二次創作小説(紙ほか)
- AsStory -第10(8)話 『スナイピング』- ( No.200 )
- 日時: 2014/07/27 22:33
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 3JMHQnkb)
〜スナイピング〜
二〇一二年一月二十日 午前8時48分f——
大気の潮流をせき止めていたスクリーンが消え去ると、狭い隙間に入り込んで勢いを増したビル風が、体格差のあり過ぎるカップルの背中を煽った。日々の訓練で鍛え上げた100kg近い魁夷は、普段ならびくともしないはずだった。だが見るからに軽薄そうな雌犬然とした身なりの少女に、思いも寄らぬ反撃を立て続けに受けると、男の心は酷く錯乱し、そこに駄目を押すように右手が生み出す未曾有の痛苦によって、その巨躯を大きく前に傾げ、黒いしみの広がる大地に膝を落とそうとしていた。
あまねくあばらの骨が粉微塵に砕け散りそうなほどに軋み、激痛に襲われながらも、将校の右腕に締め上げられた小さき暗殺者は、己の叫び声でも兵士の咆哮でもない、よく聞きなれた雷鳴のような幻聴を聞いたような気がしていた。
瑠璃色の防弾ジャケットをアスファルトにこすり付けながら体を転回させ、再び体が元の方向に戻った時には、突入前と同じ姿勢で路地の壁に体の側面をつけ、銃口を斜め上に向けていた。前に突き出した両腕の先では、見上げるほどの大男が背中を向け、女性警備隊員の亢進した正義の使命感を引き裂かんばかりに、白亜の時代の爬虫類のごとき雄叫びをあげて頽れていくところであった。
見覚えのある仕立てのよい制服に、女性警備隊員が思わず先輩に言われたものとは違う文句を吐いた。
「陸軍?」
己が双拳が発した鉄の咆哮と、眼前の大男の絶叫に、静のつぶやきは己の耳に到達する前にかき消されていた。
一番下とのその上の肋が折れたようだ。左脇腹で鈍い振動が一度。それに気づくや否や突き刺すような痛感が華奢な少女の体躯を貫いた。そして立て続けにもう一度同じような振動と激痛が左側で1回、反対側の同じような位置で2回。これが男子向けのマンガやアニメで目にする「肋が折れる」というものなのか。世間の作家はなんといい加減な描写をしているのだろうか。肋骨が折れても紙面のコマの中の人物が動けなくなった場面など見たことない。なのに現実はどうか、耐え難き激痛に息ができない。だからといって、息を止めていても、掌を真っ二つに引き裂かれ、血みどろの筋肉の隙間に人間の指を差し込まれても、人間離れした忍耐力で兵士が確実に水希の胸のあたりの圧力を高めているせいで、彼女を蹂躙する激痛は収まるどころか頂点を突き破り続けていた。
少女の右胸の下のあたりで、3度目のミシリという気持ちの悪い音が肺と気管を伝わり、鼓膜を内側から伝わってきたとき——小さな体の感覚の限界をあっさりと超えた痛感によって、主の意識が木っ端みじんに粉砕されようとしたとき——、鮮烈な紅に染まる肉塊に差し込んだ細い指の力を思わず抜いてしまいかけたとき、不意に体の戒めが緩み、程なくして左右の足の裏に圧力がかかった。胸元がはだけた漆黒のジャケットの左肩口から裾にかけて、たっぷりと血糊を擦り付けながら、左右に裂けた男の右手がずり落ちていく。男の左手は大した手負いは無かったが、己が右の掌から伝播した雷撃のような痛みによって制御不能になっていた。少女の背後からまわされた手がジャケットをつかもうと指を曲げようとしているが、主人の意に背いてびくびくとバネのようにひきつるばかりであった。
水希が視線を落とし、兵士が呻きながら両肘をついて四つん這いに倒れ込むのを見届けると、兵士を完全に無力化しようと右ポケットに手を忍ばせた。
「人質?!女の子?」不覚にもさきの轟音のした方向から聞こえてきた女性の声に灼髪の暗殺者は完全に虚を突かれ、慌ててポケットから手ぶらで右手を引っ張り出すと、13歳という年齢以下に見えるらしい容貌を、彼女自身の殺気で覆い尽くしたままの表情で振り返ってしまった。大型拳銃を握りしめた警備員風の女性が、眉根を寄せて陸軍兵ではなく自分を見つめているのを目の当たりにして、慌てて表情を作り直す。そして漸く頬をなでる凛とした空気の流れを感じ取り、次の瞬間には皮膚を震わせ大気を揺るがす火薬の轟音が幻聴ではないことを確信していた。
水希が我に返り、くるぶしの高さまでずりさがった腕の輪から逃れようと、左足を蹴り上げて左に飛び退こうとする。だが、眼下で白目を剥き地面と冷たい接吻を余儀なくされていた兵士が破れかぶれで振り回した左腕が偶然、一歩遅れて地を蹴った水希の右足の足首を払うと、40kgに届かない体躯は、刹那上空80cm付近でバク転し、背中を強かにアスファルトにぶつけた。
左右合わせて6本のあばら骨のひびが更に深くなり、己の肺に小さな牙を剥く。生来の並外れた忍耐力のせいで気絶できなかった水希の意識に、体が引き裂けるような感覚が雪崩込み、両腕で胸を抱えてもんどりうった。
静が駆け出そうとしたが、ほぼ同時に軍服の大男が上体を起こしかけると、静の体は熊に遭遇した登山者のように凍り付いてしまった。
壁沿いに片膝をつき、マグナムを構えたまま動き出せないでいる静の10メートル前方で、大男が同じく右膝をついたまま体をを翻してきた。少女の顔よりもふた周りも大きい左手で、その細い首を正面から鷲掴みにしていた。少女が大男の手を掴み、両足を地面に叩き付けながら、顔面を真っ赤にして足掻いている。
「帝栄よ!その子を放しなさい」
静の口から本人も驚くくらいのドスの効いた声が狭小な路地にこだますると、軍服の大男が片膝でつんのめったまま、上目づかいに静を見据えてきた。
「ていえい——」
経験豊富な先輩隊員の言っていたのとは、相手の反応が全然違っている。動揺するどころか、不利な体勢でもなお、こちらを威圧するような態度を見せている。
「あの帝・・・」「聞こえなかったの?早く、その子を放しなさい!」
静の声が場を制すると、軍服の男が鷹揚な態度で、虚ろな目で天を仰ぐ少女を喉輪をしたままぐいと前に突き出す。静がパイソンの照門から目線をはずし、人質の少女の様子を見ようとした瞬間、男が左手を全開にした。地面に鈍い音が響くのとほぼ同時に、枯れ枯れになった少女のだみ声が空気を震わせ、程なく蟻の足音程度までその声が弱まっていった。
「ほれ、放してやったぞ」
危うくマグナムの引き金を引きそうになるのを寸でのところで堪え、静がグリップを目いっぱいに握りしめて片膝をついている大男を睨みつけた。
軍服の大男が女性警備員の容貌に嘗めるような視線を投げる。マグナムの銃口、トリガーガードに添えられたしなやかな指、腕を伝い白い首筋、栗色の襟足、そして義憤に朱く染まる頬。美しい。不覚にも己に足を向けて倒れている餓鬼に、絆された自分が恥ずかしくなる程に。あの女を手込めにしたい。少女の工作員にあけられた心の小さな綻びは、いつしか隠しきれない大穴となっていた。それでも男を水際で思い留まらせていたのは、静が言い放った「帝栄」の二文字だった。
歴戦の軍人にとって遙かに現実的な脅威は、満身創痍の体躯をさなぎのように丸め、痛みと悔しさで涙を垂れ流しにしている50年前の時代の工作員よりも、己と同じ時代のPMCに所属する手練れの正規隊員なのであった。
だが、1分にも満たない僅かな時間ではあったが、軍服の大男は女性隊員の振る舞い、容貌に腑に落ちない点を見つけていた。
一瞬にしてスクリーンを破壊し、ぴたりと壁に体側を付け、瞳から照門、照星、男の額を正確に一直線上に揃える姿勢の取り方は、確かに驚くべきものがあった。だが、マグナムを掴む指、男を威嚇しようとしたはずのの怒号。細過ぎる。そして弱過ぎる。軍服の男は今、ECの工作員という願ってもない捕虜をほぼ手中に収めたようなものだった。深手は負っていても、たとえ敵が国内屈指のPMCの隊員だったとしても、付け入る隙はあるはず。野性の欲望を満たすと同時に、何が何でも捕虜を連れた上で生還する必要があった。
——敗北は許されん。
男が重苦しい呻き声とともに、左足、右足と靴底で紺色の大地を踏みしめ、仁王立ちになる。パイソンの銃口が。男の頭部の動きにぴたりと追従してくる。男がふとにやけ、照門の奥の瞳を睨みつけた。
「女、帝栄と言ったな」返事は、ない。男が大仰な身振りで、眼前に横たわる少女の頭の右脇あたりに進み出る。
「わたしは、日本国防衛軍陸軍第一師団少尉、関東方面第一中隊隊長」鼻腔を膨らませて大きく息を吸う。
「外野於呼曽だ」
敵はパイソンを握りしめたまま、頑なに沈黙を貫いている。
「貴様らがここに居ると言うことは、漸く警察も時空間移動システムを完成させたということか」
男の左足の後方でで、水希の右腕が止まっていた。痛みに顔を歪ませたまま、男の言葉を何度も反芻していた。時空間移動システム?
静の眼が一瞬大きく見開かれた。動揺を掻き消さんと、声を張り上げた。
「女の子から離れなさい。指示に従わなければ・・・・・・撃つわ」
- AsStory -第10(8)話 『スナイピング』- ( No.201 )
- 日時: 2014/07/27 22:39
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 3JMHQnkb)
蚊の羽音のような言葉尻の後に沈黙が訪れた。外野は10m先で指先の第一関節程度まで小さくなった敵の顔を睨み続けた。そして一歩たりとも動かなかった。陸軍将校は今、己の勘とわずかな時間に察知した機微だけをたよりに、命がけの駆け引きにでていた。
——30秒だ。この間にあの女がどのような処置をとるのか。いや、そもそもあの女が処置をとれるのか。
雑音が微細な氷の粒に吸収され、空気までもが声を失っていた。
——5秒・・・・・・10秒。
重苦しいにらみ合いが続いていた。
・・・・・・20秒。
警備員は未だに姿勢を、トリガーガードに添えた指先さえも石のように固めていた。
・・・・・・28・・・29・・・30。
10メートル先の警備員は引き金を引くことができなかった。それどころか、警告を発する事さえできなかった。対峙する二人は、なおも沈黙と静止を続けた。
——1分。
人の声でも、路地の向こうの野次馬の声でもない、微かな物音を三人の鼓膜が捕らえていた。小刻みに一定のリズムを刻む微かな音。刹那途絶えたかと思うとまた聞こえてくる。
女性警備員は相手に緊張を悟られぬよう姿勢を維持したまま、気を鎮めるまじないの言葉をひっきりなしに口の中で唱え続けていた。
だが彼女の努力も虚しく、外野の分厚い唇は不敵な弧を描いていた。男の視界の中央に居座る警備員には、風の如く突入してきた時の覇気は跡形もなく消え去っていた。警察は稼働してあまり期間が経っていないであろうの時空間を移動するシステムに、精鋭を送り込まなかったのだ。恐らくあの女は帝栄の中の下っ端隊員なのだ。軍のセオリーでは、今頃は駅前で作戦を実行している木偶の坊の姿を思い浮かべて、胸の奥で苦笑いを浮かべた。
「お前に撃てるのか。このわたしが。いや、人間が」
静が思わずパイソンのグリップを握りしめていた。言葉が出なかった。
ーーわたしの勝ちだ。
外野の足下では、水希が右腕を止めたまま、上半身を虐げる激痛を堪え、二人のやりとりについて沈潜していた。見事に駆け引きで成功を収めた外野が、雄弁に言葉を続ける。
「帝栄も噂ほどではないな。もしその顔が演技だというなら褒めてやる。だが、生憎お前のそれは演技ではないだろう。そして、実戦経験も皆無、あるいは限りなくゼロに近い」
右手の傷口が冷気に舐められるたびに疼いたが、笑みを浮かべて言い放った。
「その子から、離れなさい!本当に、撃つわよ」
声を発するのが精一杯の抵抗だった。動揺が抑えきれない。自分の致命的な弱点を看破されたのは、今日二度目だった。「おまえは優し過ぎるのだ」静を作戦から外した隊長の声が脳に突き刺さる。器物の標的は撃てども、生身の人間はどうしても、撃てない。怖くて、撃てない。
——でも、軍人じゃないんだから、射撃場の的しか撃ったこと無いんだから、昨日まで事務職員だったんだから、しょうがないじゃない・・・。
また瞼の奥から熱いものが湧き上がってくる。でも、ここで少しでも涙を見せようものなら、絶対、殺される。男が一歩前に進み出た。
「銃を下ろせ。たとえお前が撃ったとしても、陸軍制式のボディアーマを破ることはできん。どうせ斥候で送り込まれたのだろう。本部に帰って何もないと報告すれば、その後の身の安全は保障してやる」
返事がない。女は銃身を小刻みに震わせながら、標的の姿を呆然と見続けている。少尉が前に一歩、二歩と近づく。女性警備員の手がますます強く震える。
——撃てない・・・撃てない、人なんて。防弾チョッキをつけてても、撃てるわけない。
背後のスクリーンは既に破られている。逃げて新堂さんたちに助けを呼ぶ?だめ!その間に女の子に、絶対に危害が及んでしまう。
万策つきたと目線を落とすと、混乱した振りをして頭を振り、男の右後方で這い蹲っている少女を一瞬みやる。
完全に気を失っていると思っていたはずの少女が、倒れたまま顔を正面に向け、右手を持ち上げていた。何かを握っている。
危うく顔を少女の方向に向けそうになった。不幸中の幸いか、些細な挙動は今にも取り乱しそうな静の挙動に覆い隠され、大男に気付かれずにいる。
——女の子が拳銃を?
一見おもちゃの拳銃に見えた。少女の手にぴたりと収まるようにカスタマイズされた、とても小さな拳銃だった。それでも細く短い銃身の先には、サウンド・サプレッサーが取り付けられている。
『EC-P MIZ DeepSleeper』。持ち主の少女は未だに使ったことが無いのだが、大崎が彼女ひとりのために金型から新規に開発した、護身用兼接近戦用の超小型拳銃である。弾丸は『EC-P DS 4.0mm 超々弱装弾』を使用し、銃口を相手の体に密着させると、ホチキスの動作音程度の音しか発しない。そして、弾丸は人体を貫通せず、傷口も擦り傷程度しか残らない。標的の死因の特定を大幅に遅らせることができる銃器なのである。
少女から視線を感じる。静の視界の中央には、常に少尉を名乗る大男があり、彼の姿は著しくピンぼけしてはいるが、一瞥程度ではない、はっきりとこちらを向いているのがわかった。
腕がこんなに重たく感じられたのは、13年間という長い人生の中で初めての経験だった。右腕に力を入れようとすると、己が上体の筋肉が折れた肋骨を圧迫し、痛みを伴ってじっとしていろと警告を発してくる。
警察だか警備隊員風の援軍が現れたときは、迂闊にも気を緩めてしまった。だが、あの軍人のおかげで、あの援軍の女性は人が撃てないなどという、拳銃を生業の道具とする人間としてはあるまじき弱点を持っていることがわかった。
ならばどうやって満身創痍の己が体躯と精神で退路を、仲間と合流するための活路を切り開けばいいのか。
少女が現存の人間を父として、神とし崇めている故なのか、空の彼方にいる慈善者の仮面をかぶった全能の神はどこまでも彼女を追い詰めようとしているかのようだった。
水希が一縷の望みを捨てきれず、女性警備隊員にアイコンタクトを送る。
——気付いて。
少女の懇願も虚しく、瑠璃色の制服の女性は軍人の覇気に呑まれ、拳銃を構えたまま、眼球すら動かす気配もなかった。
水希がゆっくりと瞼を下ろし、音を立てないように息を吐く。男が軍靴のかかとを重たく鳴らして、また一歩、蹂躙への歩みを進める。
水希が左肘をつき、痛苦で全身がわななくのを可能な限り抑え込み、上体を右にひねると、背後に屹立するスクリーンの根本に向けて右腕を伸ばした。距離にして2、3メートル。だが、DeepSleeperは体に密着させて発射することを前提として設計された拳銃。標的の肉体の破壊を最大限に高めるため、射出直後から弾丸を3次元的に回転させるべく、弾丸の銃身が大きく偏っているため、弾丸が真っ直ぐ飛ぶかどうかも怪しい代物であった。
照準を合わせようと、灼眼を眇め、呼吸を止めようとするが、全身に力が入らず、息を吐いてしまう。すると同時に視界もほんのわずかであるがかすんでしまう。後ろの方でまた、革靴の音がした。次の一歩で、あの女性は拳銃を奪われ、女性の次は・・・・・・。
——ウィル。
有らん限りの怨嗟を込めて防御スクリーン発生装置を睨んだ。
瞼で瞳を塞いだ——。
引き金を引いた——。
僅かな閃光とともに、重心のずれた弾丸が銃口から飛び出していった——。
再び瞳が光を取り戻すと、DeepSleeperの射撃者が一言、言葉を漏らしていた。
——こんな……あるはず、ない。
DeepSleeperの発射音が大き過ぎて聴覚が奪われていた。
スクリーン発生装置が木っ端微塵に砕け散っていた。
スクリーンが瞬く間に消え去っていく。真っ正面から氷混じりのそよ風が吹いてきて、水希の顔面を煽った。
人は撃てなくても、命のない器物なら幾らでも撃ち抜いてみせる。一発も外さない。
——外せない。
女性警備隊員の握っているパイソンの銃口から、糸のような硝煙の筋が立ち上っていた。
- AsStory -第10(8)話 『スナイピング』- ( No.202 )
- 日時: 2014/07/27 07:51
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: WkkVAnf4)
女から突入直後のような気迫が軍服を貫いて肌に伝わってきた時には、既に遅かった。女性警備隊員自身も、少女が小型拳銃を後ろに向けるのを見るまでは、スクリーン発生装置を狙うなどとは、思いも寄らなかったのである。
外野が歩みを進める際にできる、両足のわずかな隙間を抜くようにして放たれた9mmマグナム弾は、あたかも男に向けて撃たれたように見えた。女が撃つはずがないと確信していた外野は、10g足らずの熱の塊に触れた制服のふくらはぎのあたりを真っ黒に焼け焦げつかせたまま、呆然と立ち尽くしていた。
大柄な体躯の腰の高さ程度に身を屈めた女性警備隊員に、左脇を通り過ぎられて正気を取り戻した。飢えたヒグマのような唸り声をあげ身を翻すと、帝栄の捨て駒が闇組織の工作員の少女を、背中と膝の裏に腕を通して持ち上げたところだった。
静が最初の5歩を少しよろめきながら、前のめりになって走り出した。だが、外野は女性警備隊員よりも遙かに身軽だった。4、5歩分しかはなれていない距離を、路地の出口を左に曲がり、住宅街の中の裏通りを走り始めた時には、向かい風で後ろに膨らんだ瑠璃色の制服に、右手がかかりそうになっていた。
もう二歩、いや、あと一歩だ。
外野が外野が大きく足を前に出した瞬間、男の視界のど真ん中に、新品の黒鉛筆のような銃口が立ちはだかった。女性警備隊員に抱えられている少女が、DeepSleeperを右手一本で構えていた。骨折した部位に容赦なく襲いかかる振動で、顔面から血の気が退いていたが、銃口は常に男の眉間を捕らえ続けている。
「許さない」
少女の声が聞こえた瞬間、外野が体を丸めてアスファルトの地面に転がり込んだ。すぐさま道路の隅に寄って頭を持ち上げると、引き金を引かぬまま少女の腕が収まっていくのが見える。そうしている間にも、帝栄の女性隊員は盛んに息を吐きながら再び左折し、路地に入り込んでいった。
「糞餓鬼め!」
外野が唾を吹き散らしながら巨躯を起こし、喚声とともに追跡を再開した。男が走り出すと、警備隊員が路地を抜けるころには、二者の差は再び男の手が届くまでに詰められた。そして先ほどの同じように、闇組織の工作員が、超小型拳銃を向けてくる。今度は外野は地面に伏せたりしなかった。
考えても見れば、あの餓鬼はまともに腕が支えられる状況ではないうえに、抱きかかえられている振動が、様々な面で照準を合わせる動作の妨害をしているはず。あの工作員の餓鬼が拳銃を構え始めたら、素早く後退して十分な間合いを取り、念のため左右に蛇行して粘れば、時間が全ての問題を解決するはずだ。
刹那の思案から意識を戻すと、陸軍少尉は眼前に迫る4mmの銃口に素早く反応し、右後方に飛び退いた。
——この子何者なの?
人質と思ってあの場から助けてしまったが、この子は確か人質になる前からあの路地にいた。しかも防御スクリーンで隔離までされて。件の女の子は静にお姫様だっこをされながら、目を疑うようなことばかりしでかしている。おもちゃの様な拳銃を後ろに向けると、陸軍の将校が咄嗟に伏せたり、左右に振れたり。陸軍の尉官が拳銃の真贋の区別がつかないとは思えない。本物の拳銃なの?だったら尚のこと陸軍に身柄を引き渡すことなどできない。銃刀法違反で連れてかないといけない。
——でも、それってこの時代の警察に連れてくことに。……私が?
無理だ。でも、単なる人質なら、わざわざ追いかけないで、別の人質を探した方がいいのではないか。
何か特別な事情で、陸軍はこの子を探していたのだろうか。今更ながら、疑問が湧いてきた。時空間を不正に移動しているとはいえ、もしかすると防衛軍の正当な任務を、著しく妨害してしまっているのではないか?
静がふと、少女の顔を一瞥しようと目線を下に流したときに、少女のジャケットの襟元に思わず目を留めた。ジッパーが上端から胸元まで千切れている。
胸ぐらを掴んだだけではこんな風にはならない。あの大男、この子を・・・・・・。
陸軍少尉?将校?防衛軍の立派な将校服を着てはいるが、あの男の中身は獣だ。ケダモノだ。任務なんてないのだ。わざわざ法の手の及ばないであろう時代に来てまで、なんてことを。ケダモノということすらおこがましい。
気合いの声とともに、脚力を倍加し速度を上げた。
何人かの哀れな歩行者を追い越したが、後続の大男になぎ倒されるか、辛うじて壊身の一撃をかわして逃げおおせたかの運命を辿った。
少女の牽制の動作が明らかに緩慢になってきていた。静達が逃げ出してきた路地はポイントから500メートル上流の位置にあったのだが、頼みの新堂の姿はまだ影も形も見えてはいない。視界の上の方でJR線の高架が、静の左脇で同じ方向に流れていく川を横切っているのが見える。もう少しなはずなのに、酷く長く感じられた。静たちはこのとき既に、路地から駅までの行程の半分以上を進んでいた。未来から持ってきていた通信装置が壊れておらず、レンジファインダーが機能していたならば、残された行程の延長として、次の値を目の当たりにするはずだった。
『200メートル』
それは、ある領域に静達が足を踏み入れたことを示すものだった。
10m足らずの間合いを取りながら、瑠璃色のジャケットを追いかけているが、もうスタミナが売り切れたようだ。日本人の子供という、たった40kg足らずの負荷を抱えて200m走っただけではないか。少なくとも陸軍なら新人歩兵訓練で、200kgの兵装を抱えさせて、100kmの平地行軍をさせる。エリートPMCの声高き帝栄ともあろう組織がこのような出来損ないを抱えていたとは。帝栄は、時空間移動装置の不具合を理由に意図的に事故死として処分しようとしているのではと、勘ぐりたくなる程だった。
警備隊員が勢いよく走り出した時には、外野も間合いを保ちながら走るのに苦労したが、今は高齢者のウォーキングくらいの速さで追いかけている。鼻で息をしても全く苦にならない。少尉の行動を唯一阻害していたあの闇組織の少女の牽制も、彼女の腕の動きからして、できなくなるのは時間の問題だった。男は口元を緩ませながら、虎視眈々とその瞬間を窺っていた。
10m前方で瑠璃色の人影が動きを止めた。軍とPMCと闇組織を巻き込んだ逃避行劇は、僅か300m+αで終末を迎えようとしていた。灼髪の少女を腕からゆっくりと下ろすと、女性警備隊員は右膝を落として肩で息をしていた。見る間に白い靄で女性の姿が覆われていく。2本のブーツで地面を踏みしめた工作員の少女は、数分の隙も無く小型ピストルを陸軍少尉に向けていた。
「お前が無駄な抵抗さえしなければ、あの女にも危害は加えん」
外野が時々右の口の端を引きつらせながら、笑みを浮かべて徐々に間合いを詰めていく。
「何を言っているの?無駄なことをしているのはあなたの方よ」
水希が蒼白の顔一面に不快感を露わにして声を荒げる。正面に開いて構えていた姿勢から、やや右肩を前に突き出して半身の体勢になり、胸をかばうように左腕をまわした。
「逃げなさい」
少女の左脇から息を切らせ掠れた警備隊員の声が聞こえてきた。射撃の姿勢を保ちながら、女の方を一瞥した。
「ここを、ここを真っ直ぐ行けば、駅があるわ。……そこに、わたしと同じ柄の、ジャケットを着た人たちが、いる。陸軍に、襲われてるって、伝えて」
水希が眉をひそめた。リーダーのいた駅と同じ場所?
あそこは眼前の軍人の仲間が出没したところだ。なぜ誰も彼もがあの駅に集結するのだ。
華奢な体を不吉な予感が縦横無尽に駆け巡る。
水希が一度は戻した視線をゆっくりと警備隊員の方に向ける。仮初の紅に染めた瞳を震わせ、じっと、女性警備員の双眸を見つめていた。
外野には会話こそ聞こえなかったが、工作員の少女と女性警備隊員の不穏なやり取りに、歴戦の勘が巨体を突き動かしていた。
「させるか!」 外野が二人に向かって突進する。少尉は静が少女をを逃がそうとしているのを見抜いていた。
ベリーショートの灼髪を小さく揺らめかせながら、水希が女性警備隊員の真横に飛び出した。真正面からは陸軍少尉が猛牛の如く突進してきている。10mメートルあった間合いは一瞬にして半分以下に縮められていた。
少女は逃げなかった。少尉が顔面いっぱいに憤怒の感情を露わにした。またしても、またしてもだ。
水希が左ひざを地面に落として射撃姿勢をとる。地面から伝わる振動に、水希が口をひきつらせる。静が上体を丸め少女から離れる方向に倒れこんでいく。帝栄の制服を砂と水に塗れさせながら水希の方を向いたとき、少女の顔よりも大きな掌が、細い腕の先に鎮座する拳銃を弾き飛ばそうとするところだった。
「糞餓鬼ィ!」
距離、零。外野の右手の指先が、銃身に触れる瞬間、水希がトリガーを引いた。マズルファイアが陸軍の制服の前面を瞬間的に焦げ付かせ、一方で水希の顔面を真っ白に照らし出した。
- AsStory -第10(8)話 『スナイピング』- ( No.203 )
- 日時: 2014/07/31 14:31
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: Vkpu3Lr3)
再び、4mm口径の拳銃の発砲音とは程遠い雷鳴が、界隈の騒音を制圧した。少女に覆いかぶさる格好になっていた巨躯が、一瞬にして1メートル、2メートルと飛ばされていく。そして、腰が砕けたように尻餅をつき、大地に倒れていった。
少女が握りしめていたはずのマグナムは、あまりの衝撃の大きさに、主の手を離れ、少女の後方に飛ばされていた。
轟音にめまいしながらも、静がパイソンを回収し、少女を抱き上げた。先ほどの発砲で少女の左右の手も痺れて使い物にならなくなっていた。
——ゴメン。
氷の霧が薄れゆく中、静は腕の中で虚ろな表情を己に向ける少女の顔を優しく抱き寄せた。
——何もしてあげられなかった。
胸の中で、少女が頸を横に振ったような感触がした。静が嗚咽も漏らしそうになったとき、アスファルトを擦る不気味な音が、悲しみに暮れる彼女の心に不埒にも踏み込んできた。
静が3、4歩後ろで倒れている将校に顔だけを向け、件の音が聞き過ごしでないことを確認すると、抱きか抱えていた少女をゆっくりと下ろした。闇組織の少女も、目を丸くし、慄いていた。
「逃げて……」
今や将校に正面を向けた静の眼前では、仰向けになったまま右足の軍靴の靴底がアスファルトを踏みしめていた。
「逃げなさい」
丸太のような左手が音を立てて地面を突くと、上体がのっそりと起き始める。
「早く!あいつの狙いはあなたよ!逃げて!」
静が涙をいっぱいにためて水希を睨み付けた。水希が返す言葉もなく、よろよろと後退を始めた。静が瑠璃色のジャケットの左内ポケットから、手錠を取り出す。
——今なら、これで。
法律にがんじがらめの警察は、時空間移動の際の影響を最小限に抑えるため、装備の技術レベルを現地の時代にできる限り揃えなくてはならない。だが、身柄拘束のための手錠だけは、彼らの時代のものを使っていた。彼女が手にしている手錠は、標的に嵌めることができれば、暴徒鎮圧のための強力な電気ショックをリモコン越しに与えられる。
己が人間を撃てない、そして唯一の拳銃の撃ち手が拳銃を撃てる状況に無い今、二つのセラミックス製の輪っかが最後の法執行手段だった。
上体を起こす真っ只中の外野に向かって静が一気に詰め寄り、男の左腕側に達すると、静が左手に手錠を持ち替え、野球のアンダースローよろしく手錠を振り下ろした。外野がそれを見計らったように、全身をのけぞらしながら左足で静の体を蹴り飛ばす。
50kg足らずの静の体は、抗う間もなく地面に倒され、その際の衝撃で手錠を後ろに飛ばしてしまった。本能的に体を捻り、うつぶせで地に這いつくばる姿勢をとっていた。
「形勢——」軽く咽びながら、片膝の姿勢になる。
「逆転だな」
もう一方の足で、徐に体躯を持ち上げる。拳銃もない、手錠もない。完全に丸腰の情況で、地面すれすれから見上げる将校は、地に降臨した仁王に見紛えた。頭を抱えて顔を伏せ、声にならない救済を唱えていた。
重々しく外野の軍靴がアスファルトを叩く。あと一歩で、わたしの最期だ。向こうから少女の叫び声がする。
「雌豚の分際で、小賢しい——」
ドスの効いた低音が途絶えた。あとに続くはずの足音もしない。少女の声までもが途絶えていた。
静が全身を打ち震わせながら、恐る恐る顔を持ち上げると、黒光りする将校靴と静の顔面のわずか数十センチの間に、一条の赤色レーザの軌跡が割り込んでいた。霧がだいぶ薄くなっているせいで、ぽつぽつと途切れた線上ではあるが、太さ1、2mmの赫いラインがこれ見よがしにアスファルトに斜めに突き刺さっていた。
外野は未だに声を発することができないでいた。この時代に移動してきた隊員の中に、レーザースコープを装備している者はいないはず。
真紅の軌跡をたどって目線を逸らすと、川を挟んで向かいの、やや後方にある中層ビルの一室に行き着いた。太陽光は極めて弱々しくあったが、その部屋の暗さは、他の部屋と比べてやや深く見えた。まるで、煉獄へつながる扉から下界へ、断罪のレーザが射出されているようだった。
道路に立ち尽くす3名の人間の様子を愉しんでいるかのように、レーザの軌跡の先端の紅点ががゆっくりと動き出す。濃灰色の道路面をたどると、やがて軍靴を、将校服のズボンを、そして分厚いジャケットを舐めるように上っていく。肉体を戒めるものはないのに、恐怖によって体が自由を奪われていた。
狙撃手は、最小限の弾薬で敵部隊の恐怖心を最大限に高める4W1Hを知っている。
WHO :誰を(殺す)
WHERE :何処で(殺す)
WHEN :何時(殺す)
WHAT :何で(殺す)
HOW :どうやって(殺す)
そして、『WHY(何故)』は無い。考える必要が無い。狙撃手は、殺せと言われるから殺すのだ。
目下のケースは、恐怖心を植え付ける対象と狙撃の対象が同一人物であるため、命こそ奪うことはしないが、根本的な目的は変わらない。標的が気を失い、目を醒ましたときに、真っ先に狙われているという思いに駆られるようにしてやるのだ。
標的までの距離、50〜60。普通ならばスコープを使うには少々近過ぎる距離だが、今はこれがよい。赤色レーザを眉間に当てられた陸軍少尉がいい歳をして子供のようにビビッている表情が、皺の一本一本までくっきりと見える。そして、鯉のように大きく口の開閉をして、命乞いか何かの文句を必死になって叫んでいるのもよくわかる。耳にして不愉快になるその声も聞こえてくるのだが、言葉の内容までは判別がつかなかった。固より、標的の命乞いの言葉になど、みじんの興味もない。
国内最王手PMC、ヒカリセキュリティで屈指の狙撃スキルをもつスナイパー、稲森がマンションの一室で欺瞞に身を包み、スコープを睨みつけたまま鼻を鳴らした。
今度は陸軍少尉の左目にレーザを持っていく。円くくり抜かれた狭い世界の中心では、大男が鉛筆の芯よりも小さい点に翻弄されていた。道化のように大仰な動作で体をのけ反らせ、両手で左目をかばっている。
悪趣味な狙撃手が少尉の狼狽ぶりを見ているのも、すぐに飽きがきた。再び、狙撃手がつまらなさそうに鼻を鳴らすと、暗闇の中で衣擦れの音ひとつしない、深い静寂が部屋をつつんだ。
突如、部屋の隅のシミまでくっきりと見えるくらい強烈な白き閃光が発散した。
サウンドサプレッサー(減音器)は無い。発砲直前に照準を男の胸のあたりにずらすと、威力全開の炸裂音を界隈の建築物にぶつけながら、直径5.56mmの金属片が目標めがけ、音の壁を突き破って飛んで行った。
目の前で大男がレーザを顔面に当てられた途端取り乱し、命乞いの文句を叫び始めたかと思うと最後に不可解な言葉を残し、一瞬にして静の視界の左のほうに消えた。少尉の体躯は、5メートル程離れた、川に面しない方の路肩までサッカーボールのようにアスファルトの上を転がっていた。
そこら中でライフルの発砲音の残響がこだまし、静の頭を否応なしに叩きのめした。
暫くして雷鳴のごとき轟音が止み、静が恐る恐る体を起こすと、ついさっきまでの異状は無かったかのように、霧状の氷がうっすらと、虚空を漂っている。後ろを振り返ると、逃げることも、瞼の瞬きも、肉体の自由を奪っていた痛みすらも忘れ、道路の真ん中に呆然と立ち尽くす灼髪の少女の姿があった。路傍の石に混じり、奇妙な姿勢で丸まっている少尉の巨躯は、今度ばかりはぴくりともせず、完全にのびてしまっていた。これほどの強力な銃撃を受けても流血が無いのは、防衛軍制式ボディアーマの抗弾性能の高さを物語っていた。
静が急いで外野の両腕に手錠をかけ、道路に面する壁面にもたれかけさせると、レーザの発射元の建築物に向き直った。建物を下から上に流して見ると、ひとつだけ、何となくではあるが他の空き部屋よりも、部屋の内部の灰色が濃い場所があった。
気を付けの姿勢をとり、わずかに目線を上に持ち上げ、敬礼のポーズをとる。目線の先の窓の奥で、かすかに人影の様なものが蠢いたように見えた。
「さあ、行きましょう」
敬礼を終えた静が少女の方に駆け寄り、彼女を背負うと、振動に細心の注意を払いながら、小走りで進んだ。
陸軍少尉の身柄は確保したも同然だが、帝栄の女性警備員の面貌は、未だに不安の色が消えないでいた。
静がアスファルトに這いつくばり、頭を抱えながら少尉の様子を見上げいたとき、彼が狙撃手に吹っ飛ばされる直前に残した言葉が、脳裏にこびりついていた。
「私を斃しても、名仮平は絶対に斃せん。奴は我ら防衛軍の誇る強化装甲兵である!」
——稲森さん……新堂さん。
我知らず、静の唇が一文字に引き結ばれていた。
- AsStory -第10(8)話 『スナイピング』- ( No.204 )
- 日時: 2014/07/31 14:14
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: Vkpu3Lr3)
二〇一二年一月二十日 午前9時10分 ポイント駅前——
どす黒い血の海に約2メートル30センチの巨体が、食事を終えたトドのように路上に仰向けで横たわっていた。ボディアーマーの継ぎ目の隙間を狙って繰り出される正確無比のダガーの突きの嵐に、陸軍二等兵名仮平衣宇衣はもはや虫の息であった。両方の瞼を開けることも下げることもかなわず、薄目をしたまま動かない。
ECの筆頭チーム、麗牙光陰のリーダー、ウィル=ロイファ—は、哀れな兵士の耳にわざと聞こえるように、足音をたててゆっくりと兵士の頭部のそばに近づいて行った。
名加平の体で唯一、血糊のついていない部位——頭部の右側で立ち止まると、ジャケットの内側の胸ホルスターから、サウンドサプレッサ付の9mm径の拳銃を引き抜く。そして銃口を男の眉間に向けた。少年から十数メートル離れたところの駅舎の壁に寄り掛かりながら、運び屋の二人が固唾を呑んで、事の顛末を見届けようとしていた。
「相手が、悪かったな」
少年の声のすぐ後に、鈍い音が一度響く。拳銃も弾丸も、減音器に適したものを使っているため、もし、周囲がいつも通りの喧騒に包まれていたら、その音に気付くものはいなかったかもしれない。音に合わせて、人外の大きさの巨躯がアスファルトの上を跳ねる。
醜悪なものを酷く嫌悪する銀髪の暗殺者は、引き金を引くと同時に、どす黒い血と肉と骨と脳漿まみれであろう地面から、視線を外していた。ブツをもらいに運び屋たちの方に足を進めたその時だった。
少年の左足が、何かに掴まれた——。
振り返った少年の顔面が、一瞬にして凍り付いた——。
「それで終わりか、糞餓鬼……」
〜スナイピング〜 完