二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

As Story〜9話 〜 ( No.87 )
日時: 2012/05/20 11:07
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)


 春の太陽が天頂に近づくにつれ、陽光を厭うかのように千切れ雲が更に自らを散り散りに分裂させて姿を晦ませている。一ヵ月後にはたけなわの春を迎えるべく、日毎に勢いを増す巨大なガス球の恵みが、原始林、人工林が入り乱れる武蔵野の森に、彩りと陽気をもたらしていた。春の空気に包まれた人々は緊張を解き、油断と怠惰の誘惑に身を預けていた。だが、重厚な灰色の壁に覆われた、5,000平米の空間で蠢く老若男女の面々は、世間から取り残されたように依然として真冬のような緊張と陰鬱を引きずっていた。殊に、空間の人口の約8割を占める、銃火器を身に着けた制服の集団は、脈打つ血潮で両眼を充血させていた。そして、競合他社が一堂に居合わせているこの空間で、お互いの粗相を見逃すまいと彼らの五感を最高の感度に研ぎ澄ませていた。

 司会進行を務める、暗灰色の地味なスーツを身に着けた女性の声が広大なサーバルーム内に響き渡る。今日の式典の参加者の年齢を意識したのか、口調も息継ぎもゆっくりとし、鼻濁音を多用した古典的なアナウンサーの発音であった。広いとはいえ面積の殆どは直方体の体軀の兄弟に占拠されているため、マイクを使わず、少し声を張り上げた調子で話している。
 矢庭に来賓たちが一威を中心に横一列に並び始めた。それを見届ける観衆は報道関係の記者とカメラマン、そして要人警護および屋内外の警備を任された正規の警察官、民間の警備会社社員らである。
 女性の司会者が一言、二言話すと、一列横隊の中央陣取る長官が胸を張り、サーバに半身になるように体の向きを変えた。やや上体を倒し、腰の高さにあるメインサーバのフロントパネルに居座っている、3インチのタッチパネルに表示されている起動スイッチに、巌のような人差し指を持っていった。
 生粋のアナログ人間であるロートル長官にとって、スイッチやレバーは関連する無数の部品と機械的に繋がっているものという固定観念があった。だが、昨今のデジタル機器といえば、スイッチやレバーはダニよりも小さな部品に流す電流の電圧や電流量を調節するための部品に過ぎず、スイッチを押下する深さや重さはそのスイッチの役割とは全く無関係になってしまった。そしてその最たるものがタッチパネルのボタンだった。指先を沈み込ませることなく、何かを起動する感覚はどうも性分に合わない。つい、薄型パネルがひん曲がるくらいに押さえてしまいそうになる。
 甲高いタッチパネルの操作音が、いつの間にかサーバルームに降りていた沈黙の帳を静かに引き揚げた。
 突如、壁の向こうで怒号が飛んだ。
 「やっぱり」入り口の扉の脇で掠れた声がした。入り口の扉の脇に構えていた女性警備員が、大股で二歩三歩と素早く退いた。この事態は想定の範囲内とばかりに手際よく背を屈め、腰の右側に挿したスナブノーズを引き抜き、片膝をつくと目の高に両腕を持ち上げる。冷徹な視線とともに銃口を入り口の扉に向ける。リボルバーの装弾数は5発。トリガーには右手の人差指が掛けられていた。一威ら来賓の者たちは、眼を瞬かせる間もなく濃紺の人の壁に囲まれると、部屋の入り口から可能な限り離れた場所に誘導されていた。武官の経験のない来賓の一人が取り乱し、脱出路はないのか、なんとお粗末な設計なのだと声を張り上げていたが、機銃から射出される9mm口径の弾丸が断続的に耳をつんざくような炸裂音を立て、入り口のドアの外側に毎分一千発の速度で突き刺さると、男性は膝の力が抜け黒と紺の人山の中に埋もれ、達磨のように動かなくなった。
 またドアの向こうから怒号と銃撃音の応酬が繰り広げられる。人間と思しきものがドアに叩きつけられる音がした。
 今、どっちが優勢なの?侵入者は何人?
 思いのほか騒ぎが長引きそうな様相を見せ、ドアの傍らで射撃の姿勢を維持する女性警備員が、真っ先に瞼の裏に浮かんだ言葉を、声に出しそうになり、不意に口を歪めた。なまじ遮音性を備えた扉に隔てられた襲撃の現場からは、銃弾の衝撃音と気違いじみた人の声ばかりが聞こえ、現場の正確な情況を室内からは推測できなかった。それでも、選良の警備員たちは、シークレットサービス顔負けの連携と素早い身のこなしで、瞬く間に臨戦態勢を整えていた。意図的に室内に誘いこむことも可能であった。そうなれば侵入者はまさしく、飛んで火にいる夏の虫となる、はずだった——。


As Story〜9話 〜 ( No.88 )
日時: 2012/05/20 11:13
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

 1秒にも満たない機関銃の掃射音が2回続いた。音が途切れるか途切れないかのうちに、怒号ではなく、断末魔の叫び声が響く。最初ははっきりと聞こえていた人間の声が、入り口の扉に遮られるほどに勢いを失い、声とともに主の命も消え失せていくと、あと続く音がなかった。
 侵入者を制圧したのか。それとも——。室内の警官、警備員らはみな、一様に顔を凍りつかせていた。そして不穏な胸騒ぎを覚え、面貌は憔悴しきっていた。
 カチッ。
 ドア越しに機械音がした。濃紺の壁に囲まれた来賓を除く室内のすべての人間の視線が一枚のドア板に集結する。だがドアノブが動作するのを目撃した人間は皆無であった。
「そこの女!ドアから離れろ!」ドアの一番近くにいた瑠璃の制服をまとう女性警備員に一斉に怒鳴り声が飛んだ。「えっ」姿勢を維持したまま、プレーリードックのように首をまわし、無数にいる声の主を探してしまった。不意に体の前方からハロゲンヒーターのような熱を感じ、ばね仕掛けのからくり人形さながらに顔を戻した。視線の先には眼を疑うような現象が起きていた。
 入り口の分厚いドアの中央部分が直径一メートルの円を成し、真紅に染まっている。そして円は急速に半球状に膨張し、今にも破裂しそうな勢いだった。手にしていた拳銃が一気に熱を帯び、女性警備員が思わず両手を放した。そして、ようやく彼女は取り残されていた自分の意識を世界の時間の流れに追いつかせた。
 HEIB(高効率焼夷弾)だ!逃げられない——。
 HEIBは今から4年前、日本の兵器メーカーが開発した、爆弾であるにもかかわらず、音も光も発せず、炸裂に使うエネルギーのほぼすべてを熱に変換する、呪われた武器である。特殊な火薬が他の手榴弾の倍の量を装填され、炸裂時に障害物がなければ直径2〜5メートル程度の熱球を生成する。光も爆風も発しないため、ターゲットの視界に微かな靄がかる程度しか変化はないが、熱球の温度は5,000度に達し、球体内にいるものは攻撃を受けたことに気付く間もなく蒸発する。その特性上、実用化されていくらも経たないうちに、資金の豊富な国家の特殊部隊や反政府組織では必須の装備となっていた。
 女性警備員がパニックで過呼吸を引き起こし、空気を吸い込むばかりで息を吐き出せなくなっていた。あまりにあっけなく訪れようとしている死への恐怖と悔しさが彼女の両眼から涙をふき出させた。眼前の風景が激しく歪んだ。それでも生存本能によって彼女の肉体は180度転回し、床を蹴り、肩が外れそうになるくらいに両腕を振った。毎秒急速に勢いを増してくる熱気が彼女の背中を伝い、誰も目の当たりにしたことのない残忍で異様な死に様への恐怖を煽る。四方八方から飛んでくる警察官、警備員らの悲鳴のような叫び声が、最早彼女が助かる見込みがないことを暗に示していた。

 「みずうち!」部屋中を覆いつくした怒号のもやから、聞き覚えのある声が彼女の姓の誤った読みを伴って突出してきた。今日の任務で初めて行動を共にした、先輩社員の新堂の声とすぐにわかったが、声のしたほうを振り返る余裕はまったくなかった。そして短距離の五輪代表選手よりも速く突き出している足をもう一歩踏み出そうとしたとき、彼女のまぶたの裏を不吉な予感が横切った。
 声があまりにも近すぎる——。気づいたときには、既に何もかもが手遅れになっていた。重たくて硬い何かが彼女の背中に激しくぶつかってきた。軽装の女性の体躯は風に煽られたビニル袋のように宙を舞い、熱球から4メートルほど離れたタイルの床に背中を下にして不時着していた。それまでの二秒足らずの間、正体を失い絶叫する彼女の両眼に映ったものは、彼女の脳裏をよぎった、最も不吉なシナリオを数分違たがわず再現したものだった。新堂はラグビーのバックスの猛者がトライするときのように、全体重を左肩にのせ、左半身はんみで跳躍しつつ倒れこむような姿勢になっていた。そのとき既に、床を蹴ったはずの右脚が熱球にのまれ、消失していた。そして男の移動速度よりも速く膨張する熱球はことごとく男のからだを呑み込んでいった。だが、新堂の体内に噴出した夥しい量のアドレナリンは、彼を死の苦痛から解放し、残された肉体が首だけになっても、彼に自分が死んでいることを気づかせようとはしなかった。みずうちと呼ばれた女性警備員と新堂の目線が合ったとき、男は何かを言い残し、虚空に消えていった。扉の向こうでは、肉弾戦になり揉み合いになっていたと思われる警備員と侵入者の干からびた肉体の一部が転がっていた。
 女は見開いた双眸を閉じることができなかった。血も涙も彼女の顔から消えうせてしまっていた。すべての感情が抜け落ちた瑠璃色の塊が、怒号の消えうせた静謐な空間に横たわっていた——。
 新堂は最後に何かを言い残していた。何も考えたくなかったのに、彼女の脳は主人の意思を無視し、勝手に記憶を掘り返し始めた。肩より下が消えうせた新堂の体が目の前に蘇る——。彼女の脳の暴走はとまらず、男の唇の形の変化を追っていた。
 しっか……。
 しっかい。しっかり……。
 しっかりし……。

 ——え?
 思わず声が唇の隙間から漏れた。俄然、彼女の意識が正気を取り戻してきた。
 ——しっかり、し……

「しっかりしろ。みずうち!」
 彼女の右肩に、拳骨で小突かれる衝撃が走った。追い討ちをかけるように、仏様の声が彼女の鼓膜を小突いた。
「みずうち、みだりに拳銃を触るんじゃない」
 彼女の頭頂部から驚愕の感情が形を成して飛び出しそうなくらい、まぶたを目いっぱいに開き、呆然と口をひらいて右側のやや上を見上げた。眉毛の濃い仏頂面が彼女の視界を覆った。「しんどう、さん?」
「みずうち、ぼうっとするんじゃない。そして拳銃から手を放せ。ここらの連中は皆顔見知りじゃないんだ。やつら全員にこっちを警戒されているぞ」
 日の出とともに薄れ行く朝靄のように、己の置かれた情況が見えてきた。いつもの妄想癖が緊張のあまり発症してしまったのだ。同時に、ぶつけどころのない苛立ちが腹の底からこみ上げ、のどを超えて唇の裏に達したとき、それは先輩社員への悪態となって世界に飛び出した。
「みずうちみずうちって、何度いえばわかるんですか。わたしはすいうつ、しじまです」
「おい、あと一分だ。持ち場のチェックをしたら、警備班のリーダーに無線で連絡。いいな?」
 新堂の神経を逆なでしてしまった彼女は、再び右肩を鈍器のような拳骨で小突かれた。そして自分のいったことを完全に無視されてしまった。職業柄大がらな新堂にくらべ、きわめて貧相な彼女にとって、新堂の「小突き」は殴打に近い衝撃があった。不満の気色をを顔いっぱいに浮かべ、ぞんざいに周囲の人間の動きや床、壁の継ぎ目のチェックをした。最後に自分の腕時計の時刻を確認したとき、ちょうど定刻の11時となっていた。マイクを介さないの女性の進行役の艶やかな声が、厳かに静まり返った空間に響く。

「このたびはお忙しい中、遠いところご足労くださいまして、誠にありがとうございます。それでは、2062年3月10日、時空間走査システム起動式典を始めさせていただきます」

 そのとき初めて、彼女は自分が警備をしている式典の内容を知った。
 時空間走査システム。時間と空間を走査、つまりスキャン——。

 再び、水打静(すいうつ しじま)を不穏な胸騒ぎが襲った。