二次創作小説(紙ほか)

74話 「過ち」 ( No.258 )
日時: 2015/10/05 02:28
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: arA4JUne)

「——憤怒の罪、断罪しました」
 神話空間が閉じる。
 そしてそこにいるのは、激情のすべてを搾り取られたかのようにやつれた悪魔龍と、大鎌を担ぐ無慈悲な断罪者だった。
「憤怒……それは、制御できぬ衝動によって突き動かされる、刹那的な罪。己が意志の薄弱さ、他者への悪しき蔑み、それらが怒りという根源の罪を、形あるものとする……」
 ならば、その罪に科す罰は決まった。
「ゆえに、その罰は、激情を喚起させないこと」
 それは、即ち。
「貴方の憤怒が沸き起こる根源——心を、壊します」
「あ……?」
 《ヘルセカイ》によるとどめの一撃を喰らった直後で、まだ思考が回復していないガナルドナルは、まだ状況の整理が追いつかない。
 ライはそんなガナルドナルのことなど意に介すことなく、大鎌を振りかざす。
 彼に、罰を与えるために。
「貴方の内に満ちる怒りという感情を、すべて塗り潰します」
 漆黒に煌めく大鎌。彼女の瞳と同じように黒く、深く、暗い。奈落の如き黒だ。
 それが、大罪たる存在へと向いている。
 今、断罪の刃が、憤怒の罪を裁く——
「——ドライゼ!」
「了解だ!」
 ——刹那。
 パァンッ! という乾いた発砲音が鳴り響く。
「——!」
 振り下ろす鎌を強引に引き寄せ、ライは迫り来る凶器に備える。
 襲い掛かる一発の銃弾。その軌道がこちらを向いても、今なら即座に弾くことができる体勢だ。
 だが、それは軌道がこちらに向いた場合。
 最初からその弾は、ライを狙ってなどいなかった。
「がはぁ!」
 放たれた弾丸は、ガナルドナルの胸を貫いていた。
「あ、あ、あぁ……」
 しかし、苦しそうな表情を見せたのは一瞬だけ。
 ガナルドナルは、すぐに安堵したように息を吐くと、静かにその姿を光の粒子へと変えていった。
「……カード化の弾丸……」
 そして、やがて憤怒の大罪は、一枚のカードとなる。
 それは風に吹かれるように、沙弓の手元へと収まった。
「これは、私が預かっておくわね」
 ライの対戦中に、穴の底へと降りてきた沙弓。ドライゼの力を借りてガナルドナルをカード化し、その手中に収める。
「……それは、罪そのものですよ」
「それが?」
 重苦しい声で言うライだが、沙弓はどこ吹く風だ。
「それのカードを、こちらに引き渡してください」
「断るわ。これは私が預かる、そう言ったでしょう」
「しかし、それは大罪という、裁かれなければならない存在。私の使命は罪を裁き、罰を与えること。私はその使命を全うしなければならないのです」
「私の知ったことではないわね」
 ライの懇願にも似た言葉も、沙弓は一蹴する。
 とりつく島もないといった風だ。
「……どうしても渡さないというのであれば」
 スッ、と。
 ライは大鎌を構えた。その刃が向かう先は——沙弓。
「罪を庇うのも、また罪。貴女も罪なる存在とし、断罪します」
「やる気か。望むところだ」
 鎌を構えるライに対し、ドライゼも銃を抜き、トリガーに手をかける。
 一触即発の剣呑な空気が流れる。
 刹那。
 黒刃が煌めき、弾丸が飛ぶ——
「やめなさい!」
 ——直前に、双方の手が止まった。
「……なんだ? やらないのか?」
「当然よ。語り手どうしで戦って、私たちに得はないわ」
「確かに、罪を求めて争う。それは酷く無益で、無意味です……しかし、罪を裁く。それには、大いなる意味があります」
 ゆえに私は、貴女を裁く。
 そう言って、ライは再び鎌を握り直した。
「もう一度言うけど、私はあなたと戦うつもりはないわ」
「しかし、私は貴女を断罪し、罰を科す使命があります。それが私の贖罪……私は罪を贖うために、貴女を裁きます」
「ふぅん……なら、言わせてもらうけど」
 沙弓は、予め考えていたかのように、その言葉を放つ。
 ライの胸を穿つような、その言葉を。

「あなたは、かつての主人と同じことをするつもりかしら?」

「……っ」
 ライの表情が、ほんの少しだけ歪んだ。
 鉄面皮を保ち続けていた彼女の顔が、本当に、たった少しだけだが、変化が見られた。
「……どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味よ。あなたの主人——《冥界神話》? ハーデスだっけ? ——は、ドライゼの主の力を奪った。違うかしら?」
 少し前に聞いたばかりの話だが、沙弓は滔々と語る。
 傍らのドライゼはやや顔を顰めていたが、しかし横槍を入れるようなことはせず、黙していた。
「……その通りです。彼は、かの神話の力を略奪した……それは決して許さない、最も罪深き大罪。そして、私がすべてを賭してでも成し遂げなければならない贖罪……」
「えぇ、そうよね。それはあなたが、今までずっと言ってきたこと……ねぇ、ドライゼ」
「なんだ?」
 沙弓は、今度は急にドライゼへと話を振る。
「確か、この大罪の悪魔龍って、元々はあなたの主人の管轄下だったのよね」
「ん……あぁ、確かにそうだな。アルテミス嬢の手下というかペットというか……まあ、そんな奴らだ」
 つまり、これらの悪魔龍はすべて、元々はアルテミスなる神話の支配下にあるクリーチャーだ。
 それが、どのような意味を持つか。
「今、神話のクリーチャーはこの世界にいない。つまり、ドライゼの主人のクリーチャーは、ドライゼのクリーチャー——即ち、私のクリーチャーってことよね」
「あ……? あー、そうなる、のか……?」
「…………」
 困惑したようなドライゼ。確かに、所有権が移っていくなら、そういう理屈になるが、そんな簡単な話なのだろうかと、首を捻っている。
 だが沙弓は、この主張を持って、ライに突きつける。
「あなたは、このカードを渡せと言うけど、これを力ずくで私から奪えば、あなたのやってることは、かつての主人と同じよ。あなたは、最も罪深いと言う、自分の主と同じ過ちを繰り返すの?」
「…………」
 ライは黙っていた。
 確かに、カード化したクリーチャーは、沙弓の力と言ってもいいだろう。それを無理やり奪い取るということは、やがて断罪するとはいえ、その所業はかつての《冥界神話》と同じ。
 断罪と贖罪。
 それらの使命に囚われすぎて、本当の目的を見失ってはいけない。
 自分は、主のようになってはいけないのだと。
「……そう言われてしまえば、引き下がらざるを得ませんね……」
 そう言って、ライは鎌を下した。
 明らかな屁理屈だったが、沙弓の説得は成功したようだ。
「……しかし、困りました……私の贖罪と、貴女の力の蒐集、二つの目的がぶつかってしまいます……如何いたしましょうか」
 鎌を収めつつ、ライは本当に困ったように言う。
 表情はまったく変わらないが、それでも彼女の乏しすぎる感情の起伏が、ほんの少しだけ分かる。
 そんな、気がしてきた。
「残るは、邪淫と嫉妬の罪……最もかの神話と関わりが深いとされる邪淫、存在すらも曖昧模糊とされる嫉妬……私は次の地に進むつもりですが……」
「……このまま、ずっと一緒ってわけにもいかないかしらね」
 今回もそうだが、明らかにライの所業と、沙弓たちのスタンスは対立している。加えて、沙弓がわざと対立するように細工したのも、問題だ。
 このまま一緒に行動を続けても、ライはこちらに刃を向けることはないだろう。それでも、軋轢が生まれるだろうことは、否めない。
「……なぁ。ちょっといいか?」
「なんでしょうか?」
「あんたさっき、アルテミス嬢と最もかかわりが深いって言ってなかったか?」
「確かに、言いました……邪淫の大罪。肉欲に塗れた、最も穢れた罪……」
「それがどうかしたの、ドライゼ?」
 ドライゼを覗き込む沙弓。
 彼はどこかうわ言のように、独り言のように、呟くように、言った。
「それが、アルテミス嬢と深く関わっている……もしかしたら、そこに俺の神核があるかもしれない……」
「あ……」
 成程、と手を打ちそうになる。
 いまだに神核を持たない沙弓とドライゼ。
 神核は、それぞれの神話と関わりの深いところに存在しているのが、今までのパターンだった。
 邪淫の大罪が本当にかの神話と深く関係しているなら、確かにそこに神核が存在しているかもしれない。
 少なくとも、それを確かめる価値はあった。
「……決まりましたか」
「えぇ。残念だけど、ここからは別行動ね」
「わかりました……それでは私は、存在しているかすら定かでないとされる、嫉妬の大罪を、断罪しに参りましょう……」
 それが、この時の、ライの最後の言葉だった。
 この時を境に、ライとは別れを告げる。
 また出会うときはあるだろう。それまでの別れだった。
 そして、歩み出し、進む。
 目的の地へ。


 邪淫の地——ラストダンジョンへ。