二次創作小説(紙ほか)
- AsStory -第10(9)話 『ひかり、在れ』- ( No.213 )
- 日時: 2014/11/08 19:06
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: WkkVAnf4)
男の声のこだまが止んだ。改札付近の利用客の声が止んだ。些末な雑音は、界隈に充満する氷の霧によって行く手を阻まれ、張りつめた静寂の中で灼髪の少女と瑠璃色のジャンパーの男が、約10メートルの間隔をおいて共に一歩も退かず視線をぶつけていた。この間一度だけ、新堂が銃声の聞こえた川上の方を、今更ながら一瞥していた。新堂の眼がそれらしき人影を捉えることはなかった。
再び双方が身じろぎ一つしないにらみ合いが始まると、程なくして川上から吹いてきた風が二人の間を吹き抜け、氷の粒の濃淡の連続を蛇のようにうねらせ、時間の流れが辛うじて止まっていないことを顕していた。
電気ショック付き手錠を両手首に掛けられ、警察代行の男の足許に仰向けで屈服させられている陸軍軍曹は、PMCの女性隊員が未成年の文民を理由もなく拘束したことに付け入り、己が身柄の解放を要求しようとしたが、時機を逸してしまった。軍曹は木偶の坊の部下から連絡を受け、事前にECの工作員が少女であることを知ってはいたが、銃捌きの素早さと、国内最強と謳われる警備隊員に差し違えんとばかりに向ける眼差しの鋭さ、それに対する容姿のギャップにただ絶句するばかりだった。
膠着した空気の重さに5分足らずで音を上げた駅構内に掲げられた時計の長針が、音を立てて3時の方向に倒れきったとき、熱を帯びて痛みを発していた少年の左右の肩かにかかっていた張力が消えた。間髪入れず少年が背中から乱暴に突き飛ばされ、虚を突かれた少年が大きく前につんのめった。少年の背後で警備隊員の男がうごめく物音がする。少年が体勢を立て直しきる前に、体をひねりながら地面に倒れ込み、改札側に転がると片膝をついて新堂の方に向き直った。少年の右手には、いつの間にかサバイバルナイフが収まっていた。
ウィルと2、3歩分の間合いを置いて新堂が唇をやまなりにして少年を見据えている。身構えるでもなく、サブマシンガンの銃口を向けるでもなく、押し黙り、少年の出方を窺っていた。
二人の運び屋を背に、ウィルが半歩後ずさりした。男の束縛から解放はされものの、ウィルは難敵を前にして瞬間移動の能力でで運び屋の許に行くことを躊躇っていた。
能力を目撃した者は、必ず亡き者にするか、記憶を消さなくてはならない。警備員風の男とはまだ幾らも手を交えていないのに、ウィルはそれを成し遂げられるか不安を感じずにはいられなかった。
包みまでは10メートルも無い。眼前の警備員が、ウィルのここに来た目的に気付いていなければ、能力を使わずとも包みを受け取り現場から離脱することができる。灼髪の部下は僅かも走れないほどに体が傷ついてはいるが、幸いにも遥声を聞くことはできる。タイミングを見計らって、水希を救出することは十分に可能だ。少年が右手の中でサバイバルナイフを半回転捻らせると、改めて力を込めた。
部下が連れてきた目を引く装いの少女には完全に虚を突かれてしまった。新堂の疑問と危機感はますます募るばかりだった。
警察庁長官が直轄する任務。時空間犯罪者の摘発は警察組織の命運に関わる事案であることは、警察任務になじみの薄い新堂も、時空間走査システムのトラブル発生後の警察の動きを見て、よくわかっていた。時空間移動の直前に、長官があのような演説をしていたが、命に危険にさらされたとしても、手ぶらで引き上げてくるつもりは毛頭無かった。だが今、手ぶらの帰還とまではならないが、最悪に近い事態が現実のものとなりつつあった。
新手の、そして少なくとも戦闘行為に関しては、得体の知れない手段を用いてくる集団のしっぽを掴む機会を、みすみす見逃そうとしているのだ。48名の時空間犯罪者の本体が、もし陸軍ではなかった場合、この面妖な2名の少年少女が関わっている可能性が非情に高くなるにも関わらずだ。
数時間前まで事務員だった部下は、生命の危機に瀕してもなお、任務を遂行しようとする意志など期待できるはずもない。長官の言うとおり、引け際を見極めなければならない。時間も多く残されているわけではない。だから、少年を解放せざるを得なかった。
畢竟、このような情況を招いてしまったのも、一所懸命の覚悟をしていながら、自分の気持ちのどこかに奢りがあったせいなのだ。
しかし、まだ望みはある。新堂が己が心に言い聞かせる。
望みはある。いや、これからだ。
——これからが、帝栄の、俺の本気だ。
沈黙を守っていた新堂の唇が、ゆっくりと動き出した。
「今までに見たこともない、素晴らしい身のこなしだ」
新堂の唐突な発言に、駆け出す隙を窺っていた少年の動きが刹那止まった。
ウィルが駆けだすとばかり思っていた灼髪の少女が、女性警備隊員の体躯に更に銃口を押し込み、男を牽制する。少年を見下ろしながら、男が言葉を続ける。
「部下の命を、これ以上危険に晒すことなどできない」
男の言葉に肩透かしを喰った少女と少年が思わず眼を眇める。
「君を解放した。引き替えに部下を、スイレンを解放してくれ」
二〇一二年一月二十日 午前9時20分 ポイント対岸の路地——
今の季節には相応しくない灰色の雲で陽光を遮られた街路を、モノトーンのジャンパーを羽織った男が疾走していた。背中には腰から黒い大荷物を抱えている。半透明の白に覆われた目の前の空間に、完全不透明の白い靄が立ちはだかる。己が体内から発せられた、生暖かい呼気の塊を、真っ正面から突っ切る。人影の脇に追いやられた靄は、周囲の歩行者とともに、人影の後方に流れていく。
稲森が待機していたマンションの一室から引き上げ、対岸の町中にのびる道に入った直後、現場で少女とにらみ合いを続ける新堂がマンションに一瞥をくれていた。
平時であれば、競い合うように通勤通学の人々の行き交う姿を晒しあう相対する両岸の町が、今日は人々が皆で示し合わせたかのように、対照的な光景を作り出していた。ポイントのある側の沿道は、地響きのような怒号と閃光手榴弾、乗客の悲鳴などによって、屋外の人影は消え失せていた。一方、稲森のいる方の道沿いは、本物の戦闘現場から小さな川一本しか隔てていないのに、いつもと変わらないであろう、仏頂面をして警備隊員の脇を通過していく。
前方の交差点に学生服姿の女子高生が3人飛び出してきた。取り乱して押し合いへし合いし、交差点でしばし立ち往生し、彼方に消えていった。来た方向からして川沿いの乱闘を目撃したのだろう。これでここも騒ぎが一気に広がり、妙に初動が遅い警察も動き出すはずだ。
また時間が削られる。
稲森が10秒ほど進み学生が去った交差点にでると、そこを右に曲がった。すぐ先に再び交差点が現れ、今度は左に曲がる。
稲森のいる側の道は、川沿いの道から、斜の格子状に伸びているため、下流のポイントに接近するには、ジグザグに進まなければならなかった。稲森が次の待機場所に選んだ地点は現在地から200m下流、つまりポイントの駅のちょうど正面を狙っていた。
新堂達のいる場所は道路の奥に引っ込んでいて、川の上流下流から狙うには死角が大きすぎた。謎の少年と陸軍風の巨漢が対峙しているときは、道路付近にいたために監視することができたが、帝栄の女性隊員を援護した後にポイントを確認したときには、目標の一部が敷地の内側によっていた。目標の正面に陣取るということは、狙撃の際の死角をほぼ零にまで減らすことができるが、それと同時に自身の姿を晒すリスクも大いに孕んでいた。熟年スナイパーの当座の問題は、町中の道から如何にして敵方に気付かれず川沿いに出て、なおかつ仲間には到着を知らせるかという、あまりにも明瞭に相反した事象であった。
再び交差点を右に曲がる。ここを突き当たりまで真っ直ぐ行けば、川沿いの道路にでて、ポイントの駅を真っ正面に臨むことになるのである。
——どうする。
中年男の脳裏に浮かんだ幾つかのセオリーと現状を即座に照合する。交差点の向こうに、お誂え向きに背の高い緑色の宅配車を見つけた。口の端をわずかに持ち上げ、右足を持ち上げようとしたそのとき——。
パトカーのけたたましいサイレンが、いつもなら援軍の喊声のごとく男の気持ちを後押しするはずの音圧が、稲森のいる方の川の上流方向から氷の霧を蹴散らし、進軍する男の意志を押し潰そうとしていた。
二〇一二年一月二十日 午前9時22分 ポイント駅前——
手錠をかけられてから数分。氷の霧が薄らぐ気配を見せていたが、今は直径0.01mmの一粒一粒が虚空で微動だにしなくなっていた。
上流を見ると先ほどの銃声の発生源になりうるビルがややぼやけて見える。凡そ190〜200m程度だろう。日本国防衛軍陸軍軍曹域七浜谷は、日々の過酷な訓練の甲斐あって、目視による距離の評価はお手の物だった。そのビルの後ろから頭を出しているビルの姿も見えるので、現在の視程は凡そ250〜260mだろう。人質救出の事案でもないのに、狙撃手まで配置している点がどうしても解せなかった。
意表を突かれたが、幸いだったのはこの霧。250m程度までなら、人間の頭も胴も十分に識別できる大きさで確認できる。律儀に移動先の時代に装備の水準を合わせる奴らが、この時間帯に、人の多い現場で、巨大な赤外線シーカを装着して狙撃手が街中うろつくようにも思えないので、必ずスナイパーは250m以内の範囲に潜んでいるはずなのだ。新堂の足元後ろという、比較的安全な場所から、見える範囲の建物に注意を払っていれば、狙撃手を見つけることができる。更に、容疑者との武闘で職員が負傷、若しくは死亡することには、域七ら軍人らがそうなるよりも世の中に取り沙汰されやすい身分の警察なだけに、いつも大量の人員と物量を送り込んで相手を圧倒する戦術をとってくるのに、今日の彼らはどう見ても数が少ない点だった。
だが域七の中で、狙撃手の存在よりも大きな問題となりつつある事象が二つ。
一つは、帝栄の男によって破られた膠着状態は、次の展開が、次の一言を誰が何を言うのかもわからかない、霧どころか一面湯煙で覆われたような視界不良に陥っていること。元々は木偶の坊の部下に引導を渡すためのミッションであったが、ECの関係者の身柄を確保できそうな状況にあったのだ。それがターゲットを目の前にして、何もすることができない。手錠を解除しようとする、わずかな動きさえ、緊迫したこの情況にどんな影響を与えるか皆目見当がつかない。
矢庭に、聞き慣れたサイレン音が赤茶色に日焼けした分厚い肌を打った。
もう一つの懸念事項が風船のように急速に膨らんできた。最強の警備隊員の背後の足許で、陸軍曹長域七浜矢の顔から血の気が引き、土気色に染まっていく。この時代の警察がくるには早過ぎる。向こう側は域七の上官に警察の足止め工作をしてもらうはずだった。もしそれができなかった場合は、サングラスタイプのHMDに搭載された無線を通じて連絡が入るはずだった。
——まさか。あの銃声は。
気付くのが遅すぎた。今更であっても、少尉と連絡を取らなくてはならない。もし、少尉の身に何かあれば、本ミッションの2つの目的を達成しても、この上ない大失敗だ。最悪の場合、警察に重要な機密が、己が身に身も知らされていない、多くの機密が漏えいする可能性がある
目と鼻の先で呑気に気絶している、無能の烙印を押された部下を睨み付ける。今、両手が使えるのは、この男しかいなかった。
名仮平、目を醒ませ。名仮平!
——おい、木偶の坊、起きろ!
「どういうつもりですか」
特段、怒鳴っているでもない少年の静かな声に、胸が張り裂けそうになった域七が、体を引きつらせて上を見上げた。