二次創作小説(紙ほか)

烏ヶ森新編 27話「■龍■報」 ( No.229 )
日時: 2016/03/14 06:59
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: Ak1jHfcH)

 灼熱の太陽が降り注ぐ。雲一つない青空は、遙か遠くの宇宙から届けられる熱と光を遮ることなく、地上へとそれらを通過させる。
 地面は熱され、足下が熱い。目の前に広がる、土と空の間に見える黒い影は、ゆらゆらと蠢いている。
「…………」
 なにかが唸っているようだった。身体の芯が熱を帯びているようだった。
 なにかを語りかけているのだろうか。なにかを呼びかけているのだろうか。
 だとすれば、応えなければならない。警報のように、意識のどこかではそれを拒んでいるが、見て見ぬふりも、聞いて聞かぬふりもできない。
 彼らは、なにを言って、なにを伝えようとしているのかーー
「——一騎! そっち行ったぞ!」
「……え?」
 バンッ!
 と、顔面に凄まじい衝撃を受け、その激痛によって一騎は現実に引き戻された。
 一騎は盛大に後ろ向きに倒れ込む。一拍遅れて、横でポーンポーンと、ボールが弾む音が聞こえる。
 同時に駆け足の音も聞こえてきた。一騎が上体を起こすと、すぐ横にはサッカーボールが、目の前には級友の姿があった。
「おーい、一騎! なにやってんだよ! 大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫……ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
「熱中症かー? なんでもいいけど、気をつけろよ。ただでさえ、夏の体育にもかかわらずプールも使えないんだからな」
 そう言うと、彼はボールを回収して、また走り出した。一騎も立ち上がり、今が体育の授業中だったことを思い出す。
 そしてまた、走り出した。
 どこか不安を煽る足取りで。



「なにやってんだ、あいつ……」
 ミシェルはふと呟く。
 女子がハンドボールをしている傍ら、男子はサッカーをしているのだが、一騎が顔面にボールを食らってノックダウンしたのが見え、思わず口に出てしまった。
「つきにぃ……痛そう」
「あれは完全にあいつの不注意だけどな……って、お前いたのかよ!」
 いつの間にか真横に現れていた恋。影が薄いわけではないのだが、小柄なせいもあり、いまいちそこにいるという実感の薄い後輩だ。
「お前も同じグラウンド組だったか……自分のクラスの授業はどうした?」
「……休憩中」
「サボるなよ」
「そういうミシェルは……?」
「休憩中だ。つーか、二つも上の先輩を馴れ馴れしく呼び捨てるな」
 恋が入部してそれなりに月日が経ったが、いくらミシェルが指摘しても、彼女の口は相変わらずだった。
 部活に馴染んでいるのは構わない、むしろいいことだ。上下関係も、そこまで強く押し付けるつもりはない。しかし、せめて礼儀として、形の上だけだけでも先輩に対する口の利き方ができないものか、とも思う。
(とか、そんなこと考えても無駄なんだろうな……)
 妙に我が強いというか、意固地というか、もっと控え目な性格かと思っていたが、話してみると案外そうでもなかった。感情の起伏が乏しいからそのような先入観があったが、それは元々そういうものであって、特に関係はないようだ。
 そんな生意気な彼女だが、決してこちらをからかっているのではなく、素というところがまた悩ましい。悪気はないと好意的にとるべきか、余計にタチが悪いと考えるべきか。
(……ま、あいつは少なくとも、前者だろうけどな)
 などと思いながら、ふと視線を動かす。
 だが、ミシェルに届いた情報は、視覚よりも、聴覚が早かった。
 張り裂けるような、大声が響き渡る。

「——一騎!」

 それは叫び声だった。
 向こうで、混乱したように男子生徒たちが騒いでいるのが見える。そして、その中心には、
「つきにぃ……!」
 ダッ、と。
 恋は瞬時に駆け出していた。大して速くもない足で、まっすぐに、横たわる一騎の下へと。
 ミシェルも一騎の姿を見るや否や、即座に走りだした。
 そして、倒れた一騎へと、叫ぶように呼びかける。
「一騎! どうした!? しっかりしろ!」
「つきにぃ……ねぇ、つきにぃ……!」
 しかしミシェルや恋がいくら呼びかけても、一騎が起きる気配はない。固く目を閉じたままだ。
 揺すっても叩いても、まったく反応がない。ただ、呼気だけが、苦しそうに荒くなっている。
 このままではどうしたって一騎が目を覚ますことはなさそうだと判断を下したミシェルは、野次馬のように集う他の生徒たちに向かって、怒鳴るように叫んだ。
「おい、誰でもいい! 今すぐ、こいつを保健室に——」



 暗い。
 真っ暗な空間だ。
 だが、熱い。
 焼けつくような熱さだ。
 そして、燃えるような熱さでもある。
 今にも焦げてしまいそうなほどに熱い。
 いや、実際に身を焦がされているかのようだ。
 なにかが見える。
 影、だろうか。
 ゆらゆらと、陽炎のように揺らめく、影。
 その姿形は、どこかで見たことがあるような気がする。
「《ガイバーン》……《ガイギンガ》……《グレンモルト》……」
 呼びかける。
 反応はなかった。
 というより、こちらの言葉が届いていないのか。
 こちらの言葉に、耳を貸そうとしていないのか。
 感情が高ぶって、こちらの声が聞こえていないようだ。
 なぜ、感情が高ぶっているのか。
 咆えているようだ。
 暴れているようだ。
 頭が痛くなる。
 警報が鳴らされているかのように、頭に響く。
 その高ぶる感情が、体の内側に、身体の芯に、心に、強く、痛ましいほど、響き渡る。
「怒ってる、の……?」
 分からない。
 影が動く。
 ゆらゆらと、ゆらりと動く。
 こちらへ、近寄ってくる。
 ゆらゆらと、ゆらりと迫る。
 こちらへ、近づいてくる。
 金色の切っ先が、巨大な刀身が、燃える刃が、この身に触れる。
 皮が破れ、肉が薄く斬れた。
 それに、熱い。
 焼きゴテをおしつけられたかのように、熱い。
 燃え盛る炎に投げ込まれたかのように、熱い。
 怒り狂った剥き出しの感情が、内面で爆発したかのように、熱を帯びている。
「え……な、なにを……?」
 力が込められるのが感じられた。
 柄を握る手が、強くなる。
 そして。
 その力強さのまま。
 勢いに任せて。
 感情に任せて。
 怒りに任せて。
 己に触れる剣が。
 皮を破り。
 肉を斬り。

 この身を——断った。



「——っ!」
「お、起きたか」
「ミシェル……ここは……?」
「少しは周りを見て判断しろ。言うまでもなく保健室だ」
 上体を起こしてから、言われて一騎は首を回す。仕切りのカーテンや、その隙間から覗く薬品棚。さらに、鼻につく消毒液のにおいも、確かに保健室のものだ。
「ん? 恋……?」
 そして、ふと目線をベッドの方へと向けると、恋の顔が目に入った。
 彼女は目を閉じて、すぅすぅと小さな寝息を立てている。
「こいつ、相当お前のこと慕ってんだな。放っておいても大丈夫だって言ったんだが、残りの授業全部サボって、お前に付き添ってたみたいだし」
「付き添って……?」
「……一騎。お前、自分がどうなったか覚えてるか? 体育の時間にきなりぶっ倒れたんだぞ? ボールが当たってとかじゃなくて、急にだ。自分の状況、分かるか?」
「あ、あぁ……うん。そっか、そうだったんだ……」
「大丈夫かよ……」
 やや呆れ気味に、それでも心配そうな眼差しのミシェル。
「保健の教師が言うには、貧血だとさ。このクソ暑い中で動いてたんだ、熱中症になってもおかしくない。とにかく水分補給をマメに、塩分補給を忘れずに、しっかり休め、ってさ」
「そっか……ごめん、迷惑かけた。部のみんなは?」
「一応、あたしが指示はしといた。やることもほとんど作業だから、お前がいなくても大体はなんとかなったな。とはいえ、どいつもこいつも気が散ってて、今日は早めに切り上げて帰らせたけど」
 帰らせた、という言葉を聞いて、一騎は時計を見上げた。もう下校時間だ。
「まあ、そういうわけだから、お前もさっさと帰ってとっとと休め。部長がそんなんだと、下の連中が不安がるだろ。人手が足りてないからって、無理はすんな」
「う、うん。本当にごめん。今日は、すぐに休むよ。恋、起きて」
「んん……つきにぃ……?」
 一騎が揺すると、恋が目を覚ます。ボーっとした無感動な眼で、こちらをじっと見据えている。
「つきにぃ、目、さました……よかった……」
「ごめんな、恋。お前にも迷惑かけた。今日はもう帰ろう」
「うん……」
「後始末はあたしがやっとくから、早く帰れ」
「ありがとう、ミシェル。じゃあ、また明日」
「あぁ」
 そう言って、一騎は恋を連れ、ミシェルと別れる。
 最近不調続きだったが、まさか倒れるとは、一騎も自身も思いもよらなかった。
 暑さにやられてしまったのだろうか。
(……体調管理、しっかりしないとな)
 心中でそう呟く一騎。
 しかし、本心はどうだろうか。
 彼の中で燃え盛る炎は、次第に勢いを増すばかり。
 それが爆発する時は、そう遠くはないだろう——