二次創作小説(紙ほか)

As Story 第10話(2)〜幕開け〜 ( No.129 )
日時: 2014/01/02 17:43
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
プロフ: http://www.nicozon.net/watch/nm8070136

『幕開け』


二〇一二年一月二十日 午前8時 神奈川県横浜市中村川沿道——

 昨夜の天気予報の通り、未明から降り出したみぞれのように冷たい雨は、天気予報が更新される午前5時時点でも気象庁の思惑通りの経過をたどった。

 モノの受け渡し場所であるJR線停車駅からも望むことのできるはずの、全国の高層ビルの中で第2位の高さを誇る横浜ランドマークタワーの雄姿は、自身の重さで徐々に沈みゆく雷雲によって大半の部分を覆われ、閃光ほとばしるいかずちいましめによって、296.33メートルの巨躯が羽交い絞めにされていた。
 港をすっぽりと覆い尽くす雷雲はそれでも遊び足らず、凍りかけの大粒の雨と無数の稲妻をかれこれ1時間近く下界に落とし続けていた。

「現在南関東に激しい豪雨を降らせている雨雲は、午前中には北へ抜け、午後は冬らしい快晴になるでしょう」

 ターゲットの二人から西へ約1,000メートルほど離れた地点では、新堂らの一行が二人が20分あまりの移動後、とどまり続けている駅へと通じる川沿いの道を東へと駆け足で前進していた。分刻みで増え続ける歩行者の傘が彼らの前進を意図的に妨害しているかのように、変幻自在に歩道を車道を行き交っている。時空間転送システムは、転送地理的誤差が最大1,000メートルという仕様を大きく逸脱し、目標地点から2,000メートル近く離れた場所に3人を転送していた。

 出発前に用意しておいたゴアテクス製の黒いレインウェアを羽織った男が、顔をすっぽりと覆うフードの奥で鋭く舌打ちをすると、ヘッドセット型の無線通信装置のチャンネルを、社の内規で定められている番号に合わせた。

「ダリア。到着して早々、俺たちはなんてツいているんだ。どうぞ」
 通信を相手に渡す直前に、フンと鼻を鳴らす音が紛れ込んでくる。

「リリー。そうですね。秋の南紀で豪雨に打たれながら、夜通し要人の宿泊施設の周辺警備に就いていた時のことを思い出しますよ。どうぞ」
「ダリア。……ああ、南紀か。それはご愁傷様でしたね。どうぞ」

 いささかぞんざいな返事をし、新堂がフード越しに目玉をむき、頭上に垂れこめる雷雲を睨みつける。

 アスファルトやフードを強かに打ちすえるあられまじりの雨粒の轟音のせいで、通信端末のヘッドホンを介してもところどころ言葉が聞き取るのが困難な時があった。
 新堂ら一行のように、極秘とは言わないまでも、公衆の面前で大立ち周りができない任務の隊員たちにとって、雨天は決して悪い環境ではない。道行く人々の視界が、傘や雨具で大きく遮られているために、彼らの姿を目の当たりにされることが少なくなるうえ、彼らが面貌を覆っていても、不審がられる可能性が大幅に減少するからである。

 だが、今日に限ってそんなメリットを微塵も享受することができなかった。仲間との会話に支障をきたすほどの騒音が任務の遂行の足かせになりかねかったのである。そして、豪雨よりも憂慮すべき事案が、新堂のすぐ後ろの稲森からさらに離されること20メートル、たかだか10kgの装備に四苦八苦し、顔面をゆでダコのように真っ赤にして走っては立ち止りを繰り返している女性隊員が一名。フードで頸を覆っているにもかかわらず、女の頬や額を無数の雫が滝のように流れている理由を考えたくなかった。

 新堂が部下の様子を確認するために後方を確認すると、稲森が後ろを気にする姿が、しんがりの部下よりも先に目に入ってきた。これで2度目だ。

 「あいつ、肝心な時に発熱か」

 新堂が激しく苛立ちながら、後方の稲森に肉声でも聞こえるように声をあげた。
 何人なんぴとも最後尾の隊員の正体について微塵も疑念を抱くことはゆるされない。新堂が胸のうちでしかと己に言い聞かせた。

 あの女は平時は色白なだけに、今のつらは見ようによっては高熱を出しているようにも見えなくもない。
 遥か後方で静が声を掠れさせながら、少しずつこちらに接近してくる。また立ち止った。
 俯いたフードからわずかにのぞかせる静の顔色を見ると、本当に発熱しているようにも見える。新堂がフード越しに右耳のすぐ下にある通信端末のスイッチを押しかけたところで右手を戻した。そしてようやく数メートルというところまでたどり着いた静に自ら近寄っていった。前かがみになり、膝に手をつき立ち尽くす静の前で仁王立ちになった。

「スイレン、聞こえるか」

 俯いた頭の上から、轟音に混じって男の声がする。怒号が飛ぶのかと思い、思わず身を硬直させたが、静の意に反して低く、ゆっくりとして抑揚のない調子だった。体を起こす気力がなく、顔だけを持ち上げ上目遣いで睨みつけているような姿勢になった。肩と背中を激しく上下させながら、辛うじて声を搾り出した。

「は、はい」
「向こうにファーストフード・ショップがある。そこで休んでいろ。必要があれば私が無線で呼び出す」

静が顔を俯かせ、下唇を噛み締める。フードを叩きのめすあられの鈍い音が、同時に静の鼓膜も打ち据えようとしていた。

「わたしも一緒に…」体を持ち上げ、新堂と正対した。
「行かせてく——」

「だめだ」あまりにも淡々とした調子に、隊長の決定が翻る余地が無い気配を、静がひしと感じ取っていた。

「ただでさえ当初の予定の倍近い距離を移動しなくてはならない状況にある。君のペースに合わせていては日が暮れてもポイントに辿りつけない」

「新堂さん!」

 なんと言われようと引きがらない部下に、それを払いのけようとする上官。互いに一歩も譲らない二人は豪雨にもかかわらずしばらくの間、押し黙ったままにらみ合いを続けた。

 貴重な時間を浪費しつつ延々と続く根競べに音を上げたのは上官のほうだった。

 突如、新堂が半歩身をひいた。

 そして、強かにかかとを鳴らし、部下に対し気をつけの姿勢をすると、頭を深々と下げた。静があわてて新堂を起こそうとする。彼女の動作を遮るように新堂が体を折り曲げたまま声を発した。

「すまない、水打。このような事態に陥ってしまったのは、全て私の責任だ。私が己の能力を過信してしまったのがそもそもの原因なのだ。わたしが適宜立ち回ればお前の至らぬところは全てカバーできると思っていたのが間違いだった」


As Story 第10話(2)〜幕開け〜 ( No.130 )
日時: 2013/10/08 18:06
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7TaqzNYJ)
プロフ: http://www.nicozon.net/watch/nm8070136

 二人を川の中洲のようにして、無彩色の傘の流れが彼らを避けていく。少し離れた場所で成り行きを見守っていた稲森が近づこうと足を踏み出したが、そこから進むことができなかった。形なき壁がベテランの警備隊員の行く手を阻んでいた。新堂は微動だにせず、無言で立ち尽くしていた。

 朝の凪いだ空気のなかで水浸しの黒いフードがかすかに左右に揺れる。新堂の体にふれようとしていたグローブをはめた小さな手が、天空から堕ちる凍てついた雫のために小刻みに震えていた。震えをこらえようと拳を固めても震えが強くなるばかりだった。おもむろに、両手を我が身に戻した。鼻をすすり、唇をかすかに開いた。

「わたしを選んでくださったのは、確かに新堂さん、貴方です。でも——」言葉を吐くほどに悔しさがこみ上げる。声が途切れる。

「でも、それを断らなかったのは、私の意志です」

 新堂がおもむろに姿勢を戻す。静の目線が新堂の頸を追って上に振れる。顔が雫で濡れる。一瞬前まで頭を深々と下げ、陳謝していた新堂が、体を起こすと初めて会った時よりさらに大きくみえた。左手で必死に胸を抑え、怖気つく心を押さえ込もうしたが、到底叶うものではなかった。それでも震える唇から声を振り絞った。

「わたしは幼いころに祖父を失いました。でも、わたしは警察官だった祖父が誇りでした。祖父に憧れ、警察官になるのが、永らくわたしの夢でした」

 わずかの間に、静の顔面はずぶぬれになり、冷え切った肌から血の気がひいて死人のように薄灰色になりつつあった。冷え続ける空気のせいで、必死になって上官への畏れを堪えようとしているのが、小刻みに浮かび上がる真っ白な靄でばれるのではないかと、新たな緊張が静を縛り付けていた。

「でも、いつしかわたしは、警察では取り締まれない、大きな犯罪に立ち向かいたいと思うようになっていました」

 新堂が深々とかぶった漆黒のフードの奥から、口を閉ざしたまま鋭い眼光を放つ瞳で目の前の女を睥睨した。

「それで、PMC、民間軍事会社である帝栄を選んだのか。そして入隊試験では採用ラインぎりぎりではあったが、体力、射撃技術、状況判断、その他ほぼ全科で及第の評価を得た。しかし、一つ及第点に遠く及ばないものがあった」

 自分の話す事実を聞き流させないように、敢えて言葉をきった。そして、相対する部下の意識が、自分を確実に捕らえていることを確認した。新堂がゆっくりと言葉を紡ぎだす。

「それは、お前の性格だ」

 何かがこみ上げてくるのを堪えきれず、嗚咽を漏らすと目を伏せ、顔を左右に振った。

「確かに君は射撃の対象が何の変哲もない射撃の的なら、際立って優秀な成績をあげていた。だが、その的が生きた人間になった途端、躊躇してしまうだろう。あくまで適性試験の結果をもとにした推測だが、あながち間違ってはいないはずだ。さらに言わせてもらうが、お前は射撃だけではない、全般的に人を傷つけかねない局面において、躊躇が激しい」

 新堂が言い放った。

「……優し過ぎるのだ、お前は」

 静が声を上げて泣いた。激しく痛む胸を両手で押さえつけて泣いた。耳にこだまする様々な音が、自分の声なのか、雨の音なのかわけがわからなくなっていた。

 新堂の一言、いや一音がいちいち彼女の左胸に突き刺さり、彼女の心はずたずたに引き裂かれていた。
 そうしなければこの子はきっと、異常なまでの復讐心で奈落の底から這い上がり、身の程知らずの任務をこなそうと思うだろう。しかし安直な「思い」だけでは、この仕事は、人間の一生を、その人間がどんなに長生きしていようと、人望にあふれた人物であろうと、彼から、そして彼の家族から、彼の仲間から一瞬にして奪い去ってしまうこの仕事は、任せられないのだ。
 そして新堂は容赦なく言葉を放ち続けたのである。

「それで、君は事務に配属された。それから5年余りがたった今、警察庁長官の警護の案件を帝栄が受けた。いや、受けて”しまった”のだ」
 泣き崩れる女性を見下ろし、感情を殺して言い続けた。新堂も目じりの辺りがあやしくなっていた。

「一企業として、いざというときのためにバックアップ要員を確保しておくのが当然であるはずだが、帝栄はライバルが引き受けられないような困難なミッションを次々に引き受け、正真正銘すべての警備隊員が出払ってしまった。そんなことは前代未聞だったが、警備隊員の代わりに事務員を選ぶというのはそれにもまして信じがたい判断だった。そして社長は今回の警備では少しでも現役の隊員に近い、君という人物を選んだのだ」

 日ごろ、部下には任務に必要な数多のことを、体に叩き込んで覚えさせる人間が、一気に一年分はしゃべったような疲労感を覚えた。もう少しでわたしが言いたいことの一切を言い切れる。最後に、上官らしく強い調子で部下を断じた。

「仕事を共にする人間の素性くらい、頭に叩き込んでおくのが常識だぞ。だが、5年間に及ぶデスクワークは、俺の予想以上に君から体力を奪い去ってしまったらしいな」

 新堂は哀れみとも蔑みとも取れる悲しげな表情で水打を睨む。静が涙ながらに必死に喰らいつこうと新堂に迫る。

「お願いします。行かせてください。私は置いていって構いません。必ず後から追いつきます!」

 新堂が心の中で面食らっていた。ここまでこの女を突き動かす執念は何処からわいてくるのか、皆目検討がつかなかった。
「だめだ。今ならおまえの遅れを不慮の体調不良ということで片付けられる。だが、もしこれから交戦するような情況に陥ったらどうするのだ。俺はともかくとして、稲森さんまで巻き込んでしまうのかもしれないのだぞ」

「お願いします!」

 泣きじゃくっていた女がいつの間にか気迫を取り戻し、氷の轟音を制する力強い声を発していた。静の高音が周囲に散開した。通り過ぎた多くの人が足を止め、振り返った。

「これは命令だ。軍隊でなくとも、上官の命令は絶対だ。先ほど指示した場所に待機しているんだ。任務の成否に関わらず、引き返す時分になったら連絡を寄越す。それまで待機しているんだ。いいな」

 新堂は静の声など聞こえなかったかのように、全く抑揚のない調子で、淡々と話しかけた。
 すがる思いで、消え入るような声で最後の懇願をした。

「新堂さ——」
「任務再開だ、スイレン。これからは呼び出し符丁で呼べ」

 新堂が機敏な動作で体を翻すと、瞬く間に稲森の元へ戻った。そしてしばし稲森と言葉を交わすと、すぐに駆け足で進み始めた。新堂が背中を見せたまま、縦隊を離脱した仲間へ左手を振り、別れを示した。

 夥しい沈んだ色の傘の流れにポッカリと穴を開けるように、濃密な水煙のあがるアスファルトの地面にひとりの女が力なく座り込んでいた。


As Story 第10話(2)〜幕開け〜 ( No.131 )
日時: 2013/10/08 18:07
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7TaqzNYJ)
プロフ: http://www.nicozon.net/watch/nm8070136

二〇一二年一月二十日 午前7時15分——

 依頼主から託された品が、所定の場所に届けられる時間はとうに過ぎていた。モノは所定の時刻よりも1時間以上早くその場所におかれていた。送り主の代わりとなって品を届ける運び屋の仕事は滞りなく完遂されていた。
 だが、受け側の運び屋がいまだに現れていなかった。横浜港に執着するかのように、一向に動く気配のない積乱雲のせいで、界隈の気温は上がらず、あられ交じりであった大粒の雨は、いよいよ氷の塊となってアスファルトを穿ち始めた。その光景に雷鳴が割り込むと、行く人の中から悲鳴が聞こえてきた。

 駅を出て山の手側に名門の女子中学、高校、大学があつまっているこの地域では、メトロポリスへ向かうのぼり電車だけでなく、この駅で降りる女子学生を満載したくだりがわのホームも混雑し始め、駅に入る人の流れと出て行く人の流れで、海流の潮目にひしめく魚類よろしく混乱を極めるころあいを迎えつつあった。

 7時台5本目の上り電車がホームに進入してきた。鼓膜に突き刺さるような甲高いブレーキ音が、これから己が身に降りかかる大量の「荷物」に怯えて発した列車の悲鳴のように響き渡る。
 ホームを埋め尽くす、グレー系のコートに身を包んだ男性と色とりどりの外套やマフラーを身に着けた女性らの集団が、催眠術にかかったかのように無言のまま、鮮やかな水色のラインを奢った躯体に呑み込まれていく。

 高度経済成長期より連綿と受け継がれてきた、大日本帝国サラリーマンのすし詰め技術により、殆どの人民が箱の中に消えていき、数十秒の間人影がまばらになっていた。そのわずかな時間の間に、ホームの進行方向側の隅のベンチが空いたのを見計らい、ブラウンのカーディガンを羽織った少年がそこに腰掛けていた。防寒のために淡いベージュのタートルネックのシャツをシャツを着込んできたが、ここまで冷え込むとは予想していなかった。深い茶色をしたコーデュロイのパンツを穿いた長い足を組み、手にした文庫本を読んでいる。本の内容に興味がないのか、それともあまりの寒さで読書どころではないのか、年齢不相応な無表情さで淡々と読みすすめている。顔を見られるのを避けるかのように深々とかぶった鮮やかな栗色のキャスケットのすそから、思わず嘆息してしまうような肩までのびた艶やかな銀髪が、少年のかすかな頭の動きに合わせてしなやかに揺れていた。

 ふと、左手に持っていた本を閉じ右手に持ち返ると、左手首に付けたモノクロ調のブレスレッドを模した腕時計を見やった。

「7時20分か」

 短くつぶやくと、再び仏頂面で本を読み始めた。次に少年がページをめくる以外に違う動作をするのは、27分後のちのことであった。

 7時47分。
 7時台8本目のくだり電車が着くと、パーティーのクラッカー然と大量の学生が4ドアの車両から飛び出してきた。ホームはこれから電車に乗る客と降りる客とが交錯し、束の間の修羅場を迎えた。だが、それも上り電車と同様、列車が発車するころには、細長いアスファルト製の大地は平静を取り戻していた。

 くだり電車の進行方向側の端、つまり件の読書をする少年とは対角線上に、人波の流れに逆らうように佇む少女がいた。少女はグレーのブレザーに胸元には紅のリボン、幅の異なる赤、白、海老茶の3重のチェック柄が描かれた膝丈のスカートといういでたちだった。走り去る電車が巻き起こす風で、肩の下まであるツインテールの黒髪が愛らしく靡く。
艶やかな革の光沢を放つ赤みがかった茶色のスクールバックを右肩に掛け、向かいのホームを慎重に見回す。端まで見切らないうちに少女の頭上で軽やかな声が響いた。

——時間ぎりぎりだよ、みぃちゃん。

 ツインテールの少女は声ののしたほうを向かず、そのままホームを見回し続けた。ようやく、自分の丁度対角のあたりに、胸の高さで右手を小さく振る少年の姿を確認した。

 隣のベンチにスーツ姿の中年男性が腰掛けたが、不意に発せられた少年の言葉に全く気づく様子はなかった。

銀髪の少年、ウィル=ロイファーがECの特殊能力、遥声ヒアを使い、向かいのホームに佇む少女、棚妙水希の意識に直接話しかけたのでる。そして、水希が自分を見つけたとわかると手を振った。即座にウィルの脳裏に水希のヒアが返ってきた。

——時間ぎりぎりじゃなくて、時間通りと言ってください。

 日ごろ口数が少なめな少女が、今日はいつになく饒舌だった。麗牙光陰の結成以来、初となる長期ミッションの出だしを飾る任務は、水希が変装する機会があった。少女が右肩に掛けているスクールバッグのふくらみが幾分か大きいのは、衣装のほかに、変装に使う小道具が入っていたためであった。
 これらの小道具は、変装する本人の強い要望を受け、世界で最も凶悪とされる秘密結社ECを統べる鬼才の科学者、大崎影晴が直々に開発したものである。水希の胸の中は、もうすぐ訪れる彼女いわく「レイガ・チェインジング・クロス・チャレンジ(通称"RC3")」への期待が、五里霧中のミッションへの不安を完全に凌駕していた。

 今日、水希に託された任務は、コインロッカーへ荷物を取りに行く人間が、間違いなく所定の場所からモノを持ち出せたかどうかを見届ける役であった。身元が割れないことが最大の武器であるECの隊員は、みすみす自らの姿をさらすようなまねは、絶対にしない。そのため、今回の任務も、モノをロッカーから取り出すところを何者かに見張られているかもしれない現場へ行く役割は、いつものように民間人に頼むことにしたのである。

 今日、代理を確保するのは麗牙のリーダー、ウィルの役目であった。麗牙光陰は今までも、彼らの正体を悟られないようにしつつ、民間人に簡単な行為を頼むことを幾度か経験していた。そして、作業の依頼役は必ずリーダーのウィルが担当していた。ウィルにはそれを短時間、およそ数分間のうちにやり遂げる天から授かりし「武器」を持っていた。

——それでは、おねがいします。

 棚妙水希が、かしこまった口調でヒアを送ると、左まぶたをすばやく開閉した。しかし、あまりウィンクが上手くない少女は、右のまぶたもしっかり閉じ、開いていた。
 向かいのホームの反対側に立つ少女まで300メートル近くある。ウィルの位置からでは、少女の小さな顔を判別することさえ難しいはずだったが、ツインテールの彼女に首っ丈のウィルにはそれで効果覿面だった。深い蒼の瞳がはめ込まれた左右のまなこを丸くし、秘密結社の実行部隊のリーダーの顔はすっかり赤らんでいた。

As Story 第10話(2)〜幕開け〜 ( No.132 )
日時: 2013/10/08 18:08
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7TaqzNYJ)
プロフ: http://www.nicozon.net/watch/nm8070136

——み、みぃちゃん、もう任務は始まってるんだからね。気をつけていかないといけないよ。あと、アール・シー・スリー…とか、本当にするの? 別に、そのままの格好で持ち場にいても、この駅学生が多いし、大丈夫だと思うんだけど。

——もちろんですっ。万が一の可能性を考えなくちゃいけませんよ、リーダー。

 ウィルが大きくため息をついた。なんとなく寒さが紛れてきていた。
 遥か彼方で年長者に対して子供に行って聞かせるような調子で話す少女を視界の端に収めつつ、ホームの中ほどへ向かっていった。水希が到着してから4分が経過していた。

 のぼり電車のホームは、相変わらず横浜大都市圏の核へ向かう勤め人でごった返していたが、彼らの間を縫うように、電車を降りる客がぽつぽつと見受けられる。ウィルが目をつけたのは彼らのような、電車を降りた人間であった。この時間帯、これから仕事に(学校に)行くぞと息巻く人間、あるいはまた会社(学校)かよと、けだるそうにしている人間に声をかけても、時間がないといって無碍に断られるの関の山である。

 一方、ここで降りる学生でない乗客は、夜勤開けの帰宅の途、若しくは駅付近に勤務先がある人間である。勤務先が駅から離れていれば、健康のためウォーキングを心がけている人間——女性や中年の男性に多いが——でない限り、別の駅で降りるはずである。彼らに話しかければ、些細な作業なら引き受けてくれる可能性がある。そして、ウィルの最大の武器である、アレを使えばさらにその可能性が高くなる。

 かなたのベンチに腰掛ける水希から興味津々そうに見つめられ続けるという高揚感と同時に声なきプレッシャーを感じながら、駅の中ほどを通り過ぎると、ホームの自販機の前にたち、<ペプシNEX>を150円で買うかどうか人差し指を所在無さげに漂わせている学生とも勤め人ともおぼつかない青年がいた。背中のすそが少し汚れた中綿のブルゾンに、穿き古したネイビーのジーンズ、背中を覆うほどの大きなバックパックを背負っている風貌からすると、この駅の近くにあるユースホステルを利用する旅行客だろうか。薄い唇がかすかに弧を描き、左右の蒼い瞳が妖しく光る。

 このとき、すでに2分が経過していた。

 大長考の末、バックパックの青年が<ペプシNEX>が150円は高すぎる、飲みたい衝動を少し抑えて外の100均で買おうと決断し、右手を下ろしたとき、出し抜けに軽やかな甲高い声がした。そして、顔を引きつらせ、全身を硬直させた。

——うそ、英語だ…。何で僕にっ。

「Excuse me…」

 背後から話しかけられた青年は、自販機の前に立ち尽くしたまま、石像のように固まってしまった。脇を通り過ぎる通勤客の面々が青年に同情の目線を投げている。

「Excuse me…wow!」

 二度目に声をかけたとき、青年が急に振り返った。その瞬間、バックパックが自販機にぶつかり、自販機が大きくぐらついた。警報ベルが鳴動しなかったのが幸いであった。

「ア、ア、アイキャント、スピーク——」

 振り返るまでに、「英語は話せなません」という英語を必死になって思い出し、声の主へ言い放とうとすると、青年が思わず言葉を失った。

——うそ、こんな「」現実にいるの?!

 バックパックの青年の前で驚きの表情を見せ、上体をのけぞらせる北欧系の外国人の長い銀髪が、小さな顔の前で激しく揺らめいている。テレビでもネットでも見たことも無いような雪のように純白の顔にはまん丸に見開かれた大きな眼が、そしてその中に鮮烈な紺の瞳が煌いていた。衝撃的な光景に青年の長期記憶から52個のアルファベットが跡形もなく吹き飛ばされていた。
 脊髄反射よりも速く、青年が態度を翻していた。

「あ、な、何でしょう!」

 最後まで言い切ってから、青年の理性が自分の発した言葉の重大さに気がついた。それでも、その言葉を撤回する気にはなれなかった。

 ウィルの顔が刹那引きつった。この人、まさか——。
 
 ウィルは一般人に何かを頼むときの最大の武器は、自分の英語だと言い張っていた。日本人は人がいい上に英語に極端に弱い。だから目の前で困り果てた表情をして簡単な英語でまくし立て、実際にやることはジェスチャーで教えればたいていの日本人は引き受けてくれる、麗牙のリーダーはそう言う理屈を立てていた。だが、他のメンバーからすると、それは違っていた。頼みごとをするときの最大の武器は、彼の「風貌と声」だというのだ。
 要は男性女性どちらにも好かれそうな女の子のような見た目と澄んだ声だから、みんな引き受けてくれるというのである。

 ウィルは頑としてその理屈を認めていないが、今日に限っては仲間のいう理屈が正しいような気がした。
 それでも自分の理屈を突き通そうと、英語で喋りまくり、メモを取り出して簡単なイラストを描いたりして、階下のコインロッカーから小包をとってきてほしいという意思を伝えた。
 混乱を極めている若い(といってもウィルよりもだいぶ年上だが)日本人に理解させるのは、骨の折れる仕事だった。にもかかわらず、この仕事に与えられた時間は5分程度。まさにECの筆頭、麗牙光陰の実力の見せ場であった。

「イ、イエス!イエス!オーケー!!」

 3分間のやり取りの後、ようやく返事をもらうと、思わずウィルが青年の左手を両手で抱えて上下に振り回した。
 青年の血液が一気に顔の表面に集まると、彼の魂が一瞬天に召され、呆然として虚空を見つめていた。

 野次馬のようにウィルの近くへ近づいていた水希がほくそ笑みながら、ウィルと青年のやり取りを見ていると、ウィルが右肩越しに、右手の親指を突きたてているのを確認した。

——それでは、行きますね。ありがとう、うぃーくんっ。

 青年の顔をしかと確認すると、日本の女子中学生の鏡のようなたたずまいの少女が軽やかにツインテールで大きく弧を描かせながらきびすを返し、階下の出口へと向かった。
 
——今日のスケジュールだと、バックパックの人がロッカーから依頼のあったモノを取り出す時刻は8時ちょうどでしたね。

 水希がかばんの外ポケットからケイタイを取り出し、時刻を確認する。

「今は、7時56分。とすると——」

 彼女の持ち場は、ロッカーの様子がよく見える駅出口をでてすぐの道路。川沿いなので、向かい側の端にコンクリートの柵がめぐらされている。そのまえに立ち、くだんのバックパックの青年が頼まれたことをやり遂げるのを見届ける。ここから変装に使う構内のトイレまでは1分。トイレから持ち場までも1分。変装にかけられる時間は——。

 ——2分!「Wow!」

 目を丸くし、英国出身のリーダーの驚く真似をした。

——十分過ぎるくらい時間がありますねっ。さあ、行きましょう!

 水希がヒアで自分の意識に声をかけると、軽やかにローファーを鳴らしながら、たった今列車から放たれた女子学生らの集団に紛れていった——。



〜第10話(2)『幕開け』 完〜