二次創作小説(紙ほか)
- Re: As Story〜8話(2) 第十回〜完了!! ( No.70 )
- 日時: 2012/02/18 12:34
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)
振り乱れた白銀の髪が少年の蒼き右の瞳を覆い、口元へへばりつき、床で歪んだ扇形を描いた。クッション性のないセラミック製のタイルに背中を強かに叩きつけられていたが、五十年分はくだらないアドレナリンが全身を駆け巡っているせいで、全く痛みを感じなかった。それでもただでさえ陶器のように透き通るような卵白色をした少年の頬や耳たぶが一層白み掛かり、生気を失っているように見えるのは、執務室の建具の隙間から忍び込んでくる冷気が床を這い回っているからではなかった。常に周囲に注意を払うよう常日頃から指導を怠らない麗牙の指揮官が天空を見つめたまま、顔はおろか目線さえも石化したように硬直させているのは、四つ這いになり少年に覆いかぶさるような体勢で迫るジャケットを身に着けた死に神が、バシリスクの能力を有していたからでもない。
手袋を嵌めているわけでもないのに薄汚いネズミ色に染まった死神の右の掌が少年の喉元に触れていた——。
「君主様の寵愛か?餓鬼の分際で、図に乗るな」普段は存在までも忘れられそうなほど寡黙な男が、己の人生の半分も生きていない若輩に、別人のように憤怒の形相を露わに、罵詈雑言の限りを浴びせようとしていた。
やにわ喉元に張り付いていた右手に力が籠められると、恐怖でひきつっていた少年の首の左右に蒼黒い筋浮かび上がり、透き通るように色白な首の皮は更に白さを増した。これが幸いというべきなのか、まだ、男の掌に埋もれている部分は壊疽が始まっていなかった。
「この組織は、ECは、強くなくてはならない」EC第2の男の言葉は単身で下剋上を決行した無謀な少年に向けて、そして己の不断の意思を確認するために発せられた。喉元を絞められ朦朧としている少年の意識の中では、男の声はカトリックの大聖堂の鐘楼に据え付けられているカリヨン(組鐘)の鳴動のように残響が幾重にも重なっていた。言葉を解すことすら困難になった少年は、ただ欠乏した空気を求めてあえぎ声を上げるのが精一杯だった。少年の反応にはお構いなしに尚も口上を続けた。
「しかし貴様は、いや貴様ら(・)は——」男の射抜くような視線がほとんど白目を剥いているウィルの双眸を貫き、一言を言い放った。「強過ぎる」
ウィルの両手、両足がびくびくと怪しげに震えだし始める。冷酷無比なこの組織の第二の男が少年の首から手を放した。頚動脈を経由し、2本の大脳動脈に熱き血潮が濁流のように流れ込んできたが、体の主はそれを感じ取る能力すら失い、生きている人間とは思えないほど非常にゆっくりとした呼吸を繰り返す木偶となっていた。天銀はなおも聞き手無き会話を続けた。
「ECのの能力は、2、3歳で被検体に薬を投与後、第二次性徴を迎えるまでは急速にその力を増幅し続ける。ただし、前提としてECの本隊隊員のように超能力の素質がある場合に限る。そして第二次性徴を迎えると、超能力の成長を被検体が感じられなくなるくらいに鈍化する。そして15歳ごろで被検体の気づかぬうちに能力のピークを迎え、その後は非常にゆっくりとしたペースで能力が衰えていく。能力の伸びが鈍化するのは、心身が急激に変貌するこの時期に被検体への影響をできる限り少なくするためという、貴様の慕う影晴様の配慮からだ」憤懣が隙間無く満たされた表情で、子供好きな科学者の小細工を胸糞悪そうに言い放った。「そしてその後能力が鈍化するのは——」奥歯を噛み締め再度ウィルをにらむ。「貴様のように余計な知恵をつけて反逆を起こさせないためだ」唾を散らし、俎上に上げられた生きの悪い魚のように動かない少年に荒ぶる感情をぶつけた。「だが貴様ら麗牙は迎えるべき低成長期がなかった。そしてウィル=ロイファー、荒木恵怜、この二人は年齢の制約を無視して直線的な能力の成長を続けている。私とて大崎と同じく科学の世界にこの身を捧げた人間だ。例外的な反応を示す被検体には大いに興味を持ったのだ。だから、麗牙の隊員たちの成長を妨げることなく静かに見守ることにしていたのだ」長広舌で息を切らした天銀は、気が付いたように大きく息を吸い込んだ。
「だが、どうやら私の判断は誤っていたようだ。貴様は、過ちを犯した。若気の至りなどでは済まされるものではないぞ」ECの死神は目を閉じたまま天を仰いでいるウィルの体躯にまたがると、人としての血が通ったためしの無い砂色の両手で少年のしなやかな左右の手首を握り締めた。
扉の向こうで先の侵入者が蠢く気配がしたが、天銀は全く気に留めていなかった。麗牙のやつらに比べれば取るに足らない雑魚に過ぎない。
「命まで奪うのは早計だ。貴様らの能力の急成長ゆえ、薬品の影響を受けた細胞が劇症型の拒絶反応を起こしたという理由にでもしておくか」異様に昂ぶった死神の声が虚空に響くと、男の白髪がにわかに逆立った。灰色の顔面が著しく紅潮した。そして、魔手が周囲の光を喰らい尽くそうと漆黒に染まり始めた瞬間——。
紺碧に染まった二つの瞳が矢庭に光を取り戻した。仁王像のように双眸を剥いた麗牙の指揮官が一瞬にして二つの魔手を振りほどき、今度は死神の左右の手首のくぼみ——尺骨ととう骨が手首に接する辺り——に指を食い込ませた。あまりの激痛に死神が断末魔の叫び声をあげた。
この部位は骨が途切れた辺りを軟骨が数本伸びており、強く握られると他の急所ほどではないものの、楽に激痛を与えることができるのだ。さらにウィルが怒号を発し、長身の男を引き倒そうとした。
虚をついて入り口のドアの辺りで耳をつんざく甲高い音がした。ドアノブを保護する彫金のプレートのすぐ下小さな穴が口を開けている。そして、タイルの床にはドアの穴よりだいぶ大きい穴が穿たれていた。ECの隊員たちなら吐いて捨てるほど目の当たりにしてきた光景だ。銃弾がドアの部材を貫通したのである。天銀の手首を締め上げたまま、ウィルは弾丸の軌跡を推測するように目線を動かした。一方、天銀は苦悶の表情でドアノブを一瞥しただけだった。激痛で弾痕を見る余裕が無いわけではない。この屋敷は主人の仕事柄、銃撃や爆撃に耐えうる構造をしている。その耐久性を扉一枚にいたるまでとはいかないが、ドアノブについては拳銃で数発撃ったくらいでは、シャフトがゆがみもしないつくりになっているのだ。さっきの金属音からしてもカービンやライフルの類ではないことが明らかだったため、特段喫緊の対応が必要とも思っていなかった。弾を使い切ってようやくシャフトを少し曲げることしできない哀れな闖入者に嗤笑を浴びせ、己が魔手で絶望の淵に追い落とすという悪趣味も悪くはなかったが、まず先に男の両手首を戒める忌まわしき麗牙の指揮官の手をどうにかしなくてはならなかった。さらにその前に、天銀は扉を一瞥したまなこを、またドアに向けなおすという面倒な所作をしなければならない事態に陥っていた。そして、少年の疎ましい手の存在も痛みも忘れて声を漏らした。
「ドアノブが曲がっている」