二次創作小説(紙ほか)

AsStory 〜10(9)話『ひかり、在れ』〜 ( No.229 )
日時: 2015/01/03 17:11
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: IoxwuTQj)

 域七の呼びかけも途絶え、いつの間にか居合わせる全員の五感が巨躯の陸軍兵に向けられていた。
 対岸のビルの向こうでパトカーのサイレンが再度鳴動し始め、すぐに川沿いの道路に姿を顕した。

「武器を捨てなさい。あなた達は包囲されています。武器を捨てなさい。あなた達は包囲されています」

 スピーカーから、使い古された警告文句を連呼しながら、先の宅配車のすぐ後ろの当たりに停車した。

 緩やかな風が、霧氷をレースカーテンの如く揺らめかせながら、広場の前の人間どもの窮状を冷やかすようにに、ねっとりと頬を撫でる。

 全員の視界が二つの選択肢で埋められた。

『退却』か、『遂行』か。

 真っ先に動いたのは、名仮平だった。血走った両眼とは対照的に、顔色がさらに蒼白になっている。痙攣する上下の唇から、泡がぽつぽつと吹き出している。名仮平が口を開いた。

「何もかも、お終いだ」

 名仮平がジャケットの内ポケットから、こぶし大の塊を取り出した。
 新堂が目を眇めた。静が総毛立ち、全身が震えた。

「HEIB!」

 静の悲鳴が空気を切り裂く。数時間前に彼女が見た妄想が、現実で再現されようとしている。

 窮地に立たされた兵士が選んだ選択肢は、『破滅』だった——。


「逃げて!」

 静が、自分の懐に拳銃を突き付けている少女の両肩を鷲掴みにして引き剥がし、後ろへ突き飛ばした。
 水希が足をもつれさせて、地面に倒れこんだ。突然の出来事に、なにが起きようとしているか全く理解できず、灼眼を皿のように見開き、痛みを感じるのも忘れて前方を見上げていた。

「何してるの!みんな消えちゃう!逃げなさい!」

 涙を流して泣き叫ぶ静に、己の心の中で必死に抑えてきた衝動が全身を突き動かした。
 くすんでいた灼髪が鮮烈さを取り戻した。ベリーショートヘアが重力に逆らい、舞い上がる。
 少女の身に起きた明らかな異変に、静の声と涙が止んだ。「何?どう、したの?」
 少女から迸る、威圧的な不可視のオーラに、静が後ずさりする。突然静の背後で、陸軍兵士の咆哮が轟いた。

「まただ。また、目がおかしくなってきやがった」

 前回水希の能力を受けた時と同じく、名仮平は闇の能力ちからに対する、異常なまでの耐性を示した。そして水希の消耗が激しい分、ターゲットへの闇の浸食力も大幅に落ちていた。まだ、あの男の手の自由が失われていない。


「水希!」

 銀髪の少年が、少女のほうに向かって走り出した。同時に新堂が名仮平に向かって突進した。MP5を使うにはやや離れ、人が密集しすぎている最悪の状況だった。静の悲鳴が再び響く。
 新堂の体当たりが大男の下腹部に直撃したが、200kgを超す巨体はそれを耐えしのいだ。逆に、大男の懐に入ってしまった新堂が、奥襟と腰を掴まれ、数歩手前に投げ落とされた。兵装が耳障りな金属音で喚き散らす。新堂はそれらがクッションになったおかげで、深手を負わずに済んだ。

 体を起こすと、名仮平がHEIBの安全ピンを抜いた瞬間だった。まだ爆発はしない。起爆スイッチを押さない限り、HEIBは爆発しない。新堂が己の精神に叫び続けた。人間の一つ一つの動作が、克明に、非常にゆっくりと見えた。心臓が1回拍動するのに、何十秒もかかっている気がした。

 新堂がHEIBを奪い取ろうと、右手を伸ばそうとしたが、途中でMP5に持ち替えた。一瞬早く、HEIBの起爆スイッチが押されていた。新堂がMP5の2本のグリップを握りしめ、HEIBの先端に照準を合わせる。ここを破壊しない限り、起爆を阻止できない。本体の部分を打ち抜いただけでは、残った火薬と起爆装置だけでも、新堂たちを消滅させるには十分すぎるくらいの火力を残してしまう。

 名仮平がHEIBを真上に高く放り上げた。これで誰も手出しできない。濃灰色の曇天を背景に、浮かび上がる名仮平の勝ち誇った笑みが新堂の瞳にくっきりと刻まれていた。それでもMP5の照星は、HEIBの軌道にピタリと追従していく。

 HEIBが3m、4mと高さを増していく。対岸の駅正面に停車していたパトカーの運転席の窓が開いていた。窓からSIG550の長い銃身が、これ見よがしに突き出している。運転席には稲盛 吾妻が着座していた。
 隊長と通信ができなくても、何を狙うべきかは一目瞭然だった。
 距離20。モードは精度最優先の1点射。スコープのレイティクルは、回転するHEIBの中心から少し外れたところを捉えている。HEIBは先端の起爆装置を吹き飛ばさなくては、起爆を阻止できない。本体が回転しているのが、狙撃を非常に困難にしているがやるしかない。

——HEIBが上昇を止め、静止する瞬間。それが唯一の狙撃のチャンスだ。

 稲盛が呼吸を止めた。


——また、この感覚。

 新堂がMP5を構えるのを見て、自然に体が動いていた。そうすろと、波立っていた心が。急に水を打ったように静かになった。水滴の波紋一つ見当たらない。そして両腕に不可思議な感覚が走っている。9mm口径のマグナムを持っているのに、重さを感じない。
 背後では少年が少女を逃がそうとしていたが、少女は動かなかった。そのとき既に、少女の目は、陸軍の巨躯の兵士ではなく、目の前で片膝をつき、パイソン357マグナムを構える、警察代行の女性警備隊員の背中を見つめていた。

——4。

 声なきカウントダウンが始まる。ワンカウントにつき2回、靴の先で地面を叩く音が、長大な残響を伴って耳に響いてくる。

——3。

 静の黒き双眸が、針孔大にまで収縮する。

——2。

 HEIBの起爆装置のついている側の先端に、静の視界がズームインしていく。ターゲットの上昇速度が次第に落ちてくる。回転速度は全く落ちる様子が無い。

——1。

 HEIBの上昇速度が殆ど0に近いところまで落ちた。
 静の背後で、少年が少女をかばって覆いかぶさった。
 運び屋達も地面に突っ伏していた。
 名仮平が天を見上げて笑っていた。

——0。

 HEIBの上昇が完全に止まった。

 新堂がMP5のトリガーを引く。

 稲盛がSIGのトリガーを引く。

 水打静がパイソンのトリガーを引いた。


 3本の閃光が、虚空の1点で交錯した——。



二〇一二年一月二十日 午前9時30分


 駅構内の時計の長針が真下を向いた。


 天を向いたまま身じろぎ一つしない陸軍風の格好をした男の周囲に、雨粒ではない、人工物の破片が一つ、また一つと乾いた音を立ててアスファルトの地面に落ちてくる。確か、ここは火の玉に包まれ、自分もろとも何もかも消え去っているはずだった。起爆装置の破片は、名仮平から10メートル以上離れた場所に落下していた。その地点を始点として、名仮平を結ぶ線の延長線上、つまり、弾丸のコースを辿ると、そこには瑠璃色のジャンパーに身を包み、未だに片膝をつき、パイソンを構えたままの女性警備隊員がいた。

「身柄確保!」

 眼前の警備隊員の号令にはっとした名仮平が、再度の突進に身構えると、なぜか新堂が脇にそれた。そして新堂は右腕を勢いよく伸ばし、その先の人差し指で己を指していた。
 気付いたときには手遅れだった。名仮平が強化装甲兵であることが判明している今、対岸のSIG550が狙うポイントは、腕でも肩でも、ボディーアーマーで護られた胴体でもない。1点射撃の弾丸が後頭部に1発、そして名仮平がバランスを崩すなり、ダメ押しの一発を数分のずれも無く同じ場所にお見舞いした。

 新堂が二つ目の電気ショックつき手錠を名仮平の右手首につけた。大男の猛烈な抵抗を受けたが、電圧を最大にして20秒間電撃を与え続けてようやく抵抗を諦めた。ただ諦めただけだ。まだ体が辛うじて動かせている。本当に改造したのは頭部だけなのか、新堂が甚だしく疑問を抱いた。

「残りも拘束しろ!スイレン!」

 射撃姿勢を解いた静が、刹那指揮官の指示を理解できなかった。そして、すぐにその意味を理解すると、新堂に懇願の表情を見せた。

「どうしてですか?あの子のおかげで少尉を捕まえることができたんです」

「その子達も犯罪を犯している。そして地下活動に手を染めているはずだ。更正させるのだ」

 静の右脇を大股で通り過ぎ、少女の前に立ちはだかりサバイバルナイフを構える少年と対峙した。

「隊長!」

「こいつらはECだぞ!将来どんな……」

 つい感情的になった隙を衝かれた。新堂の右手から突然MP5が離れ、首にかけたストラップにつられて、ぶらぶらと揺れていた。男の悲鳴が駅舎の壁を叩き、静の鼓膜に突き刺さる。

 いつの間にか、新堂の背後で、ナイフの刃についた血糊を払うウィル・ロイファーの姿があった。

「あなたの右肘の腱を切りました。もう利き手で武器は使えない。防御もできない」

「新堂さん!」静が再度パイソンを構える。弾丸の補充はしていない。残り3発。

 静が少年に照準を合わせようとした瞬間、目の前でナイフを振りかぶるターゲットの姿があった。




〜2014/1/3 コメ〜
数年前から考えていたこのシーンに、やっっっと辿りつけました。。。
 名仮平がHEIBを手にしてから、どんな展開になるか、色々と練り直してきましたが、最終的な形が決まったのは昨日の夜だったり。。。(苦笑)

ちなみに『HEIB』。。。高効率焼夷弾(High Efficiency incendiary bomb)といい、作品中の架空の武器です。
焼夷(焼き払う)と言っていますが、実際は起動すると直径5m程度の表面温度5,000〜6,000度の熱球を作り、周囲のあらゆる物体を「消滅」させる手榴弾です。
 登場したのが1年くらい前なので、説明しておきました。


これからがクライマックスです!(まだ続くのかよ)

それでは、また〜〜

AsStory 〜10(9)話『ひかり、在れ』〜 ( No.230 )
日時: 2015/01/04 20:30
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: IoxwuTQj)
プロフ: https://www.youtube.com/watch?v=wRKrAnc4XPU

——え?

 静が呆然としている間に、彼女の左胸めがけてナイフの切っ先が閃光をあげて直線を描く。そしてボディアーマーに達する直前、もう一つの閃光がウィル・ロイファーのサバイバルナイフを吹き飛ばした。間髪入れず、ウィルの右太腿側面に5.56mm NATO弾が突き刺さり、今度は少年の絶叫が界隈に響いた。

「スイレン、そいつを捕らえろ!」

 静がウィルに馬乗りになり、両腕を抑え込もうと、両腕を伸ばす。新堂が右腕を押さえ、よろめきながら静に近づいていった。

「どうしたスイレン、さっさと抑えろ!」

 新堂の目の前で部下の両手が、少年の腕を掴む直前で止まった。そして、右手を目の前にかざすと、そのまま右に倒れていった。
 そして、部下に手を伸ばそうと身を屈めた新堂もまた、右手を目の前にかざし、片膝をついた。

「ごめんなさい。これも任務なの」

 髪の色が不規則に赤と黒の間を変化している。そして、まだ新堂は闇に落ちていなかった。

「水希!能力を使うな!やめるんだ!」

 ウィルが声を振り絞り、体を起こしかけている最中、少女の背後に人影が立ちはだかった。

「てこづらせるなよ。餓鬼どもが」

「水希!」

 名仮平の暴走に乗じて姿をくらませていた域七が、水希の背後から頸に手を回し、小さな体ごと持ち上げ締め上げようとする。ウィルが片足で立ち上がり、サイドアームの拳銃を取り出し、陸軍軍曹の眉間に狙いを定めようとした。


二〇一二年一月二十日 午前9時32分 ポイント駅改札付近——

 ポケットに入っていたウォークマンの再生ボタンをタップした。重厚な男声と女声のコーラスがインナーイヤーヘッドフォンを通して、黒服の少女の心にしみ込んでいく。伴奏は無い。

 ゆっくりとしたハミングの後、女声の斉唱が続いた——。

 木下牧子作曲、『祝福』

——あの子が大のお気に入りの曲。

——父親と慕う科学者に送った曲。

——最期の餞別に、聴かせてあげるのだ。



 意識を失い倒れている人間達の中心に佇む少女が、漆黒のローブの奥で静かに瞼を下ろした。


「あなたが消えれば、皆が救われる」



二〇一二年一月二十日 午前9時33分 ポイント駅前——

 目の前が霞む。今日はなんと不吉な日なのだろう。頸を締め上げられるのはこれで2回目だ。
 指揮官が珍しく拳銃を使っている。ボーイソプラノの声が聞き取りづらくなってきた。
 
——あれ、なんだろう。

 聞き覚えのあるフレーズ。歌。合唱曲。幻聴?
 幻聴が意識の中で次第に大きさを増してくる。頸を絞められている感触は確かにあるのに、瞳に映る風景の輪郭が急速に明瞭になってくる。視界の中央で、周囲をしきり見回してうろたえる指揮官の姿があった。

——水希!水希!

 ウィルが口で息をし、そこら中に靄をつくりだしていた。乾いた喉が少年の呼吸を更に乱す。
 指揮官の遥声ヒアがはっきりと聞こえる。そして、力が、自分でも脅威を感じるほど大きな力が、肉体の奥からこみ上げてくる感触が腹から胸から伝わってくる。
 水希が音楽の幻聴と、こみ上げてくる力に気持ちを委ねて、闇の能力を発動した。

 少女の視界に影が差し始める。能力の性質を範囲に対して作用するタイプから個々のターゲットに作用するように変えてからはよく起きる症状だった。だが今日は闇の強さが非常に滑らかに伸びていく感じがした。

——もっといける。

 背後の頭上から降る野太い呻き声と共に、少女の頸を絞めていた力が急に緩んだ。水希が腕を振りほどき、難なく地面に降りた。すぐさま振り向くと、陸軍曹長が両目を両手で覆って、身を屈めている。

——堕ちて。

 水希が意識を集中させると、赤い頭髪に色合いの異なる赤の波紋が流れ、同時に眼前の軍人の喘ぎ声が途切れた。音を立てて地面に倒れる。本能的に突き出されるはずの両腕は顔に当てられたまま動いていなかった。心臓はまだ動いているはずだ。

 闇に堕ちただけなのだから。

——水希!

 指揮官の幾度目かの遥声で、周囲の光景が水希の意識に入り込んできた。

——この音楽は?遥声で流れてきてる。

——え?

 能力を使うことに集中して気が付かなかったが、気持ちを落ち着けてみると、幻聴と思っていた合唱曲がまだ流れている。
 一体誰が。遥声が使える人間で、つまりECの中でこの曲を知っている人が他にもいるのだろうか。もしいないのならば、この遥声は影晴様?
 途端に、水希の胸の中でに熱い塊が蠢くような錯覚を覚え、右手で胸を抑えた。

「水希?どうしたの?」ウィルが水希の背中をさすった。水希が苦しそうに呻きながら膝を落とした。

「水希!」

 少女が不可解な痛苦で歪めた顔を少年に向けると、眼前の少年が青ざめた表情でこちらを見ていた。碧眼がおさまる眼に涙がいっぱいに溜まっていた。眼が眩み、揺らめく少年の唇が言っていた。その瞳は、どうしたんだと。

 いつもなら少し時間をおいて回復するはずの少女の視界の明るさがまだ戻らない。

 少し離れたところで、また男の悲鳴が響いた。弱った水希の闇の能力に持ち堪えていた新堂が、感覚を失い、アスファルトの路面に横倒しになってもがいていた。

「どうして、もう能力ちからは使ってないのに!」

 ウィルが狼狽して、左右を見る。能力を受けていた人々が起きあがる様子が無い。

 水希が両目を細めた。また視界の影が濃くなった?胸の中の蠢動も酷くなっている。胸の奥から闇の力が際限なくこみ上げてくる。音楽の遥声がまた大きくなった。
 己が身に起きた異変の深刻さが少女の心の一角を崩した。暗黒が少女の精神の内奥へと徐々に蝕んでいく。ずっと怖れてきたことが、能力の暴走が、こんな場所で、起きようとしていた。
 底の見えない闇に、真っ暗な何かにのまれていく自分の背中が瞼の裏に映し出される。青白い手がわななく。全身が震える。

「ウィル……」
 少年の両方の肩を掴む。

「わたし、どうなるの…」
 風も無いのに黒いジャケットの裾が小さくはためいた。

「水希……どうもならないよ。いつものようにすぐ元に戻る」

 ウィルが、瞳から光を失った少女を堅く抱きしめた。「戻るんだ!」

 でも、どうして突然。胸の中で水希が引きつった声を出した。少女の全身からあふれる気の流れが銀髪を下から煽った。もう抱きしめ続けるしか、成す術が無い。

「闇を…吐き出さなく、ちゃ」黒く染まった涙を左右の目尻から流し、少女がつぶやく。

 今までに無かった症状に、少年の目から、抑えきれなくなった涙がひっきりなしに零れ落ちる。

 少女の灼髪が再び舞い上がった。

「水希…能力を、使っちゃだめだ!」

「使わないと…吐き出さないと…闇に…呑まれてしまう」

 言葉の直後、対岸のパトカーの運転席の扉が開き、アサルトライフルを抱えた警備隊員風の男が、空いている手で顔を覆って車両から転げ落ちた。

 音楽の遥声がまた大きくなった。水希を胸に埋め、ひたすら俯いていたウィルが顔を上げた。

「遥声。そうだ、この遥声、どこから」

 ウィルが深青の瞳で注意深く睥睨する。

「影晴様に…聴いてもらった…曲なのに……」

 胸の中から漏れる水希の言葉にウィルが体を凍り付かせた。遥声を使える人間、つまりECの能力者でこの合唱曲を知っている者は、影晴様以外にもいるかもしれない。だが——。

 悲痛に暮れていたウィルの顔色が熱気を帯びてくる。

——今までと全く違う内容、十分な準備期間も与えられなかったこの任務。詳細を確認しようとすると、口を噤まれた。そして、今、流れている合唱曲の遥声。

 ウィルが大崎邸を訪れたときに、最も近い側近にも知らせず、屋敷の外で男と面会をしていた光景を思い出した。

 影晴様が、いや、大崎影晴が僕たちを、麗牙光陰を貶めようとしている。
 影晴が近くにいるのか?違う。自分の手を汚したりする人間じゃない。

 ウィルが怒りに任せ、ぐるりを見まわした。人気のない通り。あらゆる窓が灰色に曇ったビルの壁面。人で溢れかえっている駅構内——。

——いた。

 改札の奥で影に溶け込むように佇む人影に眼が留まる。さっきからこっちを見ていたのか漆黒のフードの奥に見える口元がにやけている。少年の体が激しく打ち震えた。

「みぃちゃん。少し待ってて」

 道の端に寄り、建物の壁に少女を慎重にもたれかけさせる。ウィルが少女から体を離そうとすると、小さな手が離れそうになった少年の腕を力なくつかんだ。ウィルが両眼を拭い、瞼を閉じ、必死になって涙をこらえる。
「行か…ない…で」
 言葉を返そうとしたが、喉が震えてまともに声が出ない。たった一度、水希のそばを離れたばかりに、こんな酷いことに。少年の脳裏で、ビルの路地で別れた時の記憶が鮮明に蘇る。

「今度こそ…本当に…」

 少女も同じ光景を思い出しているに違いなかった。
 ウィルが最後に精一杯水希を抱きしめた。

——大丈夫。絶対、助ける。

 少女の手をほどき、黒ずくめの少女のいる位置に意識を集中させる。幸か不幸か、付近で起きている人間はあの意識が朦朧とした巨漢の運び屋くらい。今なら、能力が使える。
 ナイフを失った右手に、小口径オートマチック FN Five-seveNを握りしめる。安全装置は外してある。マガジンはフル装填だ。
 次の瞬間、少女の前から少年の姿が消えていた。

 つむじ風に巻き込まれ、霧氷が小さな柱状の渦を巻いて舞い上がっていた——。



二〇一二年一月二十日 午前9時37分 ポイント駅改札付近——

 漆黒のローブの少女が、離れたところでの少年の少女のやり取りを、薄笑いを浮かべながら眺めていると、視界から突然少年の姿が消えた。だが探すまでもない。少年は今——。

「影晴の差し金か」

 何の前触れも無く、黒ずくめの少女の右腕が背中側に捻りあげられ、漆黒のフードの右後頭部に銃口を突き付けられていた。わずかな言葉だけでも少年が激しく興奮しているのがよくわかる。呼吸を整えていても、心臓の鼓動がこの位置でも聞こえてきそうだ。

「あの闇の力、お前のものか」

「そうよ」

——女の子?この声…。

 銃口を押し当てる力がやや緩んだ。ただ、対象者が女性というだけで手加減はしない。だがローブの少女の声にどこか聞き覚えがあった。

「早く止めるんだ!」

 ウィルが銃口をさらに強く押し付け、フードが揺れた。黒服の人間から返事が無い。

「早くしろ!」もう一度ウィルが銃口をフードに強く押し付ける。

「あの子が作り出した分岐は、絶望しかもたらさない」

「わけのわからないことを!撃つぞ!」

「撃てますか?」

 唸るウィルを尻目に、左手でフードを下ろした。見事な光沢を放つ灼髪のロングヘアーが、ローブの中に納まっている。思わず銃をひいた。少年の瞼の裏で不吉な予感がよぎる。いや、違う。そんなはずない。
 少女がゆっくりと少年の方に体を向け始める。

「こっちを向くな!動くと、う、撃つ…」

 少年の言葉を無視して、少女がほぼ後ろ向きになった。燃え盛るような双眸。薄紅をさらに薄くしたような肌。黒に囲まれて、浮きあがって見える。少女の瞳が、しっかりと少年の碧眼を捉えていた。何も塗らない、唇が不敵な笑みを浮かべていた。少年がローブの少女を突き飛ばした。

「私が言うのだから、間違いありません」

 ウィルが思い浮かべた脅威が、そのまま現実になっていた。身じろぎ一つできずにいた。拳銃のトリガーを引くことも、トリガーから指を離すことも。声を出すことも。
 黒服の少女の瞳が一瞬、黒く染まった。
 直後、少女の頭越しに、水希の喘ぎ声が響く。少年が完全に虚を突かれた。

「水希!」

 黒服の少女の前から少年の姿が消えていた。
 少女が二人に背を向けたまま漆黒のフードを引き上げ、影がかった赤眼を覆った。


二〇一二年一月二十日 午前9時39分 ポイント駅前——

 寄り掛かっていた壁から、横に倒れこむところをウィルが抱え込んでいた。

「水希!水希!」

「ウィ…ル…」

 薄らと開いている眼は、眼球が全て真黒に染まっているように見える。
 二人の意識にまだ、あの遥声が響きつづけている。もう、水希の手は少年の腕を掴もうとはしなかった。
 水希の髪の色が、いつもの黒に戻っていく。透明になっていた長い後ろ髪が、徐々に露わになっていく。

「いやだ!水希!死ぬな!…水希!」

 最後に、少年が言葉をなさない絶叫をし、抱きしめた少女と共に姿を消していた。



二〇一二年一月二十日 午前9時39分 駅改札付近——

——暫くすれば、皆、絶望から解放される。もう一度運命をやり直すことができる。

——私の役割は、これで、終わり。

 駅から黒服の少女の姿が消えていた。


 闇に堕ちる寸前で止められていた人々が、一人、また一人と起き上ってくる。

 彼らは口々に証言をするだろうが、早晩、総合して残るのは、凶悪犯がロッカーを破壊、発砲事件を起こしたという事実だけになるはずである。


 対岸から、複数の応援の警察車両のサイレンが、けたたましく響いてくる。

 どこからともなく、野次馬が湧いてくる。

 駅前の氷の霧が、ひときわ明るく煌めいた。

 運び屋の傍らで意識を取り戻した少女が天を仰ぎ、白い手をかざした。

 雲はいつの間にか薄らぎ、切れ目をすり抜けた太陽の光芒が、駅を照らしていた——。

 


〜〜『ひかり、在れ』 完 〜〜





〜2014/1/3 コメ〜

本当にもうすぐ、序章が完了します。
ただ、今更ながら章立てを変えたほうがいい気がしてきました。
これ、1章の完結したほうがいいかも。。。
序章はもっと前で区切る。。。


リンクは木下牧子作曲『祝福』です
320kbpsで録音したのに、Youtubeにアップしたら、なんかすごくノイズが混じってしまった。。。。

でも、是非聴いて欲しい。。。。