二次創作小説(紙ほか)
- As Story〜7〜 ( No.21 )
- 日時: 2012/11/12 00:28
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
二〇一二年一月二十日 幹線道路——
まだ夜更けまでは3時間近くあった。オマワリ達に撃たれてからそれほど時間が経っていない。内陸の片田舎からコンビナートや大規模商業施設の林立するメトロポリス(大都市)までは、久しぶりの来訪者を水平線の向こうまでセンターラインで道案内してくれる人のいい国道をひたすら二輪を駆っていけば予定の時間よりやや早めに着くはずであった。
年中無休で舗装の耐久テストをしているような交通量を誇る近郊圏はまだ先なため、真新しいアスファルトがハイビームにしたヘッドライトで黒光りしているのがわかる。タイヤの唸り声もいつもより幾分か大人しいように聞こえる。
やや高めの負荷がかけられたエンジンが甲高いエグゾーストノートを奏で、ライダーが至福の時間を手にする速度を保ちながら2台のバイクは中央分離帯のある4車線の国道を月が高く昇った夜空の下を疾走していた。一台は250ccのカワサキNinja250、もう一方は小型のセダンを超える排気量を有するホンダCB1300というアンバランスな組み合わせであったが、それぞれのライダーの姿を見ればたいていのものは納得するかもしれない。
二人のライダーは1時間ほど前に偶然彼らを目撃してしまった不運な若者を締めあげてきたところであった。「締め上げきた」などという、常に命を奪うか奪われるかの世界の人間が行うにしては随分生ぬるい処置になっているのは、粋がった青二才の予想外の抵抗と通報で警察官が駆けつけてきたため、逃走を選ばざるを得なくなってしまったのだ。
巨大なCB1300に体を折り曲げてまたがるアビーは昂進する闘争本能を抑えつけんと岩のような双拳で力の限りステアリングを握り、金属製のパイプの断面が著しく歪んでいた。左側のほぼ真横につけているコードが、馬鹿力の相棒の乗るバイクの前部から危険な香りのする音が漏れ出ているのをはっきりと耳にしており、今回の仕事で得られる報酬から高級バイク一台の修理代が飛んでいくのを呆れといら立ちの混じったため息をはいた。
——確かにアイツかいないと仕事はできないがなぁ。何ですぐに壊すんだよ。
「おい、コード!急ぐぜぇ!」突然前方から怒鳴るような調子で巨人の罵声が飛ぶと、痩身の若者は悪態をついたのがバレたのかとひどく狼狽した。こんなことを聞かれた日には壊されるのはモノだけで済むはずがない。しかし少し冷静になって考えてみればすぐにわかることであった。お互いフルフェイスを被っているのである。そうでなくとも強力な空気抵抗が耳を弄する騒音を発し、向こうの相手の声など全く聞こえないのである。「畜生驚かせんなよ、ヘッ」
安心感からか、気分が高ぶり粋がったふうな独り言と人を喰ったような笑いがコードの薄い唇からついて出た。光曳との争いてタジタジになっていた時に比べ、随分態度がデカくなっている。
「何か言ったかぁ?あ?」頼りない背筋に雷撃の如き戦慄が走り、思わず車体を相棒とは反対方向にのけ反らせる。CB1300の男はそれを全く相手にせず、ようやくウォームアップが終わった100馬力のエンジンの回転数を上昇させ、変わり映えのしない街路灯が前方から浮かび上がり数秒後には後方の闇にのまれていくのを延々と繰り返す道程を急いだ。
パートナーから全くの想定外の不意打ちを受け、後れを取ったコードが加速しようとNinja250のスロットルを開き薄っぺらいエグゾースト・ノートを響かせながら巨躯のライダーが駆るCB1300に近づく光景は、さながらよそ見をしていて隊列から遅れたカルガモのヒナが必死になって親鳥に追いつこうとしているのと何ら変わらない。
自動車専用道ではなく一般の国道だというのに既に2台のメータは時速100kmに達しようとしている。道幅が広くて長い直線であったり緩いカーブになっていたりして走り屋が暴走しやすそうな区間は多くの場合LHシステムと呼ばれる自動速度取締システムが設置されているのだが、そのような事はお構いなしの様子である。
対してNinjaの運び屋はそれを気にしているらしく、速度取締機の1000m位手前に現れる自動取締予告の青い看板をヘッドライトの照らし出す限られた視界の中で必死になって探している。町明かりがあれば余裕を持って探すことができるのだが、だだっ広い農地や山野を深く考えもせず一直線に突っ切るこの国道は沿道に民家もろくに見当たらない有様であった。人の気配が感じられたのはオマワリと対峙した駅の周りだけで、奴らが暗闇消え失せてからはずっとこんな調子である。
フロントの風防をもってしても風の精霊の見えざる手がコードのフルフェイスを正面から押さえつけ、顎が少しのけ反った。慌ててメーターを確認すると、いつの間にか180kmを回っているではないか。CBが余裕をかましながら飛ばしているのについていくのと取締の看板を探すのに気を取られて、最も命に直結するスピードというパラメータを調節する余裕など全くなかった。
——こんな暗闇、ヘッドライトと街灯だけを頼りに走っているのに、このままじゃアイツにやられる前に明日の朝刊に国道でカーブを曲がりきれず20代男性が死亡とか載っちまうよ。
- As Story〜7〜 ( No.22 )
- 日時: 2011/06/25 00:34
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
「おい!アビー!」分厚いライダージャケット越しでも竜巻のように荒れ狂う気流が全身を叩き、フルフェイスの裏の鼓膜に間断なく音の衝撃波を浴びせられていた。郵便配達の頃の約10倍の風圧に抗してきた首もそろそろ年季の入ったひな人形の如く逝ってしまいそうである。
「スピード落とせよ!こっちのマシンのことも考えろ!おい、聞いてんのか?!」
文字通り命がけで大男の真横に並んだ。
僅かずつだがまだ加速してやがる。コードの体力にも限界が来てるが、210km/hまで目盛が刻んである速度計が振り切れようとしているNinjaもエンジンも随分前から命を削って馬力を出しているような、断末魔の叫び声をあげている。
風速50mもの向かい風の中では2m離れた相手にさえ叫んだ内容が届くかどうか怪しい。当然二人はメットの内側にインカムを装着しており、常に明瞭な音声で会話ができるようになっているはずなのだが、右翼に並んだCB1300を駆るスピード並びに戦闘狂から全く返事が返ってこない。
「お、おい、どうしたんだよ……」全身に戦慄が走り、辛くも声を絞り出した。が、やはり返事がない。
ゴク——、喉仏が大きく上下し、鼓膜の内部に独特の音を伝えながらナメクジのようにねっとりとした液体が干からびた咽頭をくだる。脂汗というのは口腔内の粘膜にも発生するのだろうか。……また唾をのんだ。コードの口の中は味が無く妙に冷たい唾液が大量に分泌されていた。
ほんの僅かなコースのずれが致命的な事故に直結する状況で、元郵便局スクーターライダーは恐る恐る右横のマシンの手元を凝視した。ハンドルを握る手は何となく力が入っているように見えるが、スロットルが開いたままの状態で固定されている。
——や、ヤバい。このままじゃ本当に明日の朝刊に悪質な速度違反が原因の死亡事故で名を知らしめる羽目になっちゃうよぉ!
齢28歳。まだ世間では場合によっては未熟者だとか青二才と呼ばれることもある男は、すでに積立てをはじめている老後の年金をふいにしないためにも、深夜にもかかわらず罵声とクラクションの嵐を魁夷の相棒に浴びせた。ここでもし沿道に僅かでも民家が立ち並んでいたら、けたたましい騒音を住民に通報され、あの太い青年とのやりあった時の二の轍を踏んでいたかもしれない。しかし幸運にも道幅の広く真新しい国道は、水稲田や畑といった開闊地が水平線まで続く日本らしくない風景の中をぶっきらぼうに突っ切っていた。フルフェイスを付けているせいかそれとも仕事柄なのか、大音響に襲われたにも拘わらずCB1300をミニバイクのように乗りこなす巨漢の反応は極めて薄いものだった。
——うっ……もうすぐ直線が切れる……。
ままよ、とばかりにコードが息を止め前傾になり、可能な限り空気抵抗を減らす体勢をとり、極めて慎重に——彼らは今、拳一つ分ハンドルを切りすぎただけで0.5秒後には反対側の路肩に突っ込める速度で走っている——石像のように反応を示さない相棒の方へ車体を寄せていった。意識して目を逸らしていたスピードメーターが顔面に接近し、ボウフラのように揺らめくメーターの針の像が眼球の最奥に浮かびあがる。
「メーター、振り切れてる……」目から鼻から喉に流れ込む大粒の涙で泣き言も途切れ途切れに吐きながらも、より一層慎重に相棒の左ハンドルに手が届くところまで車体を寄せていった。奴に近づき、ハンドルを掴んでいる手をぶっ叩いてやればさすがに何らかのショックは与えられるだろうとコードは踏んでいた。あいつの横っ腹に蹴りを入れるという手もあるが、こちらが跳ね飛ばされかねないのでやめておこう。
いざ近づいたものの、近接した2台のバイクの間に強烈な大気の乱流が発生し、Ninjaの姿勢が大きく逆側に傾きそうになり、目を魚類のようにひん剥いてステアリングでバランスを整えた。驚きのあまり心臓を鷲掴みにされたような痛みひ弱な体躯を駆け巡った。歯がゆさばかりが募る中、思い出したようにコードが前方を見るとヘッドライトの光芒が途切れた先の闇の中にうっすらと浮かび上がるダークグレーの国道のセンターラインが緩やかな左カーブを描いているのが見えた。バイクのヘッドライトが照らし出せる距離はせいぜい数百メートル。くだんのカーブまで1キロメートルだとしても、到達まで20秒もない。いよいよコードが気違いのように相棒のコールサインを絶叫し、がむしゃらにバイクを寄せて両者の膝が軽く接触した。——今しかない。
「アビィィ!」
少し前まで二輪といえば原付か自転車しか触ったことのなかった青年が今、時速200キロを超える速度の中、片手でステアリングを制御し、もう一方の手を上半身が海老ぞりになるくらいに振り上げ、相棒の左手に鉄槌をくだした。
肉を叩く鈍い音が鳴り響くはずだった……。
コードが腕を振り下ろした瞬間、またしても乱流が二人の間に割り込み、青年の華奢な拳は巌のごときアビーの手をかすっただけでそのまま地面に引かれていった。
「あ——」
- As Story〜7〜 ( No.23 )
- 日時: 2012/11/12 00:30
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
涙を流す間もなくNinjaはヘアピンを通過する二輪レースのマシンよりも深く、復元不能なまでに傾斜し、パラシュート反射によって地に向かって突き出した右手が時速200キロで流れるアスファルトに弾かれた。目の前のCB1300のボディーやチェーンが目の高さに入り、やがて視界の上部に逃げていった。濃紺の路面、できたばかりの貞操さをを失った薄汚れた白のセンターラインが刻一刻と視界を覆いつくし、コードから光をも奪おうとしている。1,284cc4ストロークエンジンの稼働音をあらぬ高さから浴びせられ、路面に噛み付くタイヤが巻き上げる砂塵の嵐を左顔面に叩きつけられたとき、コードの心は死神に麻酔を打たれて静まり返り、地獄に堕ちるのをじっと待つのみになった。
アスファルトの粒々が超高速で流れて幾条もの波打つストライプになっている様が妙に心地よい。Ninjaの車体の外殻と路面との摩擦で耳を弄する破壊音が響き渡ったが、それさえもヒーリングノイズに聞こえる。
次は僕か——。アスファルトに顔面の横面をこすりつけられ、首がひしゃげて行く様を他他人事のように想像しながら迫りくる漆黒の地面を受け入れようとした。
コードの脳内に束の間の静寂が訪れる。そして——。
青年の細い首に強烈な圧力がかかった。路面に激突したのか?いや、違う。まだ僕の首はつながっていて体は……浮いてる?
そう思うや否や羽根布団のように分厚いライダースーツのすねのあたりを不快な擦過音が発せられ、両脚が漁船の甲板の上の魚みたいに200kmで流れる路面上を音を立ててのたうち始めた。
「痛えぇぇぇ!」
視界を覆い尽くす花畑が広がっていたトリップの世界が気違いの陶芸家の失敗作品のごとく完膚なきまでに叩き潰され、変わりに現れたのは宙に浮かぶ自分、右側に見える時速200kmで突っ走るCB1300,そしえ自分を吊り下げているFGM148 Javelinのよう図太い腕であった。風に舞うビニル袋さながらに青年の体が持ち上げられ、CBの後部座席にひょいと投げ落とされた。
まったく予想だにしなかった状況に、コードは呆けたように口を開くほかなかった。そしてお礼のタイミングを逸した風変わりな組み合わせの二人組の間をしばしの間CBが発する排気音が占領した。
「いちいち手間かけさせやがるぜぇ。きさまって奴ぁよ……」
インカム越しに発せられた無神経な一言に思わずコードが激しく反駁しようと巨木のように屹立する相棒の背中の上を睨みつけると、滴り落ちそうなくらいに垂れ込める漆黒の雨雲が相棒の肩越し、南の空一面に広がっていた。我が道程を顧みようと北を向くと真夜中なので明瞭ではないが、千切れ雲ひとつなく天空のキャンバスに星空が点描の絵画を創り上げている。
つい先程のマンションでの悶着もこの星空の下でやってたのか。つくづくボクたちは罰当たりな人種だ、と一人密かに自嘲の笑みを浮かべていた。
「どうした、耳付いてねぇのか?サツに撃たれて怖気ついたか?」
「ちげぇよ……。運転手ってのは哀れなもんだなぁって思ってたんだよ」
「あ?」今度はアビーがバラクラバの中でぽかんと口を開けていた。
「んなことよりも向こうで雨降るかもしれないぜ。気を付けろよ。あ、そうだ——」
思い出したように、Ninjaが飛び出してきたカプセルの両端についているスイッチを10秒弱押し続けるとブザーが断続的に鳴動し、数秒後に止まった。証拠隠滅のためのバイクの自爆装置であった。今頃Ninjaの部品一つ一つが爆弾と化して小石大にまで粉々になり、残骸から情報を得るのは極めて困難にさせているはずだ。
「雨か——。じゃ飛ばすぜぇ!」
「え?今何キ……あぁぁ……!」
メーターリミット、時速250kmまで加速したCB1300は100キロメートル南方のメトロポリスを目指した。
一時も走れば摩天楼の創り出す仮初の星々を目の当たりにするはずであった——。
同日 横浜港付近——
眼下から発せられる自動車のアイドリングの音、道行く人々の喧騒、カラーアスファルトで舗装された歩道に無数に散らばるガムと思しき薄汚れた灰色のシミ、ちょうど大型タンカーがベイブリッジの橋脚を避けるようにはしけに牽引されて入港する光景が見える。少年は今、不夜城と化した東京湾に面するメトロポリス横浜のある公園の広場に佇んでいた。潮のにおいかぐと郷愁を感じるという人がいるが、数年前に一度海遊びに行ったくらいしか海の記憶がない少年にとって、華奢で筋の通った鼻にまとわりつく潮の香は悪い意味で不思議な臭いでしかなかった。
何気なく右腕の時計を一瞥すると、もう午前二時、成人男性でもうろついていればオマワリに職務質問されるか、トラブルに巻き込まれるかの二択をする羽目になる時間帯だが、この時間、この界隈にそのようなリスクを冒し、ある事象の「下見」という目的でやってきたのである。
数日前には雪もちらついていた冬もたけなわのこの時期にエキゾチックな洋館の立ち並ぶ界隈に気の早い花見の下見というはずもなく、ある人物と会う約束をした場所の偵察にきたのだ。
- As Story〜7〜 ( No.24 )
- 日時: 2011/06/25 00:40
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
海を臨む地特有の厳しい冷気を凌ぐため、たっぷりと羽毛が詰め込まれ堅牢な保温層を形成している暗色系のダウンジャケットを羽織り、首から上もジャケットのフードですっぽりと隠れてしまっているが、ジャケットに包まれている少年は、小柄で線の細い体躯から中学生か高校生くらいに見える。そのような少年が「偵察」とは随分と物騒な事件に巻き込まれてしまったようである。
彼の少年がもし、世の中が活発に活動する日中に出没する標準的な日本の中高生ならば現在の不遇を同情してもいいのかも知れない。しかし眼前に屹立する、純朴な青少年の風貌をした漆黒の人影にそれは全く不要であった。むしろこの人影には罵倒やら誹謗などあらゆる制裁を受けても当然の存在であった。
少年の名は、ウィル=ロイファー。「EnjoyClub」という組織を構成する幾つかあるチームの中の一介のチームリーダである。プロフィールがこれだけで済めば、くだんの少年ウィルは受験に振り回され、腰で制服を履くそこらの中高生と何ら変わりない、だが、ウィルが所属する「EnjoyClub」は全世界に影響を与えてしまうほどの要警戒組織であった。度々「EC」と略されるその組織は殆どの場合夜、それも一家団欒の時を過ごすような音と光を湛える夜ではなく、終電間近となりタクシーくらいしか遠くへの足が無くなる頃——深更と呼ばれる、虫の羽音も聞こえてくるような静寂の時間帯が組織の「仕事」をするときである。時間帯と「EnjoyClub」という名前からすると、労働基準法で禁止されている未成年の深夜労働を課す風俗の類がというのもあり得るが——それでも十分すぎるくらい問題があるが——、夜の社会ではそのような違法行為はやらない方が不自然なくらい日常茶飯事である。敢えて問題があると言い切ったからにはこのECという組織は、世界の法治国家が重大な犯罪として扱う行為をルーチンワークとしてこなしてしまうような組織なのである。
暗殺——もし、ECが公式ウェブサイトを公開していたら、会社概要の主な業務の欄にこの2文字が載っていなければならない。更に補足の文章を付けるならば「ターゲットとなっている人物若しくは組織を混乱に陥れるためにテロを行うこともございます」と文言も必要だろう。
即ち、ECは夜の世界の要人の暗殺、貴重な物品の奪取を少年少女にさせる闇組織であった。彼ら及び彼女らはECが開発した薬品によって乳児の頃、人によっては胎児の頃に特殊な能力を発現させており、他の暗殺組織では到底なしえないような困難な任務を成功裏に収めたケースは数えたらきりがないが失敗したものは指を折るほどしか無いという脅威的な実績がある。ECの膨大な犯罪歴にもかかわらず、実行犯の犯人像について警察、そしてECと同じ穴のむじなの者どもでさえ皆目見当が付けられないのも無理はないが——誰が丸腰の少年少女を殺人犯と考えるだろうか。——、そのことがより一層ECを手出しし難い危険な組織という印象を刻み込ませ、組織への潜入調査や内通者を得ようとする動きを牽制し、更にECの情報が少なくなるという、ECとしては願ってもない良いスパイラルを創り出すことができていた。
ウィルが隊長を務めるチーム『麗牙光陰』は隊長と年齢の近い男女名の構成員で構成されており、ターゲットが人物であるならばその無力化——要は殺害である——、事物ならば奪取において世界中に離散しているECの他のチームの追随を許さない優れた成果をあげていた。麗牙の秀でた任務遂行力を支えているのは個々のメンバーの能力の高さもさることながら、それをまとめ上げるウィルの人望の厚さ、そしてウィルが組織の長を盲目的なまでに崇拝していることもその要素として非常に重要なものであった。任務の外、つまり日常のウィルはどこか抜けたところがあり、些細な物忘れやうっかりミスをするたびに麗牙の女性陣からツバメのヒナのような勢いで黄色い声をあげてからかわれているが、それも麗牙の一糸乱れぬチームワークにつながっているのかもしれない。
だが、いざ任務となると若輩の指揮官は豹変し、石橋を叩いて渡るくらいでは手ぬるいと言わんばかりに慎重さを発揮する。ターゲット自身については血縁関係、学校・職場の人間関係、金融機関の口座情報、前科、性癖、病歴、起床から就寝までの行動パターン等を、任務遂行場所については数日前と前日の最低2回はそこに赴き、盗聴器、隠しカメラ、その他のトラップの類が設置された痕跡の有無を調べるのである。
そして現地踏査には最も重要な目的——実際にそこに行ったという記憶を脳に刻み込むこと——を達成することも含まれていた。それは百聞は一見にしかずという漠然としたメリットを享受する程度の話ではなく、ECに属するウィルの「能力」を最大限に発揮させるために、対象地域周辺のできるだけ詳細で広範囲の「記憶」が必要であった。
可能な限り任務に関する調査を行うのが若き指揮官としての信条であったが、ターゲットの身辺調査については敢えて途中で止めることもある。人物に対する調査は貴金属や土地のそれとは違い、詳細に進め過ぎると家族や永らく辛酸をなめてきたその者の生い立ちなどが明らかになり、情がわいてしまう恐れもある。特にECが標的にするような裏の人間はその世界に手を染めるだけの憐憫で救いのない過去が背後にあることの方が多い。それ故に陰でうごめくターゲットがひた隠そうとする人生の負の部分が明らかになりつつあるときに調査を中断するのだが、自身の意思で切り捨てる情報を決定することで、いざターゲットが凄惨な経歴を持ち出して命乞いをしても、冷酷無比に任務を遂行可能になるという暗殺者にとって極めて重要な効果も持ち合わせていた。
- As Story〜7〜 ( No.25 )
- 日時: 2011/06/25 00:41
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
ウィルは岸壁のガードレールにもたれたまま思案に耽り、20分ほどその場から動くことはなかった。時々顔をあげ、どこか遠くの方を眺める時があり、いずれの場合も同じ方向を向いていたので、その方向に目的のモノがあるのだろう。しかし少年は目的地へ足を進めることを頑なに躊躇い、歯医者の扉の前に立ち尽くす子供のように同じ仕草を幾度も繰り返すばかりであった。
今回の任務は悪条件が幾つも重なっており、麗牙のメンバー3名の命を預かる隊長にとってはあまり気の進む仕事ではなかった。
「よりによってチームの戦力も士気も大幅に落ちているこの時期に……」思わず全身の精気が抜けてしまうような深いため息をつき、珍しく任務への怨嗟の言葉を吐いた。
殆どのECのチームは4、5名のメンバーで構成されており、麗牙光陰も例外なく4名のチームであるのだが、現在の麗牙は緊急の事情により2名で活動していた。しかも麗牙は攻撃を得意とする者と支援を得意とする者がそれぞれ2名ずついるのだが、この任務に携わっているのは支援の2名、つまり攻撃役がいないのである。
もう一つの重大な懸念事項は、麗牙にとっては前代未聞の最大2か月にも及ぶ長期ミッションであるという点であった。麗牙光陰は組織としても個々の能力者としても極めて錬度が高いため、他のチームなら1週間程度かかる任務でも必ず1日で済ませてきた。わずかな失態が三途の川の渡しの片道切符になってしまうE.Cの任務の性質からすると、メンバーの年齢を鑑みても連続で任務遂行にあたれるのは3日が限度だと考えていた。
漆黒のフードの深みに埋もれる双眸が虚ろに虚空を見上げ、ピンボケした夜空の映像が瞳に飛び込んでくるままにしていた。
2か月——あまりに大きすぎる数字に、ウィルはこの任務が自分たちのものであるという実感が未だに持てないでいた。だがこの下見を順調に終えれば3時間ないし4時間後には本任務の最初の行動を起こすことになるのである。
不意に少年が視線を最初に向けていた方向に戻した。長い任務の最初の目的地があるはずの方向である。彼の瞳は相変わらず憂鬱な気色に満ち溢れ、迷いが吹っ切れた様子は微塵も見られなかったが、その重圧に耐えようとする意志が確かに込められていた。
「麗牙は一人じゃない。隊長がこんなことでどうするんだ。しっかりしろ!ウィル!」
悩み多き隊長はようやくその右足を持ち上げ、前の地面をじっくりと踏みしめた。麗牙いやE.C創設以来最も困難を極める任務開始の5時間前であった。