二次創作小説(紙ほか)

As Story〜9話(2) 〜アップしました! ( No.90 )
日時: 2012/11/12 00:38
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)

二〇六二年三月一〇日 武蔵丘陵付近施設構内——


 ノートパソコンに搭載されているような直径3センチメートル程度の冷却ファンは、自らの意志を無視され、初老の長官が起動スイッチを押下した瞬間からフルスロットルのランボルギーニ・アヴェンタドール顔負けの爆音を上げ、厚さ約9センチメートルのメインサーバの体温上昇を抑える任務に就かされてしまった。小さな彼が数秒でも仕事をサボると、警察庁の威信を懸けてつくりあげた最先端の防犯システムが黒煙を上げ、沈黙の檻に永久に閉じ込められてしまう。主な装備といえば5枚の羽根しかない瑣末な電気部品は、彼の能力をはるかに上回る重責を一方的に課せられ、片道分の燃料だけ渡されて飛び立ったのである。だが、哀れな電気部品を送り出した当の本人は、己がした行為の惨たらしさに気づいていないのか悪びれる素振りを露ほども見せず、それどころか指先一本で済んでしまう仕事への物足りなさに、年の割に皺の多い面相の眉間のあたりに更に皺を刻み、抑揚のない声で隣に並んでいた警視庁公安局局長に会釈すると、低迷する景気、舶来の伝染病の蔓延、悪化する治安と、浮かない話題尽くしでイネ科の花よりも小さい会話の花を咲かせようとしていた。

 メインサーバの前にずらりと陣取る、一列横隊の客賓達も長官に続けとばかりに銘々に談笑を始め、隊形を崩し始めていた。警察およびその周辺組織の重鎮たちの隊列をレンズに収めようと、レポーターの群れの前に張り出していた数名のカメラマン達が、室内の人物撮影には明らかに大き過ぎる望遠レンズをこれ見よがしに振りかざしながら、ペン型ボイスレコーダーとA6版電子メモを手にしたレポーターの群れを押しのけ、時折威勢のいい言葉の売り買いも交えながら抜けだしていた。
 静は、人間のための空きスペースがない上に機械が発する騒音に満ちた不快な空間で、いっそう不快指数を上昇させようとする書く者と撮る者の小競り合いに顔をしかめつつも、しきりに周囲を見回していた。すぐ脇では新堂が、頼りない年下の隊員がようやく任務に本腰を入れたと勘違いし安堵の息をつくと、ドアのすぐ脇の立ち位置から少し離れた場所へ壁沿いに移動していった。突如静を襲った得体のしれない不安によって、彼女の視野は獲物を睨みつけるネコ科の小動物のように狭まっていた。同時に呼吸が小刻みになり、喉の渇きを覚えた。二本の足は裏がスポンジのようにやわな感触になり、平衡感覚を失いかけた。いっぽう、瑠璃色の制服から垣間見える色白の肌は感覚が極端に敏感になり、仄かな空気の揺らぎでさえもワーカーホリックと化した彼女の触覚かブリザードのごとく彼女の脳に信号をぶつけ、パニックに陥りかけている精神にとどめの一撃をお見舞いしようとしている。

 ——何がそんなに不安?なにか不審なものが見えたわけでもない、音がしたわけでもない!

 荒れ狂う脳内の猛吹雪の中で喘ぐように叫んだ。直近の自分の行動を振り返ってみたが皆目検討がつかない。先輩社員に咎められて手持ち無沙汰になっていた右の手のひらを左胸に当て、焦燥する意識と左胸に居座り脈打つ塊とを向きあわせてみる。早鐘のようにわめき散らしていると思われた彼女のそれは思いのほか大きな変化はなく、淡々と自らに課せられた仕事をこなしていた。手のひらをそのまま当て続けていると、風の凪いだ大海の、ゆったりとしたうねりに仰向けになって身を委ねているような感覚がした。海が途切れるその先には、数十メートルもの高さを誇る岩壁が、足元を当て所なく漂う人間の雌を睥睨するかのようにそびえ立っている光景が瞼の裏に映る。
 現実離れした神々しい眺めに、存在しないはずの自然愛好家としての彼女の意識が突如覚醒し、海岸付近に限られていた空想の範囲を数km先の水平線のさらに向こうへと広げようとしていた。虚構の海中で静の肉体は重力の制約を免れ、奈落から天上まで、そして水平線にぐるりを囲まれた広大な空間を、縦横無尽と読んで字のごとく駆け巡ることができた。海岸線付近に佇んでいた静は、海に潜るとわずか数秒後にはエメラルドグリーンに染まる海の底を捉えていた。彼女の意識は不自然に凹凸の少ない海底のすぐ上を、巡航ミサイルさながらに這うように突き進み、より沖合を目指した。静が瞼の裏の小さなキャンバスに描き始めた海は遠浅の海だ。中学校の地理の授業で習った平らかな大陸棚が水平線の向こうまで広がっている。やがて大陸棚が途切れると、海底は極めて緩やかな下り斜面に変わっていった。そこは大陸棚に比べて気の遠くなるくらい広大で薄暗く、全くといっていいほど起伏のない地形であった。
 静はあまりにも海を知らなかった。彼女が最後に海を訪れたのは高校の卒業旅行で行った沖縄本島のレジャービーチ。そこでは几帳面で潔癖症な日本人たちによって施された海——純白の砂浜と、宝石のような海、サンゴ礁、様々な熱帯魚達——が彼女の身も心も愉しませてくれた。数百メートル沖合で足の届かぬほどに深さを増し、毒の触手をもつハブクラゲが海水に完璧に溶けこみ、うつぼが海底で息を潜める「素顔の海」の玄関口さえも行ったことはなかった。そのため彼女の想像する海は、水深100mを超えた時点で漆黒の闇に包まれることはなく、水深3,000メートル台の深海平原に辿り着いても海底の山脈、海嶺が一つも現れなかった。なおもミネラルと水に満たされたがらんどうの小宇宙で、己の意識をさすらい巡らせ、有人潜航の最深深度と並ぶ7,000メートル級の海淵に入っても、本来ならば届かないはずの日光が辛うじて青みがかった人影を照らし出していた。周囲を見回しても、深海魚どころかプランクトンと思しき白色の斑点すら見当たらない、生命の環から外された世界。
 ほとんど彩度の失われた空間で、モノクロームの陰影で描き出された岩かべの中に忽然と佇む、人手によって作られた扉と遭遇するまでには、さほど時間を要さなかった。
 周囲の岩石とは似ても似つかぬ特殊なセラミクスか合金製と思われるその扉は、部材の沈んだ灰色とテクスチャーがそのまま表面のデザインとなっていた。そして、余計な装飾や塗装、機能などを氷の彫刻のようにストイックに削ぎ落として言った結果、「堅牢」というテーマの作品ができたと美術館の司書が説明しそうな、泰然自若とした雰囲気がその一枚板から滲み出していた。静はその扉から感じる既視感の原因を自分の胸の中で探していた。今日の彼女は、与えられた仕事や問題が、川の流れのようによどみなく進む星の巡り合せならしく、くだんの扉の問題も、先ほどまで警備をしていたサーバールームの出入り口の扉ということで落着を見た。級に彼女は警備のタイムスケジュールが気になり始め、警備員とは思えない細身の右腕を無造作に伸ばしドアノブに手をかけると、ドアノブを睨めつけた姿勢で体を硬直させた。この扉は国民的漫画で登場する<どこでもドア>のようにこの場とサーバールームをつなげているのだろうか。もしそうだとしても扉を開けた途端、700気圧の水圧とともに水がサーバールームに吹き出すのではないか。そもそもなぜ扉がこのようなところに現れたのか。
 光を見たことの無い深海の住人たちの呼気の気泡のように 、彼女の精神の海淵からとめどなく湧き上がってくる扉への懸念が、次々と脳裏に浮上してきていた。そして一つの考えが——全くもって根拠も確信も無い、荒唐無稽な考えだが——あらゆる推測の泡沫を粉砕した。

 ——この扉の向こうに、私の不安の原因が、ある?


As Story〜9話(2) 〜アップしました! ( No.91 )
日時: 2012/07/08 06:29
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: 7lLc0QEy)



 素朴だが一つ間違えば怒涛の洪水で人命を奪いかねない選択を決めるのに、彼女の運は幾分か不足していた。自転車操業の会社のように、自身の強運によって解消することのできない問題がひとたび足元に残ると、次々と降ってくる災厄が彼女の足元を埋めはじめてきた。広大で何かと抜けのある「精神の海」は、創造主である水打の意向を確認することなく、水深3,000メートルの極めて平坦な大洋底のあちこちで巨獣の咆哮のような地鳴りを起こした。
1、2秒程度で鳴りやんでいた轟音は、回数を重ねるごとに確実に時間が延びていき、5回目に発生した地鳴りはゆうに30秒以上なり続けていた。それに比例して、全身の肌を打つ振動も強さを増していった。どんなに地鳴りが強くなっても、地割れや地崩れがどころか、石ころひとつ転がり落ちる様子はなかったが——彼女の海の再現力の乏しさに感謝である——、静はこのままやり過ごすのか、それとも周囲人々を巻き込む可能性を秘めたまま扉の向こうに逃げるのか、究極の判断を迫られていた。何度もドアノブを回しては、元に戻した。水に包まれているのに、冷や汗がこめかみから頬を伝う冷たい感触で、顔の左右は鳥肌が立っている。200分の1立方メートルにも満たない体躯の彼女とつながっている意識は、13億4,993万立方キロメートルを誇る大洋の激しさを増す身震いに翻弄され、いよいよ上下左右の間隔がおぼつかなくなっていた。
 だめ、迷ってられない!
 静は大きく息を吸い込むと、唇を真一文字に締め、歯を食いしばり、両手でドアノブを握り締め、ノブのばねがちぎれそうになるくらいににぎりをねじった。カンヌキが抜けるか抜けないかのタイミングでドア板に体を叩きつけると、暗がりに順応していた視覚が突如飛び込んできた強い光で眩惑された。コントラストが戻り始めるに連れ、水打のまっすぐ前に四角い何かの輪郭がぼんやりと浮かんでいる。
 あれは?
「ぼうっとするな、すいうつ!周囲に注意を払っているように見えたが、また突然の思考停止か?お前はつくづくよくわからんやつだな」
 野太い声がすると、五本の折れ曲がる突起を備えた、鉄球のように重い肉の塊が、断頭台のギロチンさながらに彼女の弱弱しい肩に振り下ろされた。

「しんどう、さん?」どこかで口走ったような気がした。次に来るのは自分の世界に引きこもっている静を叱咤する先輩隊員の重たい声とげんこつか。彼女の脳裏にそのシーンを映しだされると、鳥肌が全身を走り、心臓が震え上がるのがわかった。
 違う、ちがう!
 同じではない。さっき見たのは陳腐なアクアリウムなどではない。扉は単なる脱出口ではなかったのだ。新堂が金棒を右手に引っ提げた赤鬼のごとく彼女の瞳に映し出される前に、何かが見えたのだ。
 不意に、来賓たちの立ち並ぶあたりから、二言三言強い調子のやり取りが聞こえてきた。おうような彼らの口調を貫くように、病室の心拍計のように一定のリズムを刻む澄んだ電子音が飛んできた。新堂が他社の警備員をを気にして強く注意できないことをいいことに、彼の小言を無視しで静は音のしたほうに顔を向けた。重苦しい灰色のツイードの人影の隙間から、辛うじてサーバのディスプレイの一部が見える。警察組織の長官が起動スイッチを押す時は3インチのタッチパネルディスプレイしかなかったが、起動後の処理を来賓の連中に見せるために、無線接続の20インチのディスプレイをメインサーバのラックに据え付けたのだ。すでに起動直後から実行されるアプリケーションの画面がフルスクリーンモードで表示され、先ほどの音から連想した通りの黒地に緑色の折れ線グラフが、心拍計のような振る舞いを見せている。
 良くも悪くも自分に気を遣ってくれている新堂に、最小限の配慮をしてきた静だったが、数十秒ほどすると、視線だけでは飽きたらず躊躇いがちに顔全体をツートーンの画面に向け、やがて連なるように瑠璃色の細い肩が同じ方を向いた。小言を連ねていた新堂の右の頬が一瞬引きつった。ほどなくして静の左足、そして右足とすっかり彼女の体はサーバに正対していた。無意識のうちに彼女の右手はゆるく握り拳をかため、沈み込む青の上着の第二ボタンのあたりまで持ち上げられていた。やかましい先輩の声は、右の耳の穴から入るともう一方の耳どころか脳の真ん中にも届かず、鼻の穴から漏れてしまっていた。そして彼女自身の声も意識も何もかもが薄っぺらなディスプレイに吸い込まれていった。彼女の視界の中央に小さな四角い模様程度にしか見えていなかった画面の破片が視界を埋め尽くすほどに拡大していき、画面の映し出す内容が克明に描きだされていく。緑色の折れ線は、心肺停止した心臓に取り付けられた心拍計のように、静の瞳の最下方で単調な直線を描き続けていた。
 「すいうつ!」後輩を慮る麗しき情愛が堪忍袋からこぼれ、控えめな怒鳴り声となって静の意識の横っ腹に突進してきたが、彼の声は砂漠にまいた水のように空しく彼女の意識をすり抜けていった。再三にわたる無礼極まりない振る舞いに、濃褐色に日焼けした彼の顔面から血の気がひき、わずかに顔色が悪くなったのを彼女が奇跡的に気づくことができれば、一人の殻に閉じこもりがちな後輩も姿勢を正し、新堂のお言葉を神妙に聞いていたかもしれない。だが、静の画面への執着は、無数の無法者やら奇人やらを相手にしてきた百戦錬磨の警備隊員でさえも想像の及ばぬものだった。正体を逸した小娘の顔面を睨みつけようと水打の右前方に回り込んだ新堂は、思わず喉の奥から絞り上げるように声を漏らしていた。

 「お、おい…」

 男の分厚い唇が素人のパントマイムのように歯切れ悪く形を変えるが、声がのどの底でおいてけぼりを喰っていた。ついさっきまであちこちに目線を泳がせていたかと思えば、直立不動の姿勢で居眠りと思しき粗相をしていた女が、突如全身の毛を逆立たせんとばかりに恐怖と警戒心をあらわにし、皿のように見開いた瞳から放つ二条の視線は、彼女の右前方に呆然と立ち尽くす男のわきを通り過ぎ、はるか後方の一点を射ているのである。鬼気迫る静の気迫に引きずられるように男の胴と足が勝手に右に回り、彼女の視線を追っていた。暗灰色の警護対象者らの隙間から十数インチの何の変哲もないディスプレイが見えたが、そうそうたるキャリアを持つ新堂が不覚にも強烈な動揺を抑えきれずにいた。黙り込む二人を尻目に、ディスプレイは淡々と緑色の直線を己の顔の下方に描き続けていた。
 約1分、あまりの時の長さと緊張で憔悴しきった二人の精神に、持ち場のローテーションを告げる、現場警備を統括する指揮官の声が入り込んできた。我に返った新堂が、大きく息を吐き慌てて周囲を見回すと、対象者たちを眺めるように呆然と立ちすくんでいた二人に、他社の警備隊員たちが嘲るような視線を送っていた。それだけではない、一威ら警護対象の要人たちも皺だらけの額にさらに皺を刻み、二人に訝しむような目線を送っていた。褐色の肌の裏で顔面蒼白の新堂が右腕を伸ばして静の左肩を揺さぶると、声をひそめる必要のなくなったいま、全身全霊をこめて未だに状況を把握できていない後輩を怒鳴りつけようと音を立てて空気を吸い込んだ。見る見るうちに新堂の顔が紅潮し、額の両脇に血管が浮き出てきた。それとは対照的に、全身に電撃のようなもの感じて咄嗟に左に首を振った静が、人知を超えた先輩の変貌振りを目の当たりにした途端、全身の毛細血管が収縮し、北欧系のモデルのマネキンと見紛うばかりに、制服から露出した肌が真っ白に染まった。本日幾度目かのスローモーションの瞬間が訪れ、最大限に開かれた新堂の口腔の奥に、喉の血管が見えたそのとき——。

——ピーン。

 サーバー室の空気が一刀両断にされた。毎時0分の時報のような澄んだ電子音が、メインサーバの貧相なスピーカーから四方の壁めがけて発射されたのだ。魂が抜けかけていた静がディスプレイに目をやると、画面中央に上向きの緑の山型が映し出されていた。静の目の前では、再びディスプレイに意識を吸い取られたようになっている先輩の姿があった。さらに首を回すと、同じ空間に居合わせているすべての人間が目の前の男と同じものを見つめ、言葉を失っている。
 やにと芳香剤の入り混じる人間達の息がにわかに停滞し床面に落ち込んでいく1,000平米のホールでは、無数のコンピュータのファンが奏でる一本調子の合奏曲が響き渡っていた。
 直方体の時の使者が鳴らしたラッパが、見てはならない幻想と混乱の物語の表紙をめくってしまったことを報せるものと気づく者は、誰ひとりとしていなかった。