二次創作小説(紙ほか)
- Re: デュエル・マスターズ Mythology ( No.506 )
- 日時: 2014/03/09 12:31
- 名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: SMalQrAD)
神話空間が閉じた。それはつまり、デュエルの勝敗が決したということなのだが、
『くそっ、《アルテミス》の奴、最後の最後で逃げやがった……!』
夕陽の横では、今だデフォルメ化されない凛々しい《アポロン》の姿があった。闇夜の空を憤怒の形相で睨みつけ、拳を握りしめている。
『夕陽! 俺は《アルテミス》を追いかける! まだもう少しだけ、この姿でいられるはずだ! あの愚妹には、しっかりと分からせないといけねえことがあるからな』
「う、うん……分かった」
夕陽が頷くと、《アポロン》は飛翔し、瞬く間に漆黒の夜空へと消えていく。後からやって来る熱風が、夕陽の髪を揺らした。
「……そうだ。御舟!」
《アルテミス》のことは《アポロン》に任せるとして、問題はこっちだ。《アルテミス》が身体から出て行ったからか、グランドで仰向けになって倒れている汐に駆け寄る。
「おい、しっかりしろ! 御舟!」
「……せん、ぱい……」
少し強めに揺さぶると、汐はすぐに目を覚ました。それだけで、夕陽は安堵の息を漏らす。
「よかった……大丈夫? どこか、怪我とかしてない? 一応、手加減はしたつもりなんだけど……」
とどめを刺したのが、《ボルシャック・クロス・NEX》と《アポロン》だ。神話空間でのデュエルは、ダイレクトアタックを決めたクリーチャーの強さに応じて、ダイレクトアタックを受けたプレイヤーの受けるダメージが変わってくる。大型クリーチャーでとどめを刺せば、それだけ大怪我に繋がりやすく、最悪の場合、死に至ることすらあるのだ。
しかし見たところ、汐に外傷はないようだ。
「……すみません、でした」
汐は夕陽の問いに答えることなく、力なく頭を垂れた。
「本当は、自分でも分かっていたはずなんです……先輩が、あんなことをするはずないって……でも、私……」
どこか独り言のようにも感じられる汐の言葉。それは、普段の彼女からは感じられないほど弱々しく、悲しげだった。
「あの時の、パーティーの時から、ずっと変で……今まで頭の中で、ぼんやりとしかイメージできなかった、中学一年生の頃の欠けた記憶が、迫ってくるように大きくなって……それで、整理がつかなくて、そんな時に、あの人に負けて、《ヘルメス》を奪われて……頭の中がまたぐちゃぐちゃになって、それから先輩に——」
順番に話してこそいるが、理路整然としているとは言い難い。その口振りも、彼女らしからぬものであった。
「……実を言うと、私は、先輩に失望してしまったんです」
「失望……?」
「はい……私が負けて、《ヘルメス》を奪われた時、もしかしたら先輩が駆けつけてくれるのではと、少し、思ったんです……」
そんなことあるはずないのに、と言って、彼女は続けた。
「自分で勝手に期待して、その勝手な期待通りにならなかったから、勝手に失望して、その失望が疑念を生んで、先輩の姿をした誰かに襲われたから——先輩に対する疑念と失望が、より強いものになってしまった……結局、元を辿れば、私の弱さが、悪いんです」
結果は同じだとしても、期待していたものが期待通りにならないのと、期待していなかったものが予想通り期待外れなものだったのとでは、人間の感じ方は違う。
汐が夕陽に抱いていたものとは、正にそれだった。
その感じ方の差と、本来ならあり得るはずのない夕陽による襲撃が、彼女を狂わせたのだ。
「それに、頭の中で欠けているはずの昔の記憶が肥大化して、昔の先輩と、今の先輩とが混沌と混ざり合って、私にとっての先輩という存在が揺らいで……わけが、分からなくなってしまったんです……」
「…………」
つまり、クールで冷静で知的だと思っていた汐も、混乱していたのだ。
不幸にもその混乱が重なり、予想だにしない事態まで起こって、それを追及する対象が、夕陽しかいなかったということだ。
「……とりあえず、帰ろうか」
夕陽は、懺悔のような汐の言葉には、なにも言わない。
生憎ながら、今の夕陽は弱音がだだ漏れになっている汐にかける言葉を持ち合わせていない。それに、汐の内面をここまで知ることができただけでも、十分だ。
「もうこんな時間だし、冬の夜は凍えるように寒いからね。立てる?」
「ん……っ」
汐は仰向けの状態から体を起こそうとするが、上手くいかないようだった。腕はまだ大丈夫そうだが、上体だけではなく、足も満足に動かせない様子でいる。
「すみません。動けない、です……」
「《アルテミス》に乗っ取られた影響かな? 時間の経過で戻ればいいけど……」
夕陽が言うように、冬の夜は非常に冷える。極寒と言ってもいいほどに寒い。そんなところでジッとしていたら、すぐに凍えてしまうだろう。
「仕方ない。僕が君をおぶって行くよ」
「え……いや、それは……」
「嫌ならお姫様抱っこだ。好きな方を選ぶといいよ」
「……おんぶで」
半ば強引だが、今の汐を口先で動かすのは簡単だった。夕陽は汐の身体を背中に乗せ、立ち上がる。
「ははっ、軽いなぁ。このみを背負ったこともあるけど、あいつ重いんだよね」
「それは私の体が貧相であると暗に述べているのでしょうか」
「いや、そんなことは言ってないけど……」
そんな軽口を言い合うが、すぐにその会話は消えてしまう。
やがて校門の前に辿り着く。そして困った。
一人なら楽勝だが、汐を背負いながらだと学校の門を飛び越えるのも難しい。どうやって飛び越えようかと頭を悩ませていると、汐が裏門の鍵が壊れていて、自分はそこから入ったということを教えてくれたので、そちらを通って安全に学校から出る。かなり今更だが、警備員などに見つからなくてよかった。
決して都会というわけでもなく、片田舎——どちらかと言えば田舎と呼べるようなこの町で、寒さの厳しい十二月の夜。そんな時に夜遊びや散歩をするような酔狂な人間などおらず、淡い月明かりだけが照らす、誰もいない道を、夕陽と汐は体を密着させたまま進んでいく。
「……先輩」
「なに?」
「すみませんでした」
「いいんだよ、もう過ぎたことだし」
いまだに謎が残る部分はあるものの、夕陽と汐の間にできていた深い溝は、ほとんど埋まっていた。
夕陽には、なにが切っ掛けでその溝が埋まったのかは分からない。もしかしたら今夜に行った最初の一戦で分かってくれたのかもしれないし、《アルテミス》に憑依されたところを助け出されたからかもしれない。どちらにしろ関係が修復したのだから、どちらでもいいが。
「それと……ありがとう、でした」
「ん?」
謝られるのはともかくとして、夕陽には礼を言われる覚えはなかった。
だが、今夜のデュエルは、汐にとって非常に大きな意味を持つデュエルだったのだ。
「私……思い出したんです」
「なにを?」
「昔の記憶です」
汐は、初めて、はっきりと、夕陽に打ち明けた。
その内容は、澪や汐自身から聞いた、夕陽にとって既知のこともあったが、未知のこともあった。
中学一年の頃、デュエリストの養成学校に通っていたこと。入学動機は、親の離婚と地元での孤立。こちらに引っ越した理由も、親の再婚。ここまでは、夕陽の知っていることであった。
「私は中学一年生の約一年間、そのデュエリストの養成学校の通っていたのですが——その時の記憶が、私にはなかったのです」
「え……?」
夕陽は絶句する。
「それって、記憶喪失……?」
「恐らく、そうですね。アルテミスが言うには、クリーチャーに襲われた時につけられた傷のせいらしいですが……そこはまだ、はっきりしていないんです」
しかしアルテミスの言葉が本当なら、汐は“ゲーム”に関わる以前から、実体化するクリーチャーと戦っていたことになる。
そこを追及しようとする夕陽だが、汐の言葉がそれを躊躇わせる。
これも、ある意味では彼女らしからぬ、温もりを感じる言葉だった。
「ですが、先輩とのデュエルではっきりと思い出したんです……今まで私の中で、闇夜の如く影を潜めていた虚像が、実像となって、戻って来たんです。欠けた記憶のピースが、再び埋まったんです」
その理由は、やはり中学一年生の一年間で、最も強く触れてきた力——無法の力が、夕陽によって呼び覚まされたからだろう。
(《ドラポン》《ドラゴ・リボルバー》……先輩との思い出は、先輩が思い出させてくれた、ということでしょうか)
実際には夕陽が思い出させてくれたのだが、しかし《ドラゴ・リボルバー》でシールドをブレイクされたあの時、夕陽に自分の知るもう一人の先輩の姿が重なったことは、否定しようがない。
ならば、彼らとの思い出は、彼が呼び覚ましてくれたと考えるべきだろう。少なくとも、汐はそう思う。
「……まあ、よかったじゃん。で、その先輩たちっていうのはどんな人? あんまり覚えてない状態で言ったんだろうけど、なんか凄い先輩だって言ってたよね」
「秘密です」
興味本位で尋ねる夕陽を、汐はどこか優しげな声で、一刀両断にした。
「これは私のもう一つの物語——先輩の踏み入る場所ではないのです」
「ちぇ……ま、なら仕方ないか」
汐が言いたくないのであれば、無理に詮索することもないだろう。それが夕陽の考えだった。
振り返ってみれば、いいことだらけだった。夕陽と汐の仲は元通り、汐の失われた記憶も戻って来た。今も《アポロン》に追われているだろう《アルテミス》の存在さえなければ、今回の件も悪いことばかりではない。
などと思っていると、汐が囁くように声を発する。
「それと……先輩。一つ、お願いしても、いいですか……」
急に小さくなる汐の声。それは弱々しくなったというより、どこか後ろめたいような、遠慮しているような感じだ。
「……なに?」
「私のこと……一度だけ、名前で呼んでください」
か細い声だったが、はっきりと、汐は言った。
「一度だけでいいんです。そして、その後は——御舟って、呼んでください」
御舟汐。その名は今の彼女の名ではなく、昔の彼女の名だ。今の彼女の名は、月夜野汐。
思わず旧姓で彼女を呼んでいた夕陽だったが、これからは月夜野と呼ぶことになるのだろうか、と思っていた。しかし、彼女の望みはそうではなかった。
「昔のことを思い出して、よりはっきりしたんです。私の記憶は二つある。中学一年生の一年間、あの先輩たちと共に戦った記憶と、今の先輩たちと共に戦っている記憶。この二つはどちらも私の記憶であり、私の人生。私にとっては、かけがえのない、大事なものです。ですが、この二つは、混じることのないものとして、はっきりさせたいんです」
汐の中で渦巻く、その二つの記憶が混ざり合ってしまったからこそ、汐の思う空城夕陽という存在が揺らいでしまい、今回の不和が生じてしまったことは彼女が証明している。ゆえにその二つを区別したいと思うのは当然だろう。
そして、彼女の中ではただそのことを明確にする以上の意味もあった。
「私の中で、私は二人です。中学一年生の頃、月夜野汐として生きた私と、御舟汐としてある、今の私と」
二つの姓が、汐の人生を分けていた。それは不幸なこともあるのかもしれないが、汐はその分断を、拒絶しない。
しかし今の汐の姓は月夜野だ。御舟汐としての汐ではない。つまり、姓という壁で分けられていた汐の記憶は、また混ざり合ってしまう。
「でも、もし先輩が、私のことを御舟と呼んでくれるのなら、そうはならないです……それに、中学一年生の時の先輩が、月夜野汐としての私の先輩であったように、今ここにいる私の先輩は、先輩には、御舟汐としての、私の先輩であってほしいんです」
月夜野と御舟。それはただの姓、家族を示すための識別でしかない。
しかし汐にとっては、それ以上の意味を持つ。自分の先輩との関係、そして後輩としての自分がどういう存在であるかの、識別となる。
正直なところ、汐の言わんとしていることのすべてが夕陽に伝わっているわけではない。むしろあまり伝わっていない。だが、汐が一度だけ名前で呼んでほしい——これは単純なお願いだろう——そしてその後は、旧姓の御舟で呼んでほしい。そんな頼みごとをされていることは、理解した。
大切な後輩の頼みだ。聞かないわけにはいくまい。が、
「……いいよ。ただし条件がある」
そのお願いについては、承諾する。だが、呼称というのであれば、この機会だ、夕陽も言いたいことがあった。
「僕のことも、名前で呼んでくれ」
夕陽は、今までずっと気になっていたことを、ここで曝け出す。
「気づかないと思った? 君、僕のこと今まで名前で呼んだことなかったよね。このみに対してはこのみ先輩なのに、僕に対しては、先輩としか呼んでくれなかった」
男女間における気まずさなどもあったのかもしれないが、約二年間、名前どころか苗字すらも呼ばれたことがないのだ。最初の頃は特に気にしていなかったが、流石に中学卒業間近になって来ると気になり、もしかしたら卒業式の日に初めて名前で呼んでくれるのではと期待したが、彼女が発したのは「先輩方、卒業おめでとうです」という一括りにされた呼び方だ。
それ以降も、彼女は夕陽のことを一度たりとも「先輩」以外の呼称で呼んだことがない。
「しかも、妹に対しても名前なのに、僕だけ姓名どっちも呼ばれないなんて、どうなのかな?」
やや威圧的とも取れる夕陽の言葉にたじろいでしまう汐だったが、ややあって、
「……分かりました、です」
不承不承、というわけではないだろうが、汐はどこか罰の悪そうな空気を醸し出して頷く。
それから少しの間、沈黙の時間が流れた。汐は夕陽の耳元に口を寄せ、そっと囁くように、告げるように、その名を口にする。
「……夕陽、先輩」
「なんだい、汐」
また、二人の間に沈黙が流れた。
しかしその沈黙も、どこか心地よいように感じる。
初めて呼ぶ名と、初めて呼ばれる名。どちらも新鮮で、気持ちの良い響きがある。
「……なんだかんだで君のことはずっと苗字で呼んでたけど、名前で呼ぶのも悪くないね。いい機会だし、これからずっと名前で呼びたいな」
「もうダメです、御舟と呼んでください。夕陽先輩だけなんですよ、今の私を御舟と呼べるのは」
「それは光栄だね」
たかだか名前、他人の呼称だが、それ一つとっても、人間という存在においては重要になることもある。
夕陽のとっては大きな意味を持つものではないが、汐にとっては、過去と今を分け、繋ぎ、そして未来へと向かうための、大事なものだ。
御舟汐は、月夜野汐となった。
しかし、空城夕陽の前でだけは、御舟汐でありたい。
それが彼女の、彼女のとっての、今の先輩との関係なのだ——