二次創作小説(紙ほか)

71話 「暴食横町」 ( No.249 )
日時: 2015/10/04 00:53
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: arA4JUne)

 殺した。
 ドライゼの主を。
 月光と呼ばれた、かの神話を。
 ——殺した。
 彼女は、確かにそう言ったのだった。
 だが、ドライゼはその言葉に、異を唱える。
「……アルテミスは死んじゃいない。勝手に殺すな」
「ですが、力に飢え渇いた彼が、彼女の命の根源とも言える力を略奪したのは、紛れもない事実……そして彼女は、死の淵へと追いやられた。違いますか?」
「……違わない。だが、それでもだ。それが俺があんたを撃つ理由にはならない」
 ハーデスの野郎ならともかくな、とドライゼは銃身を撫でながら言う。
 ドライゼが女好きだとかフェミニストだとか、そんなことは関係なくとも、ライを撃つことはできない。
 《冥界神話》の暴走を抑えられなかったライにも確かに非はあるだろう。だが、それ以上に罪深いのは、《冥界神話》の方ではないのか。
 ドライゼの主を殺したというのも、それは《冥界神話》が為したことであり、ライが直接手を下したわけではない。
 直接的な関係があったならともかく、そうでないのなら、ドライゼが彼女を撃てない。一般的見解としても、語り手としても、彼個人としても。
「……そうですか」
 相変わらずの無感動さのまま、しかしどこか残念そうに、彼女は言った。
「貴方の銃を受けることが、私の贖罪になり得ると考えたのですが……いいでしょう。そう簡単に罪は償えるわけもありません。私の考えが浅慮でした」
 どうにもこちらの意図が伝わっていないようだが、それでも妙な要求は途切れた。
 同時に、ライは大鎌を担いで、スッと立ち上がる。
「……もう、行きます」
 ライはスッと立ち上がり、大鎌を担ぎ上げる。
「え、どこ行くの?」
「他の、断罪すべき罪を裁きに、です。断罪すべき悪魔龍は近い……この街道を脇道に逸れれば、暴食の罪があります。さらにそこを抜ければ、憤怒の罪があります。そして、さらに進めば、次は嫉妬と邪淫の罪……」
「スケジュールが詰まってて大変ね。で、どうする?」
 このまま彼女について行くか、はたまた地球に帰るか。
 目的は、果たしたと言えば果たした。ライは語り手のクリーチャーであり、噂の死神である。
 彼女のことも知ることができた。これ以上、彼女に付きまとう理由はないが、
「……そうだね。彼女は、コルル君たち同様、語り手のクリーチャーだ。もう少しだけ、彼女を知ることも大事だと思う。そういうわけだから、僕らも同行してもいいかな?」
「ご自由に……私には、貴方たちの意志を束縛する権利などありません。私は罪人であり断罪者。罪を償うことと、罪を裁くこと以外、意志を持ちません」
 そう言って、ライは歩き出し、建物から出る。



 強欲街道(グリードストリート)のメインストリートから外れ、小さな脇道に逸れて進むと、そこはもう、強欲が支配する場所ではなくなる。
 支配者が強欲すぎた結果か、大罪都市を分割するほど巨大な地域であった強欲街道とは、比べるべくもないほどに小さな町。
 それがここ、暴食横町だった。
 下町のように質素で素朴でありながら、飲食街のようでもある横町。いたるところから、食べ物のにおいが漂ってくる。
 ただし、
「うえぇ、なにこのにおい、くさい……」
「その女の子らしからぬ反応はどうにかならないものかしらね……気持ちは分かるけれど。生物が腐ったみたいな、酷いにおいだわ。鼻がおかしくなりそう」
 彼女たちが言うように、そのにおいはすべからく腐敗していた。
 見れば、道端には残飯のようなものがあちらこちらに転がっており、小さくも異形の虫のようなクリーチャーがたかっていた。
「……血生臭いな。腐敗臭に混じって、血のにおいも紛れている」
「そこ……赤い」
「あぅぅ、な、なにがあったのでしょうか……?」
 暴食横町。そこは、食に飢えた悪魔龍が、あらゆる食物を喰い荒らす場所。
 そして喰い散らかされた残飯は、非力なファンキー・ナイトメアや、その他の惰弱なクリーチャーたちの糧となる。
 清潔さなど微塵もない。この町に住むものは皆、すべからくなにかを食べることのみに生きている。
「……これが、暴食の罪がもたらした惨状ですか」
 横町の一光景を見て、ライは声を漏らすように呟く。
 その罪の結果を忌むように。そして、己の罪を嘆くように。
「参りましょう……暴食の罪を、断罪するために」
「あ……ちょっと、待ちなさいっ」
 腐敗した悪臭に鼻を押さえていた一同を置いて、ライは一人歩き出す。この臭気にまったく動じていない。
 そもそもが人間とクリーチャーという違いもあるのだろうが、しかし彼女からは、それ以上に強い、使命感を覚えた。
 いや、罪悪感、と言うべきか。
 ライは散らかった残飯などに目もくれず、それらを踏みにじりながら、横町を進んでいく。
 一同も、この腐乱の町を進むことに対し、少しばかり躊躇はあったが、彼女の後を追った。
「ねぇ、ライ。あなた、その暴食の罪とやらの場所は分かるの?」
「明確な場所は分かりません。しかし、感じます。忌々しく、禍々しい、醜悪な罪を」
 それはこの先にある、と彼女の感覚は告げている。彼女は、それに従うだけだった。
 そしてそれは、その罪の形は、すぐそこにあった。

「ウ、ウ、ウグ、ウゥゥゥゥゥ、アァァァ……」

ポタ……ポタ……

 赤い雫が落ちる。一滴一滴、零れ落ちる。一つの筋となって、流れ落ちる。

ボタッ

 なにかが落ちた。雫が落ちるような音ではない。もっと大きな、塊が落ちる音だ。
 それは、真っ赤に染まっていた。
 黒ずんだ肌のようなもの、剥がれた皮のようなもの、砕かれた骨のようなもの。
 すべてが、もとあった“生”を失い、ただの物体に成り果て、そこに転がっていた。
「……アァァ……?」
「ひ……っ」
 それは、こちらを向き、混濁したような呻き声をあげる。
 青紫色の身体に、骨を纏ったかのような姿。鋭利な黒爪は赤い血に塗れ、肉片がこびりついている。
 そしてなによりも、すべてを喰らってきた悪魔の牙。そこから滲み、零れる唾液。すべてを貪る、大罪を証明する瞳。
「なに、こいつ……」
「スプラッタというか、グロテスクというか……ヤバそうな奴だな……」
 さしもの暁や浬も、その存在には身が竦む。柚など、もはや泣き出しており、沙弓がなだめている。
「《暴食の悪魔龍 グラトニー》……暴飲暴食が支配する町、この暴食横町の統治者だ」
 統治というにはお粗末な食事しかしてないけどね、とリュンは冗談めかして言う。しかし、こうして本人を目の前にしたら、冗談でも笑えない。
 口から零れ落ちた肉塊。元々は他のクリーチャーだったのだろうか。
 グラトニーは焦点が定まらないような眼で、こちらを見据えている。
「ウ、ウゥ……ウグ、ウ、ハアァ……」
「っ、なにっ……うっ!」
 猛烈な吐き気が襲い掛かる。凄まじい臭気だ。今まで漂っていた腐乱臭の比ではない。この町に慣れた鼻を、一瞬で捻じ曲げるほどの悪臭。
 血と肉に塗れた、生を踏み躙ったにおい。かつてはそこにあった命が、ただの血と肉の塊となって、そして消えて行った、死のにおい。
 これが、暴食の姿なのか。
「……ッタ」
「ふぇ……?」
「腹ガ、減ッ、タアァァァァァァァッ!」
 突如、グラトニーは叫ぶ。呻き声ではない、確かな言葉を放つ。
 だがその言葉は、暴食の本能がもたらした行動原理の確認に過ぎない。
「アァァァァァァァァァァァァァァッ!」
 そして、確認は終わった。
 後はその本能と、大罪の証明のために、動くだけ。
「ヤバいよこいつ……ぶ、部長……」
「…………」
 柚を抱き寄せる沙弓に、暁も縋ってくる。浬も、流石に青ざめている。
 そんな中、スッ、と自分の横を黒い影が通り過ぎる。
「ライ……!」
 大鎌を担ぎ、ローブを翻し、黒髪をなびかせ、彼女は進み出る。
 そして、暴食の悪魔龍の前に立った。
 まるで物怖じせず、顔色一つ変えず、ただそれが当然のように。
 彼女は、そこに存在していた。
「……汚らわしく、愚かしく、忌々しい……暴食の罪」
「アァァ……?」
「私の名前はライ。《冥界の語り手 ライ》です……貴方を、断罪しに参りました」
 風を切る音と共に鎌を振り、ライはグラトニーと相対する。
 己が使命を全うするために。
「暴食は、最も罪深き大罪。生を蹂躙し、欲望のままに突き動かされる、穢れた所業……その罪を裁き、そして、贖罪を為します」
 貴方と、そして私も……
 その言葉と共に、彼女たちの周囲が歪む。
 そして彼女たちは、飲み込まれた。

 断罪と贖罪の、神話空間へと——