二次創作小説(紙ほか)

68話 「主従のままに変わりたる」 ( No.243 )
日時: 2015/09/28 12:19
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: arA4JUne)

『——負けたねぇ』
 神話空間が閉じる。そして戻ってくるのは、あの冷たい空間だ。
『ま、負けたのは仕方ない。神話のクリーチャーとはいえ、今の僕はあくまで残響だからね。本来の力をすべて出し切ったわけじゃない』
「減らず口というか負け惜しみというか……相変わらずのプライドの高さですね、ヘルメス様。私はあなたのそういうところ、大嫌いです」
『言うようになったねぇ。でもさぁ』
 ヘルメスは口元を歪ませる。卑しく、邪な瞳で、エリアスを見据える。
『君たちが僕に勝ったのはどうして? エリクシールという真にして新の姿と力を得たのは何故? その力は誰のもの?』
「……っ」
 それこそ、認めたくない事実だった。
 ヘルメスの力を継承すること。それを拒んだがゆえの対戦であったはずだが、結果はヘルメスの思惑通り。
 浬たちは結果的には、彼の力を受け継いでしまった。
 その力がったからこそ、自分たちは神話たる存在に打ち勝ったのだ。
 今まさに、そんな現実を突きつけられている。拒んだ末の結末は、彼の意志とは酷く矛盾した、残酷なものだ。
『エリアス。君は最後の最後で僕の力を継承し、その力を持って僕を打破した。それはつまり、君は僕という束縛からは逃れられないことを意味する。結局のところ、君は僕の力なくしては生きていけない存在なんだよ』
「なに……そんなことは……!」
「いえ、その通りです。ご主人様」
 ヘルメスの言葉に噛み付く浬を、エリアスが制する。
 そして彼女は、ゆったりと口を開く。
 この戦いは、決して無意味ではなかった。結果は主の意に反するものだったかもしれない。しかし、それが本当に負の遺産でしかないかと言うと、そうではない気がする。
 少なくとも自分は、この戦いを経ることで、かつての姿を取り戻すことで、そして神話の力を受け継ぐことで、ひとつの答えを導き出すことができた。
 それを今、紡ぎだす。
「私は、賢愚神話の語り手です。それが私の使命です。だから、私の主であった神話を、いつまでも語り継いで、受け継いでいきますよ」
 それは、彼女の決意の表れだった。
 快楽的な生みの親から受けた行い。恥辱と恐怖に塗れた過去を清算し、彼女は意を決した。
「そのために、私は受け入れます。神話の賢しさも、愚かしさも、すべて……」
 愚者の賢しさと、賢者の愚かさを、受け継ぐことを。
 それが、自分の役目だと信じて。
『……合格、かな』
 ぽつりと、ヘルメスは呟いた。
『そこまで分かってるなら、もう僕から言うことはなにもないよ。経過はどうあれ結果として、僕は役目を終えた。君たちには、否応なしに僕の力を継承してもらう。そのための力も託したことだし、これでもうお別れだ』
 やり切ったと言うように、満足げに息を吐く。
 そして、彼の姿が白んでいく。ゆらゆらと、幻のように消えていく。
 時間が来たのだ。それ以前に、彼はもう役目を終えたのだ。これ以上、この場所に留まる理由もない。この冷たい賢愚の空間と共に、彼はいなくなる。
「……あのっ」
『ん?』
 消えゆくヘルメスに、エリアスは呼びかける。
「えと、その……」
 しかし、上手く言葉が出て来ない。
 もう決意はできた。彼の神話の力を受け継ぎ、語り継ぐ意志は固まった。
 だが、いざ“こういうこと”を言おうと思うと、上手く言葉に表現できなかった。
 彼が過去の自分に為した、数々の行為。それに対する恐怖は払拭できている。だがしかしその行為のせいで、正常であるべき姿が見えてこない。
 だから、言葉が出ない。
 それでも、エリアスは声を絞り出し、言葉を選ぶ。
 これだけは、絶対に伝えたかったから。

「……私を創ってくれて、ありがとうございます——“お父様”」

 どんなに軽薄で、邪悪で、卑劣で、自己中心的で自分勝手で快楽主義な愚者であっても、彼は自分を創り出してくれた。
 彼の、未知に対する探究心だけは、素直で純粋で、本物だ。それは自分もよく知っている。
 だからこそ、人造生命体という未知を生み出そうとする彼の心は、本気だった。自分という存在を、彼は最大の敬意と真心を持って創り出した。
 そして、自分がこの世界に生み出されたからこそ、自分は多くのことを知ることができた。
 矛盾した性質の知識欲。太陽のような輝く存在。慈しみと愛を尊重する心。影となりし月光。穏やかに凪ぐ大海。春と共に芽吹かせる命。硝煙に塗れた戦場。守護という命のみに生きる本能。冒涜的な冥府。潤沢な豊穣。
 異常な知識欲など持ち合わせているつもりは毛頭ないが、それでも多くの事を知るのは、心地よかった。そう思うとやはり自分は、彼と同じなのだろう。
 そしてなによりも、今の主たちと出会えたこと。
 この世に生を授かって、最も感謝したことかもしれない。最も喜ばしいことかもしれない。
 自分の世界は変わった。そして、心地よい日々がそこにはあった。
 共に戦う一体感。困難を乗り越える達成感。
 そして、胸中に秘めたこの思い。
 それらすべてが、こうして生きているからこそ実感できることだ。
 憎悪する存在の血肉によって創られたことは、やはり疎ましい。
 しかしこの気持ちを感じることができたのは、命あるからこそだ。どれだけ恐れていても、その事実は変わらない。
 だから、こうしてこの身を創り出し、この世に解き放ってくれたこと。
 それだけは、感謝しなくてはならない。
 そんな一心からの、言葉だった。
『……気色悪い。やめて、その呼び方。蕁麻疹と鳥肌が立つ』
「はい、私も自分で言って反吐が出るほど気持ち悪いです」
 この上ないほどに苦い顔をしたヘルメスに対し、エリアスはにっこりを笑顔で返す。
 初めて、気持ちの上で彼に勝った瞬間だった。
 同時にヘルメスの身体が、いよいよ霧のように散っていく。
「……これで、本当にお別れですね。さようなら、ヘルメス様」
『あぁ』
 ヘルメスは軽薄に、別れの言葉を告げる。
 自分の娘のような彼女と、かつての自分場所——彼女の隣に立つ彼へと。

『“またね”——浬君、エリアス』

 最後に、ヘルメスは微笑んだ。
 賢愚の叡智を残して——



「うぁー……酷い目にあったよ……もう、恋ったら急にへんなとこ触るんだから……」
「なるほど……あの構図は現実におこりうることだったんだ……納得」
「お? 暁と日向さんも来たわね」
「あとは、かいりくんだけですね」
 アカシック・∞のエントランスにて、暁、恋のペアと、沙弓、柚のペアが合流した。
 リュンがもうすぐ調べ物が終わるとのことで、沙弓が全員に連絡して、一度入口まで戻るように指示したのだ。
「しっかし、カイは遅いわね。連絡してから結構経つけど……というか、あなたたちはなにしてたの?」
「えーっとねー……なんていうのかな……? ねぇ、恋?」
「……構図の確認」
「こーず、ですか……?」
「なにを言ってるのかしら、この子たちは……?」
 顔を少しばかり紅色に染める暁を見て怪訝そうな眼差しを向ける沙弓だが、彼女たちはどうにも語ろうとしない。
 語りたくないのか、そもそも語る気がないのか。
 これは問い詰めるべきかどうかと考えていると、不意に柚が声を上げた。
「あ、かいりくん、きましたっ」
「やっと来たか。遅いわね、まったく」
 見れば確かに、扉の向こうから浬の姿が見える。
 しかしその出で立ちは、少しばかり違っていた。
「おー、浬ー……って、うわっ、どうしたの!? 眼鏡は!?」
「……壊れた」
 ぼやける視界のまま、おぼつかない足取りで、彼はこちらへと向かっていた。
「……なにかあったの?」
「別に大したことじゃ……なくはないか。これについては、ちゃんと話す。とりあえず、こういうことだ」
 そう言って浬が見せたのは、一枚のカード。
 エリアスだが、エリアスでない、彼女の姿が、そこにはあった。
「これって……もしかして、浬が?」
「成程。それなら、ゆっくり聞かせてもらおうかしらね。とりあえず、リュンが戻ってから、すぐに部室に帰るわよ」
 沙弓たちも、概ねのことは察したようだ。今ここで浬に詰問するより、ゆっくり腰を落ち着けて話した方が良いと判断した。
 あとはリュンが戻ってくるのを待つだけだ。その間に、浬になにがあったのかを尋ねるものはいなかった。
 非常に気になっているという素振りを露骨に示す者はいたが、それでも疲労困憊の浬たちを気遣っているのだろう。
「……そう言えば、ご主人様」
「なんだ?」
 そんな折、ふとエリアスが呼びかけた。
 浬はそれに、何気なく応じる。
「ご主人様って、私のことが知りたかったんですか?」
「っ……! それは……」
 それは、浬としては触れられたくないところだった。
 彼女の過去を知る覚悟は、エリアスがかつての主との過去を清算したことで、浬にもできていた。
 だがそれでも、浬の心情として、エリアスに対する知識欲がある。
 それは彼のプライドのようなものから来るものであり、それに触れられたくない。
 なぜかと言われると、それこそ言いたくないことではあるが。
「…………」
「なんで黙るんですか? ねぇ、ご主人様?」
 ——恥じらい。
 とでも言うのか。
 いつもエリアスには素っ気なくしている浬だ。それが、エリアスのことを本当はとてつもなく知りたがっていただなんて、そんなことが言えようか。
 これが暁ならばストレートに言えたのかもしれないが、自分は自分だ。そんな言えるわけがない。
 というかこいつはなんでそんなことを直球で言えるのか。
「……私は、ご主人様が望むのであれば、どんなことでもお答えしますよ」
 なぜなら、
「私もご主人様のことがもっと知りたいです。賢愚神話の語り手としても、そして、エリアスという“私”としても」
「エリアス……」
 それが、自分にとっては重要なことであるはずだから。
 単純に主従の関係だけに留まらない。共に戦うものとしても。語り手の使命としても。パートナーとしても。
 知るという行いは、重要な意味を持つ。
 浬がエリアスのことを知りたがっていたように、エリアスも浬のことを知りたがっている。
 残念なことに浬はその欲求を抑え込もうとして、隠している。だがエリアスはそうはしない。知りたいことは知りたい。そしてそれを知るためには、
「とりあえず、従者たる私から、ご主人様に教えちゃいますね」
 相手に知ってもらうこと。これが、知識の対価となる。
「私……ご主人様のことが好きです」
「っ」
 唐突な告白に、浬は言葉を詰まらせる。
 いきなりこんなことを言われて、なんと返せばいいのか。
 返答に悩む浬の言葉を待たずに、エリアスはさらに続けた。
「今まではちょっともやもやしてましたが、今日でしっかりと認識できました。それでも、この気持ちにはまだ未知がいっぱいあります。それを少しずつ既知にしながら、私は語り手として、そしてご主人様に仕える者として、歩んでいきます」
 これもまた、エリアスの決意だった。
 今日は、吹っ切れたり、思い切ったり、突き進んだり、前に進むことばかりだ。
 過去のことも、継承のことも、現在のことも。全て等しく、彼女の変化と成長だ。
 浬が変化を恐れて知るまいとしていたことも、もうどうでもいい。彼女の過去を知って、その関係が変わってしまうことに恐怖していた自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 彼女はこんなにもにこやかな表情を見せているのだ。自分たちの関係がなにか変ったとしても、それは消して悪いものではなかった。
「……あぁ」
 だから、浬は頷く。
 すべてを肯定することを、認める。
 だからこれは、自分にとっても新しい一歩だ。
 彼女と共に歩むと決意した、最初の一歩。
「これからも、よろしくな——エリアス」
「はい、ご主人様!」



 沙弓が皆を招集する少し前。
 アカシック・∞の一角で、リュンはある書籍に目を通していた。
「やっぱりか。ということは、やはり単独で動き出している可能性が高いな……」
 パタン、と本を閉じ、書架に戻す。
「ほとんど確認作業みたいなものだったけど、大体の検討はついたね。近々、今度はこの目で確かめないとな」
 こちらのすべきことは終わった。もう彼女たちを帰してもいい頃合いだろう。
 この図書館の莫大な知識から、なにかきっかけを得られているといいが、と思案しながら、リュンは沙弓へと一報を入れる。
 そして、今いる部屋から立ち去るのだった。



 リュンが戻した書籍は、ほんの少しだけ、書架からはみ出していた。
 この図書館の、もう一つの管理人とも言えるサイバーウイルスたちが、人知れずその位置を直す。
 はみ出した面から少しだけ覗いていた、その書籍の題は、そんな修正作業によってまた隠れるのだった。
 そこに書かれていたのは——

 『冥界神話——断罪者にしてその眷属』