二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

As Story〜8話(2)第十回 〜完了!! ( No.74 )
日時: 2012/02/18 12:44
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

 ようやく、執務室に立ち込めていたもやが晴れた。なぜか執務室の応接セットを無視して、床に胡坐をかいた男が一人と向かいにもう一人。片方の男の左隣にはロングスカートで横すわりし、フェロモンを撒き散らす女が一人。お互いの唾のかかりそうなほど接近し、深刻そうな面持ちで向かい合っていた。
「何様のつもりだ。貴様ら」
 篠原と園香がその言葉を耳にするのは、直近30分で4度目だった。
「拠点で悶着起こしてれば、それがたとえ組織の人間であってもまずは身柄拘束。それが隊員のオツトメだろうが」
 天銀が唖然としていた。上下の儀礼を重んじる彼は、眼前の青二才の男の物言いに怒りを通り越して、どこか別の星の言葉を聞いているようだった。
 組織の2番目の存在である彼を襲撃——当人たちは任務の遂行と主張——した二人を譴責する男の言葉を、篠原が声を荒げてさえぎり、やっとのことで二人がここを訪れた目的について切り出すことができた。
「あんたじゃ話しても意味なのかも知れんが、とりあえず話しておくぜ」いちいち気に障る言動が目に余るが、二人の射抜くような視線を受け、組織のトップ2は声を発する機会を完全に逸してしまった。いつものように相手を見ているのか判別のつかないほどに目を細め、石のように固まった表情のまま顎をしゃくり、話の続きを促した。
「俺たち、EC(ここ)を脱退する」篠原が声を発した瞬間、園香が天銀の頭のてっぺんから床に張り付いた膝頭までなめるように視線を流したが、微動だにする様子がなかった。園香の失礼な行為に知ってか知らずか、タイミングよく天銀が一息つくと、彼らしく極めて手短に答えを伝えた。

「了解した」

 思わず園香が裏返った声を漏らしそうになった。月下の二人が胡乱な表情を顔いっぱいに満たし、男の真意を推察しようと灰色の相貌に探りを入れようとした。

 「ただし」時を置かずして沈黙を破ったのも天銀だった。そう、おてんとうさまのお目付けのもとに売られている怪しげなダイエット器具にしても、EC(彼ら)がはびこる世界でも、全ての契約には但し書きと言うものが存在するのだ。それも印字可能な極小のフォントで「ただし、本器具を週170時間使用していただいた場合に限ります」と言った感じにだ。
 ここでも但し書きが、河の流れからの解放を目指し、自由の大海へ船を漕ぎだそうとする二人の前に屹立する重厚長大な河口堰の姿を成して、うっすらと水平線付近に浮かびあがってきた。天銀が言葉を続ける。「この組織に明確な脱退などない」トップ2の男が二人の詮索するような視線を打ち砕くように決然とした視線を送り返した。「影晴の能力——ECの能力を察知するちから——から逃れるのだ。だが、あいつの能力は我々の想像を遥かに超えている。その気になれば地球の裏でも、月の砂漠でも見つけるだろう」
 ゴクリ、と唾を飲む音が二つ、言い聞かせるようにゆっくりと低く話す天銀の声が途絶えた後の張り詰めた沈黙を柔らかに破った。
「貴様らは特に強く感じているかもしれないが、ECの能力は小学生のころにピークを向かえ、徐々に衰えていく」一年に一度するのも珍しいこの説明を、今日は2度もするとは、胸の中で天銀が苦笑交じりにフンと鼻を鳴らした。
 眼前の男の言うことに嘘はないと感じた。この組織の実行部隊として最長の経歴をもつ篠原と園香は数年前からはっきりと能力の衰えを感じていた。だからこそ能力以外の銃撃、格闘、フォーメーションも、輝石の原石を磨くように、丁寧に、時間を掛けて洗練させてきたのだ。
天銀が一連の言葉の最後を強く言い切った。「そして、それが完全に消えれば、影晴の束縛から逃げ切ったことになる」図らずも月下の二人が息を合わせたように、上体を前にせり出してきた。もともとあまり開いていなかった天銀の月下の隙間がさらに詰まった。3人が身だしなみに如才がなく、口臭もちでないことが幸いであった。むしろ、たいていの男ならば、園香のような女の息がかかるほどに顔を近づけられたら、さぞや至福のときを過ごせるに違いなかった。しかし、よりによって目の前の人間は、世界中でもそのような感情がごっそりと抜け落ちた稀有な「男の例外」であった。
 その女が上長を経ずして、直接「二番目の男」に疑問をぶつけた。「それって、能力消えるのって、どのくらいかかるの?」
 天銀には、組織のヒエラルキー(階層構造)を破るもの——麗牙の忌々しい、糞溜めのような餓鬼が最たる例である——は気に喰わないことだったが、女に気安く言葉を投げかけられるのは、館の池いっぱいに反吐を吐いても気がすまないほどに胸糞悪いことであった。そして男は、訝しげな表情を隠そうともせず、あっさりと答えた。「約二十年だ」
 篠原は、もっと天文学的な数字を言われるものと思っていた。1000年とか、数百万年とか。そして、実際は一生逃げ続けなくてはならないというオチがついて話が終わるのだろうと。二十年——。園香が皺苦茶のおバアチャンになる遥か手前で消えるじゃねえか。ハル=ベリーを見てみろ。四十台後半なのに今が女の旬みたいな面してるぜ。
 彼女に気づかれないように、篠原が件のハリウッド女優よりも美しいと思い込んでいる艶かで小さな顔を人知を逸する速さで一瞥すると、有史以来最悪の血相の面相に、視線を戻した。

「ああ、やってやるぜ。アンタらに尾けられたら、シベリアの大雪原でも、アフリカの紛争の真っ只中でも、イスラエルのモサドの隠れ家でもどこでにでも身を隠してやるよ」篠原が右腕でガッツポーズをした。「げんこじゃアンタらに勝てそうにないからな」気合の意のポーズではなかったらしい。
「えー、どうせ行くならヨーロッパにしましょうよ。シャンゼリゼ通りとか、リスボンのロカ岬に行って、ユーラシア最西端の夕日をロマンチックに二人で迎えるのよ。あ、それにイギリスの湖水地方、ピーター・ラビットの舞台を訪れるの」
「おいおい、命の危険が迫ってるってのによ。だから女は——」
 天銀は、全く身の危険が迫っていると言う自覚のない男女のカップルののろけを無視し、眉毛一本動かさず、相変わらず相手が見えているのか疑わしいほどに細められた相貌のまま声を発した。