二次創作小説(紙ほか)
- As Story〜8(1)〜 ( No.29 )
- 日時: 2011/07/09 22:48
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
目的地は成人男性なら徒歩で25分程度かかる場所にある、JR東日本の鉄道が停止する乗り換えのない駅であった。1km向こうには東京湾が広がる準臨海地区である。南北方向に延びる鉄道のホームと十字を成すように、ホームの真上を高速道路の高架が、そして真下を陽の光を浴びることのなくなった河川が大よそ東西方向に対をなして立体構成の筋を描いていた。この駅のデッキを利用する人々の中には電車を利用せず、デッキを橋代わりにして北側へ抜けていく通行人も数多くいる。駅の北口へ繰り出せば幅の広い道路が整然と敷設され、土地のブロックも比較的大きなものが目立つ新しい市街地に行くことができる。少し離れているが更に北に進めば、メトロポリスを象徴するかのように林立する超高層ビル群や洗練されたデザインの巨大なイベントホール等が姿を現す。地区の建設がほぼ完了してから10年以上が経ち、近未来的というといささか大げさではあるが、地区全体に漂う非日常とインテリジェンスを持ち合わせた雰囲気が今でも多くの家族連れや仲睦まじい男女のカップルを惹きつけていた。
南口へ出ると北口とは好対照の町並みが広がっている。2、3階建ての木造アパートや飲み屋がテナントに入った雑居ビルが片道1車線の駅前通りに所狭しと立ち並び、帰宅ラッシュの時間帯には黒づくめの人々が歩道からはみ出し、自動車と人間の勝負にならない小競り合いを毎日のように見かけることができる。平日の日中は一家の家計を掌握する主婦らが商店街や地元でしか見かけないような小さなスーパーで買い物をし、それにかけた時間よりも遥かに長い時間、近所の人々と下世話な話に花を咲かせるという、実に濃密な生活の匂いの漂う地域であった。
南の地域は文教地区という性格も持ち合わせていた。公立の中学高校に加え、有名私立高校、私立大学およびその付属高校といった、受験生本人よりも彼ら並びに彼女らの両親が目標としてい掲げたがりそうな教育機関が広大な敷地をもって地区の南部の随所に鎮座し、その周囲をお決まりのように高級住宅街が取り囲んでいた。
この時間、とうの昔に終電は発車し、目的地の駅の2か所ある出口をストリートアートのサンドバックに成り果てたシャッターが下ろされ、帰りのタクシー代を浮かせようと始発まで居座ろうとする酔っ払いや屋根を求めて三千里を行くホームレスがちゃっかり構内に泊り込もうとするのを拒んでいた。南口出口は駅舎の南端についているのではなく、駅舎の中ほどで出口が北を向く構造になっている。南口から駅を出ると目の前には駅舎の下を横切る万年日陰の川が河岸の道路を挟んで視界を右から左へと流れていた、河岸の道路の左右には歩道が設置されており、南口出口に接しないほう——南口出口から車道を挟んで向こう側——の歩道を小さな人影が一つ、頻繁に目線を四方八方に向けながら徒歩で近づいてきた。港を一望できる丘を出発し、裏通りや袋小路、商店街の個々の店舗の名称、集合住宅の共用廊下やベランダの人影などを執拗に確認し、1時間が過ぎようとしている今、ようやく目的地に辿り着くところであった。
南口出口のちょうど真正面、道路を挟んで向こう側の歩道で、足を止めたウィルがフードに覆われ俯き加減にしていた顔をわずかに持ち上げ、出入り口を閉ざす金属製のシャッターを睨みつけていた。波打つ金属のキャンバス一面に無造作に書き散らされたシャッターアートに感銘を受けていたのではない。キャンバスの最上部にも見ているだけで視力が落ちるのではと錯覚するほど不快な配色のアートが描かれており、どんな奴がしでかしたのか考えるのも一興かもしれないが、黒いフードの奥から放たれる芸術を解する余裕のない視線は、キャンバスを無感動のうちにすり抜け、その裏で世の闇を飲み込んで整然と佇むコインロッカーの一群に焦点を定めていた。
最長で2か月にも及ぶ、麗牙光陰としては前代未聞の長期ミッションの最初の任務、それは「受領」であった。今までの作戦に比べて準備期間を設けることができず、暗中模索の状況で「受領」に関してわかっていることは、引取り方法、時間、場所、その物の形状であった。それを運んでくる者の容貌、送り主の組織——ECが絡むような案件の依頼主、ターゲットは専ら組織そのもの若しくは組織内の重要な人物である。組織と無縁の個人が関わることは皆無である。——、そして麗牙をこの任務に引っ張り出した受け取り側の依頼主の素性さえ分からないのである。換言すれば、ウィルが敬虔に崇拝するECの長、大崎影春がウィル達への情報の提供を拒んでいるということでもあった。だが、ウィルはECへの依頼主の顔はおおよその見当がついていた。
——なぜか?実際にそれと思しき男と話し込んでいるのを麗牙光陰の隊長は見たのである。それも偶然居合わせたのではない。大崎が新たなミッション発令の時に、異常に長い期間に対し、文庫本の帯程度の情報しか伝えないのが心配になり、命令違反を承知で裏の世界に君臨する組織の長を尾行したのである。
- As Story〜8(1)〜 ( No.30 )
- 日時: 2012/11/12 00:34
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
二〇一二年一月一三日 麗牙光陰本拠——
「どうして影春様は今回の作戦について殆ど話されないんだろう?」今から遡ること1週間、麗牙の根城——他の隊員が生活する何の変哲もない一戸建てである——のダイニングのテーブルで腕組みをし、物思いに耽りながらふと口をついて出た一言であった。
「そんなに心配するなんて、ウィル君らしく……あ、らしいよね」苦笑を交えながら窓の外の澄んだ冬空のような明るい声が返ってきた。恵玲である。荒木恵玲、麗牙光陰の隊員であり、4名で構成される麗牙光陰のなかで主に「攻撃役」を担う2名のうちのひとりだ。理想的な光沢を放つ漆黒のロングが自慢の彼女は任務遂行の際に武器を使用したことがない。いや、正確には我が肉体という武器を常に携帯しているのである。ECに属している以上、恵玲にも特殊な能力があるのだが、彼女の場合は運動能力を爆発的に上昇させるというものであった。爆発的な上昇といっても100mを世界記録の半分で突っ切る程度のものではない。数百メートルを跳躍し、エンジン全開の30トンダンプを押しやり、日本刀よりも鋭いかまいたちを発する手刀を操り、超音速のライフル弾を人差し指と中指で掴み取る。そういうことを息をするかのようにやってしまうのである。
だが、任務中のある事故をきっかけに麗牙の戦乙女は心身を病み、数か月もの間、任務から外れていた。話しかけると先程のように明るく振る舞うが、一人きりの時間ができると無意識にくだんの事故について考え込んでしまい、人が変わったようにその節制の行き届いた肉体から影がにじみ出てくるのである。
「恵玲—、ごめん聞こえちゃったね」ウィルの言葉に首を左右に振りながら彼の隣の椅子を引き、腰かけようとしたところで声を発し、矢庭に立ち上がった。ウィルが反射的に背もたれに手を掛け周囲に天性のレーダーを張り巡らせようとすると、「コーヒー淹れてくるねー」と一言、小走りでキッチンへ向かった。呆然とする隊長をわきに見ながら、くだんの椅子に今度はツインテールの女の子が腰かけてきた。この子は突然立ち上がって隊長をびくつかせるようなことはしなかった。
「心配ならもう一度聞いてみればいいじゃないですか」恐ろしく単純明快だが非常に難しい助言に結局ウィルは言葉を失う羽目になった。麗牙最年少の隊員、棚妙水希に間髪入れず無邪気な瞳を向けられ、ウィルは顔が紅潮しているのを気づかれはしないかと気が気でない状態で声を絞り出した。
「それは、難しいと、思うよ……。それなら最初から、話して、ね、くれるはず、だし」
「そうなんですかぁ」ウィルの動揺を気にすることもなく、そそくさと広いテーブルの上に譜面の刷られたプリントを広げた。水希は中学1年で吹奏楽部に所属している。それで、毎年3学期に県の大ホールを借りて催される定期演奏会の演奏曲の譜面を確認——ウィルの反応が楽しくて見せびらかすのが本当の目的だが——するところであった。このような無垢な女の子にも能力がそなわっており、この子の場合は「闇」を操ることができた。能力が発現したのは5歳の頃。それは自宅の2階のベランダから夜空を眺めているときに起きた。水希の視界を埋め尽くす夜景が突如、黒一色で塗りつぶされたのである。人や建物、自動車、夜空に至るまであらゆるものが光を失い、何かものにぶつかったり、目の前に手を持ってきたりしても、そこに何があるのか全く分からない状況が2,3秒間続いた。それから半月程度は巷の話題は局地的かつ短時間に発生した「停電」で持ちきりだったが、水希にはあまりに辛辣な運命が待ち受けていた。時間が経つにつれ、どうやら嘗ての「停電」の原因がわが娘にあるという、荒唐無稽ではあるがまごうことのなき真実に気づいた両親は、実の娘を守るどころか図ったように現れたECのエージェントに引き取らせてしまったのである。そんな過去が生み出す心の闇が、皮肉にも彼女の能力をより一層洗練していき、麗牙の「支援役」として掛け替えのない存在となっていったのである。しかし、水希にとってもそれは同じ事であった。あのような血も涙もない仕打ちを受けても、それをみじんも感じさせない明朗な人柄と思いやりに富んだ性格を失わずにここまで生きてこられたのは、同じ部に所属する親友や麗牙のみんながいたからである。もし、ECという超能力を持つ子供たちが集められた組織に入ったとしても、麗牙のみんなのように心の底から喜怒哀楽を分かち合える人たちでなかったら、自らの能力を憂い、呪い、そして……。
「水希はココアにしとくねー。ウィル君はブラックはまだかなー」
「なんでいつもそうなんだよぅ」
他愛のない会話がだしぬけに水希の意識の扉をノックし、譜面の的外れな一点を凝視し続けていた少女の目線をしかるべき位置に戻らせると、ようこそ現実へ!と冷やかし交じりに恵玲の入れたココアが水希の目の前に甘い香りを漂わせて据えられていた。
「あ、ありがとうー」一握りの動揺が込められた感謝の言葉を述べると、譜面をテーブルから下げ、目の前の日常がいつものように過ぎ去り、そしてまたこちらにやってくる今をかみしめながらココアを丁寧に口に含んだ。
- As Story〜8(1)〜 ( No.31 )
- 日時: 2011/07/09 19:02
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
水希と入れ替わるように今度は右隣に腰かけているウィルが思索に耽り始めた。
「なぁんか、今日はお二人ともどうしちゃったの?」ウィルとテーブルを挟んで向かい側に座った恵玲が自分専用の飛び切り濃いブラックのキリマンジャロを手元に置いた。目と鼻の先の銀髪の少年は恵玲のちょっかいに全く気付いていないようであった。
任務に携わっていないときに、水希の前であまり深刻な表情をしてもらいたくない気持ちからつい、熟考する隊長に水を差してやりたくなったのだが、それを言い終えるまでに恵玲の心の内奥に何か表現のしようのない不吉な感覚が姿を現し始めていた。もう一度ウィルにいつもの調子で冷やかしの言葉を浴びせかけようとしたが、さっきのわけのわからない感覚のせいで言葉が出てこない。それがさらに恵玲の不安に拍車をかけ、彼女の真紅の心臓が叩きつけられるような動悸を起こした。
——ウィル!
恵玲の心の叫びが通じたかのように、目の前の少年が突然立ち上がり、テーブルとおそろいの椅子が耳障りな音を立てて後ろに滑った。思わず恵玲が安堵の息を深く吐いたが、ウィルの発した言葉で彼女にもたらされた心の平穏はことごとく叩き潰されてしまった。
「影春様に会いに行く」
ECの影の部分をあまりよく知らない水希もさすがにこれには驚いて、思わず目線を右隣へ向けた。ちゃっかりココアはまだ飲み続けていた。恵玲は未だに言葉を振り絞ることさえ叶わず、みじろぎひとつせずウィルを見つめるばかりであった。
「やっぱり気になる。もう一度影春様に今回のミッションについて聞いてみるよ」口元こそウィルの十八番の人懐っこい笑みを浮かべていたが、瞳や彼の肉体から湧き出る気迫は周りを安心させるような様子を全く見せていない。ようやく精神の過度の亢進から解放されつつあった恵玲であったが、ウィルのより一層深さを増しているサファイアの瞳に、何も言うべきではないことを悟っていた。束の間沈黙が続いた。誰かが言葉を発するのを待っている、いや誰もが沈黙を破ろうとするのを牽制しているかのようであった。
家の塀の向こうからスクーターに乗った彼らと同じくらいの年ごろの学生が2ケツでじゃれる声が通り過ぎざまに、窓をすり抜けて3人の隊員の待ち受ける空間に飛び込んできた。音は受け止めてもらう相手を見つけられるまま壁に床に打ち付けられ、カゲロウよりも遥かに短い一生を終えると再び、沈黙が彼らの世界を支配した。
「そんなに怖気ついていたらできることもできなくなっちゃうよ。大丈夫!ちょっと影春様にお会いして、任務の内容について質問を幾つかしてくるだけだから」
息つく間もない程にダイニングいっぱいに充満した沈黙を破り、二人に右目でウィンクすると、その勢いのまま玄関へ向かった。
玄関を開け何気なく空を見上げると、雲一つない冬特有の突き抜けるように高い空が少年の視界いっぱいに広がっていた。玄関扉の油圧式ダンパーがシャーっとかすれる音を発するのを後ろに聞きながら双眸を静かに閉じると、直立不動の姿勢で思い切り息を吸い込んだ。凛とした冷気がウィルの隅々まで染み渡り、彼の肉体と精神に鋼の筋を打ち込んだ。
——影春様に会いに行くにはおあつらえ向きだな。
目を一気に見開き、冬の青空を瞳に再度映すと玄関の扉が音を立てて閉じられようとしていた。「ウィル!」
二つの黄色い声とともに、閉じかけたドアががむしゃらに開かれ、扉を境に分け隔てられていた冷え切った外気と屋内の暖気が風圧によって撹拌され、砂埃がわずかに舞い上がった。二人の目の視線の先には、今まで何千回と見てきた門扉とその先の通り、そしてお向かいの住居だけであった。
二人の吐く息が白い靄に変わり、それぞれの鼻先を軽くなでながら隊長が見上げた青く高い空に舞い上がっていった——。