二次創作小説(紙ほか)

48話/烏ヶ森編15話 「懺悔のように希う」 ( No.186 )
日時: 2015/06/28 00:52
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: 0qnzCmXU)

 神話空間が閉じる。
 そこに立っていたのは、ラヴァーと名乗る少女。そして、彼女が見下ろすのは、一騎と呼ばれる少年。
 少年は放心したように、膝をつき、虚ろな眼で彼女を見つめている。
「そんな……恋……どうして、どうしてなんだ……」
 一騎は手を伸ばす。それはとても、弱々しく、簡単に払いのけてしまえそうな手だが、彼女はその手を払おうとはしなかった。
 もう少し、もう少しで彼女にその手が届く。
 そう思って、ぐっとさらに手を伸ばした時だ。
 彼の手は虚空を掴み、するりと彼女がすり抜けていく。
 彼の手は、彼女には届かない。
 そんな結果だけが、そこにはあった。
「恋——」
 バタリ
 そうして、それっきり、一騎は動かなかった。
 一騎の手をかわしたラヴァーは、そんな彼をジッと見据えている。
「…………」
「どうしたの? なんか機嫌悪そうだけど?」
「……別に」
「そう? ならいいんだけど」
「……もう行こう、キュプリス」
 ラヴァーは最後に一騎を一瞥すると、それっきり彼を視線から外した。
 そして、彼のことなど見ることはなく、踵を返して歩を進める。
 一騎の暗雲がかった視界から、どんどん彼女が離れていく。もうすぐ、その姿すら見えなくなる。彼女が、本当に手の届かないところに行ってしまうかのように、彼女が消えていく。
 その、直前だった。
 誰にも聞こえない声で、彼女は、言葉をこぼす。
 小さな小さな、声として。

「……つきにぃ——」



 作戦は失敗した。
 その旨をリュンから告げられた暁たち。
 これによって、皆の勢いはすっかり削がれてしまっていた。ラヴァーに最も近いと思われた一騎は、ラヴァーに敗れ、またその声も彼女には届かなかった。
 彼の言葉さえも届かないラヴァーを、果たしてどうしようと言うのだろうか。
 ことは、もはや単純に彼女にデュエマで勝利すればいいなどというものではなくなっていた。彼女には誰も勝てず、そのうえ、ただ勝つだけでは根本的な解決にはならない。
 ラヴァー——日向恋という少女を救い出す。彼女を、一騎の言う以前の彼女へと戻すこと。
 それが成されなければ、結局はなにも変わらないだろう。
「……どうすればいいんだろう、本当にさ……」
 放課後、暁は教室でぼーっとしていた。大抵のクラスメイトは帰るか、部活に行っているので、教室には自分以外に誰もいない。
 暁も柚に部活へ行こうと誘われたが、なんとなくぼーっとしていたかったので、後で行くと言ってその場は断った。
 自分がいったいどうしたいのか、自分にもよく分からない。しかし、なぜだか心がもやもやするのだ。
 外は曇天。灰色の雲が空を覆い、太陽を隠している。
 自分の気持ちが分からない、それゆえに落ち着かない、調子が狂う、悩んでしまう——なにに悩んでいるかも分からず、苦悩の種ばかりが大きくなる。
 ——私はいったい、どうすればいいの?
 そんなことばかり、自分に何度も問いただす。答えなんて、出てこないというのに。
 そんな時だった。
 ガラガラと、教室の扉が開く。
「あ、空城さん。教室にいたんだ」
 それはクラスメイトの女子だった。
 どうやら自分を探していたらしいが、いったい何用だろうか。
 そう思って立ち上がると、彼女の後ろから、見覚えのある少年が姿を現した。
「空城さんに会いたいっていう人が訪ねてきて……えっと、邪魔しちゃ悪いから、私はこれで」
 そう言って、そのクラスメイトはなにを勘違いしてか、頬なんぞ染めてたったか走り去ってしまった。
 明らかに誤解されていると暁は思ったが、しかしそんなことはどうでいい。
 今は、彼が訪ねてきたこと。それが重要だ。
 暁は確認するように、彼の名を口にした。

「……剣崎さん……」



「急に押し掛けてきてごめんね。迷惑だったかな」
「いえ……そんなこと、ないですよ」
 誰もいないとはいえ、いつ誰が来るかも分からない教室では話しづらいと言うことで、本来は進入禁止となっている屋上に、二人はやってきた。
 ここならば、人はまず来ないだろう。
 すぐ真上を見上げると、曇天が支配する屋上で、暁と一騎は向かい合う。
「まずは、ごめん」
 一騎は開口一番、頭を下げて、謝罪した。。
「そんな……謝らないでくださいよ。剣崎さんは、なにも悪くないです」
「いや、そんなことはない。俺が、一人で恋をなんとかできるだなんて自惚れたから、今回のチャンスをふいにしてしまった。本当に、申し訳ない」
 本当に、心の底から申し訳なさそうな一騎。確かに、一騎が一人で彼女に立ち向かうと言わず、戦力となり得る人員——少なくとも、暁たちのうちの誰かがいれば、また違っていたかもしれない。
 それを考えると、今回の作戦が失敗した原因は、一騎にあると考えることはできる。
 だが、だからといって、暁は彼を責める気にはなれなかった。暁だけではない、誰だってそうだ。一騎が一人で立ち向かうことを了承したのも暁たちだし、一騎にばかり負担をかけてしまったのも事実だ。
 それ以上に、今の悲嘆に暮れたような一騎を見て、誰が彼を糾弾できようか。
「恋を救えなかったのは、俺の慢心とエゴだ。そのせいで、空城さんたち皆にも迷惑をかけてしまった……それは、分かってる……!」
 一騎はなにかを堪えるように歯を噛みしめていたが、それももう限界が来たかのように、顔つきに綻びが生まれた。
 今回の作戦の失敗の原因に、一騎が大きく関与することは否定できない。一騎が戦犯と罵られてもそれは仕方のないことだ。そんなことは、一騎自身にも分かっている。
「分かっていて、それを承知で、君に、頼みたいことがあるんだ」
「私に、ですか……?」
 意外そうな顔をする暁。沙弓でも浬でもなく、自分に頼みだなんて、なにかの冗談ではないだろうか。
 しかし一騎の目は真剣そのものだ。とても冗談を言うような眼差しではない。
 だがそれでも一騎は、どこか迷っている——本当に、彼女に言ってもいいのだろうか、言うべきなのだろうかと、悩んだ瞳をしていた。
 そんな苦悩の末に、一騎は決意して、懇願する。

「——恋を、助けてくれ……!」

 それは頼みと言うにはあまりに大きく、懇願と言ってもあまりに重かった。
 短く、簡潔で、分かりやすい、たった一文の願い。しかしその中に込められた、一騎の中に巡り巡る思いの大きさ、重さ、強さは尋常ではない。
 それは、暁でもひしひしと感じ取れた。だからこそ、しばらく彼女は圧倒されたように呆けてしまったが、やがてその重みを、十全とは行かずとも、それに近いほどまで理解すると、焦ったように手を振った。
「え、わ、私がそんなこと……無理ですよ。私は、一度もあの子に勝ったことがないのに……私よりも、部長とかの方が——」
「いや、君じゃないとダメなんだ。俺は確かに聞いた。恋は、君になにかを感じている」
 彼女は、一騎との戦いの最中で、「あの女」と口にした。
 それはきっと、暁のことだと、一騎は思っている。
「でも、そんな……女の子なんて、他にもいっぱいいますよ」
「根拠はある。俺は恋と戦う中で、あいつがまだ“あの時”のことを払拭できていないって分かったんだ」
 そのことが、恋の中で君が引っかかっている根源だと思う、と一騎は言う。
 だが暁は、その言葉の中に、引っかかり——というほどのものでもなく、純粋で素朴な疑問を抱いた。
「あの時……? なんなんですか、あの時って」
 彼女になにかしら、訳ありな過去があるだろうことは、暁でもなんとなく想像していた。なので、なにかがある、ということ自体には、驚きはない。
 問題は、その過去が、どのような過去であるかだ。
 暁の問いを受けて、一騎は少し口ごもる。
 しかし、すぐに意を決して、口を開いた。
「……あいつは、恋は、火が苦手なんだ」
「火が……?」
「正確には、苦手と言うより、忌んでいる、と言うべきかな。昔、ちょっとした事件があってね……」
 やや唐突な物言いで面食らってしまった暁だが、すぐに真剣な面もちで、一騎の話に耳を傾ける。
 それは、たった一人の少女に起こった事件としてはとても小さなことであった。
 しかし、日向恋という小さな少女を大きく変えてしまうには、十分すぎるほどの大事件でもあった。
 一騎はぽつぽつと、どこか申し訳なさそうに、そして女神像に懺悔をするかのように、たった一人の小さな少女。
 日向恋の過去について、語り始めた——