二次創作小説(紙ほか)※倉庫ログ

第22話 一寸先へ希望を ( No.103 )
日時: 2013/05/17 18:29
名前: 伊莉寿 ◆EnBpuxxKPU (ID: 7jEq.0Qb)

月乃『おはようございます』

練習が休みの日曜、松葉杖無しに階段を下りて来た月乃に、俺は一瞬、驚いて目を見開いた。

神童「月乃、脚……大丈夫なのか?」
月乃『普通に歩くのに支障はないです』

そう打ち込んでから、メイドが引いた椅子に腰かける。
彼女は手を合わせてからクロワッサンを手に取った。
向かい側の席、通院生活を送る少女は、最近サッカー部の面々と打ち解けて来たように思う。
主には1年だが、面倒見の良い三国先輩やムードメーカーの浜野とも時々会話をしている。
小食な気はするが食欲もあるし、顔色も怪我の調子も良い。
だが、相変わらず声は出ていない。

神童(声を出す妨げになっている怪我や異常はないはず……やはり心因性なのだろう。そう言えば、)
神童「……記憶は、戻らないのか」

少しだけでも。
そう問いかけると、ピタリとスープを飲む手が止まった。
深い青の目が若干見開かれて、俺の顔を映す。そして彼女は目を逸らした。
——うろたえている。

神童「……もしかして、戻っているのか?」
月乃「!?」

口が、何か言いたげに動く。
彼女の冷静さを欠いた困惑ぶりは、いつも見ている月乃と全く違う。
それがおかしくて、思わず笑いが漏れた。

月乃『わらうところですか』
神童「はは、表情も豊かになって来たな」

顔をしかめる月乃の反応を見る限り、自覚は無いようだ。
ああ、そう言えば本題からずれてたな。

神童「記憶は戻ってるんだな?」

月乃は即座に首を横に振り、ためらう様子を見せつつもカチカチとキーを打ち始める。

月乃『ただ、ふたつだけ思い出したことがあります』
神童「ふたつ?」
月乃『ひとつは』

月乃の表情から、さっきまでの焦りは消えていた。
代わりに、指が震えているのが見て取れる。

月乃『小さい頃に父親が死んでいるということ』
神童「!」
月乃『ふたつめは』

その先は、どのように伝えるべきか迷っているようだった。
じっと画面を見つめて、そしてゆっくりとキーを押し始める。
そしてその内容に——俺は目を丸くする。

月乃『この世界には、悪魔がいるということです』



クローチェ「剣城京介に、悪魔が潜伏している」

国、所属学校、部活動名。
諸々が省かれた一言でも、彼女達にとって理解はたやすい事だった。
デザイン性重視のおしゃれな椅子に腰かけていたソフィアは、正座で反省中のアルモニを無言にさせていたガムテープを豪快に剥がす。

アルモニ「忘れてたッ!!」
ソフィア「……イイカゲンにしてくれる?」
オラージュ「それがアルモニだ」
アルモニ「ちょっ、ひどいよ!!」

A級天使長の開口一番に吐き出された言葉は、全員の予想通りだった。

アルモニ「てゆーか、ずっと話せないんだから思い出してたって言えなかったよ!」
ソフィア「口を開けばランスロット様、ランスロット様……誰でも大人しくしててほしいって思うわよ!」
クローチェ「忘れてたアルモニはやっぱりすごいと思う」
アルモニ「でしょ……って褒めてないよね!!」
クローチェ「褒めるわけない」

あたしの部下って……。
そう崩れるアルモニを一瞥して、ソフィアは有能な部下2人を振り返る。

ソフィア「その悪魔は、何かしたの?」
クローチェ「体を乗っ取ってサッカーをしただけ」
オラージュ「かなり賢い悪魔だと思う。僕達も気のせいって見逃しそうな量しか魔力を使ってなかった」
ソフィア「……目的は」

その一言に、2人は顔を見合わせた。彼女達にもまだよく分かっていないのだ。
そう伝えようとオラージュが口を開くより早く、アルモニがあっけらかんと答える。

アルモニ「つきのんかなあ?」
ソフィア「つきのん? 月乃杏樹のこと?」
アルモニ「うん。だってつきのん、聖力使ってたもん」

さらりと告げられたのは、受け入れがたい事実だった。
言い忘れてた、と頬を掻きながら苦笑するアルモニを、3人はまばたきを忘れて見入る。

クローチェ「……月乃杏樹って、人間……」
アルモニ「うん、そうだよ」
オラージュ「聖力を使ってたのか?」
アルモニ「そうそう、地味に悪魔にダメージが……ごめんソフィアっ、鎖出さないでッ!?」
ソフィア「何でそれを早く言わないのよ!!」

両手を合わせて謝れば、ソフィアはむっすりとした顔で鎖を消した。

オラージュ「ソフィア、指示を」

ただの人間が、悪魔に狙われた。
聖力を使った。
そして悪魔を追い詰めた。
これは重大な事件とみるべきだと、彼女達は判断する。

ソフィア「……オラージュは、月乃杏樹の出生を洗いざらい調べて。クローチェは、月乃杏樹の中に聖霊が居る可能性があるから、人間界に聖霊が下りていないかどうかを調べて。アルモニは……」

じ、と桃色の瞳を見つめれば、そこに炎が見えた様な気がした。
そのやる気に微笑んで、ソフィアはアルモニにぴったりの指示を出す。

ソフィア「月乃杏樹を守りなさい。何があっても、悪魔に渡してはいけないわ」
アルモニ「っ、はいッ!!」

興奮気味の返事に、満足げにソフィアは目を閉じて、表情を消した。
部屋の中に、緊張感が漂う。

ソフィア「これより、特異人間調査とその保護活動を開始します。異常は見つかり次第、速やかに報告するように」
3人「はいっ!!」
アルモニ(絶対に……つきのんは守るからね!)



剣城はわざと足音を立て、その部屋へ1歩近付いた。
視線の先では、剣城に背を向けて階段を下りる月乃杏樹と、付き添いのメイドがいる。
メイドの表情は暗いと、彼は読み取った。
定期的に通院している月乃は、今日も診察に来ていたのだろう。
彼女達を見送りに廊下へ出ていた年寄りの医者が、足音に気付いて剣城を振り返った。

医者「……君達の言うとおりにしたぞ」
剣城「ああ。今まで通りの生活を約束する」
医者「……助かったよ」

安堵して息を吐いた医者が、首だけで軽く礼をして診察室へ戻っていく。
礼には応えずに、剣城は心の中でため息をついて、静かな階段の途中で一人立ち止まる。

剣城(……クソ医者め)

誰もいないその場所で、思わず舌打ちをする。
冷えた手すりを強く握りしめ、そして兄の病室へ向かうべく階段を駆け降りた。



メイド「杏樹さん?」

階段の途中で立ち止まった月乃に気付いて、メイドが声をかける。

メイド「忘れ物ですか?」
月乃「!」

優しい問いかけに、月乃は首を大きく横に振って答える。

メイド「今日はお約束がありましたよね? 遅れちゃいますよ?」

その約束とは、西園の必殺技の練習に付き合う、という物だった。
月乃が小さく頷き、そっと一段下りるのを見て、メイドも再び前を向いた。

月乃(……剣城、さん)

視界の端に一瞬映った、紫の改造制服。
それが何を意味するのか——良くはなかった医者の話を思い出しながら、月乃は目を伏せた。

月乃(つまりは——)

手すりで熱を冷ましながら、月乃はまた一段、階段を下りた。

* ツヅク *