二次創作小説(紙ほか)
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.180 )
- 日時: 2014/01/02 21:41
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
〜PMC、対陸軍攻撃陣〜
二〇一二年一月二十日 午前8時50分 川沿いの道路に接続する裏路地ーー
「小娘の分際で、小癪なまねを」
両膝、両肘をつき、著しく前傾した四つん這いの姿勢のまま、徽章の男が正対する少女の瞳を見据えた。彼は小刻みに肩で息をしているが、人並みはずれた肺活量のせいで男の顔の周囲数十センチに限り濃霧警報が発令されそうな程にじっとりとした靄がかっていた。少女は次の一撃のタイミングを計るべく、左右の灼眼でターゲットを見下ろしつつ、無言で攻撃の姿勢を保ちつづけていた。
男の右の掌を、おどろおどろしく暗赤色の筋が全体を地割れのごとく横切っていたが、男の強靱な骨格とそれを取り囲む筋肉のおかげで、手のひらは辛うじて本来の形状を保ち続けていた。絶えず傷口から鮮血が滴っているものの、致命傷からはほど遠かった。
それでも傷口から露わになった、視認不可能な太さの神経繊維がかすかな空気の揺らぎに触れるたびに、或いは氷が傷口を穿つたびに巨躯を天から地に貫くような疼痛が徽章の男を襲い、全身の筋肉を強ばらせ、殺気がむき出しの面貌をより一層険悪なものにしていた。
血——。
氷に打たれながら灼髮の少女は、顔一面にかぶった返り血を拭おうともせず、斜め下に見える男の苦痛でゆがんだ顔面の前に掲げられている、右の掌から血の滴るさまをちらちらと見ていた。
護身だけでなく攻撃にも使えるようにと、蒼瞳銀髪の指揮官が実の妹の如く接する隊員に託したやや重量感のある銀のダガーは、彼女の予想を遥かに凌ぐ性能を発揮し、徽章の男の手に着けていた軍装の厚手のグローブごと彼の手を縦に一刀両断にしていた。ダガーを振るった当の本人でさえ、ポーカーフェイスを装ってはいたものの、その威力に暫し唖然としていた。
気を取り直し、再度敵の右手に刻まれた暗赤色の地割れを一瞥する。今の一撃は致命傷には至らなかったが、狙いどころさえ間違っていなければ——。
不意に水希が紅き瞳の頂点とダガーの切っ先を結ぶ直線をピタリと敵の眉間に向けたまま、深く息を吐いた。
敵の手中に堕ちることを選ばず、巨躯の軍人に戦いを挑むと決めた瞬間から、戦闘が長引くのは絶対に避けなければならないと思っていた。しかし、少女の状態は決して芳しくはなかった。なかなか鎮静化しない息切れ、動機、眩暈——。
精神的に満身創痍の情況で放った一撃は、少女の肉体も知らぬ間に疲弊しきっていることを肉体の主に突きつけてきた。
想定以上に状態の悪い己が身の状態を目の当たりにし、小さな暗殺者が思い巡らせていた思惑は大きく変わりつつあった。
ECの能力なしに左手のダガー、そしてポケットの中の護身用の小型の拳銃だけで、あの大男から、しかも格闘戦の訓練を受けているであろう兵士(正確には士官だろうが)にとどめの一撃を狙いに行くのはあまりにもリスクが大きい。必殺の一撃は首筋か頭部を狙わなくてはいけない。そのためにはあの男の懐深くに入り込むか、余程こちらに都合の良い体勢に崩れてもらう必要がある。それよりも、もっと男のリーチから離れた体の部位の数箇所に、ある程度の深さの傷を負わせて放っておけば、向こうが出血性ショックで動けなくなる。
至極基本的なことなのに、可及的麗しやかに目標を殺するというチームのポリシーが体に染みついてしまっていたが為に、すっかり見落としてしまっていた。
水希が左手に力を込めた。
——このダガーなら、あの男の装備を貫くことができる。
水希が目をつけたのは足の止血点の2箇所。左右は問わない、太腿の付け根と膝の裏だった。止血点は体の表面から浅いところを動脈が通っているため、そこに深手を負わせれば、相当の出血をもたらすことができる。それに——。
水希が、男の手のさらに奥で体躯を支えている左右の膝のあたりを見やる。
徽章の男が履いているズボンは、明らかに現場での任務遂行を想定していない「制服」。貼り付いた無数の氷の粒が解けても、体に貼り付かない様子から厚手のシルクだろうか。難燃性強化の加工はしてあるだろうが、耐斬撃、耐銃撃はあるのだろうか。もし加工されていれば、多少なりとも生地がごわついたりするはずだが、全く天然生地と雰囲気が変わらない。見た目を全く変えずに生地に高い防行性能を付加するのなどと言う離れ業は、影晴様ならできるかもしれないが・・・・・・。冗談とも本気ともとれる己の物言いに、思わず胸の内でほくそ笑む。
でも何故?
斜め下で這い蹲っている徽章の男の着ている服が、正真正銘の制服ならば、彼はなぜ制服を着たまま、戦闘行為を行っているのか。
今すぐにでも確かめなくてはならない事であったが、恐らくあの男は口は割らないだろう。目標点への最初の一撃を加える前に時間を掛けることも避けたかった。
眼下の男が一瞬でも直立の姿勢をとれば、屹立する男の左腕の射程範囲の際から最短の所要時間を以て侵入し、ダガーで止血点を穿ち、離脱する。
1ヶ所目は早い段階で(できれば一太刀目で)命中させるに越したことはないが、それ以降は、点差のついた蹴球の試合の終盤のごとく、のらりくらりと相手の攻撃を見きりながら駄目押しの斬撃を加えていけばよいのだ。
水希が刹那の思索から現実に全神経を引き戻すと、氷が天からこぼれ落ちるかのように、まばらに地面を叩く音が聞こえてきた。やっぱり少し弱まった気がする・・・。
真っ白な頬をかすめる白い礫の感触も柔らかくなっている。
半身の姿勢を正す振りをしながら右手を動悸のする胸に当てると、唇を引き締め灼眼で徽章の男を再度睨みつけた。
−−どういうことだ。あの小娘はなぜ立ち上がる、なぜナイフを向けるのだ。
四つん這いのまま、徽章の男が答えられるはずもない疑問を内なる自分にぶつけた。
男はダガーを振るう小さな悪魔に右手を切り裂かれる前後のわずかな間に、相手の衣服の不自然な膨らみの有無を確認していた。タイトなジャケットのポケット押し込められたブツが生地を複雑な形状に引っ張り、L字型の輪郭を浮かび上がらせていた。間違いない。あれは隠匿性の高い超小型の拳銃か何かだ。少なくともこの時代には、周囲の人間を確実に殺傷できる威力をもつほど手榴弾で、あの華奢な少女の衣服のポケットに収まるものはないはず。あの小娘はナイフと殺傷性の低い武器で自分と対抗しようとしているのだ。
徽章の男は、左胸に提げた大振りな徽章に相応しい戦歴を持っていたが、生き延びれば自分が生け捕りにされるとわかっていながら、尚も抵抗しようとする末端の工作員を、今までに一度として見たことがなかった。
とるに足りない氷の粒に、右手の傷口を穿たれる音無き拷問に表情をゆがめつつも、対峙する少女と視線を合わせた。
敵の視線が全く逃げない。
それどころか、軽薄そうに見える風貌に惑わされて見落としそうになるが、眼前の少女の隙のない目線の運びと、間合いの取り方は虎視眈々とターゲットの隙を窺うプロのハンターそのもの、使い捨ての工作員の悪あがきにはとうてい見えなかった。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.181 )
- 日時: 2014/01/03 05:30
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
——肩で息をしているのを隠しきれないほど疲労困憊しているところに、私に分が・・・・・・。
胸の内の言葉を言い終えぬ内に、徽章の男の顔の右半面がひきつった。己の放った言葉を脳裏で何度も反芻した。その言葉の屈辱感に、胸が焼き鏝を当てられたが如く熱をもった。
——何が分がある、だ。
奥歯がかち割れんばかりに食いしばった。
——自爆の可能性さえなければ、とるに足りない餓鬼がナイフを持っているに過ぎないのだぞ。先の一撃はわたしの手の置き場が悪かっただけだ。私の油断が過ぎただけだ。
胸腔いっぱいに空気を吸い込むと、体内に充満していた動揺を吹き払わんとばかりに勢いよく息を吐いた。
——何を恐れている。分があるもなにも、子供相手に敗北などあり得ない。あの小娘はナイフ一つでこの局面を打破しようとしている。ナイフ一つでこのわたしを斃そうとしている。日本国防衛軍陸軍少尉のこのわたしをだ。
刃を向ける敵が目と鼻の先に居合わせているにも関わらず、徽章の男が視線を地に落とす。
「ふざけるな」
またとない好機と、一撃を加えようと後ろの足を蹴り出していた水希が、男の声に虚を突かれ、咄嗟に前に突き出していた左足でブレーキをかけた。再び突撃前の体勢に戻り、左手のダガーで間合いをとった。まだ男は下を向いている。
「たかだか片手を負傷させたくらいで、何たる無恥、何たる不遜!」
男の表情は窺い知れないが、彼の声色が心なしか高く掠れたように、まるで亢進する意気を無理矢理抑え込んでいるような響きを含んでいるように聞こえた。
徽章の男の言葉に取り合わず、水希が彫像のごとく表情を固めたまま、体勢を整えようと後ろ足で地面を擦った瞬間、彼がだしぬけに左手を制服のボタンの隙間に突っ込み、瞬く間もなく黒い円筒状の固まりを取り出し、正面に突き出した。そして片膝をつき、上体を起こすのに合わせ、どす黒い血の滴をまき散らしながら、左腕が黒い固まりの先端にかかろうとしていた。
——あれは閃光手榴弾、どっちを狙えば!?
水希が瞠目し、奥歯をかみしめた。タイミングを外され瞬きひとつ分の出足の遅れが、さらに一瞬の逡巡を生み、一歩を踏み出すチャンスを逸してしまった。
徽章の男が勝ち誇ったように黄色い犬歯を見せると、力なく伸ばされた右手の人差し指で黒い円筒から安全ピンを引き抜いた。
一撃を浴びせるのを諦めた水希が、ナイフの切っ先で風切り音をたてて左手をひく。
徽章の男が縦にした黒い円筒の上端を両手で包むように抱えると、これ見よがしに起爆スイッチを勢いよく音を立てて右手の親指で押さえ込む。間髪入れずに頭上へ高々と放りあげた。こうしてしまえば、閃光手榴弾の炸裂まで何人も手も足も出せない。
「このわたしを侮った事、後悔させてやる」
閃光手榴弾が意図した通りに軌跡を描いているのを確認しつつ、徽章の男が左腕のバックスイングをとり、鬨の声をあげ2歩先のターゲットに向かって突進した。
一歩——。
ターゲットは将に激烈な光の矢の凌ぐべく伏せているはず。男はその隙をついて、利き腕ではないほうの腕一本で、少女の姿をしたECの末端の工作員を締め上げようとしていた。
自身が装着しているサングラスには、閃光に耐えうる程の防眩効果はなかった。そして遮音ヘッドセットも耳に付けていなかった。だが、それでも全く問題は無かった。あれはカモフラージュなのだ。手榴弾の安全ピンを抜きこそすれ、起爆スイッチは押していない。スイッチ音は引き抜いた安全ピンで手榴弾の金具を叩いて起こしたのだ。
徽章の男が顔を水希に視線を戻し、二歩目を踏み出したとき——屈んでいるはずの目標の首根を上から鷲掴みにしようとしたとき、己を射るように睨みつける少女の真紅の瞳が飛び込んできた。
「なに?!」
ECの能力者の少女がとった行動。それは閃光のダメージを軽減するべく目をつぶり顔を伏せることではなかった。それでは音を防ぐことができない。何より全身を無防備な状態で晒してしまう。畢竟、彼女のとった行動は——。
「何だ?・・・前が見えん!前が、ウオォォ!」
咄嗟に左腕を折り曲げ顔を覆った。だが動き出した巨躯の慣性を止めることはできなかった。
水希の右袖に装備と制服の生地を擦過させながら、男が通過していく。己が身の大きく傾いでいる事にさえ気付くことなく、
水希の視界から巨躯が消え失せたとき、側頭部防御スクリーンにしたたかにぶつけ、ウシガエルの喚声のごとき音をもらしながら、防御スクリーンの下に崩おれていった。
——まだ無理・・・だった・・・みたい・・・、リー・・・ダー・・・。
水希の体躯はすでにバランスを失っていた。眼前の虚空に浮かび上がる何かを手繰り寄せようとするかのように、右手が前に差し出されている。だが、彼女は右手が本当に前にあるのか、己の肉体にひっついている感覚さえも失っていた。
——ごめん、ウィル。・・・命令、守れなかった。
漆黒の闇に堕ちた二つの瞳から、一滴の涙を流すことすら叶わず、濃紺のアスファルトに張られた水たまりに倒れていった。
地に向かう氷に抗うように、水飛沫が一瞬、わずかに天に向かって舞い上がる。
炸裂することのない閃光音響手榴弾が、横たわる二つの体躯に挟まれた狭いアスファルトの地面に墜ち、乾いた金属音をたてて低く二度、弾む。
勢いを失いつつある氷の粒が虚空を漂いながら、静寂の訪れた路地にひっそりとと舞い降りていた。
同日 8時25分 ポイントより上流の対岸の道路ーー
川沿いに建つある賃貸マンションの入り口。
新堂と途中で別れた稲森が、駅から上流方向で2つ目位置する大きな橋を渡り、このマンションのすぐ下に辿り着いたとき、3階の窓の並びでカーテンの掛かっていない部屋を見つけた。
マンションの入り口脇の管理人室で、NHKの朝の情報番組をふんぞり返って見ていた管理人を受付の窓で呼び出すと、警察手帳を見せて件の部屋の鍵を借りた。
稲森がエレベータのドアに達すると、無人のエレベータのかごが、上階でボタンを押した主の下へと上昇を始めたところであった。
笑みとも焦りとも何方つかずな面持ちで鼻息を強く吐く。齢五十にかかろうかという年季物のPMC隊員が、よし、と軽く気合いを込めると、凡そ50kgの重量のあるバックを担いだまま階段を駆け上がった。
鍵を解錠し、勢いよくドアを開けると、鍛錬行き届いた男の肉体が自然と廊下の壁に背を付け、前屈みの姿勢をとっていた。
視界の奥で周囲より微かに明るく浮かび上がる南向きの窓からは、煤で濃灰色に染まる高速道路の巨大な橋脚で上半分が覆われた殺風景な景色が見える。高速道路の防音パネルを以てしても、川の流れの如く絶え間なく駆け抜けていく自動車の騒音は抑え切れていなかった。
冬の冷たい雨は身に滲みるが、部屋の奥深くまで照らし出す冬の日の光を完全に遮るどす黒い雨雲は大歓迎だ。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.182 )
- 日時: 2014/01/02 21:55
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
蛍光灯のない、僅かな陽光さえもない暗い部屋を、勘とインスピレーションを利かせて廊下から居間へと滑るように移動する。人の温もりも、天の日の恩恵も受けない空間は、外気の侵入が遮られていても吐く息が長らく白い靄として止まっていられるほどに冷え切っていた。南の窓際まで出て、駅の位置を確認しようと窓際から顔を出すと、バルコニーが無いことに気がついた。バルコニーがないので窓も床まで届く寸法である必要もなく、窓枠の下端が中年警備隊員の臍の高さほどで途切れているものだった。
ターゲットが絞れていないので、レンジファインダーで駅までの距離を大まかに計測すると、凡そ250m。窓までの標高が約8m。俯角、1.83度。
稲森が左手首に巻いた腕時計を確認した。新堂と分かれてから5分が経過していた。隊長と別れるときに10分ごとに交信するよう決めていたので、交信は5分後だ。
帝栄の女性警備隊員が離脱してから程なくして、調子の悪かった時空間通信装置付無線が完全に逝ってしまったため、交信にはSIG550に付けたスコープ若しくは背嚢に入れてあるスポッティングスコープのレーザーを使うことになっていた。
再び稲森が窓から顔を覗かせ、左右を一瞥すると顔を引っ込めた。腕組みして荒々しく鼻息を吐き、意図せず虚空に綿飴をつくると、慌ただしく部屋の四方を見回し始めた。
新堂が持っているSIG550は数あるアサルトライフルの中でも精度の高さは随一だが、今回の目標は距離が約250m。窓が床まで達していれば匍匐姿勢で狙撃ができるのだが、あいにくの窓のデザインだ。だからと言って、バルコニーのない窓に銃身をおいて狙撃など目立ち過ぎてあまりに危険であった。どうにかして窓から奥まったポジションで、狙撃体勢をとれないものか。
稲森が対面型になっているキッチンの入り口に来たとき、男の所望する什器が奥の壁際にひっそりと置かれていた。真新しい光沢を放つ乳白色のキッチンの天板より10cmほど低い、ステンレス製の小さなワゴン。稲森が急いでキャスター付きのそれを南の居間まで転がしていくと、窓際から3歩ひいたところでキャスターにストッパーを掛け、50kgの重量のある背嚢を横倒しにして静かにワゴンに載せた。天板を支えるステンレスの部材がギリギリと痛ましい悲鳴を上げて軋んだ。最大耐荷重を400%もオーバーしている荷物を載せられた天板は音を立てて数cm凹んだ。ステンレスの天板のたわみが収まるのを見計らい、今度は横倒しの背嚢の一番内側のジッパーをを開くと、黒いシュラフ(寝袋)のソフトケースを引っ張り出し足下に落とした。
負荷が若干軽減され、ワゴンの呻き声が鎮まりかけると、稲森が新たに満身創痍のステンレス製ワゴンに仮借無く追い打ちをかける。ひかりセキュリティ社独自のバレル折りたたみ機構を施したSIG560の銃身を伸ばすと、やや身を屈めて銃身の先端部分をステンレス製ワゴン上の背嚢に載せる。スタンディングよりも銃身のブレは抑えられてはいたが、狙撃手の姿勢が中腰で安定しない。しかめ面の上にさらに眉間にしわを寄せ、今度はがワゴンを己が身に手繰り寄せると、銃身の根本付近を背嚢に載せた。バレルの半分以上がワゴンの前方に突き出し、中世の沿岸地域によく見られた固定砲台のような
外観になった。
右の人差し指をトリガーに掛け、右肩を銃床に当てる。前に伸ばした左腕と着膨れした上半身でワゴンを挟み込むと、先ほどよりも姿勢の安定性が格段によくなった。胸の内でよし、と小さく声を立てる自分をイメージしていた。
左手首の腕時計が、最後に時間をチェックしてから3分が経過していることを無言のまま伝えていた。
隊長との交信は2分後——。
狙撃の立ち位置と体勢が決まると、すぐさま足下のシュラフのソフトケースの口を開き、力任せに中身を引っ張り出す。バックパックの中から姿を現したのは、ゴアテクス製の寝袋ではなく、殆ど黒に近い、1枚の布地だった。しっかりと押し固められながら幾重にも折り畳まれ、最後に寝袋然に円筒形に丸められたその布切れは、完全に展開すると部屋の左右の端に届逝いて尚あまりがあるくらいの長さがあった。幅についても、天井からぶら下げた下端が床をこすっている。稲森が急いで布地を部屋の左右の壁の、できるだけ高い位置から粘着テープをつかってぶら下げた。布切れは彼が狙撃姿勢をとるステンレス製ワゴンに掛かっていた。
交信まで残り1分——。
生地は非常に薄手であったが、織り目のないその布切れは、光を完全に遮断する性能を有していた。
陽光を遮る黒雲。天空より俯瞰される暗澹とした町並み。光のない町並みの宙に無数の穴を穿つかのように、無彩色のコンクリートの壁面に規則正しく開いた窓の穴。その穴の奥に、部屋全体を横切るように吊り下げられている暗色のベール。これを窓の外から認識することは、人知を以てしてはどだい無理な話であった。まして、件のベールを被り、視界確保のために割いている必要最小限の隙間から10数センチだけ黒光りするバレルを突き出し、200m先の駅に向ける者を穴の奥に見いだせる人間など、いるはずがなかった。
中腰の状態で左腕と上半身でステンレスワゴンを抱え込むという、つい先ほど編み出した奇妙な狙撃の体勢をとると、軽く息を吸い込み、息を止めた。
瞳から拳一つ分間隔を置いたレーザー・サイトののぞき窓に、36倍に拡大された狭い世界が映し出される。虚空を揺らめく特大の氷の滴に、時折視界をぼかされながらも標的の駅の出口を捉える。思った通り現場は由々しき混乱に陥っており、出入り口のほうに乗客がペンギンのコロニーのごとく密集している。それ以上の現場の状況把握は後にし、慎重にSIG550の銃身を、川沿いの道路に沿ってそろそろと動かしていく。
新堂は駅前の現場から川を遡る方向に1ブロック、約20mほどのビルの狭間の路地に身を潜め、顔だけを表に出して現場を哨戒している最中だった。
交信時刻だ——。
ステンレスワゴンを抱え込んでいた左腕をレーザ・サイトまで伸ばす。サイトの接眼レンズ側のそばについているリングを90度時計回りに回すと、サイトの下部に付けられたレーザ照準器が静かに覚醒した。人差し指ほどの太さの赤色レーザが、氷点下の霧雨の降る空間を秒速30万kmで直進し、レーザのスイッチが入れられたのとほぼ同時に200m先の瑠璃色のジャケットを着込んだ警備隊員の足下に赤い点を描いた。レーザ・サイト越しにそれを確認するや否や、リングスイッチを逆方向に回しレーザ光を消した。サイトから顔を反らすと低くうめいた。
——天は我らには向いていないのか。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.183 )
- 日時: 2014/01/02 22:01
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
暗幕をかぶったまま窓の向こうの白んだ町並みを、押し黙ったまま見つめる。新堂と別れた時から氷の雨が急速に収束してきていた。複雑に入り組んだ形状をした氷の粒は、視認できないほどに小さくなり、目の粗い霧となって地表と雲に挟まれた空間を埋め尽くしていた。白い霧は中年男性狙撃手を嘲り笑うかのようにレーザビームの真紅の軌跡を、始点付近から終点まで、凡そ200mに渡りくっきりと中空に浮かび上がらせていたのである。
沈黙のまま再びレーザ・サイトの位置に顔を戻す。
不測の事態はサイトの中の狭小な円の世界でも起きていた。稲森がレーザ・サイト越しに睨みつけている男が、レーザの紅点にも紅い軌跡にも全く気付いていなかった。時刻を間違えたかと思った稲森が、体勢を保持したままワゴンを抱える左手の腕時計に視線を寄越した。時刻に間違いはない。訝しげな表情を顕わにし、慎重に銃身を左右に調整し、レーザを当てる場所を選定する。暗灰色の布が垂れ下がるワゴンから、白い靄が10数秒間揺らめきながら虚空に霧消していく——。直後、再び狙撃手とその上官とを結ぶ約200mの赤い直線が霧に覆われた空間に一瞬現れたかと思うと、紅点が上官の瑠璃色のジャケットの左の袖から首を覆っている襟までを、長い間隔をおいて3度明滅を繰り返し遡っていく。
4度目の明滅で紅点が新堂の左頬の下のあたりに現れた。照準支援用のレーザとはいえ、紅点は少なからず熱を発生しているはずなのに、円形にくり抜かれた世界の中の男は、相変わらず建物の陰から顔だけを乗り出し、呆けたように口が半開きの情況が続いていた。
——どうしたのだ、新堂。
誰に見られている訳でもないが、あくまで平静を保ったまま、これで最後と己が決めたレーザ射出の準備をする。もしこれでも新堂が気づかなければ、居所を晒す覚悟で曳光弾を放つか、致命的な作戦の遅延と引き替えに陰を渡りつつ新堂に接近するか、パートナーと意志疎通ができないままに援護をするのか、運命の「分岐」を迎えることになるだろう。
深く息を吸い込んだ後、少しずつ息を吐き、半分程度になった時に息を止める。実弾を撃つときも、照準を合わせるだけときも動きは同じだ。それは永きに亘る中年狙撃手のキャリアの中で欠かすことなく繰り返してきた準備行動だった。
隊長の斜め左後方に位置するマンションの3階の居室奥深くで、濃灰色の幕を被せられた直径十数ミリ程度の細長い銃身が、布ずれの音すら立てずに、ターゲットにに方向角を合わせる。スコープの中心に新堂の斜め後ろ顔が収まると、稲森は顔を動かさずに運命を分かつレーザのリングスイッチに手を近づけいく。その時だった——。
「なんだ?」狙撃手が思わず目を眇める。
軽く閉じていた唇の隙間から白い靄がやんわりと広がりながら、男の鼻先を掠めて昇っていく。だが、稲森の居場所よりも明らかに寒いはずの路地で待機している新堂の顔の回りには、呼気の靄が見当たらなかった。
屈み込んだまま呼吸停止——最悪の光景が脳裏で明滅したが、その可能性は程なく消し去られた。スコープの中の男の右腕が、彼の体を預けている建物の外壁に沿って前後に動いたのが視認できた。直後、新堂の顔の数倍に及ぶ巨大な呼気の靄が男の顔を覆っていった。
濃霧で視界が最悪なところにさらに呼気の靄でおぼろになった新堂の姿を、稲森がレーザ・サイトのスコープにかじり付くようにして窺う。つい自分の息も荒げてしまい、スコープの中の世界が刹那白く混濁した。稲森が気を取り直し、SIG550を抱えたまま静かに息を止めると、闇に堕ちた居間に静寂がひっそりと天井をすり抜け舞い降りてくる。男を取り囲むコンクリートの壁、木製の調度類、環境騒音に己が身を溶け込ませ、自身の存在を消し去り、敵の気配に極限まで鋭敏になった自身の感覚だけが虚空に浮かんでいる・・・・・・不可視の監視者、完全たる影、世界中のスナイパーが理想とする状態を徐々に作り上げていった。
——息を潜めて、何をしているのだ、新堂さん。
レーザ・サイトのリングスイッチに掛けていた左手を戻し、再度狙撃姿勢をとる。
若き小隊長の居場所はポイントから20m程しか離れてはいないが、呼吸を止めてまで気配を殺すような場所ではない。とは言え、パートナーが何らかの目的でそうしなくてはならない状況に陥っているのであれば・・・・・・。
稲森はレーザを射出せずに暫し待機を決め込み、新堂が気配を殺して見張っているであろうポイント——閃光手榴弾が炸裂したはずの事故現場、そして時空間走査システムが3件の不審者の反応を示した地点——を見張ることにした。
右に10cm程度ずつ立ち位置をずらしていき、ステンレスワゴンごとそろそろと銃口を下流の方に流していく。非常に慎重なバレルの動きに対して、36倍に拡大された町並みは隣同士の建物の壁面の色を水彩絵の具のように入り交ぜながら、スコープの円を左から右に颯爽と流れていく。稲森の想定するポイントに近づくほどスコープの風景は靄が濃密になり、スコープが目標とおぼしき二つの人影を捉えたときには、人影は衣服の色柄が辛うじて視認できるかどうかというところまで朧になっていた。稲森はバレルをずらしているわずかの間に呼気を吐き終え、バレルの停止とともに空気をゆっくりと吸い込み、再び少しずつ息を吐いていった。
不意に一陣の風がスナイパーとポイントを隔てる幅約200mの空間を下流方向に横切ると、雪のごとく穏やかに舞っていた氷の粒と霧が乱れ、渦巻き、ベールに覆われていた駅前付近の光景を顕わにした。
稲森が再び息を止め、双眸の動きをぴたりと止める。この部屋に張り込んで最初にあそこを一瞥したときとあまり様子は変わっていない。一つの巨大な人影に正対する、子供と思しき小さな人影。確証が得られたのは、巨大な人影の上衣の色柄から、やはり奴は日本国防衛軍陸軍、否、国軍の皮をかぶったテロリストであるということくらいだった。それよりも——。
——早く対処しないと、子供の命が危ない。
四散していた氷の粒が、早くも統制を取り戻しつつあり、再び視界が白い靄に覆われようとしていた。
——新堂さんは何故、黙って見過ごしているのだ。
この中年雇われスナイパーは、年の功もありポーカーフェイスを保ち続けることに長けていたが、決して職務にまで冷めた姿勢をとっているわけではない。移民大量受け入れによって凋落甚だしい日本の秩序を、再び取り戻そうと邁進する警察庁長官を腹の底から支えようと、使命に全身全霊を注いでいた。その上、不当な権限及び武装強化をし、警察任務の一部を奪い取ろうしている張本人が、民間人(よりによって子供だ)を相手に暴力を振るっているとなれば、上官の許可が下りれば5.56mm弾であの巨漢の頭蓋を吹き飛ばし、四肢を付け根から切断してやることだ。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.184 )
- 日時: 2014/09/02 17:19
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: Vkpu3Lr3)
稲森がSIG550を左手と上体で支えつつ、ワゴンの天板に横倒しで積まれた背嚢の外側のポケットに右手をつっこみ、ぶっきらぼうに中をまさぐる。そしてレーザ射出型のスポッティング・スコープを取り出した。ピカニティ・レールがあればレーザ・サイトにもなる優れものだ。2つもスコープを使うのは煩雑で姿勢を崩しかねないが、今はやむを得ない。右手でスコープを持ち、新堂の方を見る。
視界が秒刻みで悪化する中、路地の壁に張り付いている一回り以上若輩の上官の姿がスコープの円い視界を埋め尽くす。彼は丁度右手の時計に目をやっているところだった。やっと気づいたか。
稲森が右手のスポッティング・スコープの方向を慎重に調整し、新堂の右腕の腕時計にレーザを小刻みに3度射出した。スコープの中で新堂が腕時計をつかの間見入り、すぐに手信号が返されてきた。手信号と言っても、野戦や船上で交わされるような大仰な身振りのものではない。交信相手が10数倍以上の拡大率のスコープを使っているのは承知済であり、今の情況のように身を潜めているケースもある。そのため胸元で手を少し動かす程度の、実に地味な手信号で指示を出していた。
スコープ越しに稲森が視認した新堂の指示に、思わず眉根を寄せた。再度命令の再確認の信号をレーザで射出したが、新堂の指示は変わらなかった。すると、稲森は小さく息を吐き、レーザの射出を打ち切った。SIGのスコープにあまり眼を近づけないまま覗き、照準がずれていないことを確認すると、次の指示を待つべく、右手のスポッティングスコープで新堂を注視する。新堂の指示は「待機」であった。何故?今まさに一人の民間人の子供が国軍の皮をかぶったテロリストに襲われているのだぞ。それとも、市民を犠牲にして陸軍に罪を重ねさせるつもりなのか。
——それでは本末転倒だぞ。新堂さん。
右手のスコープの向こうで、再び新堂の息が止まっていた。新堂の右手は待機の手信号を出したまま。——何かがおかしい。
スコープの中の男は手を引っ込めるのを忘れたまま身じろぎ一つせず、息を潜めているというよりも、まるで何かに見入っている・・・・・・。稲森が息をのんだ。
——見入っている・・・・・・。それなら新堂さんの不可解な行動の辻褄が全てあう。だが何に見入っているというのだ。
スポッティングスコープを下ろし、SIGのレーザ・サイトに顔を向けているわずかな間に、ある異状に気づき思わず呻き声を上げた。
——いや、有り得ん。そのようなことは異状のうちに入らないのだ。そう胸の内で自分に何度も言い聞かせる。だがそれでは先ほど気づいた異状の説明が付かない。
眉間のあたりでつむじ風を起こしている混乱を振り払うように、しっかと左右の瞼を閉じ、ゆっくりと開き直す。SIGのサイトが俄に男の顔から発生した蒸気でうっすらと白く曇った。
——最初にポイントを見てから少なくとも2、3分は経っている。現在のポイントの情況はどうだ。何か変わったか?私が単に何かを見落としているのか?もし、そうでなければ、何故——
「何故、陸軍がただの民間人の子供一人に手こずっているのだ」
稲森の日本人特有の黒く沈んだ瞳がSIGのスコープにたどり着いたとき、将にその瞬間を目の当たりにしていた。そして、稲盛に後方援護を託した小隊長もまた、瞬きを忘れ、呼吸を忘れ、その光景に見入っていた。
同日 8時37分 ポイント駅付近の裏路地——
20m向こうで一人の人間が片膝を落としただけなのに、アスファルトの地面が震えたような錯覚を覚えた。
もし、ウォーキングに精を出すマダムが、夫の稼ぎで買ったブランドシューズの靴紐を結ぶためにそうしたのなら、それに気づきさえしないかもしれない。もし、見上げるような上背の、目方が200kgをゆうに超えるような巨躯のレスラーが膝を落として見せたとしても、20mも離れたところで見ていては、そんな衝動はまず起きないだろう。たとえ子供の目の前で肉親が殺される、或いはその逆の光景を目の前で見せられたとしても、感情が肉体を突き動かす衝動を完全に御する自信はあった。この男はそいういう局面にいやと言うほど遭遇してきた。だが日本国籍の民間軍人の中では最強と詠われる男も今、己の20m向こうで繰り広げられている光景を、ただの一度も見たことが無かった。巨漢の陸軍兵が膝を落とした。堅牢なボディアーマーに覆われているはずの肉体から、夥しい血糊を垂れ流しながら。ひとりの少年の振るう一本のナイフに体を抉られて・・・・・・。
「俺は、一体・・・、何を見て・・・これは現実なのか?」
今の地点を確保するまでは陸軍兵を発見し情況の経緯から時機を見て対象者を拘束する予定だった。いざポイントの情況を確認すると、それはの予想以上に切迫した事案だと悟った。民間人の子供が鬼のような巨体の兵士に襲われていたのだ。だから後方支援の稲森から準備完了の合図を受けたら即刻急襲というセオリーで行くはずだった。だがそれもまた変更になってしまった。
現在の懸案事項は2点。対象者を生きたまま拘束できるかという点、そしてあの少年は身柄拘束対象者なのか、つまり時空間走査システムが検知した42名(本ポイント付近では2名)の人間の一人なのか、更に突き詰めればあの子は未来の人間なのか、未来の犯罪者なのかという点だった。
陸軍をはじめ、世界中の政府の情報機関や非政府組織が現地、つまり日本で工作員を養成したり、彼らを一般社会に送り込んでいるという情報は、内閣府情報管理室(2013年時点では警察庁公安部)から毎日のように受信していたが、少年と同じ世代で彼ほどの卓抜した格闘センスのある工作員、そして少年の持つ強力な武装は見たことがなかった。そして少年について更に気になるのは、百戦錬磨の新堂でさえ、しばしば件の少年の動きを見失いかける事があることだった。明らかに立ち位置が非連続的に移動する瞬間があるのだ。正面から突進したかと思うといつの間にか陸軍兵の背後に回り、一撃を与えている。大男が一撃を浴びせようと拳を振るう度に、なぜか致命的な切れ込みが大男の体に追加されている有様だった。現実離れした光景を目の当たりにして驚愕した国内最強の民家兵士は、息をするのを忘れたまま、少年の動きを見極めようと引き続き息をするのを思い出す余裕も無く、金縛りあったかのように立ち尽くしていたのである。
新堂の頭蓋骨の内側は、蛇口が壊れた水道管のように際限なく噴き出す疑問や懸念で埋め尽くされていた。少年が我々と同じ時代から来たのだと仮定すると——陸軍兵を圧倒する闘いぶりからして、未来の人間である可能性は限りなく高いのだが——、どうやって時空館を移動してきたのか?時空間を移動する技術はどこで手に入れたのか?あの少年の背後で反政府組織或いは地下組織が糸を引いているのか?もしそうならば、警察の最高機密事項が外部に、よりによって一番情報を知られてはいけない奴らの手に渡ってしまったという事なのか?!何時から?内通者は何処に?
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.185 )
- 日時: 2014/01/04 09:06
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
我知らず呼吸が速くなっており、路地の一角で靄が白く浮かび上がっては風に流されてを繰り返していた。新堂が路地の末端からはみ出していた顔と左肩を急いで引っ込める。
ならばあの陸軍兵よりもこの少年の方を拘束しなくてはならないのではないか?万が一陸軍の奴らを逃したとしても、我らの時代に戻って対象者を尋問して情報の漏洩ルートを突き止めるなり、時間と手間はかかるができないこともない。だが、あの地下組織の一味と思しき少年を逃してしまうと、その方面での漏洩の手がかりを完全に失いかねない。それに、時空間移動以外においてもあまりに不審、不明な点が多い。あの少年は何者・・・。我々が未だに情報を押さえていない新手の組織という可能性も否定できない。
氷のきらめきが点々と見え始めた地面に視線を落とし双眸をしかと閉じる。摂氏0度近い極冷の空気で皮膚が裂けそうになるほど強ばっているのも忘れ、沈潜した。
——不幸中の幸いか、現場の目まぐるしい情況の変化で一番パニックを起こしそうな奴は待機させている。通信手段は二つの手しかないが・・・・・・。
丁度60秒が経過したとき、徐に左手を胸元で開き、掌を200m向こうで後方援護を任せている狙撃手の方へ向けた。
数秒と経たぬ内に、左手の中心で紅点が短く3回点滅したのを新堂が確認した。
——稲森さん、想定したくはないが俺の初動でターゲットの身柄拘束に失敗したら、間違いなくあなたの後方支援が命運を分ける。
全体がが微細な氷の粒の装飾で彩られた左手を黙したまま暫し見つめ、小さく首肯した。
——最優先ターゲット変更。目標は銀髪でゲルマン系の少年。通信手段が皆無に等しいが的確な援護、無理を通して宜しく頼む。
心の中でひとしきり叫ぶと、左の掌を閉じ、目標への狙撃体勢をとれを意味する、人差し指でトリガーをひく手振りをした。
——稲森さんは今、陸軍兵を狙っているが、自分が動き出す時分になったら、目標があの少年だとわかるように、振る舞いつつ二人の人間と対峙しなくてはならない。
新堂が己の胸に言い聞かせている間にも、間をおかずしてレーザ光の応答が返される。新堂も即座に国内筆頭警備隊員がバックパックから取り出し、携えていたアサルトカービンの動作モードを1点射撃、3点射撃、1点射撃とよどみない動作で動かして確認する。乾いたクリック音が建物の壁に到達する間に無数の氷にぶつかり、亡き者となった。聞かれたくない様々な物音を沈めるにはなかなか好ましい環境である。もう少し視界が開けてくれれば、急襲には最高の環境なのだが・・・・・・。ふと口角に力が入り、かすかに可笑しそうに笑いを浮かべた。
——違う、急襲ではない。これは俺がいつも請けている市街地オペレーションではないぞ。歴とした警察任務だ。なに逸ってやがる。
新堂が徐に首の付け根、左右の鎖骨に挟まれたあたりに右手を当てた。そして、軽く双眸を閉じるとゆっくりと腹式呼吸をしながら、上体の中心まで右手を撫で下ろしていく。同じ動作をもう2回ほどすると、細波立っていた男の精神に、わずかの波紋も立たない平静が訪れた。酸鼻を極む殺戮の現場の目撃者となり、時には荷担者となってきた男がいつの間にか身につけていた、一時的に精神の安寧を取り戻す方法であった。
——まずは最優先目標にした少年と陸軍兵士の対決の行方を慎重に観察する。
新堂が銀髪の少年の背中を刹那見やると、少年の肩越しに肩より上の正面が見える陸軍兵に目線を移す。
——あの二人は直に決着が着くだろう。だが時空間走査システムがこの付近で検知したのは3名。件のシステムがこの時代に来ている人間を正確に捉えているのだとすれば、あのポイント周辺にあと一人いるはずなのだ。そしてその一人も恐らく陸軍兵士或は監視役の士官なのだろう。どこかで監視しているのか。
今の居場所を確保するときに周囲の状況は検分したのだが、改めて、限ら得た視界の中で不審な人影、装置がないか検分する。己の付近にいる狼狽する歩行者や路上駐車のウィンドウの奥を睨み付けた。次にもっと遠方——対岸のビルとビルの間の路地、ビルの窓の奥、ビルの屋上、最後に己の頭上——天空の飛行物体——を見る。
もし新堂の視界の中にあの陸軍兵士のバディが居たとしたら、この若き民間警備隊員は脱帽と言うしかないほど、それらしき人或いは装置の影はかけらも見当たらなかった。もう一人の対象者が別の場所に展開しているならばそのほうが都合がよい。駅前がキリング・ゾーン(待ち伏せ場所)になっているとも知らず、ノコノコと姿を顕すことになる。新堂が両目を閉じ、警察手帳の提示、身柄拘束の宣言、少年を含む3名の対象者の抵抗、身柄拘束までのイメージを細に微にいたるまで、初動であっさり拘束する場合と、混戦になるケースをそれぞれ素早く思い巡らせる。
——行動開始から完了までのセオリーはとりあえず完了だ。
注意しなくてはならないのは、ポイントが建物や高速道路、鉄道の高架等で後方援護の死角が多いことだ。稲盛との交信で、彼は新堂から見て左後方200mの建物にいることがわかっていたが、そうなると駅敷地内に入ってしまうとピロティ構造の駅舎の巨大な柱が狙撃手の障害物になってしまう。彼らの抵抗を受けた場合、何としても駅敷地外——つまりは駅前の道路——に奴らを引きずり出して法執行任務をしなくてはならない。
最後にもう一つ、不安な要素があるとすれば……。かなり堪えてたようだから、まさかとは思うが——。
ふと眼の上をよぎった思いにわずかに首を左にひねり、さらに左右の瞳を左に寄せて、新堂がたどってきた川沿いの道の上流方向を見やる。その眼は1,000メートル向こうでおとなしく待機しているはずの部下を睨み付けていた。
同日 午前8時45分 川沿いの道路ーー
全行程の半分、ポイントまで残り500メートルというところまで来た。陸上トラックでいえば1と1/4周しか走っていないのに、激しい焦燥心と数年にわたるトレーニングのブランクから、女性警備隊員(本来は事務員)の肉体は敢え無く音をあげていた。ミドルの茶色がかった髪が俯いている顔の前に垂れ下がり、水滴の滴る艶めかしいベールとなって、他者に崩れた表情を見られまいとしている。そして上体を折り曲げ、両手を膝につけ、声を出すのもままらないほど激しく小刻みに肩で息をしていた。
高い防水性能を有する制服のおかげで、全身に温度零度の氷が纏わりついても、体温が奪われることはなかったが、体の内部は全ての内蔵がガクガクと震えているような寒気に襲われていた。心臓が寒気のせいで脈打つように疼く。息切れが弱まる気配がしない。涙が止まる気もしなかった。
「どうして・・・・・・どうして?」
ようやく静が咽びながら言葉を漏らす。自分を叱咤する言葉と500メートル先にいる2名の隊員の名前がぶつ切りになって静の前に放り出され、一瞬にして消えていった。眼と鼻の先で繰り広げられる、世の無常をほのめかすような光景を呆然と眺めている内に、目眩までしてきた。本人も気づかぬ内に全身が左に傾いで、危うく倒れそうになったところを、左足をついて持ち堪えた。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.186 )
- 日時: 2014/01/02 22:21
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
分厚いコートを羽織った通勤途中の人々が数メートル先からちらちらと静の様子を窺っていたが、近づいて声をかけようとする者はいなかった。それどころか、静がふらついて不穏な動きを見せる度に周囲の人々は静から距離をとっていた。年齢的にはキャンパスライフを謳歌している女子大生と変わらないのに、容貌も悪くはなかったが、物騒にでこぼこしながら膨れ上がった瑠璃色の制服が、周囲の人々に威圧感を与えていた。
「寒い・・・・・・さ、さむい」
顔が真っ赤に紅潮し、ブランコから見た時みたいに世界がぐらぐら揺れている。その時初めて肉体の疲労感、寒気が単なる体力不足や外気の冷気のせいではないことを悟った。突然の出動命令以降、両親に連絡する時間すら与えられず(もちろん任務の内容はしゃべるつもりは無かったが)、体を鍛えていた頃でさえ担いだことの無かった10kgの荷物を担いで雨混じりのみぞれが降りしきる中走っていた。ずぶぬれのジャケットを乾かすこともなく暖房の利いた喫茶店で一息し、再び気温零度近い外界へ飛び出していった。これで体調を崩さない方がおかしい。もう寒さの感覚も薄れてきた。左右の瞼がだんだん重たくなっていく。深く息が吸い込めない。
「だれ、か——救急し・・・・・・」
ぎりぎりで保っていた体勢が大きく右に傾ぎ始める。よろよろと右に3歩、足をもつれさせながら道路右端の塀に肩をぶつけた。もう左右の瞳は糸のように薄く開かれた瞼の奥で光を失っていた。さきの衝突の反動で一端体が直立したが、前に一歩左足を踏みしめた瞬間膝が崩れ、既に前につきだしていた右足も凍りかけた地面で派手に滑らせ、再び道路の右側の塀に右側頭部を強打した。今度は反動も無く、塀に右頬と右肩をこすりつけながら地面に崩折れていった。
「いったーい」
痛む部位を押さえる気力もなく、頭をぶつけた右側の塀を夢か現かの心地の中で見上げた。そして言葉を失った。閉じかけていた双眸が再び皿のように見開かれ、オットセイのように這い蹲ったまま顔だけを持ち上げて固まっていた。時計を見ればたった10数秒の出来事であったことがわかるはずだったが、彼女にとって永い永い瞬間だった。己の瞳が捉えている光景をもう一度確かめるように、瞼を強く瞬かせて、右側の塀があったと思われる場所を睨みつけた。
「塀が、ない?!」
彼女の右側に塀っがあるにはあるのだが、それは彼女の2メートルちょっと後方で90度折れ曲がり、狭い路地の右端に変わっていた。今、静の眼前には、幅4メートル足らずの路地が、川沿いの道路の裏路地まで一直線に延び、住宅街の風景が縦長の長方形に切り取られて聳えていた。
もう一度目を瞬かせると、体の下敷きになっている右腕を引っ張り出し、無造作に路地に向かって突き出した。20cmも前に出さないうちに右手の前衛3本が何かにぶつかってぐにゃりと折れ曲がった。思わず声を上げそうになり、首を振って己の前後を睨め回す。
既に周りの人々は前後ともにたぶん30メートル以上は離れている。遥か昔に射撃場に通っていた頃の感覚を引きずり出し、そう判断した。誰もが静に、冬の高架下で段ボールにくるまって凍えているホームレスを見るのと同じ視線をなげている。
静が猛烈に逡巡した。こうしている間にも新堂や稲森に正体不明の魔の手が近づいているかも知れないのだ。早く、先を急がないと!
だが、彼女の意志とは裏腹に右腕は不可視の何かにゆっくりと伸びていき、指先でそろそろとそれを撫でていた。
——やっぱり、壁がある。
よく見れば、霧のような氷の粒が「壁」にまばらにひっついている。
下流から吹き上げてきた一陣の突き刺すような寒風が、静のびしょぬれの髪をゆるりと揺らす。左頬に貼り付いた髪を伝って、幾粒かの滴が蒼白の頬を伝い、顎まで下ると未練たらしくゆっくりと垂れていった。それが滴の垂れる間隔が徐々に広がっていき、静の小さな顎から落ちそうで落ちない7滴目がやっとのことでに落ちたとき、我知らず静がボソリとつぶやいていた。
「これ、どこかで、見たことあるような」
沈潜のために視線を落としたとき、疑問の答えが目に飛び込んできた。
静が間食に食べているカロリーメイト紛いの食品を倍くらいに大きくしたような、金属光沢を放つ物体が、静の前に延びる路地の入り口の両脇に置かれていたのである。
クロック周波数10Hz程度で駆動していた静の脳に俄然ブースとがかかる。
「見たことある。これ、見たことあるわ!えっと・・・・・・なんだっけ」
突如独り言をぶつぶつ言い、己の頭をがんがん叩き始めた静を見て、人々が一度奇異の目を向けてはどんどん離れていく。残ったのは静に同類の香りを感じたキワモノばかりだ。そんなことを尻目に、静は自身の世界に潜行していく。こうなると高熱だろうと、極度の肉体疲労だろうと、そんなことは問題ではなくなっていた。意気が昂進してきてますます顔が紅潮する。
「あ、防御スクリーンよ!確か潜伏場所とか負傷者の救護につかう道具。会社の倉庫に大量につんであるやつだわ。でも、どうして?これってこの時代の装置じゃ——」
静の全身が金縛りにあったかのように硬直する。
——この時代のじゃない。未来の、装置。もしかして、この中に・・・・・・。
静の中で後ずさりしようとする力と、この場にとどまろうとする力がせめぎ合う。
——違う!違うわ。きっと何かの理由で、新堂さん達がここにいるんだ。
そういっている内に、己の予想が違うことに気付いてしまった。静達一行は、時空館移動方に則り、転送先の時代の技術水準に明らかにそぐわない機器は持ち込んでいないのだ。それは携行品のダブルチェックで確認済みだ。じゃあ、やはりこの中には——。
——でも、もし奴らがいたとしても、私ひとりで何ができるっていうの?とにかく、新堂さんに追いつかなくちゃ!そうよ早く行かなくちゃ!
静が大股で一歩踏み出す。踏み出したはいいが次の一歩が追従しない。
何してるの!行くのよ!
頭の中の怒鳴り声と並行して、深刻な妄想癖のある女性警備隊員の脳内では防御スクリーンの中の様子が着々と描かれていく。今は中にいる身柄拘束対象者の鉛筆素描が終わって、服飾品の模様の書き込みに入ったところか。まだ背景の書き込みと全体の色塗りがある。ーーまだまだやるべき事は多いわ。
「何言ってるの?!あたし」
我が道を猪突猛進する自分に怒鳴りつける自分の声に驚愕し、その場から飛び退き「本物」の塀に背中をぴたりとつけて左右を窺う。別に何か確認するものがあるわけではないのに、なぜかそんな風に動いてしまった。静は自分がどうしたいのか訳が分からなくなってきた。
肩を落とし、俯いて沈んだ茶色の髪の奥に表情を隠すと、コンクリート製の塀の細かい凹凸を背中に感じながらその場に蹲る。膝を抱えて顔を瑠璃色のジャンパーに顔を埋める。
——あのスクリーン、確かマジックミラーと同じ仕組みだから私から中は見えないけど、外からはこっちが見える。ってことは……。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.187 )
- 日時: 2014/01/02 22:32
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
はっとして顔を少し上げると、暗闇から涙で一杯の双眸をのぞかせた。目の前には道路と川を隔てる、背の低い薄汚れた堤防が見えるだけだった。
「違う違うっ!そんなこと考えてる暇あったら……」
言葉を断ち切り、帝栄のジャンパーと己の足に囲まれた闇の中に意識をおとしこんだ。
一度大きくため息をつく。続けて頭を左右に振る。目の上を蠢動しているモヤモヤが吹っ切れず、もう一度、今度はだみ声も混ぜて、盛大に溜息、というよりは半分雄たけびのような息をついた。
「あぁー!もういい!もういいわ!」
ミドルの髪に張り付いた雫を弾き飛ばしながら顔を振り上げると、地べたにしりもちをついたまま右に頸をねじって彼方を見遣る。居残っている歩行者との距離は、さっきと変わらず30メートルプラスアルファくらいかな。たぶん。
——こうなったら、やろう。やってしまおう。スクリーンの中にどんな人がいるのかわからないけど、わざわざこんな町中にスクリーンを張るってことは、余程緊急なはずよ。たぶん、たぶんまともな状態じゃないのよ。もしかして、新堂さんと稲盛さんたちにこてんぱんにされて、尻尾を巻いてここにいるのかもしれない。いいえ、きっとそうよ!だからわたしはそんなやつらを、この警察手帳と帝栄のエンブレムを見せて拘束する。もともと私の任務はそうだったんだから、何も間違ったことはしてないわ!
望ましくないときに静の頭脳がフル回転し、己がこれからしようとしている暴挙に対し、無理に無理を重ねた正当な根拠をひねり出した。
静が口を真一文字に閉め、飛び上がりざまに立ち上がると、道路を下流方向に大股で歩いていく。突然の静の行動に意表を衝かれた見物人たちが一言声を上げて後ずさった。静が適当に離れたところで、前進を止めると、濃い藍色に湿ったアスファルトに目線を落とす。
——立ち入り制限、しないと。
方針を決めたはいいが、自分でも何をやっているか、そしてこれから何が起きようとしているか皆目見当もつかず、肉体が勝手に動いているような奇妙な感覚に陥っていた。
「すみません。ここで見物されている皆さん。今から当社、帝栄警備の実地訓練を実施しますので、1時間ほどあちらの路地と、その入り口付近を立ち入り禁止にいたします。ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
——言ってしまった……。
あまり突拍子の無いことを言ってしまったことと、それを全く滞りなく言い切った自分に心底驚き、困惑していた。自分は本番に強いタイプなのだろうか、新たなどうでもいいことが脳裏を過ぎる。
気になる歩行者の反応といえば、静の落ち着き払った対応と、突然の行動に対する驚きが相まって、今までのこの女性警備隊員の奇行をすっかり忘れて、大人しく従っていた。
——立ち入り制限、どうしよう……。そういえば、ザイルが。
早速行き詰りそうになった静の目論見が、悪運に恵まれ即座に窮状を打開してしまった。瑠璃色のジャケットを適当に物色していると、右側の内ポケットに、ザイル(登山用の細くて丈夫なロープ)を入れていたことを思い出していた。新堂がザイルは様々な局面で重宝するといって、背嚢ではなく直接携行するよう指示されたものの一つだった。改めて新堂の偉大さを思い知らされ、心の中で立て膝をつき、両手を組んで、後光を放つ新堂に感謝の祈りをしていると、早速区域の両端にザイルを張る準備にとりかかった。新品のザイルはきれいに束ねられており、ポケットに入るサイズでありながら20メートルの長さがあった。ザイルを解きながら、立ち入り禁止にした後の手順に考えを巡らせる。
次の作業は、あのスクリーンの解除。路地の入り口の両端にある、大きなカロリーメイトのような形をした装置は、もしスクリーンが解除できなった場合のために、装置の破壊方法が一般に公開されている。通常、この装置は土の下に埋めたり、上にカモフラージュを施すことなどして見られないようにしておくものなので、破壊方法が公開されていても支障は無いのだ。もし装置を発見されて、折角の高性能な防御スクリーンが解除されてしまったなら、それは装置に擬装を施しておかないほうが悪い。そして、中にいる人間達はそういう、間の抜けた人たちなのだ。静がスクリーン内部の人々に対する勝手な妄想を自身の脳内で展開し、何とかして気持ちを落ち着けようとしていた。
——でも。
「どういう人なの、時空間犯罪者って」
静が解け切ったザイルを右手から垂らしながら、顔を路地に向けた。
<防御スクリーン内側>
左頬を極冷の水溜りに漬けたまま、凍死死体になるところだった。だらりと伸ばされた右手の指先が短く痙攣する。更に2度指先が震えると、分厚いグローブを装着した右手がアスファルトを押さえつけながら胴体に引き寄せらていく。
右手が地面に指先を立て、右腕が胴体の重量を支える体勢に入ると、大柄な体躯が立ち上がるまでに時間を要さなかった。
豪奢な陸軍少尉の徽章をガチャリと鳴らしながら、太い頸を鈍い音を立てて鳴らし、けだるそうに言葉を吐いた。
「畜生、この糞餓鬼め。一体何をしやがった。おぉ、頭が痛えぜ」
ECの末端の工作員、棚妙水希を生け捕りにしようとした陸軍少尉は、強化された彼女の能力によって全感覚神経を無効化され、三途の川対岸を間近に目の当りにしていたが、能力者の失神によって、そこに足を踏み入れることを免れていた。
路地の住宅街側の、つまり静のいる方とは反対側の防御スクリーンに背を向けるようにして立ち上がった陸軍少尉が、憤懣が眼、口、鼻、あらゆる体の孔から漏れ出さんばかりの面相で足元に横たわる灼髪のベリーショートの少女を見下ろす。口に入った砂が歯にあたり、少尉は表情を一層表情を剣呑にし、声と共に痰を脇に吐き捨てた。
「散々手間取らせやがって。何をやったんだかよくわからんが、名仮平の野郎、こんな餓鬼どもが相手では、やはり不名誉除隊は免れんか」
別に出来損ないの兵卒の肩を持つつもりは無いが、己の部隊の隊員が「不名誉」と冠される処分がされることに苛立ちを募らせていた。もちろん除隊される隊員の上官として——たとえ直接の上官でなくとも——評価が下がり、しいては己の出世に少なからず支障をきたすからだ。
専守防衛を標榜し「自衛隊」と名乗っていた頃よりも、遥かに強大な組織となった日本国防衛軍は、尉官(准尉、少尉、中尉、大尉のこと)が蛆虫みたいにそこら中にいる。そして名仮平のような下士官はさしずめ、夢の島のゴミみたいなものだ。そして蛆虫が天敵に食われること無く、なにかの毒に犯されること無く蝿の成虫になるには、熾烈を極める蛆虫同士の生存競争を生き残らなければならない。取るに足らない蝿になることでさえだ。その過程では小さなミス一つ露呈するのでさえ致命的な足かせとなるのに、部下が不名誉除隊とは……。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.188 )
- 日時: 2014/01/03 09:19
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
それ以上、少尉が胸のうちの言葉を続けることが出来なかった。名仮平以宇衣とかいう至極ふざけた名前の兵士に恨んでも恨みきれない憎悪が湧いてくる。この感情は今に始まったことではない。あの犬畜生以下の出来損ないが、小さくない失態を繰り返すたびに、直接の上官を飛び越えて、己が直々にその馬鹿な生き物をなじってきた。そうでもしなければ、あの感情が抑えることが出来なかった。除隊は自分だけの判断ではできない。佐官(少佐、中佐、大佐のこと)ならば、自分のキャリアの汚点をどうにかして闇に葬り去ることもできるかもしれない。だが一介の尉官にはそのようなことができるはずが無かった。
「とんだ貧乏くじを引いちまったもんだ。最早笑い飛ばすくらいしかないか」 否、笑う気すら起きない。
せめてこのむしゃくしゃを満足ゆくまで何かにぶつけたい。「何か」に……。
少尉の口の端がふとつり上がる。
なんと都合のいいことか。その「何か」はわたしの足元に転がっているではないか!
意図したつもりは無いが、お膳立ては完璧だった。この糞餓鬼はわたしを生命の危機に陥れようとした。その方法なぞ、わたしが適当に考えればいい。
では何故わたしを襲ったか?
——それはこいつかあの凶悪きわまる地下組織ECの工作員だからだ。
だが部下に出された命令は生きたまま確保ということだ。それを上官が破るとは、ますます立場が悪くなるのでは?
——否、生きていればいいのだ。上のやつらが求めるのは彼らの情報だ。口さえ聞ければいい。もっと言えば脳みそが機能してればいいのだ。あとは悪魔まがいの技術をもつ我が軍の科学班が、おぞましき技術をもってして、この餓鬼から情報を抜き出すだろう。
子供に暴力など、ここは公道。誰かに見られたら——
——だからこその防御スクリーンだ!
一歩二歩と気絶している水希の体に回りこみ、住宅街側のスクリーンと己の間に少女が来る位置に我が身を置くと、改めて肩幅と同じ幅に足の位置を整える。念のため、背中の遥か後ろにある川沿いの道路側にあるスクリーンを振り返る。
布切れ、鳥の羽?のような小さな布片のようなものがスクリーンの端に、ちらっと見えた。
眉を寄せ鼻息で氷の霧を渦巻かせながら吹き散らした。少女の前に向き直ると、先の表情は消え失せ、口元に薄笑いが浮かんでいた。
<防御スクリーン外側>
「ザイルって切るの大変。このナイフの切れ味が悪いのかしら」
一言口を零すと、パワー切れで震える右腕をさすりながら、防御スクリーンの前を走って横切った。スクリーンの中からこっちが丸見えなので、それなりに注意を払ってのことだ。
静の後ろの足がスクリーンの端からでる直前だった。まだ静の後ろ足のブーツのつま先がスクリーンの中から見えていた。陸軍少尉が後ろを振り返った瞬間であった。
間一髪。
そうとは知らずに、静が立ち入り禁止にする区域のもう一方の端にザイルを張りにかかった。
<防御スクリーン内側>
「うるぁ」
ベリーショートの灼髪の裾を鷲づかみにし、一気に引き上げた。水希の体が想像以上に軽く、力を入れきる前に、ふわりと浮かび上がるように持ち上がってしまった。髪の毛が短いせいで持ちづらかったので、すぐに両腕の下に右腕を回し持ち直した。水希の体も氷水の水溜りに浸かっていたため、ぼたぼたと雫がこぼれるたびに柔らかな光沢を放つ分厚い制服の生地にしみが残る。水希の体が触れている制服の上着の左側もべっとりと氷水がしみ込んでいた。
「ちっ、汚ねぇな。おい起きろ」
右の拳で右耳の上の辺りを殴りつける。力が強すぎると、失神が長引いてしまう。どうせならこの小娘が覚醒してから、耳を劈くような悲鳴を聞きながら拳を振るうのも一興だ。少女が短く呻いた。もう一度それを繰り返す。頸の骨が折れたのではないかと思うくらいに、甚だしく頸が揺さぶられ、真紅のドレープが男の目の下で刹那見える。同時に空気を吸い込んだときの引きつるような金切り声が声が少女の喉から一瞬響くと、頸から完全に力が抜け、頭が前に垂れた。
「お、おい」氷よりも冷たい雫が、男のこめかみから頬にかけて一条の跡を刻んでいく。
右手で小さな頭の右即頭部を掴み、小さく揺らす。「おい!おい!目を醒ませ。おい!」
生きたまま確保しろと言われた人間を殺してしまった。いやそれどころではない!平時に子供を、子供を殺してしまった……。
「おい!起きろ!」不意に腕の中で少女の胸がうごめき、小動物かと思しき息吹を、男の皮膚が露になっている左手首に感じた。
「糞餓鬼め、この期に及んでわずらわせやがって」
意識が朦朧としたまま水希が返事というより、ぼやけた声を発し、頭を所在無く揺らしながらもちあげた。水希が己の頸に図太い腕が巻きつけられていることに気付いた途端、その腕が急にこわばっていくのがコマ送りのように見えた。死人の顔をしていた少女の顔がから限界を超えて蒼白になっていく。だが、窮地に陥ったのは少女だけではなかった。少女を抱えた大男も、また異変に襲われていた。
<防御スクリーン外側>
川沿いの道路と川を隔てるコンクリート製の小さな堤防の柵に、ザイルの先端をくくりつけた。ザイルの結び方を検索端末で調べようと思ったが、50年前の世界ではインターネットへの接続方式に静の端末と全く互換性が無いため、断念した。だから我流ーー世間ではそれを「適当」と言うーーでザイルを結びつけた。別に命綱にするわけではないので問題ないとの判断だ。
思っていたより時間がかかってしまった。ここでの時間のロスは、2つの悪い事象を招いてしまう。一つは、立ち入り禁止区域の設置が不法なものであることがばれてしまうこと。そしてもう一つは、新堂と稲森達に、重要、そして深刻な事項の伝達の遅延。
——でもここまできたら、やるしかない。たぶん相手は万全な状態じゃないはずよ。もし、元気でぴんぴんしてたら・・・・・・。
静が右の腰に手をかけ、下流のポイントの方角を見つめる。
——逃げよう。全力で新堂さん達の元へ。
静が問題の裏路地の脇にしゃがみ込んだ。足下から50cmほど前に、大きなカロリーメイトのような形状をした防御スクリーンの発生装置が設置されている。
さっきまで内なる自分と舌戦を繰り広げていた女性警備隊員が、急に押し黙り、発生装置の破壊の準備を始めた。
防御スクリーンのマニュアルに記載されている、発生装置の破壊方法、それは——。
装置に銃撃、若しくは爆撃等の強い衝撃を与えること。
静が右手をかけていたホルスターから拳銃を引き抜く。静は喫茶店を飛び出したときに拳銃を手にしていたが、一旦ホルスターにおさめていた。それは静が新堂に携行を許可された2丁の拳銃のうち、帝栄警備制式の自動拳銃、SIG ザウアーP220ではない。彼女の祖父が愛用していた大型のリボルバー、コルト パイソン357マグナムだった。
右手でグリップを握り、それを包み込むように左手を添える。昔、シューティングレンジで起立姿勢で構えいたときよりずっと重量感がある気がした。腕がその重さに耐えきれず銃口がなかなか安定しない。
- AsStory10(6)話〜PMC、対陸軍攻撃陣〜 ( No.189 )
- 日時: 2014/01/03 09:27
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
——時間がないって言うのに・・・・・・。こんな至近距離の目標も狙えないなんて。
ややもせず静の表情に焦りの色が浮かんできた。冷や汗を垂らしながら落ち着け、落ち着けと小声で言い聞かせていた。だがそうすればするほど、心臓がガクガクと震え出すような感覚が強くなっていく。
——ダメ。狙えないっ。
いつの間にか静の二つの瞳をきらめきが埋め尽くしていた。
——まただ。またわたし、泣きだそうとしてる。ダメよ。我慢して!
「我慢して、我慢して」
本人の努力も空しく、視界がめちゃくちゃに歪んでいく。畢竟、我慢の限界を超えた静の目から大粒の涙が零れ、子供のようにかすれ声をあげて泣いていた。
「おじい、ちゃん。ダメ。わたし、拳銃が使えない・・・・・・みんなの、役に立てない。・・・助けて、あげられない・・・」
悔しさのあまり瞼をぴしゃりと閉じ、357マグナムを力の限り握りしめた。
——?
熱い。
熱い。
グリップが、手が、焼けるように熱い。
静が涙を澪しながら、瞠目してマグナムを見つめた。マグナムから発せられた熱は瞬く間に静の静脈を遡り、胸に首に、顔に目に伝播していった。
両手から、両腕から、とても自分のものとは思えない強力な力が湧き出している。あんなに支えるのに苦労していた357マグナムを微動だにせず持っている。もちろん銃口の震えなど、髪の毛1本の太さ分も見受けられない。そして、彼女の目線が無意識のうちにと357マグナムの照門に向けられていた。両腕がマグナムを足下50cm前方のスクリーン発生装置に向け、両手首がマグナムの照門、照星、ターゲットが一直線に並ぶように微調整をした。静は言葉も正体も失っていた。只々357マグナムから伝わってくる「熱」に身も心も委ねていた。静の光彩が針穴のように細くなっていき、鋭い煌めきを放った。
「ゼロイン、開始……」
片膝をついた状態で足を踏みしめ、下腹部に力を込める。呼吸を徐々に深く、ペースを落としていき、体のぶれと瞳のピントのずれを排除していく。そして銃身の角度の最終調整を行うと、壁に張り付く蛾のごとく体勢を固めた。
「完了……」
そして、静が厳かに言葉を放った。
「スクリーン発生装置、破壊60秒前——」
帝栄、そしてヒカリセキュリティ、2つのPMCの隊員で構成される時空間犯罪者拘束ミッションは、誰もが予想しないプロセス、配置で遂行の時を迎えようとしていた。
〜PMC、対陸軍攻撃陣 完〜