二次創作小説(紙ほか)

47話「世界の差異」 ( No.180 )
日時: 2015/06/12 02:24
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: rGbn2kVL)

「ふぅ……」
 遊戯部の面々と別れてから、柚は家に戻っていた。その足取りは、心なしか軽い。
 これで、束縛されることもなく、堂々と暁たちと一緒にいることができる。そう思うと、嬉しくてたまらなかった。
 思えば、突然兄がデュエマを禁止し、自分を束縛してから、兄が怖くなって逆らえなかった。それまでは確かに厳格なところもあったが、それでも優しい兄であったはずなのに、あの時だけ、兄は絶対に譲れないとでも言わんばかりに、冷徹なまでに自分を縛り付けた。
 だが、今は違う。
 自分自身の手で、彼の束縛を振り払ったのだ。
「……?」
 長い廊下を歩いていると、ふと先ほどの客間の襖が、少しだけ開いているのが見えた。
 隙間から中を覗くと、柚はすぐさま襖に手をかけて、ゆっくりと引く。
「……おにいさん」
 中にいたのは、橙だった。
 紋付き羽織袴姿のまま、さっきと全く同じ場所で、同じように胡座をかいている。
 柚は中に入って、少し悩んでから、彼の隣に座した。
 そして、控えめに、言葉を紡ぐ。
「その、えっと……ごめんなさい」
 彼女の口から出たのは、謝罪だった。
「おにいさんは、なにか考えがあって、わたしにデュエマを禁止したんですよね。なのに、わたしのわがままで……」
「……それを言うなら、俺も同じだったかもしれん」
 橙も、静かに口を開く。
「思い方を間違えたと言うべきか、俺の為したことは、結局は俺のエゴだったと、今になって思う……俺は傲慢だった。だから、無意味にお前を縛り、傷つけたやもしれん」
 だが、
「お前は俺に打ち勝った。俺の束縛を、お前は自らの手で引きちぎった。つまり、俺の縛りは意味がなく、不必要なものだったんだ。お前は、俺が思っている以上に強く、逞しく成長していたということか」
 途中から、橙の言葉は独白のようだった。
 自分の傲慢さを嘆いているようにも、義妹の成長を喜んでいるようにも感じる、どこか二律背反な、対局のような独白。
「もう、お前の好きにすればいい、柚。お前には、それだけの力がある」
「おにいさん……」
 柚は、なんと言葉を返せばいいのか、わからなかった。
 自分は兄が言うほどに強くはないと思う。確かに暁や浬、沙弓と一緒にいるうちに——遊戯部に所属してから、自分は変わった。
 それでも、まだまだ全然、未熟なままだ。
 だから、好きにしていいなんて言われても、どうすればいいのか分からない。
 霞家では、自分は今まで、卵の中に閉じこもっていた雛のようなものだ。兄に、父に母に、親戚や霞家に尽くす者に、支えられ、助けられ、育ってきた。
 卵の外に広がる広大な世界は、柚にとっては未知の世界。一体、どうすればいいというのだろうか。答えもヒントもなく、どうするべきだというのだろうか。
 ——否。それを見つけるのも、己が為すべきことなのだろう。自分の答えは、自分で見つける。
 それを許されたのだから、それには応えねばならない。
 それを理解してから柚は、ふと思ったことを口にする。
「……おにいさん、おぼえていますか?」
「なにをだ」
「おにいさんが、霞家(うち)にくる前のことです」
 隣に座す彼が、霞橙という名ではなく、義理の兄という立場でもなく、ただ一人の“おにいさん”だった頃のことだ。
「あの時のおにいさんは、とってもやさしかったです。今は、ちょっとこわいですけど……それは、霞家を継ぐためにも、必要なことなんですよね」
「…………」
「わたしは男の人ではないので、霞家を継ぐことはできません。だから、そのことでおにいさんに迷惑をかけちゃっているかもしれません。だからおにいさんは、わたしが嫌いになってしまったかもしれませんけど……」
 柚は、橙を見る。
 彼はいつも通り、ムスッとした表情のままだ。頬の大きな傷と相まって、恐怖を感じてしまいそうになる。
 だが、それは、彼を知らない人間だからだ。
 柚は知っている。霞橙という男のことを。霞の姓と橙の名を与えられる前の彼から、知っている。
 だから、
「……それでも、わたしはおにいさんが大好きです」
 ずっと昔から、出会いの初めから。
 本家も分家も関係なく、優しかったあなたが。
 ただ一人の、“おにいさん”として。
「…………」
 伝えたいことをすべて伝えた。自分の心の内を吐露することができた。
 そんな風にも見える柚の表情は、どこか晴れ晴れとしているように見えた。
「じゃあ、わたし、いきますね——」
「待て、柚」
 立ち上がろうとする柚を、橙は声で制した。
 制された柚は、おずおずと座り直し、橙へと向く。
「な、なんでしょうか……」
「今日の、そして今までの詫びだ。持っていけ」
 そういって橙が差しだしたのは、カードだった。
 デュエマの、カード。
「え、これはおにいさんの……」
「構わん。持っていけ。詫びと、俺のけじめのつもりだ」
「で、でも……」
「持っていけと行っているだろう。ほら」
 と、橙は、半ば押しつけるように、カードを柚へと手渡す。
 柚はしばらくカードを眺めるようにして、どこか呆けたように眺めていたが、やがて、
「……ありがとうございます、おにいさんっ」
 彼女らしい、少し控えめになった微笑みを、最後に残したのだった。



「……嫌いになんて、なるものか」
 柚が部屋を出てから、橙は誰に言うでもなく、独白する。
「お前がいたから、俺はここにいる……お前のお陰で、俺は本家にいるんだ」
 ——だから、
「だから、お前だけは絶対に守る。柚……お前は、俺たちの“ゲーム”の世界には関わらせはしない」
 お前には、楽しいデュエマをさせてやりたい。
 ふっ、と。
 そんなことを呟く。
「……テツ」
「へい。呼びやしたか、若旦那」
 橙が声をかけると、どこからともなくスキンヘッドにサングラス、黒スーツの男——哲朗が現れた。
「《太陽神話》の動向はどうだ?」
「消息が途絶えてから、情報がないんでまだなんとも……例の情報屋ともう一度交渉して、引き続き情報を集めやす」
「あぁ、頼む」
 そして、すぐさま消えていく。
 彼らの言う、“ゲーム”という世界へ——