二次創作小説(紙ほか)

As Story〜9話(4) 〜副長官、乱心 ( No.98 )
日時: 2012/10/07 17:34
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)



 件のシステムが稼働を開始してから、まだ20分も経っていなかった。3月の太陽はもうすぐ南中になろうというのに未だに低く、レースカーテンをすり抜けてきたような柔らかな光を武蔵野の大地に降り注がせていた。
 丘陵地帯の鬱蒼とした森林の樹幹と内側では、仄かに地面を照らす日光を頼りに、視覚によって狩りをする生き物たちの、少し早いランチタイムという名の修羅場が繰り広げられていた。厳しい冬を類い稀なる忍耐力で乗り越えてきた虫たちが、ようやく活動を始めようとすると、それを待っていたかのように翼をもつ捕食者たちの動きも活発になってきた。彼らもまた、餌が極端に少なくなる厳寒の森で、仲間たちが次々と餓死していくのを目の当たりにしながら、辛くも生き抜いてきた者たちなのである。連日連夜、餌にありつこうと血走った眼をして薄暗い森の中を縦横無尽に飛び回っていた。羽のある虫はただでさえ短い一生を更に短く終わらせまいと死に物狂いで逃げまどっている。悲惨なのは、卵からかえり、数日しか経っていない昆虫の幼虫達だ。羽どころか機敏に動く足さえも持たない彼らが身を守るための装備といえば、自らの皮膚に描かれている鳥の目を模した斑点や、木の幹に似せた迷彩調の模様だけだった。不運にも木の幹から落ちてしまった者、不用意に動き回ってしまった者たちは、迫りくる捕食者に気付く間もなく肉体を食べやすい大きさに切り刻まれ、ひとかけらの食品と化する憂き目を見ていた。暗緑色の天蓋から舞い散る落ち葉の流れに逆らうように、志半ばにして命を絶たれた彼らの魂が無数の迷彩柄の霧状の塊となって天を目指していく。啓蟄を迎えて間もないころは、この霧状の塊が木々の隙間を埋め尽くすほどに発生し、常日頃から淀んでいる空気の流れが動きを失い、太陽の光半分ほどが魂の靄に吸収され、陰鬱とした森の情景を一層増長させていた。歩けば棒にあたるからといって木の幹でじっとしていれば生存が保証されているわけでもなかった。気の遠くなるような鳥類の歴史において、子々孫々へと連綿と引き継がれ改良を重ねてきた擬態を見抜く術の前に、代わり映えのしない小さき者たちの擬態は数百年前には殆ど意味を失っていたのである。餌がふんだんにあるときは、自身を隠しきれていない哀れな者から処分していくので、少し凝った欺瞞が全身に施されている種類の虫達はやり過ごせたと安堵混じりの大きな息をついていられるが、少し餌がなくなり始めると、欺瞞の有無にかかわらず、動きの緩慢なものは手当たり次第食い殺された。ほとんど丸腰の状態で地上に現れてきた幼虫たちが、陰惨な死に様を晒していく光景は、映画『スターリングラード』の冒頭で登場する、防弾性能の低い軍服と粗末な小銃一丁を渡されて戦場に放り出された新人の歩兵たちを彷彿とさせる。
 武蔵野の大自然で鳥たちが嘴を虫けらに向けているとき、データセンターの一角では、人間が人間に銃口を向けていた。銃を握っているのは、室内の警備をしていた三名の警備員。銃口の睨む先では、壁際まで追いやられ、おしくらまんじゅうのように寄せ集められている報道機関のレポーター、カメラマンたちがいた。彼らを招いた警察は彼らに時空間走査システムが正常に起動し、今世紀初頭までの時空間走査処理がつつがなく完了したことを、翌日のマスメディアを通じて世に知らしめてくれることを期待していた。今となってはそれが深刻な仇となっていた。予期せぬ四二件の反応。時空間犯罪者——。記者という動物が、人類史上初の時空を渡るシステムの稼動開始という誇るべきの式典の中、彼らの野次馬根性に満ちた本能をむき出しにし、式典中の トラブルや不祥事が発生するのを舌なめずりをして待ち構えてい矢先だった。警察庁長官一威正一の鋭い号令が発せられるや否や、報道関係者らが状況を理解できぬうちに、集団の外側を三人の警備員に囲まれていた。用足しから戻ってきた記者がひとりいたが、彼もまた、二つのつぶらな瞳に映し出された戦慄の光景の意味を飲み込めぬまま、警備員の一人にアゴで誘導され、哀れな羊の集団に加えられた。
 殆どの記者たちは望まれざる四二件の走査結果に関する一切のメモや画像データの提出を求められると、無言で指示に従っていた。威勢のいい三十前後の若い男のカメラマンが、警察のあまりにも唐突で理不尽な要求にくってかかろうとしたが、向けられた銃口のやや後方、銃身の下につけられているアタッチメントを見るなり口をつぐんだ。全身の筋肉が硬直し、ねっとりとした冷や汗がこめかみから一筋、右のあごの際にそって垂れた。その器具は単一型乾電池と大きさも形状もそっくりな外見をしていた。間違いない。カメラマンは喉の奥から嗚咽がゾンビのように這い上がってくるのをこらえた。それは法執行機関の特殊部隊がテロリストなどの武装した犯罪者との近接戦闘時に装着する小銃用電撃アタッチメント、つまりスタンガンだった。音も光も全く発することもなく、AEDの二十倍もの電圧と電流量を有する電撃を一秒間に最大十回ターゲットに叩き込むこの電撃銃は、重装備の歩兵でさえも、自身が攻撃されたことに気きづく前に、彼もしくは彼女の意識を奈落の底に引き釣り込むことができる。そのため、近接戦闘の中でも歩哨と鉢合わせする可能性の高い、建造物内での突入経路確保に威力を発揮するのだ。だが今、奇妙なことに電撃銃の電極は、丸腰の若い男の民間人の方をまっすぐ向き、人間の肉に飢えた単眼の巨人の如くうめき声を漏らしながら男の心臓を睨み据えている。もしあれが一瞬でも触れたら、俺は——。刹那、残りの一単語が瞼の裏を右から左によぎる。その文字列が何か瞼の裏の映像を見るまでもなくわかっていたが、決して言葉にはしたくなかった。真正面に立ちはだかる濃紺の警察の犬に気づかれぬよう目線を動かしてみる。己の胸の中央から相手の銃口までを一条の線でつないだ。男の胸と豆粒ほどの電極の間隔は40センチメートルほど。カメラマンの眼前で小銃を抱える警備員が噂通りの選良ならば、コンマ1秒もかけずに男の胸骨上に電極を当てられるはずである。下唇を噛み締めるカメラマンの緊張の糸が、鋭い音を当てて張り詰めていく。
 「100年以上昔の特高のつもりか貴様ら!民主社会で検閲がまかり通ると思ってるのか!」窮地に立たされ、地蔵のように押し黙ってしまった若者を見兼ねて、群れの奥からどすの効いた中年の男の罵声が轟いた。
 「まかり通ると信じてやみませんよ」警察に抗する一部の記者たちが男の野次の勢いにのり、にわかに勢いづこうとする出鼻を砕かんとばかりに、即座に反駁の文句が無機質な空間に響き渡った。声の主を見て驚嘆の声がまばらに聞こえてきたのは、拘束された人々の群れではなく警察組織の幹部達のほうだった。壁際に追い詰められたレポーターの群れにゆっくりと距離を詰めていくダブルのダークスーツを羽織った猫背の人影、その光景を目の当たりにした幹部の誰もが、人影の名前を思い出せるものはだれもいなかった。それでもその人影が常に長官の傍らで影のごとく静かにつつましくふるまっているのを知っていた。あるじの足元に映る影が主から離れた。思わず幹部の一人がタバコで汚染された呼気を零した。主から離れた「影」は視線をやや下に落としたまま一歩、また一歩と左右の足を前へやり、部屋の四方を囲む打ちっぱなしのコンクリートの壁で反響する自身の足音を味わうかのようだった。
 「影」は血の気の多い一部の記者らの地獄耳に届く程度のわずかな声で話したにも関わらず、三挺のスタンガン付き小銃に囲まれた記者達の顔面にはうっすらと霜が降りている。そして恐怖と憤りの入り混じった視線を、わざとらしく丁寧な物言いをし、独り歩きする「影」に向けていた。「影」は記者のやじなど全く気にも留めないといったように菩薩の微笑みを彼らに向けている。
——言論の自由が保証されたこの民主主義国家で公然と検閲が行われるなど、話にならん…。
——うつけ役人のハッタリだろ…。
——だいたいあいつは何者なんだ?何の権限があるってんだ…。
 恐れを振り払うかのように、記者たちが「影」への侮蔑の念を百様の形をなして頭上に浮かび上がらせようとしていたが、「影」の醸し出す異様な余裕のためにそれをできないでいた。
「仁田、検閲とは、まさかお前」背後から一威に呼び捨てにされ、「影」が足を止め、首だけを横にひねる。同時に、大半の記者が一威が口にした「影」の苗字を耳にするなり、眼前に迫る男に目線を奪われていた。「長官、検閲の決定権は私にもあります。本件の処理は私に一任ください」
 決定権、本件の処理、一任——。「影」の言葉の端々が、男の素性を知ってしまった記者たちの精神に深々と突き刺さり、致命傷を与えた。猫背の小柄な「影」の名は仁田 次博、警察組織のブレーン、警察庁副長官であった。仁田は記者たちを制した時とは打って変わり、謙虚で誠実さに満ちた声色で長官に返事をした。仁田がへりくだった態度をとったり、呼び捨てにされるのをおとなしく受け入れるのは長官の一威に対してだけである。それが仁田が強大な権力には従順である性格ということなのか、もしくは一威への純粋な尊敬の念の顕われなのかは誰も知らない。

As Story〜9話(4) 〜副長官、乱心 ( No.99 )
日時: 2012/10/07 21:00
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)

 仁田は生来温厚な性格の持ち主であったが、二年前に副長官に就任して以来、世界最高レベルのモラルを誇る国家の泰平を司る組織のナンバーツーとしての重責と、超のつくエリートぞろいの部下たちの突き上げ、そしてスタンドプレイの多い長官のコントロールに追われ、ついに心の病を患い、数か月間床に伏していた。それでも生真面目な仁田は副長官の使命を全うするべく、二週間前から職に復帰し、副長官としてこの地に赴いたのである。だが病が彼の心に残した傷痕は深く、かつての彼の温厚な人格は影を潜め、相手の目を見ずに必要最小限の事柄のみ声に出す根暗の中年オヤジに成り下がってしまった。それゆえ、今まさに目の当たりにしている副長官の独断的な振る舞いに、警察組織の幹部らは、動揺を隠すことができなかった。
 一威に素早く目礼をすると、幹部たちの群れから湧き上がるざわめきをこれしきも意に介さず、再び記者たちの方に顔を向けた。そしておもむろに右手を右胸の前に持ってくると、手の甲を前に出し人差し指と中指を突き立ててブイサインをつくった。
「何の真似だ」記者の一人が憮然として腕組みをする。仁田がうっすらと口角を持ち上げた。「今から十二年前、つまり2050年、日本の人口は減少の一途を辿っていました。そこで政府は二つのことを実施しました。それが何であったか、あなた方は覚えていますか?」人を食ったような態度で記者らに尋ねた。小銃を突きつけられた記者たちが慌てて首を縦に振る。副長官に食ってかかろうとした若いカメラマンはくだらないといったふうに舌打ちをし、目線を横にそらした。「是非とも皆様のどなたかにお答えいただきたいとろこですが、時間があまりないので私が答えを言いましょう。ひとつは近隣諸国からの移民、難民の大量受け入れ。そして、もう一つは——」仁田が記者の集団の正面に立ちはだかり、ゆっくりと彼らを睥睨し。もったいぶるように言葉を口にした。「警察の権限の大幅な強化。もちろんこれは、移民の急速な増加による国内の治安の悪化を防ぐためです。では、警察の権限の強化とは一体、何を強化したのか?」記者たちが皆うつむき、口をつぐんだ。男が右手の指を三本突き立てた。今度は記者達は大人しく聞いていたが、いらだたしげに鼻を鳴らした。「答えは3つあります。一つは平時における警察官の武装の承認、二つ目は警察組織全体の装備の強化。そして三つ目は——」声の主と記者達の間に刹那沈黙が流れる。「検閲だ。我々は現在、合法的に検閲を行うことができるのだ」我知らず仁田の語気が荒ぶっていた。この法律が制定された当時、民主国家とはあるまじき規制の内容に、あまねく国際社会から辛辣な非難を受けた。当時の政府はそれを内政干渉だとして、件の法を取り下げることはしなかったものの、国際社会への配慮のためか、法の施行以来十余年、一度として検閲が行われたことがなかった。そのため、いつの間にかこの「検閲法」は言論の自由に対する核と言われた。使うためではなく、存在を知らしめるのが目的の法律なのだと。
 「わたしは、マスコミを信用しておらんのですよ。長官殿をはじめとする我ら警察は母国の秩序を世界最高水準に保つために、どれほどのちと血と汗と涙を流してきたかについて、公正な取材をされたことがおありか?マスコミを賑わす警察の話といえば、やれ盗撮だ、やれ酩酊して暴れただのと瑣末な不祥事ばかり。昨今は、警察の威信が地に落ちたと言う声を聞かないことがない。確かに組織の末端でいくらかの綻びがあることは謝ろう。だが、警察は日本国内のどの企業よりも巨大な組織だ。そして今、日本国内で、いや全世界で最も凶悪で巧妙な犯罪に立ち向かっている。大々的には公表したことはないが、かつて我が国が外国人の流入の規制を大幅に緩和したのをきっかけに、世界中の犯罪組織、秘密結社、そして公的機関の情報部までもが大量のエージェントをここ日本に投入しているのだ。我々は常に組織を末端から崩そうとする力に耐えている。だから、だからこそ——」感極まった仁田が右手の拳を握りしめ震わせた。「犯罪組織の先手を打つために、この時空間走査システムをつくりあげたのです」根暗なはずの副長官がつばを飛ばして言い放った。「システムの稼動初日に、既に犯罪者が時間を超えて移動していました、などということは我が身が裂けても言えません。そして、言わせません。警察の威信に懸け、あのディスプレイに映っている忌まわしき42人の犯罪者を逮捕してみせる」仁田が仁王さながらの形相で記者たちに肉迫していた。
「ふざけんな」仁田がしゃべり終えるか終えないかのうちに、例の若いカメラマンがたてついた。「全部あんたらの都合じゃないか。俺たちは人々に伝えなくちゃいけないと思うから伝えるんだ。あんたらの威信がどうのなんて知ったこっちゃないんだよ!」
「ならば、この事実を言えるのですか?この部屋に入れる報道関係者は事前に警察の認証を受けた機関の記者だけですから、少なくともあなたはフリーランスではなく何らかの報道機関に所属しているはずだ。もしあなたが、我々に不利な内容の記事をマス・メディアで配信すればあなたの勤め先は最大で一年に及ぶ天気・災害情報以外の配信活動の停止です。そして、報道機関の各社にも連帯責任として同様の配信停止の制裁が加えられます。あなたの独りよがりな行為によって、最も被害を被るのは誰だかわかりますね?まさか業界各社なんておっしゃらないでくださいよ。最大の被害者はもちろん、国民の皆さんです。人の揚げ足を取るような記事が果たして配信停止のリスクを負ってまで国民に知らせるべきことでしょうか。よくお考えになってください」
「何が最大の被害者は国民の皆様だ。自分たちの面子を守るためにマスコミを脅すような真似をするような奴が副長官ヅラしてることのほうがよっぽど迷惑なんだよ」カメラマンが威勢良く啖呵を切ると、記者の集団から同調する声が湧き上がる。日頃は長官の陰に隠れ、組織の運営が滞りなく進むよう、多方面に渡る人物や組織への根回しに暗躍しているはずの第二の男が、この時に限っては彼自身が下衆どもの品のない言葉の集中砲火を受けていた。
仁田が刹那双眸を瞠目させたが、うつ伏せ気味の顔をさらに伏せ、相手に悟られまいとしていた。警察庁屈指のブレーンの知能レベルが猿並みに低下し、還暦目前の彼の人生の中で一度も味わったことのないような野卑な感情のマグマがが下腹から脳天へ何度となく突き上げてくる。拳を固めてこらえようとしたが、人の観察眼だけは一級品の彼らが見逃すはずがない。既に己の腹の煮えくり様がバレているかもしれない。どうにかして彼らに背を向けた。慎重に細い頚をもたげると、振り返らずに彼らしい慇懃な口調で返事をする。
「いい大人が、言葉を慎みなさい。初対面でしかも目上の人間に対して、どのように話しかけるか社会人の研修で教わらなかったのですか?誠に残念ですが、私はあなたがたと非建設的な会話を楽しむ時間がないのです」カメラマンが仁田の嫌味に満ちた言葉に激昂し、右足を前に突き出した。咄嗟に靴音に反応した仁田が、記者達を牽制する三人の警備員の一人に向かって顎をしゃくり短い言葉を発した。「君、あの方を黙らせなさい」声色と言葉の内容のギャップに警備員が自分の耳を疑い立ちすくんでいる。件の若いカメラマンも呆然としていた。「あいつを黙らせろ!」二秒後、青い制服の人影の前に、電撃を受け、膝からくずおれてゆく男の姿があった。一キログラム以上ある重厚な一眼が持ち主の手を離れて床に転がる。仁田に掴みかかろうと人の群れから飛び出した何名かが、たちまちのうちにカメラマンと同じ運命を辿った。


As Story〜9話(4) 〜副長官、乱心 ( No.100 )
日時: 2012/10/07 17:41
名前: 書き述べる ◆KJOLUYwg82 (ID: KZXdVVzS)



「賢明な判断をされた残りのみさなん。ただいまより正式に報道機関に対する検閲を発令します。報道関係者のあらゆる通信は我々が所管する諜報機関が傍受し、通信内容を分析します。先の42件の正体不明の反応に対する情報のやりとりがあれば、連帯責任として国内のあまねく報道機関およびふフリーランスの報道関係者は、情報の発信に関して然るべき制約を受けます」数分前に仁田が言った「然るべき制約」を思い出した何名かが氷のようなつばを飲んだ。残された記者たちの耳からサーバーマシンのファンが立てるバックグラウンドノイズが消え去り、鉛のような沈黙が灰色の床に垂れこめる。然るべき制約とは、交通、災害情報を除く情報配信の停止だ。つまりラジオ、テレビ、インターネット配信など全てのメディアにおいて番組の放送、ウェブサイトの掲載等ができなくなる。悪質な違反には最長一年間に及ぶ情報の配信停止。そのような処罰を受ければどんなに巨大な報道機関でも半年も持たないうちに廃業になってしまう。要は廃業に追い込まれたのも同然の処置である。 所々に気絶した人間の体躯が放置されている異様な光景のなか、羊であり続けた記者たちは手持ちのメモやカメラを担当の職員に差し出すと、一人一人警備員に付き添われて部屋の外へ誘導されていった。
 仁田が倒れている人間の処置について警備員に指示を出すと、一威のもとに向かう。副長官が敬礼を終えるや否や、長官の方から言葉を切り出した。「副長官殿、何事だ、あれは」全幅の信頼を置いていたブレーンが豹変し、彼がとった行動への純粋な疑問の気持ちと失望が入り混じった表情を見せると、ため息を漏らしながら小兵の仁田を見下ろす。
「記念するべき日に大変なお騒がせをしてしまい誠に申し訳ありません。しかし、我ら警察組織の現状、そして将来を鑑み、最善の対応をした結果であります」長官が片眉を釣り上げる。仁田が姿勢を改める。「一時は地の底に落ちたと言われた我らのモラルと犯罪検挙率は、長官殿のご尽力により急速に以前の状態に戻りつつあります。しかしながら、二つの事象が我らの足を引っ張っています。一つは人の揚げ足を取ることしかしないメディアの面々。もう一つは、彼らの格好のターゲットとなってしまうようなモラルの低い一部の現場職員らであります。十二年前、公に検閲が可能になったことに合わせ、機能強化を重ねてきた検閲システムにより、メディアが我らに不利な情報を公に配信するのを迅速に察知し、押さえることができます。そして彼らの情報を押さえるということは、同時に現場にはびこる不届き者どもの動きも捕らえることができます。報報道機関はしばらくは警察関連の報道に対して慎重な姿勢を取るでしょう。しかし彼らもまた巨大な組織であります。その上彼らは大量の小請け孫請けといった管理の行き届きづらい業者でできています。ひと月もすれば、統制の取れない末端からほころびが出てくるはずです。最初の違反行為をした報道機関を見せしめに取り締まり、同時に長官令として、検閲に触れた際の罰則の大幅な緩和を通達するのです。そして、最初の違反によって連帯責任を取らされた他の報道機関に対する規制の中止を宣言するのです。私がムチをうち、世の評価の高い長官殿がアメを放ることで、そのアメは安全なものであるという保証が得られます。そして警察の評判は一層高められるはずです。重要なのは長官殿がアメを放る役を担われる点にあります。わたくしがそれをしたのでは、彼らに勘ぐられるだけですから」
「仁田、お前…」仁田が斜め上を向き、革靴のかかとを甲高く鳴らして敬礼をした。初老の長官が巌の如き頚を縦に揺する。一威が虚空を仰ぐ。仁田の計画を成功させるためには、メディアを押さえ、対象者を逮捕するだけではダメだ。あの42件の反応がそもそもなかったことにしなければならない。

——時空間犯罪者。
 42件の反応について、外向けには正体不明としていたが、一威の胸の内では瑠璃色の制服の女性警備員の発した単語がひっきりなしに鳴り響いていた。サーバールームを右の端から左端まで舐めるように見回す。検閲システムの調整をしているのか、七髪が通信端末で誰かに——よくパートナーを組んでいる業者の担当者だろうが——指示を出しているのが見える。そして気絶した人間を運び出している警備員が三名。持ち場を固めているのは七名。部屋の外にはもっと多くの警備員がいるはずだが。初老がかすかに頚を横に振った。いや、この非常事態は最小限の人員で対処しなくてはならない。十対四十二。——できるか?
 再び、濃紺と瑠璃色の人影たちを睥睨する。しばし分厚い唇と、両方の拳を固めた。左胸の鼓動を確かめるかのようにまぶたをおろし、心を鎮める。そして難攻不落の砦の城門を開くが如く唇を開いた。

「やるしかない」