりいつものミッションの状態に染まっている園香の顔一面に残酷な微笑が広がる。そしてもう一人はここの忠実な僕……。
園香が徐に視線を落とす。タイル張りの床は世界中のどのようなマゾヒストよりも数多く、そしてあらゆる形状の靴で踏みつけられてきたにもかかわらず、手入れが行き届いているためか数えられるほどの人数の足跡しか残されていない。だが、足跡よりも目立つおまけが彼女の視界の右斜め前の隅——玄関から執務室に伸びる廊下の壁が途切れているあたり——に放置されていた。
これ、どこかで——。
斥候の注意が目標以外に向けられたのに気付いた月下の隊長が、無言で部下をたしなめようとしたが、彼女の視線の鋭さについ、自身もその目線を追っていた。そして吸い込まれるように「おまけ」に接近していった。
いつからあったんだ?これは——。
園香が壁に張り付いたまま、素早く周囲に銃口と視線を向けて警戒する中、篠原が己の靴底の2ミリメートル下にあるタイル張りの床に、一層息を潜めて空いている左手を伸ばす。無彩色の地に擬態のように紛れていたために見失いそうになったが、篠原はそれを慎重に親指と人差し指でつまみ上げた。左手を左右の眼球に近づけるにつれ、餓狼の如き眼光を放っていた篠原の左右の瞼が満月よりも丸く見開かれていった。喉の奥に目いっぱい詰まった呼気を吐き出そうとした時、ポイントの扉のすぐ裏で何か重たいものが強かに床に叩きつけられる音がした。
純銀と見紛う光沢を放つ1本の毛髪を胸ポケットに入れた篠原が弾けるように扉に駆け寄り、扉の向こうを見透かすように一瞥すると、白い息を吐くM60を両手で構え、銃口をほぼ真下に向けてドアノブのプレートに狙いを定めた。