二次創作小説(紙ほか)
- As Story10(5)話〜絶体絶命〜 ( No.172 )
- 日時: 2014/01/02 21:06
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
『絶体絶命』
二〇一二年一月二十日 午前8時34分 ポイント駅前——
「てんめ!」
覆面の大男が、語を継ぐべく、思いつく限りの罵倒の文句を脳裏に思い浮かべたが、男の口は意に反し、2つ3つの母音で構成されたヒグマのような雄叫びをあげていた。
大男の傍にいる痩身の相棒は、両耳に手を当てて、アスファルトの上をのたうち回り、とてもではないが気の利いた文句など望める状況ではなかった。コードが身を挺して陸軍兵の暴挙から救出した少女は、地面に接触した際にできた擦過傷によって、彼女の蒼白な肩や足に真っ赤な筋を刻まれていたが、深手は負っていなかった。ただ、少女の人生で最初で最後になるであろう悲惨な情況に対する心への衝撃はあまりに大きく、辛うじて呼吸のために体が蠢いている状態だった。むしろ、少女が息をしていることが奇跡だった。
気絶していたがために難を逃れた少女を尻目に、運び屋の二人組は地面を芋虫のように這いつくばりながら、一方通行の会話を続けていた。
「妙なタイミングですっとぼけた返事すんじゃねぇ!」
コードはまだ鼓膜の激烈な痛みに、声を枯らして悲鳴を上げていた。
「おめぇのせいでフラッシュバンをもろに・・・・・・くそ、頭がガンガンするぜぇ」
アビーの拡声器のごとく轟く怒号が止み始めるに従って、運び屋の二人組が転がっている場所から、錯乱した乗降客の声が空間を制した。
手練れの中の手練れとも言うべき麗芽の指揮官の動きの不審さに一般市民が気づけるはずもなく、一人残らず刃のような閃光と岩壁のごとき圧力をもった轟音の餌食となってしまっていたのである。
改札の奥にあるホームへと続く幅広の階段では、閃光手榴弾の魔の手を逃れた乗降客が狂気をきたして一斉に階上目指して駆け上がり、大規模な将棋倒しが発生していた。そうなる前から人で溢れかえっていたホームは、階下から我先にと突進してくる人の流れを抑えきれず、プラットホームから転落する人々が続出していた。ネズミの入り込む隙間もない程に押し固められた人の壁を前にして、鉄道警備隊や救急隊が彼らを救出するめどもたつはずもなく、鉄道という巨大システムが完全に麻痺していた。
通勤通学のピークを過ぎて落ち着き始めるはずの駅は、駅舎を前後左右そして上下から覆い尽くすように鳴り響く喚声が絶える間もない地獄絵図と化していた。
「だいだい、『ああ、そうだね』ってな、何様だテメェ!奴らを知ってますみたいな面晒すんじゃねぇ!」
アビーが息を吹き返すと再び、己の虚を突いてきた相棒の発言に突っかかってきた。
コードの痛ましい悲鳴がようやく小康状態に向かい始めていたが、コードはまだ言葉を返してこない。
ようやく視界の白い靄が薄らぎ、眼球の奥の鈍痛が弱まってくると、コードが静に口を開いた。
「そうさ。知ってるん——」
「あんだ?聞こえねぇよ!向こうの見物客達みてえに喚かねえと聞こえねぇよ!畜生、まだ耳が痛みや——」
鈍い音が一度したかと思うと、少し離れた場所から聞こえていた相棒の嗄れ声が、突然途絶えた。直前に相棒が足を引きずるような音がしていたので、相方がいつものように、覆面の奥でけだるそうに舌打ちでもしながら立ち上がろうとしている姿を、コードが思い浮かべていた最中だった。
「・・・・・・おやっさん?」
悲鳴と氷の騒音で埋め尽くされているはずの空間で、青年だけが異様な静寂に包まれていた。青年にしつこくつきまとっていた靄が嘘のように消え去り、氷の粒の輪郭がくっきりと見える程に目が冴えていた。
相棒の姿がない。覆面越しに発せられるくぐもった声を最後に聞いた方を向いたが、あの巨躯が見あたらない。コードが地面を転がり回っていた体を起こして立ち上がろうとしたとき、それ起きた。
コードの体躯に降り注いでいた氷の雨が不意に止んだかと思うと、濃灰色の影が青年の周囲の地面に落とされた。コードが反射的に横になったまま右に身を翻す。
直後、元いた場所から、下腹部にめり込むような重低音が轟き、白いしぶきがコードの遙か上方まで巻き上げられた。コードが口を真一文字に引き締め、白煙に覆われた重たくてデカい物を見やる。デカブツの正体。靄が晴れるのを待つまでもなく、覆面の相棒であることは間違いなかった。そして、彼をを宙から投げ落とした「奴」も、考えるまでもなかった。
あのオヤジの巨体を持ち上げられる奴なんて、この現場には一人しかいない。でも、どうやって、あの光と爆音を喰らって——。
並外れて強靱な肉体と精神を持ち合わせる相棒の、今まで聞いたことがないような苦悶に満ちたうめき声がコードの鼓膜を突いた。全身に悪寒が走り、今しがたまで脳裡に浮かんでいた疑問が一瞬にして霧消してしまった。異様に感覚が研ぎ澄まされた瞳を、悶絶する相棒の頭上に向けた。
「どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって」二つの視線が高さ1メートルの宙で交錯する。
「貴様のデカいお仲間は虫の息だ。てめぇもボツボツ逝くか」
逃げようにも、先の少女を助けたときに地面に不時着したせいで、足が言うことを聞かない。コードの皿のように見開かれた双眸が凍り付き、閉じることを忘れていた。おもむろに名仮平の丸太のように図太い右腕がコードの胸ぐらを掴んだ。
コードが声を出すまもなく、細身の体が2メートル以上持ち上げられると、首を掴まれたまま宙づりの状態になっていた。
呼吸困難にもだえながらも、名仮平の腕を掴み、足をばたつかせて必死に抵抗するが大男の長いリーチのせいで、相手に一撃を喰らわせることができない。それどころかコードが全身でもがいているにも関わらず、コードを掴み上げている右腕は鉄骨のごとく微動だにしなかった。
「おまえの相棒があんなに抵抗しなきゃ、おまえも生きてられたろうにな」
名仮平が軽く鼻息を放つ。
「く・・・・・・くそぅ」残りわずかな呼気に、蚊の羽音よりも小さな声を乗せた。
「文民の分際で軍人に刃向かうなんてな。恨み節はそこの相棒に吐くんだな。あばよ」
青年の首根っこを掴む右手に一気に力を籠める。
コードの喉の奥から到底人の声とは思えない、壊れた角笛のような音が漏れる。
突如、コードの首を締める力が弱まり、仕舞いには手の力が途切れ、コードが2メートル超の位置からアスファルトの地面に落とされた。
「誰・・・・・・だ」
名仮平がビクンとバネのように巨体をのけぞらせた。腰のあたりが焼きごてをあてられたように熱い。あまりの激痛に、息をするのさえ忘れた。突然の肉体の異変に耐えようと、両腕が硬直と痙攣を繰り返した。それでも名仮平は歯にひびが入るほどに食いしばり、震える左腕を腰骨の近くに持っていった。腰骨のやや上のあたり、背骨のすぐ脇に何かが突き刺さっていた。
- As Story10(5)話〜絶体絶命〜 ( No.173 )
- 日時: 2014/01/02 21:09
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
「邪魔をされたのはこちらの方だよ」
名仮平の腰のあたりから声がする。子供の声だ。だが、ロボットのように扁平な調子だ。丁度名仮平達軍人が通信をするときのような、一切の感情を排除した声だった。
「貴様、なにもの・・・・・・」そういって名仮平が激しく瞠目した。「まさか!」
子供の声の主が熱い固まりを名仮平の体躯の奥に押し込んできた。再びほうこうと共に巨躯が海老反りになる。
「協力者の生命を脅かす者は僕たちの敵。容赦はしない」
そう言うなり、蒼瞳銀髪の暗殺者、ウィル・ロイファーが巨躯に突き立てたサバイバルナイフを、唸り声と共に右にひねった。
同日 午前8時36分 川沿いの道に接続する裏路地——
まだ目眩が少し残っている。深紅の瞳で狭い空を仰いだ。駅前の現場にいたときは、氷の雨など殆ど気にならなかったのに、雑居ビルらしき建物の谷間に当たる薄暗い裏路地でじっとしていると、とるに足りない氷滴が熱せられた針のように皮膚を貫いてくるような錯覚を覚えた。だが、そのような境遇においても、自分を無理矢理おいて、地獄絵図のような取引現場に単身引き返していったリーダーの身を我が身よりも甚く案じていた。
何とか身動きができるまでに回復してきたので、路地の向こうを見やると、向こうには大通りがあり、取引現場付近と似たような河の堤防が見えた。もしやと思い、水希がGPSで己の現在位置を調べようと携帯電話を携帯電話を取り出した。刹那、ビルの隙間をすり抜ける鋭い風が背後から通り過ぎ、氷滴が音を立てて携帯電話の画面をたたいた。
画面に焦点をあわせるのにやや難儀したが、どうやら今自分は件の取引現場を流れている川から400メートルほど遡ったところにいるようだった。あと5分も休めばウィルに加勢程度に体力が回復するはずだ。ウィルに自分は待機するよう命令されていたが、指揮官を助けたいという純然たる想いと、陸軍兵士への純然たる憎悪が織りなす心の炎は、一旦勢いづくと止める術がなかった。能力が使えなくても自分にはできることがある。やらなくてはいけないことがあるのだ。
水希の目線が地図上の川をわずかに下り、現場を捉えた。ウィルは再びここに戻り、今度は直接あの大男と対峙しているのだろうか。直に刃を交えなくとも、日本軍を名乗る大男がこれまでにない危険な人物であることは、十二分にわかっていた。それだけに、自分が今すぐ駆けつけられないのが、どうしようもなくもどかしかった。
——でも、どうして?
水希が眉根を寄せる。いつも慎重に行動するはずの指揮官が、殊に仲間の安全には抜かりない麗芽のリーダーが、なぜ現場からそれほど離れていない場所に待機させたのか。
——言葉ではああ言っていたけど、やっぱり私の加勢が必要って無意識に思ってるんだ。能力さえつかえれば。どうして、こうなってしまったの。
視線を落とし、暫しアスファルトで跳ねる氷の粒の舞を眺めていた。
不意に背後で物音がした。全くの無の状態から突然現れる人の気配。ウィルが瞬間移動で戻ってきたんだ。
——良かった!
顔を綻ばせながら、地べたに座ったまま顔を持ち上げ、音のした方を向いた。
「ウィ・・・・・・ル」
一瞬にして少女の顔から笑みが消失した。「あなたは——」
ゴン、と重たく固い軍靴がアスファルトを穿つ音が、路地の脇に聳えるビルの壁面で耳障りに反響する。
相手の返事を待たずに、水希が後ずさろうとしたが、相手の容貌と尋常ではない殺気に、思わず足を滑らせた。
水希の前に現れたのは、見たことのない男。だが、相手の身元を確認するまでもなかった。駅前で対峙した兵士に比べればやや小柄だが、巷の人々と比べると相当大きい。そして、駅前で対峙した男と同じ制服を着ていた。防具も兼ねていると思われる重厚そうなサングラスをかけ、左胸には件の大男より目を引く徽章を一つ提げている。水希は白い息を小刻みに吐きつつも、遙か上方にある相手の落ち窪んだ瞳を睨みつけながら立ち上がった。黒光りするロングブーツと同色系のショートパンツの間の柔肌が、凍てつくつぶてに晒され、にわかに紅潮する。
「わたしに」少女が相手との間合いを計るかのように、一度深呼吸をする。「何のようでしょうか」
真っ赤に髪を染めた筋金入りの不良少女のような出で立ちで、いつもの丁寧な口調で話したがために慇懃無礼と感じたか、対峙する男が憮然とした面構えになった。
「お嬢さん」
巨体で徽章の男が、ドスの利いた声で歯の浮くような丁寧語を発した。
「あなたを拘束せよと上層部から指令が出ている」
男が一歩間合いを詰めようとすると、水希も同時に一歩後ずさった。男が軽く鼻を鳴らした。
「子供に手荒な真似はしたくないのだ」
男がこれ見よがしに、分厚い難燃性の毛皮でできたグローブを音を鳴らして締め上げた。上目遣いで水希が苦笑いを浮かべる。言っていることと、していることが全然噛み合っていないじゃない。
「どうして私なんですか?私が何をしたというのですか?」
水希が胸に左手を静かに当て、巧みに困惑と仄かな笑み混じりの表情をつくり上げて応える。ますます彼女の今の容姿と振る舞いとの乖離が大きくなる。
徽章の男が更にもう一度グローブを締め直す。
「子供には手を出したくないのだがね」
水希の言葉を全くに意にも介さず、再び男が同じことを言い直すと、まっすぐに少女の瞳を見下ろした。
「それには例外があるのだ」
男が黄色い歯を見せてにやけた。水希の頬を、氷が溶けたのではない冷たい滴がぬるりと垂れていった。
「例えば、その餓鬼が——」男が目を剥き語気を荒げる。その気迫に少女が総毛立った。
「ECのメンバーである場合だ!」
男が前に大きく踏み出すと、素早く右腕を突きだして少女の頸を鷲掴みにしようとする。水希が渾身の力を籠めて身を翻し、右肩に男の手を掠られつつも、1撃目をかわした。今度は間髪入れず水希が男の脇を右脇をすり抜け、巨躯の背後に回る。移動し終える頃には、水希の右手にやや刃渡りの長いダガーが握られていた。ウィルが万が一の状況を想定し、やや重量のある攻撃力にも使えるダガーを水希に与えていた。
巨漢からは想像もつかない俊敏さで、小さな暗殺者の動きに反応したため、件のダガーの牙を剥かせるタイミングを逸してしまった。
そして表情にこそ出さなかったが、水希の心中は穏やかではなかった。狭い路地での二人の位置関係が逆転し、川沿いの通りに面する出口側に、徽章の男が立ちはだかる形になっていた。川沿いの道は人通りがあるため、うまくそこに飛び出して何か叫べば、相手は手も足も出なくなるはずだったが、反対側に出ると閑静な住宅街のまっただ中に出てしまう。時刻は随分前に8時を回り、通勤通学時間帯を過ぎようとしている。万が一誰もいなかったら?ウィルと合流するには400メートル疾走しなくてはならない。体力的にはやってのける自信があったが、武装した相手に背中は絶対に見せられない。
——どうする?
- As Story10(5)話〜絶体絶命〜 ( No.174 )
- 日時: 2013/10/08 19:22
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7TaqzNYJ)
考える間もなく大男が右半身を前に半身になり、右足をすりながら慎重に水希との間合いを詰めようとする。同じく右半身の水希が姿勢を低く保ちつつ、男の動きにあわせて少しずつ後ずさりする。鮮烈な紅い二つの瞳は一瞬たりとも男の目線の動きを見逃さんとばかりに斜め上を睨み続けている。
「なんで私が捕まらなくてはいけないのですか?だいたいイーシーって、何です?現代社会で習ったヨーロッパの機関のことかしら?」
水希がオーバー気味に目を丸くした。大男が憮然とした面もちで唾を脇に吐き捨て、強烈に鼻息を吹き出した。再び半歩前ににじり寄る。水希は動揺して視線が泳いでしまわぬよう、一層強く男をにらみつける。
「下手なしらを切るのはよせ」人に聞かせる気がないかのようにボソリと言った。
「民間人がそんな物騒なもの持ってるのか?」
「護身用です。最近の女子中高生の必携アイテムですよ。ほら、モノクロームの絵柄が柄に描かれてるの。かわいいでしょう」
水希がダガーを左手に持ち直すと、少し持ち手を見せ、またすぐに右手に持ち替えた。その時に右腕を動かしつつ、最適な間合いを目算した。大男が刹那にやけた。
「それには同意してやる」
そういうと更に半歩前に前進した。路地の出口がだんだんと水希に近づいてくる。
「私はそのイー何とかなんていうもののメンバーではありません。これ以上近づくのでしたら、私が裏通りに飛び出して助けを呼びますよ。警察は私を信じるわ。さっきから気になってたんだけど、あなたも、そしてあなたのお仲間も、どうして『防衛軍』と名乗るの?何故『自衛隊』ではないの?」
そんな制服見たことがない、と言おうとしたが、妙な詮索をされたくなかったので、寸でのところで口をつぐんだ。
「あなた達、右翼なのですか?。それか、手の込んだ軍事マニア?どっちにしろ、社会から信用されているような組織ではないんでしょう」
大男の薄笑いが更に強くなった。
「我々は、我が国を守り、周辺国の対等を牽制する軍隊、日本国防衛軍だ。自衛隊などと言う名ばかりの武装組織ではない。お前にこれ以上を教えるつもりはない。そしてお前にこれ以上訊く権利はない」
水希が無言で怪訝そうな表情をして応える。
「さっき、この路地の裏に飛び出すとか言ったな」
徽章の男が相変わらずにやけ顔を戻さずに、言い放つ。
「やってみろ」
思いがけない言動に、水希は右腕を前に半身の姿勢をとり、警戒の姿勢を強めた。
およそ2分間の睨み合いが続いた。切り出したのは、徽章の男の方だった。
「いいものを見せてやる」
徽章の男が、ジャケットの左ポケットに巌のような拳を突っ込むと、金属製らしい何かを取り出した。水希が瞬きもせず、徽章の男の手の動きと全身の動きの両方に目を光らせる。
「これを見れば、お嬢さんが我々の手から、いや、この路地からも出られない理由が一目瞭然だ」
徽章の大男が手に持った金属製の何かを足下に置く。もちろん、水希の動きを間断無く見張りながらである。男の足下の金属機械は、上からみるとH字型をしており、四隅にミニ四駆に使うような小さなタイヤがついている。奇妙な金属機械は、自動掃除ロボットよろしく徽章の男の後ろに向かって氷の降りしきる中、果敢に走り出すと、路地の切れ目——つまり川沿いの通りとつながる場所——でぴたりと停止した。水希はその様子にすっかり目を奪われていた。幸いなことに、徽章の男もここで不意打ちを仕掛けようとする気は微塵も無かった。
金属機械はH字の縦棒に当たる部分の一方を路地を挟む建物の壁につけると、モーター特有の高周波音をたてながら一気にH字の横棒を道の反対側の壁までのばした。H字のもう一方の縦棒が建物の壁をがっちりと捉えると、金属機械の四隅に突いていた車輪が本体の中に収まり、金属機械が地面に密着する格好になった。
「見世物はこれからだ」
徽章の男が黄色い歯を見せてにやける。水希がしかめ面をして鋭い目線を徽章の大男に送る。すぐさま目線を金属機械に戻した。
水希が目線を戻し終えるなり、彼女の左右の瞳に飛び込んできたのは、大きく変形をしていた金属機械の姿だった。H字の横棒部分から薄暗いガラス板のような物がせり上がっていた。ガラス板は見る見るうちに高さを増し、金属機械の変形が終わる頃には高さ約5メートル、3メートル弱の道幅いっぱいに、うっすらと灰色がかったの半透明スクリーンが二人の目の前にそびえ立っていた。そして、水希には他にも何かが変わった気がしたのだが、眼前の光景に気をとられ、違和感の正体が何なのか言い表すことができずにいた。
「我ら日本国防衛軍の技術の粋を結集して造られた携行型防御スクリーンだ」
水希が音を立てて唾を呑んだ。「防御スクリーン・・・・・・」
「そうだ」我々の側から見る限りは、薄暗いガラス窓のような眺めにしか見えないが、反対側、つまり多くの民間人がいる大通り側からこちらを見ると、誰もいない路地のように見える。
摩訶不思議な能力の使い手の少女にも、徽章の男の言ったことの意味が理解できずにいた。水希がちらと言葉の主を見やると、男がさも愉快そうに防眩兼防御サングラスの奥で目を細くしてるのが、手に取るようにわかるようだった。
「スクリーンの表側には、裏側にいる人物をリアルタイムで判別し、超高速で画像処理を施し、人影を消した風景を映し出しているのだ」
少女が完全に言葉を失っていた。こめかみからじっとりと大粒の滴が垂れていく。
「つまり、スクリーンの向こうの者共には我々は見えない」男の低音が二人の空間を制する。なおも徽章の男が言葉を継ぐ。
「そしてこのスクリーンは」言葉を言い終える前から勝ち誇った表情を浮かべ、世界最強の闇組織の隊員を見下す。
「完全遮音、対物ライフル級の銃撃に対する防弾性能を持っている」
——私が見えない?防弾、完全遮音?これが、違和感の・・・・・・正体。外からの音が消えていた・・・。
それ以上考える猶予は無かった。一瞬の遅れが命取りになりかねない。水希が瞬時に体を後ろに翻すと、件のスクリーンが設置されている方とは反対側の出口に向かって駆けだす。
徽章の男は相変わらず胸くそ悪い笑みを浮かべたまま仁王立ちになったままだった。
水希が路地を飛び出そうとした瞬間、路地と裏通りの境界を、件のスクリーンのH字の横棒が金属光沢を放って横切っているのが目に入った。
——あ。
- As Story10(5)話〜絶体絶命〜 ( No.175 )
- 日時: 2013/10/12 06:35
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
水希が減速する間もなく、左肩と左側頭部がに不可視のスクリーンに激突した。少女が断末魔の叫び声を上げ、防御スクリーンに身を預けたまま足から崩折れていく。意識が混濁しているにもかかわらず、咄嗟に右手に持っていたダガーを左手に持ち替え、ジャケットの左ポケットに突っ込んだ。相手に背中を向けている間に持ち替えておけば、何かのカモフラージュに使えるかも知れないと、水希の本能が両腕を動かしていた。
足下にうっすらと張っていた、アスファルトの油膜が浮かぶ薄汚い水たまりに、水希が顔から突っ込む直前、かろうじて体をひねると仰向けになって地面に倒れ込んだ。鮮烈な紅のベリーショートが見るも無惨に濃い茶色のシミで染まっていく。固体と液体の間を彷徨う水温0℃の水たまりに後頭部の血流を止められ、目の前が暫し白みがかったオーロラに覆われた右手を右ポケットにやや差し込んだ。
脳みそがミキサーにかけられたかのような感覚がまだ抜けない。頭部を傾けても己の息が顔面を白く覆ってくる。すぐに消えてなくなるはずの靄が、何故か消えない。心臓が肋骨に体当たりしているのではないかと錯覚するほどに、左胸が揺さぶられる。
少女に近づいてくる軍靴の足音は、大きさを増し、水の耳孔の中で少女を追い詰めんとばかりに、残響を繰り返す。半透明の白色のレイヤーを重ねていくように、だんだんと濃さを増し、水希の視界から景色が消えていった。白一色になった空間の彼方から、何かが響いてくる。
ヒアが、使えない——。
能力が、使えない——。
・・・・・・逃げられない——。
それが自分の声だと気付いたとき、小さな体が恐怖で硬直していた。
少女の真っ赤な瞳の前に大きな滴の塊が揺らめいた。左右の瞼が下ろされると、滴はその肌を伝う間もなく、虚空を舞っていた。
アスファルトを穿つ重たい靴の音、飛沫をあげて水たまりを踏み散らす重たい靴の音。音がする度に、少女の背後に広がる真っ白な世界に浮かぶあの軍人の姿が、はっきりとしてくる。
地面に仰向けになり、己にしか見えない白い世界を眺めつづける少女の傍らで、一際強烈に地面を穿つ音がした。
その途端、白い靄が音から逃げ仰せるかのように、霧消した。水希の目の前には、真っ黒な水たまり、天空から墜ちてくる氷の粒、そして黒光りする軍靴のつま先が見えた。
「観念したか。闇組織の少女よ」
遙か上方から声がする。水希が静かに瞼を閉じた。
「物わかりがいいな。そうだ、どうせお前は実行班役。下手にあがいたところで助けなど来ぬ。子供を爆弾代わりに使うとは、愚昧なテロリストの常套手段だな」
また一歩徽章の男が、地面に横たわる少女に近づく。
「もう一人のほうも、そろそろ名仮平が——」
——ウィル!
組織への悪態は平静を装ったまま聞き流すことができたが、一人の少年の名を耳にするなり、左手がダガーのいれてあるポケットに動き出しそうになってしまった。右手のカモフラージュに注意がいっているのか、徽章の男に左手のかすかな動きを気付かれることはなかった。
能力が使えない今、このナイフ1本と護身用の小型の拳銃1丁という装備で何ができるというのか。抵抗したところで、結局拘束されてしまうのではないか?
万策尽きたと匙を投げた少女の脳裡に、自身もにわかに信じがたい考えが浮かんできた。
——むしろそうなってしまったほうが、体力を回復の猶予ができる。能力が使える。
でも、それをウィルに知らせなきゃ、ウィルやもしかすると影晴様までもが必要のない行動をとることになってしまう。どうするの?
少女の頭脳に雪崩込んでくるシミュレーションを判定しく内に、左胸から体躯の末端に向かっての血管を熱いものが流れていくのを感じた。表面にこそ顕れていないが、呼吸も深くなってきている。徽章の男の注意を警戒しつつ、左右の深紅の瞳が素早く己が身の周囲を睥睨する。最後に一瞬、男の方を突き刺すような目線で睨んだ。
男は水希の傍らで、右足で片膝をついたところだった。次にとる行動はもちろん、倒れている水希の首根っこを掴んで捕まえる、それしかない。まだ、水希は判断しかねていた。
——どうする?
徽章の男が右腕を伸ばしてきた。
——時間がないわ。リーダーに捕まるのは作戦のうちだと伝えられなければ、この方法は余りに危険すぎるわ。でも、一人であの大男に対抗できるの?
いつの間にか、少女の頭から諦観だの絶望だのといった考えが跡形もなく消え失せていた。水希が再度徽章の男をちらと見やる。まだわたしが動けていることに気付いていない。再びまぶたを閉じる。息を止め、意識を上方に向けると、針の先のごとく五感を尖鋭化させていく。温度感覚が極限まで研ぎ澄まされると、肌に浸かっている氷水の水冷たさが少女の脳まで伝播しなくなった。
鮮烈なに染まるベリーショートの頭髪は、ネコ科のハンターの髭のごとく、或いは昆虫類の触覚のごとく鋭敏になり、人の動きによる空気の揺らぎを感じ取っていた。
徽章の男の巌のような手のひらと腕から発せられる体温が空気を伝い、水希の真っ赤な髪の毛の隙間をすり抜け、細いうなじにまとわりつく。徽章の男の手は水希の頸から十数cm程度のところまで迫ってきていた。
はっきりとした空気の揺らぎを感じた。
もう4、5cmのところまできている——。
水希がかすかに息を吸い込む。左ポケットのダガーを素早く取り出せるよう、左手の位置をわずかにずらした。
水希の髪が揺れた。髪に触れた手と思われるごつごつした物が動きを止めた。
徽章の男はの手がこわばっていた。一瞬、呻き声が漏れたのを水希は聞き逃さなかった。
目の前に横たわっているのは、裏世界を牛耳っているといわれている組織が任務を託した子供だ。任務失敗の時にどんな隠し玉をもっているかわからない。口ではああ言ったが、男はかすかな物音にも注意を払い、慎重に慎重を重ねて手を動かしていたはずだった。だが、少女の何かに触れてしまっていた。完全に虚を突かれた男の頭が真っ白になり、巨躯をこわばらせていた。ECのエリート隊員の少女の口の端がかすかに緩んだ。
徽章の男に、いま己が触れている物の正体が何なのかわかるはずもなかった。男が触れていたのは右を向いて横たわっていた水希の左の頸筋にかかっていた髪。ただし深紅に染まったベリーショートの髪ではない。不可視化ジェルによって、姿のみを消していた漆黒のロングヘアの部分に触れていたのだ。
訳の分からぬまま、男が弾けるように手を引こうとしたときには、後の祭りだった。
空気を一刀両断にする甲高い風切り音が路地に響く。
徽章の大男の視界を白い閃光が袈裟に迸った。
二人を中心に、氷滴の白き煌めきと人間の鮮血の飛沫の織り成す紅白の強烈なコントラストとともに、巨大な霧の球体が膨張して弾け飛んだ。
真っ二つに裂かれた右手からおびただしい血を流しうずくまる大男の前に、鮮血のごとき髪を逆立てる小さな悪魔が立っていた。
〜As Story 第10話(5) 『絶体絶命』 完〜