二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

Re: As Story〜8話(2) 第十回〜完了!! ( No.70 )
日時: 2012/02/18 12:34
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)



 振り乱れた白銀の髪が少年の蒼き右の瞳を覆い、口元へへばりつき、床で歪んだ扇形を描いた。クッション性のないセラミック製のタイルに背中を強かに叩きつけられていたが、五十年分はくだらないアドレナリンが全身を駆け巡っているせいで、全く痛みを感じなかった。それでもただでさえ陶器のように透き通るような卵白色をした少年の頬や耳たぶが一層白み掛かり、生気を失っているように見えるのは、執務室の建具の隙間から忍び込んでくる冷気が床を這い回っているからではなかった。常に周囲に注意を払うよう常日頃から指導を怠らない麗牙の指揮官が天空を見つめたまま、顔はおろか目線さえも石化したように硬直させているのは、四つ這いになり少年に覆いかぶさるような体勢で迫るジャケットを身に着けた死に神が、バシリスクの能力を有していたからでもない。
 手袋を嵌めているわけでもないのに薄汚いネズミ色に染まった死神の右の掌が少年の喉元に触れていた——。

 「君主様の寵愛か?餓鬼の分際で、図に乗るな」普段は存在までも忘れられそうなほど寡黙な男が、己の人生の半分も生きていない若輩に、別人のように憤怒の形相を露わに、罵詈雑言の限りを浴びせようとしていた。
 やにわ喉元に張り付いていた右手に力が籠められると、恐怖でひきつっていた少年の首の左右に蒼黒い筋浮かび上がり、透き通るように色白な首の皮は更に白さを増した。これが幸いというべきなのか、まだ、男の掌に埋もれている部分は壊疽が始まっていなかった。

「この組織は、ECは、強くなくてはならない」EC第2の男の言葉は単身で下剋上を決行した無謀な少年に向けて、そして己の不断の意思を確認するために発せられた。喉元を絞められ朦朧としている少年の意識の中では、男の声はカトリックの大聖堂の鐘楼に据え付けられているカリヨン(組鐘)の鳴動のように残響が幾重にも重なっていた。言葉を解すことすら困難になった少年は、ただ欠乏した空気を求めてあえぎ声を上げるのが精一杯だった。少年の反応にはお構いなしに尚も口上を続けた。
「しかし貴様は、いや貴様ら(・)は——」男の射抜くような視線がほとんど白目を剥いているウィルの双眸を貫き、一言を言い放った。「強過ぎる」
 ウィルの両手、両足がびくびくと怪しげに震えだし始める。冷酷無比なこの組織の第二の男が少年の首から手を放した。頚動脈を経由し、2本の大脳動脈に熱き血潮が濁流のように流れ込んできたが、体の主はそれを感じ取る能力すら失い、生きている人間とは思えないほど非常にゆっくりとした呼吸を繰り返す木偶となっていた。天銀はなおも聞き手無き会話を続けた。
「ECのの能力は、2、3歳で被検体に薬を投与後、第二次性徴を迎えるまでは急速にその力を増幅し続ける。ただし、前提としてECの本隊隊員のように超能力の素質がある場合に限る。そして第二次性徴を迎えると、超能力の成長を被検体が感じられなくなるくらいに鈍化する。そして15歳ごろで被検体の気づかぬうちに能力のピークを迎え、その後は非常にゆっくりとしたペースで能力が衰えていく。能力の伸びが鈍化するのは、心身が急激に変貌するこの時期に被検体への影響をできる限り少なくするためという、貴様の慕う影晴様の配慮からだ」憤懣が隙間無く満たされた表情で、子供好きな科学者の小細工を胸糞悪そうに言い放った。「そしてその後能力が鈍化するのは——」奥歯を噛み締め再度ウィルをにらむ。「貴様のように余計な知恵をつけて反逆を起こさせないためだ」唾を散らし、俎上に上げられた生きの悪い魚のように動かない少年に荒ぶる感情をぶつけた。「だが貴様ら麗牙は迎えるべき低成長期がなかった。そしてウィル=ロイファー、荒木恵怜、この二人は年齢の制約を無視して直線的な能力の成長を続けている。私とて大崎と同じく科学の世界にこの身を捧げた人間だ。例外的な反応を示す被検体には大いに興味を持ったのだ。だから、麗牙の隊員たちの成長を妨げることなく静かに見守ることにしていたのだ」長広舌で息を切らした天銀は、気が付いたように大きく息を吸い込んだ。
「だが、どうやら私の判断は誤っていたようだ。貴様は、過ちを犯した。若気の至りなどでは済まされるものではないぞ」ECの死神は目を閉じたまま天を仰いでいるウィルの体躯にまたがると、人としての血が通ったためしの無い砂色の両手で少年のしなやかな左右の手首を握り締めた。
 扉の向こうで先の侵入者が蠢く気配がしたが、天銀は全く気に留めていなかった。麗牙のやつらに比べれば取るに足らない雑魚に過ぎない。
「命まで奪うのは早計だ。貴様らの能力の急成長ゆえ、薬品の影響を受けた細胞が劇症型の拒絶反応を起こしたという理由にでもしておくか」異様に昂ぶった死神の声が虚空に響くと、男の白髪がにわかに逆立った。灰色の顔面が著しく紅潮した。そして、魔手が周囲の光を喰らい尽くそうと漆黒に染まり始めた瞬間——。
 紺碧に染まった二つの瞳が矢庭に光を取り戻した。仁王像のように双眸を剥いた麗牙の指揮官が一瞬にして二つの魔手を振りほどき、今度は死神の左右の手首のくぼみ——尺骨ととう骨が手首に接する辺り——に指を食い込ませた。あまりの激痛に死神が断末魔の叫び声をあげた。
この部位は骨が途切れた辺りを軟骨が数本伸びており、強く握られると他の急所ほどではないものの、楽に激痛を与えることができるのだ。さらにウィルが怒号を発し、長身の男を引き倒そうとした。
虚をついて入り口のドアの辺りで耳をつんざく甲高い音がした。ドアノブを保護する彫金のプレートのすぐ下小さな穴が口を開けている。そして、タイルの床にはドアの穴よりだいぶ大きい穴が穿たれていた。ECの隊員たちなら吐いて捨てるほど目の当たりにしてきた光景だ。銃弾がドアの部材を貫通したのである。天銀の手首を締め上げたまま、ウィルは弾丸の軌跡を推測するように目線を動かした。一方、天銀は苦悶の表情でドアノブを一瞥しただけだった。激痛で弾痕を見る余裕が無いわけではない。この屋敷は主人の仕事柄、銃撃や爆撃に耐えうる構造をしている。その耐久性を扉一枚にいたるまでとはいかないが、ドアノブについては拳銃で数発撃ったくらいでは、シャフトがゆがみもしないつくりになっているのだ。さっきの金属音からしてもカービンやライフルの類ではないことが明らかだったため、特段喫緊の対応が必要とも思っていなかった。弾を使い切ってようやくシャフトを少し曲げることしできない哀れな闖入者に嗤笑を浴びせ、己が魔手で絶望の淵に追い落とすという悪趣味も悪くはなかったが、まず先に男の両手首を戒める忌まわしき麗牙の指揮官の手をどうにかしなくてはならなかった。さらにその前に、天銀は扉を一瞥したまなこを、またドアに向けなおすという面倒な所作をしなければならない事態に陥っていた。そして、少年の疎ましい手の存在も痛みも忘れて声を漏らした。

「ドアノブが曲がっている」


As Story〜8話(2) 第十回〜完了!! ( No.71 )
日時: 2012/02/18 14:26
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)


 神仏や占いの類を、人間の都合で創り出した一大騙りビジネスと一蹴する天銀が不覚にも「凶兆」の二文字を脳裏に浮かべていた。立て続けに起きる不測の事態が、迫りくる本当の災厄を予言しているような気がしてならなかった。

 
 一発目を撃った直後、篠原が身振りで園香を手招きした。唐突な指示に訝しげな面相で寄ってきた園香に自身の度派手なM60を手渡した。そして篠原が声を出さずに話しかけると、慣れた様子で園香が篠原の唇の形から言葉を解読していった。「お前がやれ。俺はいつもの突入準備だ」
 園香は唖然とした。一発撃ってから交代だなんて、ターゲットが寄ってくるかもしれない、いえむしろ寄ってこないほうがおかしいっていうのに、パートナーをなんだと思っているの?怒りの目線を篠原に向けたが、彼の言う「準備」のことに意識が移っている篠原が気づく術がなかった。指示の内容の危険性もさることながら、長年そしてこれからもバディを組む彼の思いやりのかけらもない物言いが何より気に障った。
 ふん、と発情期の猪のごとく迫力満点の鼻息をひとしきりすると、巌のような篠原の右手からM60を取り上げ、盛んに瞬いている彼の瞳を夜叉のような目つきで睨み付けた。
 意を決して扉付近にM60を構えた園香が篠原と同じように、声のない問いかけをした。
「で、準備にかかる時間は?」ようやくパートナーの逆鱗に触れてしまったことに気づき始めてきた——原因は自覚していない——篠原が月下の瞑想に引き続き、渾身の気合を込めて右の人差し指を天に向かって突き立てた。準備の時間など聞かずともわかっていたが、園香が聖母のようなほほえみととも艶っぽく首を左に傾げしなやかに髪を流して言い返した。「1秒ね」
 思わず声をあげそうになった。本来の任務遂行の前に乗り越えるべき修羅場を増やしてしまった自分に怨嗟の念を吐きたかったが、そんな不毛なことは任務が終わってからである。今は然るべき所要時間をパートナーに告げるのが先決だ。
 「1分だ。1分」めしいの爺さんが見ても間違えないくらいに大きくはっきりと口をあけた。
 やはり園香の予想通りだった。時間を無事伝えられた篠原は深々と腰を落とすと股わりの姿勢をとり、左手を左の太ももにおいて腕を支柱とすると、胸の前に右手を持ってきて拳を固めていた。一分で準備済ませるぜ。気合を込めつつもできる限り声を殺して動作に入ろうとしたとき、

「30秒ね。ヨロシク」

 何やらパートナーが不吉な発言をしたように見えた。そして黒髪の悪魔の小さな顔に満ち溢れているサディスティックなほほえみは、指示を覆すことを許す余地を持ち合わせていなかった。
 篠原の突入の準備は能力を大量に消費するため、あまり短時間で行うと篠原の肉体に悪影響が出てかえって逆効果になってしまう。本来はあらかじめ準備のための時間をミッションの中に組み込んでおくものであるが、急きょ件の動作が必要になるときも少なからずある。そういう時に、篠原の肉体への負担とそれによって生じる隙を鑑み、1分という時間を設定しているのだ。今までの経験では40秒弱で「準備」を終えようとしたとき、意識が飛んで倒れこんでいたという話を月下の仲間から聞いていた。もちろんその時は園香も本気で自分を労わってくれたのだが。
 園香様の勅命じゃ逆らえんか。一瞬苦笑を浮かべると、再び準備動作に戻った。ただし、静かにはできん。己の胸の中で決意を固めると、サバンナの獰猛なネコ科のうなり声よりも図太く、地響きでも起きそうなほどのうなり声を周囲の壁に床に叩き付けた。30秒間の準備動作が始められた。
 残り1秒でこの.357BZ…何とかを2発叩き込む。為すべきことを自分に言い聞かせたが、どうしてもこの無機質なアルファベットのられつ——カタバンとかモデルナンバーとかというらしい——が覚えられなかった。ついでに、何かと機械をカタバンやモデルナンバーで呼びたがる男どもの心理も解しがたかった。先日も年下の月下の隊員の男子にロボットアニメの話をされた時に、例のモデルナンバーを連発されてすっかり会話から脱落してしまった覚えがあった。少しは覚えてみようかと調べたところ、確かモデルナンバーは「ZGMF‐X20A」、ちゃんと呼称もついていた。これは確かストライクフリーダムだった気がする。
 どっちにしても可愛くないわ。改めてドアノブにM60を構えた。ターゲットが接近する気配はまだしていない。突入まで15秒。

 奴らは何を装備しているのだ。己の視界の上のほうに位置する男の顔がそうつぶやいたように見えた。ウィルも拠点の各部屋が、とりわけ闇組織のトップに君臨する大崎の執務室や件のドアノブが銃撃そして壁面についてはRPG程度の爆撃に対しても一定程度の耐久性を有していることを屋敷の主本人から聞かされていた。だからこそウィルも不本意ではあるが眼前の宿敵と同じようにひしゃげたドアノブに視線を釘づけにされ、男と同じことを呟いていた。突入まで9秒。
 耐銃撃性を備えるドアのシャフトをひん曲げるほどの闖入者の武装、そしてもう一つウィルには気がかりなことがあった。命を失いかねない戦闘のせいで感覚が狂っているのかも知れないが、なんとなくこの部屋、冷えてきているのではないか。艶やかな青白い頬を撫でる部屋の空気のせいで顔が強張ってきている気がした。
 人間の温度の感覚ほど当てにならないものはないか。そういって天銀の挙動に警戒しつつ、慎重に息を吐いたとき、少年の目の前にこれ見よがしに真っ白な靄、そしてプチダイアモンドダストでもいうべき小さな氷片がキラキラと可愛らしく舞い散り、息の吹き出し口へ吸い込まれていった。執務室の二人は完全に言葉を失い、とっさにドアノブのそばにいるであろう闖入者に注意を向けた。


——突入まで、残り2秒。


As Story〜8話(2)第十回 〜完了!! ( No.72 )
日時: 2012/02/18 15:27
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)

 闖入者にとっては長い長い1秒であった。一瞬空気が淀み、ドアノブのそばでありのくしゃみの如く静かに空気を吸う音がする。そして1発、残響が鳴りやまぬうちに同じ方向へもう一発。堅牢さを謳った執務室の扉のドアノブが、中世のヨーロッパの断頭台で刃が落とされた瞬間の処刑者の頭部のごとく弾けたように飛び出し、ぐるぐると回転しながら何回か執務室の二人の男と目が合い、最後はドスンと音を立てて床に堕ちた。目の当たりにした男たちにとっては要らぬ想像力を掻き立てられる、何とも気持ちの悪い光景だった。

 予定通りドアノブが弾け飛び、園香の視界から消えていった。執務室前の廊下は業務用冷蔵庫の中の様に濃密な白い靄で埋め尽くされており、腕を伸ばせばひじより先が靄にとかされたように消え失せてしまう有様であった。月下の二人の頭髪にも細かなつららが幾本も連なり、天然のアクセサリの様に煌めいている。
 折角組織を抜ける今日、この日のために扇に買ってもらったブーツなのに、ごめんね。
 ヤッと歯切れの良い掛け声とともに電光石火の回し蹴りを、重たいだけが能の扉にお見舞いした。あまりの勢いで、ヒール部分が弾け飛ばずにマホガニの部材に突き刺さり、園香が足を戻した時に靴の本体から抜けて、腰よりもやや上の位置にヒールの付け根が顔を——この場合は尻というのだろうか——覗かせる格好となった。件の扉は、安ぶしんの玄関ドアの様に猛烈な勢いで蝶番を軸に回転し、執務室の内側の壁に激突後、その反動でわずかに来た道を戻り、ほどなくして止まった。
 ドアの勢いに吸い込まれるように、廊下に充満していた白い靄が、狭い入口を突破すると波動の回折現象のような振る舞いをし、一瞬にして執務室の前後左右に広がった。部屋の中の二人の男達の脳裏には、時速200キロで迫りくる音無き新雪雪崩のような幻影が映っていた。


 3秒待機、そして突入。篠原が執務室の入り口の右脇でコルト・ディテクティヴに持ち替えた園香に、今度は右手の3本の指を立ててカウントダウンの合図をした。当の本人は奇跡的に意識を保っていたものの、片ひざを突きせわしく肩で息をしている。カウントがひとつ進んだときに園香から、突入よ、シャキッとなさい、と、もはや声を潜める必要もなくなった今、園香らしい芯の通ったきつい調子で血も涙もないねぎらいの言葉が浴びせられた。

 「そうこなくちゃな、園香」篠原がひとしきり苦笑を漏らすと、カウントダウンを遅らせたい衝動を必死に抑え込み、最後の指を倒した。



 ホワイトアウト——それは雪山で苛烈を極める吹雪に遭遇したときにのみ見られる現象と聞いていた。視界が白一色に染まり、鼻先の視界さえ確保できなくなるという。音も重さもなく襲い掛かる不気味な純白の濁流を目の前にし、ウィルの瞼の裏に記憶の無声映画が映しだされていた。麗牙光陰の隊員の超能力の中で、ターゲットの視覚を無効化する、つまり視界を真の闇で覆い尽くすという能力があるが、今はちょうどそれの逆か。どちらにしても、これにはまると上下の区別がつかなくなり、三半規管が変調をきたす。そして仕舞いには床に這い蹲うことになる。それでもこの能力の呪いは続き、ターゲットは仰向けになっているのかうつ伏せになっているのかわからなくなる。これが長時間続けば……。
 ——なに人事みたいに言ってるんだっ。
 もう一人の自分の声にはっとし、白一色に染まった現実に目を向けた。そうだ、自分を追い詰めてどうするんだ。何か打開策は——。
 確実に二人は闖入者がいるにもかかわらず、物音ひとつしない。そして天銀やつと争っていたときに感じた気配が巧妙にコントロールされ、今では全く感じ取れなくなってしまっている。闇組織の2番目の男、そして組織のスーパーエース。とりわけ優秀な暗殺者が二人もいながら、この状況になす術を無くしていたかのように思われた。
 待て、ウィルが胸の中で声を上げた。麗牙野指揮官は敵ながらにあまりに見事な奇襲に気をとられ、重要なことを見落としていたことに気づいた。
 少年は、最初で最後であろう天銀の数秒間にわたる隙をつき、男の両手首を戒めていた手を右脇に素早く流し、男の上体を床に引きずり倒す。受身をとる間もなく自身の体重の半分以上がかかった状態で右肩を床に直撃させ、蒼白な顔面が激痛に大きく歪んだ。今日の天銀は実に表情豊かに振舞っている。もともと両膝を突く姿勢になっていた男は、尻を天に突き出す無様なていをさらしていた。
完全に虚を突かれた天銀が、視界の右の外側にはみ出て見えないはずの少年の顔をにらむように双眸を焦燥と憎悪で剣呑に煌かせる。瞬時に左腕を床に突き上体を立て直した死神が、右腕の魔手をウィルの右の二の腕めがけおよそ60センチの空間を滑空させようとすると、ほぼ同時に麗牙の指揮官も仰向けの体勢のまま両足をそろえて膝を曲げると、臓物やら脂肪やらが詰まった臍のあたりの腹部に向け、スティンガーミサイルさながらに両足を発射した。
 少年の首に魔手が届くどころか、バックスイングのために、下を向いている痩躯よりも上に持ち上げた魔手が、再び主人の痩躯より下に魔手がしゃしゃり出る前に、少年の2本足の槍が貧相な肉の鎧しか身にまとっていないへそのあたりの腹部に、内蔵が著しく変形するほど深々とめり込んだ。幸いにも夜の馳走を目前に控えた時間帯だったために、少年の顔やその周囲に男の口から芳しい黄色い酸の雨が降り注ぐことは無かった。
 2秒の間、鳥になった男が激痛に意識を混濁させつつも、両足を大の字に開き、辛うじて転倒をまぬかれていた。死神を蹴り上げた直後、再度両足をを勢いよく伸縮させて体を起こし、しゃがんでいた少年は、迂闊にも鬱陶しいほどある白銀の前髪で覆ってしまっていた。混濁する意識のせいで少年が3、4人に分身していても、濃密な霧に紛れて蜃気楼のように波打っていても、死神の闘争本能が少年の近いほうの腕めがけ、利き腕の魔手を宙に躍らせた。だが、天銀が束の間の空中散歩を始めてから、今この瞬間まで、麗牙の少年を野放しにしていた時間はあまりに長過ぎた。
天銀の右の魔手が、向かって左を向いてしゃがんでいる少年の左腕の付け根付近を驚くほど簡単に貫くと、純白の霞の中で気障りな二つの深蒼の玉をきらめかせながら、少年の華奢な体躯が空気中に溶け出すように消えていった。


As Story〜8話(2)第十回 〜完了!! ( No.73 )
日時: 2012/02/18 16:02
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)

 突入!突入!反吐を吐き、突っ伏しそうになっている己の魂に二度、鬼軍曹——いや、捕虜をジュネーブ条約に反して死の行軍をさせる敵国の下士官のように、非情な怒号を浴びせた。 月下の指揮官が血に飢えた白き狼の如く、食いしばる上下の歯の隙間をすり抜けてつばを吹き散らし、得たいの知れない次元のひずみのように見える執務室の入り口へ身を投じる。セミロングの黒髪を靡かせつつ、ディテクティブスペシャルを両手に構えた園香が、月下の餓狼の足元に映る漆黒の影の如くぴたりと足並みを揃え、物音も微塵のためらいもなく、執務室の入り口をすり抜ける——。
 すぐに二人は部屋の左右に展開した。瞬く間に相棒の姿が霧の塊に呑み込まれていった。音のした方は入り口のほぼ正面。いくら霧が立ち込め、足音を完全に消していたとしても、正面から突っ込むのはあまりに軽率。ここに侵入するほどの手練れであれば、両目が潰れていても的確にかつ残忍な反撃を仕掛けてくるに違いなかった。コンピューター・グラフィクスのように均質な白一色の濃密な靄、多少の物音は吸収し、相手の上下左右前後の感覚を奪い去るこの空間は月下白狼のためのサバイバル・フィールドであった。園香の能力の範囲を1ミリも余すことなく物理法則を無視して疾駆する二人は、もやの中の微細なコントラストを察知し、時には風の如く、時には氷河の如くターゲットを追い詰め、任務を完遂するのだ。

 ターゲットは二人、そしてどちらも組織の内部の人間だった。執務室をぐるりと一周し、数秒の斥候を終えた園香の表情に驚愕が浮かぶことはなかった。ひとつの事象を除いて——。
 一人は以前、大崎の屋敷で会ったあの子。確かウィリアムって言ったっけ。あの容姿で麗牙光陰のリーダー。左のこめかみを流れ落ちようとした冷や汗が、短い白い筋となって凍りついた。
 もう一人は——麗牙の少年以上に納得のいく解答だった。それは、大崎の後ろを金魚の糞のようについて回っているからというだけでなく、何を企んでいるのか全く分からない彼の不審極まりない一挙手一投足もその解答解説に含めておく必要がある。問題は、アイツの腕の先の黒い塊。3秒前に男の姿を一瞥した瞬間を思い出しただけでも背筋が凍りつくのが分かった。
 天銀の能力については、大崎が一度口にしたことはあったがまさに発動している瞬間を見るのは初めてだった。恐らく相棒も冷や汗——は垂らさないかもしれないが、反吐のひとつくらいは霧の向こうから男に吐きかけているかも知れない。園香のサイボーグのように冷徹な表情から思わず含み笑いが漏れた。まだ十分に精神的な余裕は持ち合わせていた。そう、ここは彼らの「空間」。篠原の能力が相手の五感を奪い、園香の能力で相手の予想だにしないところから攻撃を繰り出す。
 園香の右側を空間を逆周りに回っていた篠原とすれ違った。全て予定通り。刹那浮かび上がっていた篠原の姿は、両手の人差し指を伸ばし、オーバーアクション気味にターゲットのいるほうを向いていた。ちょっとしたおまけに左目を短くつむっていた。お前は半周、俺は一周したら突撃、という合図だった。そのようにポーズが決まっているわけではないが、園香には篠原の考えていることがありありと分かるのだ。
 更に部屋を回るスピードを上げると、二人が描く円の中心に自らの体躯を突っ込ませていった。二人のターゲットを——そのとき既に、一人は消えうせていたが——羽交い絞めにするのは造作もないことだった。


As Story〜8話(2)第十回 〜完了!! ( No.74 )
日時: 2012/02/18 12:44
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

 ようやく、執務室に立ち込めていたもやが晴れた。なぜか執務室の応接セットを無視して、床に胡坐をかいた男が一人と向かいにもう一人。片方の男の左隣にはロングスカートで横すわりし、フェロモンを撒き散らす女が一人。お互いの唾のかかりそうなほど接近し、深刻そうな面持ちで向かい合っていた。
「何様のつもりだ。貴様ら」
 篠原と園香がその言葉を耳にするのは、直近30分で4度目だった。
「拠点で悶着起こしてれば、それがたとえ組織の人間であってもまずは身柄拘束。それが隊員のオツトメだろうが」
 天銀が唖然としていた。上下の儀礼を重んじる彼は、眼前の青二才の男の物言いに怒りを通り越して、どこか別の星の言葉を聞いているようだった。
 組織の2番目の存在である彼を襲撃——当人たちは任務の遂行と主張——した二人を譴責する男の言葉を、篠原が声を荒げてさえぎり、やっとのことで二人がここを訪れた目的について切り出すことができた。
「あんたじゃ話しても意味なのかも知れんが、とりあえず話しておくぜ」いちいち気に障る言動が目に余るが、二人の射抜くような視線を受け、組織のトップ2は声を発する機会を完全に逸してしまった。いつものように相手を見ているのか判別のつかないほどに目を細め、石のように固まった表情のまま顎をしゃくり、話の続きを促した。
「俺たち、EC(ここ)を脱退する」篠原が声を発した瞬間、園香が天銀の頭のてっぺんから床に張り付いた膝頭までなめるように視線を流したが、微動だにする様子がなかった。園香の失礼な行為に知ってか知らずか、タイミングよく天銀が一息つくと、彼らしく極めて手短に答えを伝えた。

「了解した」

 思わず園香が裏返った声を漏らしそうになった。月下の二人が胡乱な表情を顔いっぱいに満たし、男の真意を推察しようと灰色の相貌に探りを入れようとした。

 「ただし」時を置かずして沈黙を破ったのも天銀だった。そう、おてんとうさまのお目付けのもとに売られている怪しげなダイエット器具にしても、EC(彼ら)がはびこる世界でも、全ての契約には但し書きと言うものが存在するのだ。それも印字可能な極小のフォントで「ただし、本器具を週170時間使用していただいた場合に限ります」と言った感じにだ。
 ここでも但し書きが、河の流れからの解放を目指し、自由の大海へ船を漕ぎだそうとする二人の前に屹立する重厚長大な河口堰の姿を成して、うっすらと水平線付近に浮かびあがってきた。天銀が言葉を続ける。「この組織に明確な脱退などない」トップ2の男が二人の詮索するような視線を打ち砕くように決然とした視線を送り返した。「影晴の能力——ECの能力を察知するちから——から逃れるのだ。だが、あいつの能力は我々の想像を遥かに超えている。その気になれば地球の裏でも、月の砂漠でも見つけるだろう」
 ゴクリ、と唾を飲む音が二つ、言い聞かせるようにゆっくりと低く話す天銀の声が途絶えた後の張り詰めた沈黙を柔らかに破った。
「貴様らは特に強く感じているかもしれないが、ECの能力は小学生のころにピークを向かえ、徐々に衰えていく」一年に一度するのも珍しいこの説明を、今日は2度もするとは、胸の中で天銀が苦笑交じりにフンと鼻を鳴らした。
 眼前の男の言うことに嘘はないと感じた。この組織の実行部隊として最長の経歴をもつ篠原と園香は数年前からはっきりと能力の衰えを感じていた。だからこそ能力以外の銃撃、格闘、フォーメーションも、輝石の原石を磨くように、丁寧に、時間を掛けて洗練させてきたのだ。
天銀が一連の言葉の最後を強く言い切った。「そして、それが完全に消えれば、影晴の束縛から逃げ切ったことになる」図らずも月下の二人が息を合わせたように、上体を前にせり出してきた。もともとあまり開いていなかった天銀の月下の隙間がさらに詰まった。3人が身だしなみに如才がなく、口臭もちでないことが幸いであった。むしろ、たいていの男ならば、園香のような女の息がかかるほどに顔を近づけられたら、さぞや至福のときを過ごせるに違いなかった。しかし、よりによって目の前の人間は、世界中でもそのような感情がごっそりと抜け落ちた稀有な「男の例外」であった。
 その女が上長を経ずして、直接「二番目の男」に疑問をぶつけた。「それって、能力消えるのって、どのくらいかかるの?」
 天銀には、組織のヒエラルキー(階層構造)を破るもの——麗牙の忌々しい、糞溜めのような餓鬼が最たる例である——は気に喰わないことだったが、女に気安く言葉を投げかけられるのは、館の池いっぱいに反吐を吐いても気がすまないほどに胸糞悪いことであった。そして男は、訝しげな表情を隠そうともせず、あっさりと答えた。「約二十年だ」
 篠原は、もっと天文学的な数字を言われるものと思っていた。1000年とか、数百万年とか。そして、実際は一生逃げ続けなくてはならないというオチがついて話が終わるのだろうと。二十年——。園香が皺苦茶のおバアチャンになる遥か手前で消えるじゃねえか。ハル=ベリーを見てみろ。四十台後半なのに今が女の旬みたいな面してるぜ。
 彼女に気づかれないように、篠原が件のハリウッド女優よりも美しいと思い込んでいる艶かで小さな顔を人知を逸する速さで一瞥すると、有史以来最悪の血相の面相に、視線を戻した。

「ああ、やってやるぜ。アンタらに尾けられたら、シベリアの大雪原でも、アフリカの紛争の真っ只中でも、イスラエルのモサドの隠れ家でもどこでにでも身を隠してやるよ」篠原が右腕でガッツポーズをした。「げんこじゃアンタらに勝てそうにないからな」気合の意のポーズではなかったらしい。
「えー、どうせ行くならヨーロッパにしましょうよ。シャンゼリゼ通りとか、リスボンのロカ岬に行って、ユーラシア最西端の夕日をロマンチックに二人で迎えるのよ。あ、それにイギリスの湖水地方、ピーター・ラビットの舞台を訪れるの」
「おいおい、命の危険が迫ってるってのによ。だから女は——」
 天銀は、全く身の危険が迫っていると言う自覚のない男女のカップルののろけを無視し、眉毛一本動かさず、相変わらず相手が見えているのか疑わしいほどに細められた相貌のまま声を発した。


As Story〜8話(2)第十話 〜完了!! ( No.75 )
日時: 2012/11/12 00:20
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

「この話を終えてから10分間だ。その間はECの隊員による追跡を止めてやる。それ以降は——ここを脱退するような府抜け共には我らの追跡から逃れられるやつなどおらん。今までも星の数ほどそういう奴らがいたが、皆、現役隊員の訓練代わりに血祭りにあげてやったわ」
その声は、彼の痩身から発せられたとは思えないほど力強く、太く、挑戦的だった。二人には背中を押すようなエネルギーさえ感じられた。崩した表情が消え去り、再び暗殺者としての、否、若き希望に満ち溢れた一組の男と女として、その視線を天銀にやった。
 暗殺組織の第二の男がかすかに相貌を開き、蛙を襲う蛇のように睨み返す。

——この者たちはどうだ。

 更に値踏みするように二人の瞳の奥を見つめる。四つの瞳に脱退への後ろめたさは露ほども感じられなかった。そこには、灼熱の火炎柱、あるいは凍てつく氷の青き炎か——瞳に映るものを焼き尽くさんとばかりに燃え上がっている。

け!そして逃げおおせて見せろ!」

 篠原が不適な笑みを浮かべ、ガッツポーズをし、園香と完璧に息を合わせ、同時に立ち上がった。そして短く硬い髪と、絹のようにしなやかな漆黒の髪を気流に靡かせ、執務室の入り口を抜け、10メートルの廊下を疾走し、勢いそのままに玄関を押し開いた。視野の上半分には、雲ひとつない冬の夜空が、少し欠けた月とかつては正確にギリシャ神話の神々を表現していたであろう天界の星々に広大なステージを貸しているようだった。

 奇奇怪怪な植物に囲まれた二人は向かい合い、痛いほどにお互いの両手手を握り締める。
「とりあえずブラジルでも行ってサッカーでも見てくるか」
「いや、まずは私の壊れたブーツを買い直して。もちろんパリでね。どこに行くかはそれから考えましょ」
 自身で最高の出来と思える猫なで声で彼氏に甘えた。そして彼のそれほど大きくはない瞳めがけ、ダメ押しに左目を素早く一回、瞬かせた。苦笑を浮かべ、彼女の背中に右腕を回す。二人が更に接近した。園香が彼の胸に顔をぴたりとつけると束の間、篠原の顔を見上げた。
「行くか」
「ええ」
 にわかに二人の周りにつむじ風があらわれると、二人の髪が煽られて、園香の黒髪が見事な扇を描いて広がった。二人を囲んでいた植物たちの無数の葉や細い枝がとぐろを巻いて舞い上がり、彩とりどりに飾った小さな緑の柱ができ始める。突如、柱が乾いた音を立てて崩壊した。館の前庭は工事中の庭園のように散らかりきっていた。

 二人の姿は、消えていた。
 西向きに斜め上へ上昇する不思議な流れ星が、冬の夜空に束の間のアクセントをつけていた——。



 しばし時間の旅をしていた少年の記憶が、現在に舞い戻ってきた。
 改めて港に面する大都市の闇夜の空を眺めてみる。あれが僕たちの初めての長期ミッションの前途なのだろうか。好天であれば、メトロポリスの煌々と輝く仮初の光に負けじと、明るい星星が見えるはずだが、目の前の空には、深更の今でも重たい灰色と分かるほど分厚い雲がたち込め、時折、突風が河岸の防護柵に、死を宣言する妖精バンシーの悲痛な叫び声のような音を上げさせ、ウィルの背後を流れる立派などぶ川を駆け抜ける。
 陰鬱な風に、ウィルがため息をのせた。そして次にやってきた冷たく乾いた風に明日の任務への思いを馳せた。
 ——結局、なんでこんな理不尽なミッションを影晴さまが自分たちに依頼なさったのか、判らずじまいだったなぁ。
 組織のナンバーツーとの対決の最中にテレポーテーションで逃げた先は、大崎がよく立ち寄る喫茶店の100mほど離れたポイントであった。忌避すべき魔手の遣い手の証言以外、大崎の居場所の手がかりもなく、癪ではあったがその場所の付近に移動したのだ。
 いつもの習慣で音を立てずアスファルトの地面に降り立ったウィルの大きな蒼い瞳に映し出されたものは、彼の崇拝する人物の背中だった。刹那声を詰まらせたのち、甲高い声と右腕が同時に飛び出しそうになったが、寸でのところで思いとどまった。
 熾烈を極めたあの争いの直後、乱れに乱れた身なりで彼に会うことなど到底できることではなかった。尊敬する人には最高の状態で会いたいという切実な思いと、秘密結社の頂点に君臨する彼に、内ゲバが露呈すると、己の居場所がなくなってしまうのではという不安が少年の体を厳に拘束していた。それでも十分距離を置いたところで尾行をしたが、喫茶店の窓越しに大崎と面識のない中年の男が談笑をしているのを確認するのがやっとだった。
 大きく一回、ため息をついた。風がまたウィルの顔をかすめた。今度は向こうが少年の息をさらいに来たらしい。
「あーあ」両腕を斜め上に突き出し、芝居がかった伸びのポーズをとった。人目を憚るつもりもなかったが、軽く身の回りを見回してみる。時間的にも、場所的にも、見つかるはずのない帰りの足を必死になって探しているスーツ姿の勤め人風の男、ラリってやけにテンションの高い声で喚きたてている——喧嘩しているのか談笑しているのか、そもそも会話ができているのかさえおぼつかない男女のカップル。ここでちょっと声を張り上げたくらいでは、誰も少年を一顧だにする素振りも見せなかった。

「帰ろっか」

 自分自身に声をかけると、今回のミッションのパートナーの棚妙水希が待つ、ビジネスホテル——勿論、部屋は分けてある——へ足を向けた。
 途中でコンビニがあったら、午後ティーとブラックのコーヒー買ってこう。ちゃんと水希にお砂糖なしでも飲めるところ見せとかないとね。
 本気で目を丸くしているツインテールの少女の顔を思い浮かべると、少年の顔に自然と笑みがもれた。

 ——いよいよ、明日だ。