二次創作小説(紙ほか)
- As Story〜8話(2)第十回 〜完了!! ( No.72 )
- 日時: 2012/02/18 15:27
- 名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)
闖入者にとっては長い長い1秒であった。一瞬空気が淀み、ドアノブのそばでありのくしゃみの如く静かに空気を吸う音がする。そして1発、残響が鳴りやまぬうちに同じ方向へもう一発。堅牢さを謳った執務室の扉のドアノブが、中世のヨーロッパの断頭台で刃が落とされた瞬間の処刑者の頭部のごとく弾けたように飛び出し、ぐるぐると回転しながら何回か執務室の二人の男と目が合い、最後はドスンと音を立てて床に堕ちた。目の当たりにした男たちにとっては要らぬ想像力を掻き立てられる、何とも気持ちの悪い光景だった。
予定通りドアノブが弾け飛び、園香の視界から消えていった。執務室前の廊下は業務用冷蔵庫の中の様に濃密な白い靄で埋め尽くされており、腕を伸ばせばひじより先が靄にとかされたように消え失せてしまう有様であった。月下の二人の頭髪にも細かなつららが幾本も連なり、天然のアクセサリの様に煌めいている。
折角組織を抜ける今日、この日のために扇に買ってもらったブーツなのに、ごめんね。
ヤッと歯切れの良い掛け声とともに電光石火の回し蹴りを、重たいだけが能の扉にお見舞いした。あまりの勢いで、ヒール部分が弾け飛ばずにマホガニの部材に突き刺さり、園香が足を戻した時に靴の本体から抜けて、腰よりもやや上の位置にヒールの付け根が顔を——この場合は尻というのだろうか——覗かせる格好となった。件の扉は、安ぶしんの玄関ドアの様に猛烈な勢いで蝶番を軸に回転し、執務室の内側の壁に激突後、その反動でわずかに来た道を戻り、ほどなくして止まった。
ドアの勢いに吸い込まれるように、廊下に充満していた白い靄が、狭い入口を突破すると波動の回折現象のような振る舞いをし、一瞬にして執務室の前後左右に広がった。部屋の中の二人の男達の脳裏には、時速200キロで迫りくる音無き新雪雪崩のような幻影が映っていた。
3秒待機、そして突入。篠原が執務室の入り口の右脇でコルト・ディテクティヴに持ち替えた園香に、今度は右手の3本の指を立ててカウントダウンの合図をした。当の本人は奇跡的に意識を保っていたものの、片ひざを突きせわしく肩で息をしている。カウントがひとつ進んだときに園香から、突入よ、シャキッとなさい、と、もはや声を潜める必要もなくなった今、園香らしい芯の通ったきつい調子で血も涙もないねぎらいの言葉が浴びせられた。
「そうこなくちゃな、園香」篠原がひとしきり苦笑を漏らすと、カウントダウンを遅らせたい衝動を必死に抑え込み、最後の指を倒した。
ホワイトアウト——それは雪山で苛烈を極める吹雪に遭遇したときにのみ見られる現象と聞いていた。視界が白一色に染まり、鼻先の視界さえ確保できなくなるという。音も重さもなく襲い掛かる不気味な純白の濁流を目の前にし、ウィルの瞼の裏に記憶の無声映画が映しだされていた。麗牙光陰の隊員の超能力の中で、ターゲットの視覚を無効化する、つまり視界を真の闇で覆い尽くすという能力があるが、今はちょうどそれの逆か。どちらにしても、これにはまると上下の区別がつかなくなり、三半規管が変調をきたす。そして仕舞いには床に這い蹲うことになる。それでもこの能力の呪いは続き、ターゲットは仰向けになっているのかうつ伏せになっているのかわからなくなる。これが長時間続けば……。
——なに人事みたいに言ってるんだっ。
もう一人の自分の声にはっとし、白一色に染まった現実に目を向けた。そうだ、自分を追い詰めてどうするんだ。何か打開策は——。
確実に二人は闖入者がいるにもかかわらず、物音ひとつしない。そして天銀と争っていたときに感じた気配が巧妙にコントロールされ、今では全く感じ取れなくなってしまっている。闇組織の2番目の男、そして組織のスーパーエース。とりわけ優秀な暗殺者が二人もいながら、この状況になす術を無くしていたかのように思われた。
待て、ウィルが胸の中で声を上げた。麗牙野指揮官は敵ながらにあまりに見事な奇襲に気をとられ、重要なことを見落としていたことに気づいた。
少年は、最初で最後であろう天銀の数秒間にわたる隙をつき、男の両手首を戒めていた手を右脇に素早く流し、男の上体を床に引きずり倒す。受身をとる間もなく自身の体重の半分以上がかかった状態で右肩を床に直撃させ、蒼白な顔面が激痛に大きく歪んだ。今日の天銀は実に表情豊かに振舞っている。もともと両膝を突く姿勢になっていた男は、尻を天に突き出す無様な体をさらしていた。
完全に虚を突かれた天銀が、視界の右の外側にはみ出て見えないはずの少年の顔をにらむように双眸を焦燥と憎悪で剣呑に煌かせる。瞬時に左腕を床に突き上体を立て直した死神が、右腕の魔手をウィルの右の二の腕めがけおよそ60センチの空間を滑空させようとすると、ほぼ同時に麗牙の指揮官も仰向けの体勢のまま両足をそろえて膝を曲げると、臓物やら脂肪やらが詰まった臍のあたりの腹部に向け、スティンガーミサイルさながらに両足を発射した。
少年の首に魔手が届くどころか、バックスイングのために、下を向いている痩躯よりも上に持ち上げた魔手が、再び主人の痩躯より下に魔手がしゃしゃり出る前に、少年の2本足の槍が貧相な肉の鎧しか身にまとっていないへそのあたりの腹部に、内蔵が著しく変形するほど深々とめり込んだ。幸いにも夜の馳走を目前に控えた時間帯だったために、少年の顔やその周囲に男の口から芳しい黄色い酸の雨が降り注ぐことは無かった。
2秒の間、鳥になった男が激痛に意識を混濁させつつも、両足を大の字に開き、辛うじて転倒をまぬかれていた。死神を蹴り上げた直後、再度両足をを勢いよく伸縮させて体を起こし、しゃがんでいた少年は、迂闊にも鬱陶しいほどある白銀の前髪で覆ってしまっていた。混濁する意識のせいで少年が3、4人に分身していても、濃密な霧に紛れて蜃気楼のように波打っていても、死神の闘争本能が少年の近いほうの腕めがけ、利き腕の魔手を宙に躍らせた。だが、天銀が束の間の空中散歩を始めてから、今この瞬間まで、麗牙の少年を野放しにしていた時間はあまりに長過ぎた。
天銀の右の魔手が、向かって左を向いてしゃがんでいる少年の左腕の付け根付近を驚くほど簡単に貫くと、純白の霞の中で気障りな二つの深蒼の玉をきらめかせながら、少年の華奢な体躯が空気中に溶け出すように消えていった。