二次創作小説(紙ほか)
- As Story〜8話(2) 分割アップ4回目!〜 ( No.46 )
- 日時: 2011/10/14 08:39
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: ZUkStBmr)
ドアの隙間から入り込む乾いた冷気と入れ替わりで溢れ出てきた柔らかな暖気がウィルの左右の頬を撫でると空へ散開していった。以前来た時と変わらぬ石造りの館の香りが少年を久方ぶりに故郷を訪ねてきた孫のようにやさしく出迎える。しかし群青の煌めきを見せる少年の双眸は、館のもてなしをぞんざいに受け止めると更に険しさを増していた。大崎が直々に参加するミッションブリーフィングの際に必ず彼の傍らに孤立したように佇んでいる、うわべだけの忠誠を誓った男の気配が瀟洒な館の空気をウィルから引き剥がしていった。
ウィルは廊下の終端にあるドアの向こうの人影を瞼の裏に描いていた。切れ長の双眸の目じりが獲物を待ち構える蜘蛛のようにギラつき、口許だけは微笑を浮かべている。抑えきれない殺気が溢れだしており、初対面で警戒しない人間は世界中のどこにもいない、そんな表情を想像していた。
溶解した鉛のような憎悪が少年ウィルの腹の底で鎌首をもたげる。それに対峙するように麗牙の指揮官としての彼がそれを阻止しようと寸分違わぬ冷徹さを伴い、理性の中枢大脳から降りてくる。両者は古くから心の宿る場所として伝えられてきた真紅の臓器のあたりで衝突した。
やや伏し目がちにした紺碧の瞳の前に繊細な光沢をもつ銀色のレースが陽炎のように揺らめき透き通った覆いをつくる。廊下の間接照明の光が少年と廊下の最奥部に毅然と立ちはだかる木製の扉までの直線をぼんやりと照らし出す。厳冬の凍てつく大気に追いやられた春の季節が避難してきたかのような暖かさで辺りを照らし出す廊下の間接照明とは対照的に、床に敷き詰められたベージュの地に茶系の幾何学模様が描かれたタイルは侵入者がトラップに嵌るのを待っているかのように沈黙を貫いている。一歩足を進めるたびにセラミック製のタイルと革靴のヒールのぶつかり合う音が四方八方に散らばると、ややもせず残響となって不安の色に染まる少年の心を執拗に打ち据えた。少年が不安に抗おうと扉の向こうの男に対する憎悪の炎を一層燃えたぎらせた。
「あいつ、影晴様の執務室に一人残って何——」ウィルは執務室の扉に手が届くところまで来ていた。あとはドアノブを回して開けるばかりである。だが少年は自らの発した言葉によって息をすることも忘れたかのように呆然自失となり扉の前で全身を強張らせていた。
——ひとり?
泥のように纏わりつくあの男の気配に気を取られ、最も肝心なことを見落としていた。気配が一つしか感じられないのだ。時には晴れた真冬の空気如く凛とし、またある時には春もたけなわの暖かさを漂わせる彼の気配がしないのである。
そんなはずはない——。動揺する己の胸に無理やり言い聞かせようとした。ドアノブを掴むはずの右手は胸の前に移動し、あらんかぎりの力を込めて握り拳を固めていた。しかしその拳で胸を抑え、はやる己の感情を鎮めるべきか或いは激情に任せ眼前の扉にそれをぶつけるべきなのか決めあぐねている主人のせいで、華奢な右手は主人の胸と扉に挟まれた峡谷を所在無げに漂っている。
「影晴様は……」声を震わせ鉛の様な不安を引きずり上げるように俯いていた顔を正面に向ける。マホガニーの美しさを際立たせるように精緻で控えめに彫られた扉の文様が上から下に流れていった。「おひとりで外出されることなんて無かった。ECの長という絶えず命を狙われている立場のために、常に……あいつと行動を共にされていた。なのに、どうして今日に限って……」誰に向けるでもなく囁きのような叫びを発した。目の前に立ちはだかる、赤みがかった固い肌をした執務室の門番を改めて見つめる。普段は生活のバックグラウンドノイズにかき消されてしまう蛍光灯の発するジリジリという音が少年の耳の中に滑り込んできた。
——向こうで、何が……。いや、何も起きてやしない。何もかもいつも通りなんだ。おかしいのは僕だ、僕なんだ。
艶やかなシルバーヘアが右に左に何度も振り払われた。が、少年の胸で繰り広げられる憎悪と理性のせめぎ合いを横目に目の前に浮かび上がってくる不吉な予感から逃れることはできなかった。発作的に少年の右手がドアノブを鷲掴みにした。見る影もない程にかき乱された心を鎮めようと不自然に大きく肩を上下させて呼吸をしている。氷のように冷たい雫が2粒、少年のこめかみから頬を舐めていった。
細心の注意を払ってドアノブを右に回す——。
不意に指揮官ウィルが、先行する仲間に注意を促すように少年に声を掛ける。「奴は部屋のどこにいるんだ!向こうの壁か?部屋の真ん中か?それとも、扉の——」
少年が動作をを制止しきれずにドアが動き出そうとした瞬間、指揮官の精神が少年ウィルにとって代わって肉体の制御を担った。ドアノブにかけた手を瞬時に左手に持ち替え、腰の右側のブラケットに吊り下げた直方体の物体を右手で引き剥がす。後方に飛びのきざまドアノブを一気に引っ張り、1m退いたところで右足が地面に接すると、左方向に開いた扉と並行して左に跳んだ。勢いの衰えない扉が自分より遥かに硬い石にぶつかり断末魔の叫びをあげた。その壁にウィルは体を蛾のように張り付け、息を完全に殺して我が身を静止させている。
部屋の入口には、濃灰色のツイードのスーツに身をかためた長身の男がたたずんでいた。左腕をだらりと降ろし、右手はスラックスのポケットにしまっている。
「随分と——」口男がの端をわずか上向かせた。「嫌われたものだな、俺は」
笑みを浮かべているつもりであったが、男の双眸はいつものように新月の闇を湛えていた。
麗牙の指揮官がミッションの標的に向ける時と同じ視線を声のするほうに向けた。
「天銀……」