二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

As Story〜9話(3) 〜時空間走査システム ( No.95 )
日時: 2012/08/18 21:03
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)



 システム——それは互いに影響を及ぼしあう複数の要素が、特定の目的のために構成する「全体」である。巷には名前の末尾に「システム」という単語のつく名詞が、都会に潜むクマネズミよりも多く氾濫しているが、よく見るとほとんどのシステムの名称はある一定の規則がある事に気付く。その規則とは、「システムの目的」+「システム」という文字列という組み合わせである。例えば、「成績管理システム」といえば、そのシステムの目的は生徒の成績を管理すること——即ち、生徒の氏名等の基本情報の記録、目標点の設定、成績の推移などを行うためのシステムということになる。一般人でも目にすることのできるシステムの例としては「新幹線運行システム」がある。これは時速300kmを超える速度で走行する新幹線の車両と、それを運転する運転士、総延長2000kmを超える線路のどこかを走っている車両の位置や状態を遠隔で監視するコントロールセンター、車両の緊急停止を制御するATC等、これらを利用し新幹線を安全かつ正確に運行する仕組みのことを指す。そしてこれらの集合体は、自らの名前に刻まれた「目的」を滞りなく遂行し続けることで評価されるのである。
 一威の目の前に鎮座している時空間走査システムも、与えられた役割を一心に遂行していた。彼の役割は「時空間の走査」。それもただの走査ではない。指定した範囲の期間を時間単位あるいは日単位に区切り、その都度5.1億平方キロメートルにも及ぶ惑星の全表面を走査し、警察の手を逃れたと安堵の息をついている犯罪者を秘密裏のうちに発見する任務を担っているのである。だがシステムの稼働開始式典が催されている今日、彼の努力を良く評価しようとする者は皆無であった。それどころか、彼の行為によって、一人の男が首が飛ぶか飛ばないかの窮地に立たされていた。ギロチンの刃を吊るしている痛んだ縄は、ミシミシと張りつめた音を立てながら、着々とちぎれる瞬間に近づいている。

 警察組織に配属されて何年経っただろう。40年くらいか。内閣府警察庁情報局局長の七髪一三(ななはつ いちぞう)は、暗号化通信用端末越しの会話とは全く関係のないことに意識がそれた。窮地におかれた男が、耳を閉ざすことのできないこの状況で、現実から逃避できる唯一の方法であった。
 飛ぶ鳥を落とす勢いで成長するユーラシアの国々から見放されたように、極東の海に浮かぶジリ貧の島国のごとく、七髪は来賓の人だかりから3メートルほど離れたところで猫背になり、肩身の狭い思いを周囲にまき散らしながら佇んでいた。今の彼が極東の斜陽国と違うところは、彼と同じ場所に居合わせる警察組織の重鎮や警備員、そのほかのあらゆる警察関係者達から火傷を負いかねないほどの熱い視線を浴びせられているところだ。彼のこめかみから氷のような汗が一滴、大地をえぐる氷河のごとく、頬をずるずると垂れていく。今日このハレの日のために新調した背広の背中一面には濃灰色の汗じみの世界地図が描かれていた。早朝に目を覚ましてからこの瞬間まで、一秒たりとも極度の緊張を解く暇のなかった彼は、既に冷や汗で脱水症状になりかけていた。

 「あのう、聞いてますか?七髪さん」麗しき過去の思い出の世界に逃げ込んでいた中年の男の意識が、通話の相手の粗谷参義(あらや さんぎ)の呼びかけによって、地獄よりも陰鬱な現実世界へ再び引きずり込まれようとしていた。科学技術演算関連の中堅ソフトハウスに勤めていた粗谷は、大手システムインテグレータの子会社であったがために、受注は安定していたが、儲けの少ない現状に嫌気がさし、二十八の時に志を共にする同僚、後輩社員らと会社を辞め、システム受託開発専門の「アラヤ・システムズ」を起こした。アラヤ・システムズは全国の地方自治体を顧客とし、都市開発に関連する高度なシミュレーションシステムを構築して高い評価を得ていった。そして、当時県の情報システム部門のプロジェクトリーダーを務めていた七髪の目に留まり、都市開発だけに限らず、あらゆる分野のシステムを二人三脚で構築してきた。七髪が政府機関の情報部門に大抜擢されてからも、彼らの関係は変わらず、現在に至るまで約30年来の付き合いとなっていた。身内には話せないことでも、二人の間では腹を割って意見を言い合うことができた。実のない愚痴をこぼしあうこともあった。いい年をして口論が白熱して殴り合いになることもあった。そんなつーかーの関係の二人が気の遠くなるような歳月をかけ、実現を目指してきたものがいま七髪の背後で不穏な信号を発しているシステムであった。
 粗谷は前日に発生した別のシステムの障害に対処するため、武蔵野のサーバセンターから離れたところで、自身のノートパソコンから時空間操作システムの状況を監視し、先程発せられた信号について七髪に説明を終えたところであった。
 わざとわかりにくくているのではと勘ぐってしまうほど時空間とシステムの専門用語の応酬だった粗谷の説明のうち、七髪は最初の1分しか覚えていなかった。だが、七髪にはそれで十分だった。あいつは自分に都合の悪いことが起きると、鱗一枚分しかない核心部分に尾ひれ背びれ、内臓、肉、骨、えら、体の各器官をつけて大間産の本マグロにしてしまう。しかし、ことさらに報告書を求められることの多い行政機関相手に、何千何万回と報告を重ねてきた下請け会社の社長は、報告内容の核心を先頭に持ってくる習慣が、テフロン加工の剥げ落ちたフライパンの焦げみたいに己が身にこびりついている。だから、最初の二、三文とその時の彼の表情さえ見ておけば全く問題ない。
 火気厳禁のサーバルーム内でニコチンがきれそうな一部の幹部が、しきりに革靴で床を叩き始めている。七髪に残された時間はあまりなかったが、粗谷の報告を慎重に分析した。「つまり、あのシステムに表示された輝点はテスト用人員で、全部で四名、現在とはことなる時空間に配置されているということだな?」
「——はい」一瞬の間を置き、粗谷が抑え気味の声で短く返事をする。「だが——」間髪いれず七髪が言葉をつないだ。
「なぜ彼らがまだ残っているのだ。テスト用人員は昨日のリハーサルが完了した時点ですぐに引き揚げさせろといったはずだろう」七髪の一言で、自身の滝のような冷や汗をかく役回りはは粗谷に引き継がれた。粗谷の返事を待たずに七髪が話を続ける。そのまえにやれやれと大きくため息ついた。「起きてしまったことはしょうがない。確かテスト人員は、2059年から2020年までの40年間を10年ずつ区切り、各10年ごとに一人配置しているんだったな?」
「はい」
 四人のうちすでにひとりは探知されている。つまり残っているテスト人員は、三人。大仰な台詞回しで単純な引き算をいるうちに、再び背後で甲高い電子音がした。——二人か。
 七髪が伝言を簡潔に済ませ、端末の通話を切断した。腹を決めて身を翻すと、泰然として立ちはだかる長官を先頭に、剣呑な視線と悪態を投げつけてくる重苦しいツイードの団体に向かっていった。男が長官と一歩ぶん隔てたあたりまで接近すると、深々と頭を下げ、今回のトラブルについて一部始終を説明した。七髪が言葉を吐き尽くした頃に、しつこくクレームを繰り返す幹部が1,2名いたが、全体としては落ち着きを取り戻していた。情報局局長のわかりやすくまとめられた報告を、サーバールームの隅で耳をそばだてて聞いていた警備員らも一部を除き表情をこころもち崩していた。緊張の糸がだらしなくたるみ始めた空間を貫くように、3回目の電子音が鳴り響いた。時間を遡るにつれ、矮小な惑星の殻の表面で蠢く人類の数が減るため、電子音の鳴動する間隔も短くなっていた。一部の幹部たちがタバコの自販機の場所について、確認し合っているうちに最後の電子音が鳴り響いた。
 数秒のち、七髪の通信端末が鳴動した。粗谷からの報告のメールだった。先ほど探知した4名の国民基本情報IDと氏名、そして全員のテスト要員リストでの存在を確認した旨の文章が書かれていた。七髪たちのいる時代、2060年では既に、国民背番号とも言うべき、国民基本情報IDが、全国民にあまねく割り振られていた。このIDによって、日本国民は身元とこの国の手厚い社会保障を受ける権利を保証されていた。もし、IDを持たないものがいるとすれば、その者たちは不法滞在者かIDを割り振られるべきではない極めて稀有で特殊な職務についている人間であるということがわかるのだ。メールを二度読み返し、七髪が右の腰のあたりで目立たぬように拳を固めた。システムの画面が、2019年の世界の走査を開始したことを告げていた。時空間の走査はテスト人員が配置されていない期間に入った。システムのスキャニング処理は2000年までに設定されていた。残り20年。七髪はシステムの目の前に張り付いている必要はないだろうと、このあとのスケジュールを確認するべく、幹部たちに金魚の糞のようにひっついている補佐官らのもとに足を向けた。振り帰り際に若い女性警備員と目が合い、にわかに人類の約半数の人びとに宿る女への煩悩が七髪の左胸の片隅で湧き上がったが、表情は微動だにさせずその場を去った。

As Story〜9話(3) 〜時空間走査システム ( No.96 )
日時: 2012/08/20 01:15
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

 誰かに指示されたわけでもなく、滞っていたサーバー室の警備体制は、正常な体勢に戻っていた。予定より遅れていはいるが、あと2分でサーバ室内と部屋の外の建物内部、建物外部の警備のローテーションが開始されることが、暗号化通信端末を通じ、警視庁の警備担当官から各警備員に告げられていた。タイルの床を叩く革靴の音が慌ただしく響き渡る。各警備会社は前もって入念に警備場所と移動ルートを確認してはいたが、どの会社も経験のない場所な上に、廊下が熱帯域のアリのつくる蟻塚のごとく三次元に入り組んでいるため、ローテーションのたびに、付近にいる警備員どうしで、全フロアの図面が記載されているリーフレットを取り出し、確認し合う光景が見られた。新堂も先ほどの七髪の報告を立ち聞きし、通常の警備に戻っていた。そしてこの男もご多聞に漏れず、付近にいた他社の中年の警備員にローテーション先への移動ルートについて確認をするべく声をかけたところだった。
「帝栄警備の新堂だ」羽目板状に並べた社員証と入館許可証を左手で掲げた。相手は2万名を超える屈強の警備員を世界に擁する国内最大手の警備会社の警備員だった。もちろんその会社の選りすぐりの警備員である。その警備員が新堂の掲げた社員証を見て、かすかに目を丸くした。帝栄警備は、警備員、非警備員を含め、総勢100名をわずかに超える程度の中小警備会社であるが、個々の警備員の技量、素質が非常に優れていることで有名であった。そして帝栄の筆頭警備員である新堂は、一部の警備員のあいだではカリスマのように崇められている動きさえあった。だが他の警備会社において、職業がら新堂の顔を知るものは皆無であり、先の新堂の相手の反応は全く不思議なものではなかった。30秒でルート確認を済ませようと、二人で手際よくリーフレットの各ポイントを指差し確認していく。突如、相手の警備員が確認作業とは関係のない話題をふってきた。
「ところで新堂さん。今日はお美しいパートナーがいらっしゃいますね。実にお羨ましい」新堂が訝しげな表情をあらわに、カエルを睨む蛇の如き目線で相手の顔を射抜く。豹変した若者の形相に中年の警備員が焦って言葉を続けた。「あ、申し訳ない。いや彼女、さっきからひっきりなしに何を見ているのだろうと思いましてね」
 カリスマと崇められる男の顔がたちまち蒼白に染まる。留め具が外れた虎バサミのように首を回すと、相棒が件のシステムを睨みつけている。あいつ、さっきまで警備してたのに。顔面の皮膚が氷のような薄青色から煉獄の紅色に変化した新堂が、男に軽く会釈をすると、仕事をしない相棒のもとへ大股で向かっていった。

 女の足は完全に止まっていた。持ち場の出入り口の扉から離れた場所で、右に左に流れていく警備員の隙間の奥に控えるサーバマシンの20インチのディスプレイを遠巻きに見ていた。コンピュータ関係の担当者と思しきの説明を聞いても、あの胸騒ぎはおさまるどころか時間と共に強くなる一方であった。ディスプレイのそばにいる来賓たちに気付かれないように、警備をしながら、チラチラと顔を動かしていた。が、いつの間にか足を止め、顔をうつむき加減にし、目の前に垂れている漆黒の絹糸のように艶やかなすだれ越しに、画面の下に映っている緑色の線を食い入るように見つめていた。そして裸眼で2.0以上を保ち続けてきた視力を総動員し、緑の線のさらに下に表示されている小さな文字を判別した。2013——。不意に緊張で右腕にしびれが走る。腕に鳥肌が走り指が痙攣した。
 「すいうつ!」拳の突きの寸止めのごとく語尾を短く切った野太い声が、静の不安を力づくで吹き飛ばし、前とは異なる恐怖で静を覆い尽くそうとした。すっかりグラフに気を取られていた静が、わずかにとび跳ねつつ体を先輩警備員の方にひねる。最後にディスプレイを一瞥したとき、「2012」の文字が画面下に映し出されていた。
「よそ見するな!持ち場にもどれ!任務を遂行しろ!」前に突き出した右腕を、静の持ち場の方へ振り回したその時、
 ピーン、ピーン——。真っ先に画面を向いたのは七髪、数分の差もなく静がそれに続いて顔をディスプレイに戻す。1秒おいて他の警備員たちが条件反射で各々の利き腕の側の腰にぶら下げているホルスターに手をかけ、片膝を突き、臨戦態勢をとっていた。一威ら幹部たちも二つ目の電子音の残響が、彗星の尾のようにフェードアウトし終える頃には、混乱の根源の方を向いて立ち尽くしていた。最後に自らのどなり声で電子音を聞き逃した新堂が、周囲の警備員の動きを見て異変に気付いた。
 七髪が通信端末の短縮ボタンを力任せに連打した。あいつもすでに察知しているはずだ。そんな思いをよぎらせ、端末を耳にあてると、一回目の呼び出し音が鳴り終える前に聞く者の生気を吸い取るような弱々しい男の声がした。一瞬、七髪は奈落の底にかけてしまったかと本気で考えてしまった。
 「何なんだ!あの二つの」思わず七髪が言葉を詰まらせた。このシステムは、高度化する犯罪に先手を打つために開発されたはずだったが。我々は再び犯罪組織の後塵を拝したのか?それともこのシステムは周囲の人々の目線をくぎ付けにするために開発されたのであったか。ならばもう少し、映し出す内容をショッキングではないものにして欲しいものだ。トラブルの連続で息切れしかけていた七髪の脳みそに、軽い冗談の文句が浮かびあがっていた。不謹慎極まりない己のユーモアに苦笑を浮かべていた。一方、ディスプレイを見つめる落ちくぼんだ瞳は表面を分厚い水の膜に覆われていた。男はゆっくりと首を左右に振った。端末の向こうの気の置けないシステム屋の男もすでに異変に気付いているに違いない。右手がだらりと垂れさがり、力の抜けた右手から通信端末が抜け落ちた。硬質のタイル床で通信端末が鋭い音を立てて2回バウンドした。
 今回ばかりはお手上げだ。俺の、せいじゃない——。
 七髪の見つめる先の画面に映し出された線が激しく波打っていた。電子音が連続して鳴りつづけていた。

 先輩警備員の拳骨の一発を寸でのところでまぬかれた女性警備員が、双眸を細め、ディスプレイに表示されている数字を読取った。女は再び瞼を持ち上げると、激しい緊張で言うことを聞かない声帯に鞭をうち、遠くにいる一威に叫んで伝えた。
「日付、ふたまるひとにぃ、まるいち、ふたまる、時空間走査システムに42件の反応あり!おそらく——」静が息をついだ。すこし声を抑え、この場に居合わせた誰もが絶対に耳したくない言葉を発した。

「時空間犯罪者です」