二次創作小説(紙ほか)

As Story〜8話(2)分割アップ3回目〜 ( No.44 )
日時: 2011/10/10 05:55
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

 今逢いに行く大崎が第3の大崎影晴、つまり父性に満ち溢れ麗牙光陰を全身全霊をもって受け止めてくれる大崎であれば、真っ先に彼の腕を掴んで館から引っ張り出し、少年の左わきに止めて育ての父の生み出した風変わりな草花たちをささやかな喜びと驚きとともに心行くまで鑑賞したに違いない。そしてしゃがみ込んだ少年の目の前にいる2匹の虫たちの運命を父親と顔を並べて見届けていただろう。

 ウィルは摩訶不思議な前庭を後にする前に、一組の虫たちの決闘の顛末に見入っていた。花のある高さから姫女苑ヒメジョオンに見えるが、葉が茎を巻くように生えているところが春紫苑ハルジオンという、仮の名前を姫紫苑ひめじおんとしても畢竟交配させた理由がよくわからない植物の花にヒメハナグモが一匹、そして花のすぐ裏の茎にはオオカマキリが一匹、お互い銅の彫像のごとく微動だにせず虎視眈々と獲物に必殺の一撃をお見舞いする瞬間を狙っているところであった。
 血の気の多い少年たちが好む実在の虫同士の闘いと言えば、力と力の衝突によるプロミネンスが噴出する大型の甲虫同士の決闘、特に世界最大のヘラクレスオオツノカブト対ギラファノコギリクワガタの組み合わせが少年らのあこがれる対戦である。しかし、麗牙の隊長が息を呑んで見据えるその先では、絢爛豪華な甲殻を纏った武者たちがいるわけでもなく、耳を弄するような打撃音とともに嵐のような打撃戦が繰り広げられているわけでもない。時折前庭を通り抜ける風によって仄かに揺れる草花の隙間に、絵画のようにじっとしている仇敵同士の音無きにらみ合いが延々と続く光景が見えるだけである。

 ウィルも幼かった頃は、他の子供たちと一緒になって2匹の甲虫を木の幹で戦わせる遊びに夢中になっていた。だが数年後、暗殺部隊の隊長に就任し、その役職の経験をいくらか積んでいたある日の明け方、ウィルは公園の花壇で見かけたのである。少年の目の高さ程の所に咲いている背が伸びきっていない紫苑の花でアシナガバチとオオカマキリが先のハナグモ達と同じような状況にあったのを。

 アシナガバチは花の蜜を集めていたミツバチに奇襲を仕掛け、その戦果を一心不乱に貪っている最中であった。自分の足元の裏に巨大なハンターがいるのにも気づかずに——。
 そしてカマキリはターゲットが食事に夢中になっているのを確認すると、頼りない茎につかまったままターゲットの背後に回り薄紫色の花弁の淵から逆三角形の小さな顔をぬっと出した瞬間、紫苑の茎が大きく揺さぶられ薄紫色の小さな花弁が二枚、巨躯のハンターのそばを儚げに舞い散って行った。

 30センチメートル四方にも満たない範囲での小さな出来事にウィルは興奮のあまり身震いしていた。無表情なはずのオオカマキリの小さな顔にハンターの威厳さえ感じられた。それ以来、ウィルは昆虫と言えば真っ先にカマキリを思い浮かべるようになっていた。そのため目下繰り広げられている蜘蛛と蟷螂という同業者のにらみ合いも後者が制するものと信じてやまなかった。

 何度風が植栽とウィルの体の間を通り抜けただろうか。単調に揺れる姫紫苑の動きについ少年が瞬きをしようとした瞬間、両者が動き出した。そして少年が双眸の動きを静止できず瞼を閉じ、再度開いたときには決着がついていた。姫紫苑の花の上には白いマシュマロの様な塊が泰然自若として鎮座していた。緑色の迷彩を羽織ったハンターの姿は消えていた。

 刹那ウィルは落胆の気色を顔に浮かべたが、すぐに己の行くべき方角に視線を送った。自然と唇が上向きの弓なりに引き締まる。
 長い寄り道で晴天の大海の静謐さを取り戻していたウィルの心に再びさざ波が立ち始める。

 二回足を前に出せば3段のステップがある。ステップの最上段に立てば目と鼻の先にマホガニーの重厚な玄関扉が立ちはだかっているはずだ。精緻な手彫りの装飾が施されたドアノブに手を掛けドアをゆっくりと押し開けばそこは——。

 唾をのみ、乾ききった二つの瞳でやや上方にある玄関扉を凝視した。麗牙の指揮官の緊張は一層高まる。

 ゆっくりと踵から大地を捉えると、再度同じことを反対側の脚でも繰り返す。仲の良い左右の足が揃ったところで今度はつま先からステップを上った。ここでも足音は立てなかった。別に音を立てても構わないのだが、麗牙の隊長の人格が降りたっているときのウィルにとって、音を立てて歩くことは我が肉体が許すはずのない、極めて不注意な行為だったのである。

 年季を感じさせる濃い茶色の木製扉のドアノブに手を掛ける、真冬の冷気に晒され続けた真鍮材が否応なしにウィルへ厳しい冷たさを伝えてきた。それは単に今回の作戦について質問をしに来ただけのはずのウィルの少し先の運命を知らしめるかのようであった。

 少年の手にジワリと力が込められる。ドアノブをひねったまま太い木目が幾重にも描かれている重厚な木製の扉を引っ張った。手入れが行き届いているおかげで、不自然なくらい軽く、そして静かに所長の世界への入り口をふさいでいた障壁が取り除かれた。

 控えめな照明の光が床に降るように廊下を照らし出す光景が海淵のように深い蒼の瞳に映し出された。

——何度も来た場所。影晴様のいらっしゃる場所。

 暫し廊下の奥を見つめていたウィルが静かにうなずくと、館の中の空気をなぞるように右足を踏み入れた——。