二次創作小説(紙ほか)

87話「逃げ切り」 ( No.280 )
日時: 2015/11/08 01:44
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: arA4JUne)

「すっごくいい風が吹いてたのに、あんな急に向かい風に変わるなんて……裏ドラモロのりでまくられた気分だよ」
「アンタの適当プレイングのせいでもあると思うけどね。だからいつも、もっと考えろって言ってるのに……」
 神話空間が閉じると、そこには勝者と敗者の姿がある。
 賭けに勝ち、欲しいものを手にする者と、そうでない者。
 この時は、浬が前者であり、風水は後者だった。
 勝者は敗者から、賭けられたものを貰い受ける権利がある。
 浬は、風水に歩み寄り、見下ろすようにして詰め寄った。
「……俺の勝ちだ」
「うん……あー、でも、もっと続けてたかったな。楽しかったよ、浬くんとのデュエマ。もう半荘くらい続けてたかったよ。もっと時間があればー——」
 とそこで、風水はハッとしたように目を見開き、アイナへと振り向いた。
「そうだ、時間! アイナ、今何時!?」
「知らないわよ。そもそも、アンタの世界とアタシらの世界の時間感覚は違うんだから」
「じゃあじゃあ、あたしがこっち来て、どのくらい!? いつもの時間!?」
「あー……確かに、もうそのくらい経ったかしらね」
 思い出すように言うアイナの言葉を聞くや否や、風水はデッキをケースに入れ、ポケットに突っ込み、くるっと踊るようにターン。踵を返し、ワンテンポ遅れて彼女の括った髪が舞う。
「まずいよまずいよ、はやく帰らないとっ! ばいばいっ!」
「はぁ!?」
 そしてそのまま、たったか部屋の出口へと駆け出してしまった。あまりに唐突な別れ。一瞬、浬は呆けてしまうが、すぐに腕を伸ばして捕まえようとする。しかし、眼鏡がないせいで視界がぼやける。遠近感も上手く取れず、その手は宙を切るに終わった。
「くそっ! 逃げられた!」
「ご主人様……眼鏡さえあれば……」
「それ以前の問題だ!」
 対戦前の取り決めを無視して立ち去られた。これでは相手の要求を飲む可能性があるリスクを犯しただけで、リターンがまったくない。申し出を受けただけ損だ。
 しかも、せっかく目的の人間を見つけたというのに、肝心なことはほとんど聞けないまま逃がしてしまうなどということが、許されていいはずがない。
「あ、そうそう!」
 と、思った矢先、風水がひょっこり顔を出す。どうやら戻ってきたようだ。だがそれでも、今にも駆け出して行ってしまいそうな雰囲気があった。
 最後に一言だけ言い残しておこう、とでも言わんばかりの様子だ。
「最後にひとつだけ、言っておこうと思って」
 浬の予想通りだ。ここで連絡先でも教えてくれるのならば、彼女について知る機会が繋がれるわけだが、まさかそんな名刺交換みたいなことをするだろうか。彼女の性格的にはあり得そうだが、場所が場所だけに、期待できない。
 だが、もしそうなら、という願いがどこかにあった。それ以外に、彼女が言い残すことなんてあるだろうか、と消去法的に予想もしてみる。

「メガネないほうがカッコイイねっ! それだけっ!」

 そんな言葉を残すと、今度こそ風水は立ち去ってしまった。もう、戻ってくる気配はない。足音も完全に消えた。
 二度目の予想は当たらない。確率論では説明できない現象だ。
 理不尽だ。1%の不運を、確率的に100%引き当てるかのような、運命に対する理不尽さを感じる。
 理屈では思い通りにならない世界。それが、そこにはあった。
 成程、と心中呟く。そんな世界があるとは、見聞が広がった。自分の知らない世界を知れた。それは成長だ。苦しく、とても納得しがたいものだが、その苦しみは甘んじて受け入れよう。
 だが、それでもだ。
 納得できない。受け入れがたい。
 これが人生だと言われても、憤慨せずにはいられなかった、怒号を発さずにはいられなかった。
 人間というものの、ロジックではない身勝手な理屈。
 理不尽というものに。
 そのせいで、

「……んなことを聞きたいんじゃねぇんだよ!」

 思わず、口汚い言葉遣いになってしまった。



 一応、急いで風水の後を追ったのだが、彼女の姿は船内のどこにもなかった。
 この一件については、遊戯部の面々、恋、そしてリュンにも話した。風水が海洋の語り手の所有者であり、実際に対戦し、英雄をも所持していることもだ。
 彼女に言い寄られたことまでは、恥ずかしくて話していないが。途中でエリアスが口を滑らしそうになったので、頭蓋を鷲掴みにして口を封じた。
 リュンは語り手の存在を確認できただけでそれなりに満足そうにしていた。「後はこっちで調査する」などと言っていたが、そもそも、その調査で捕まえられなくて、自分たちを動員したのではないかと思ったが、語り手の有無がはっきりしているか否かだけでも違うらしい。
 恋は興味なさそうにしていたが、遊戯部の面々からは、面白半分になじられたせいで、浬の肩身が若干狭い。主に部長のせいだ。対戦して、勝ったにもかかわらず逃がしてしまったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。ここに暁も混ざると本格的にウザくなりそうだったが、今日の彼女は妙に大人しかった。この世界に来た時よりも服装が乱れており、顔を赤らめていたが、なにかあったのだろうか。しきりに恋の方を見ていたが、彼女が関係しているのか。
 大人しいならそれでいいと、浬としてはそのことは、わりとどうでもよかった。部長の執拗ないびりも柚が宥めてくれたお陰で収まり、今日は撤収となった。
(……しかし、今回ばかりは本当に失敗したな)
 少しばかり、彼女を見誤った。
 最初に対戦を申し出て、約束を取り付けてきたのは風水だ。ならばその約束も守るだろうと、頭のどこかで、勝手にそんな前提を作り出してしまっていた。
 こちらの言うことなど無視して言い寄って来たのだ。約束の反故くらいはあり得る、と考えるべきだった。デュエマだけではなく、現実でも最悪のパターンは考慮しておくべきであったのだ。少しでもこのことが頭にあれば、彼女が踵を返す時に腕を掴むとか、走り出した時に追いかけるとか、そういったことができたかもしれない。もっと言えば、そんな考えに至らなくても、彼女が立ち去ろうという挙動を見せた時点で自分も動くべきだった。反応速度、反射神経、状況理解が遅いせいだ。反省しなければならない。
(いや……どう考えても約束を反故にした向こうが悪いだろ……なんで俺が反省しなくちゃならないんだ)
 もっとも、あの様子を見るからに「負けて都合が悪くなったから逃げた」というより「他に優先すべきことができたからそちらを優先した」といった様子だったが。
 しかしそれでも、約束を破ったという事実は変わらない。反故は反故だ。
 そう思うと、悔しさが込み上げる。怒りにも似た感情が、沸々と湧き上がる。
 これが理不尽だ。頭では理解していても、やはり感情は制御できない。なかなか折り合いがつけられなかった。
 理不尽と言えば、彼女との対戦中もそうだった。
 自分に対する引きの悪さ、相手に対する引きの良さ。結果的に勝てたとはいえ、あの流れは理不尽だった。いくら確率とはいえ、“たまたま”を引き続ける豪運には、やはり理不尽さを感じずにはいられない。
(だが、それがゲームってやつだよな。その辺に折り合いをつけられないあたり、俺もまだ子供なのか……)
 などと子供らしからぬ反省をする浬。
 確かに理不尽だったが、新しい世界が開けた気がした。
 いや、それは既に知っている世界だったはずだ。ただそれがまたやって来て、あの時以上に明確化されたというだけの話。
(あんな理不尽な世界は、“あいつ”以来か)
 思い出したくもない、恥ずべき過去。
 自分にとっての最大の屈辱とも言える一場面がフラッシュバックする。悔しさばかりが募る。だが、あの時があったからこそ、自分は今こうしてここにあるのだ。
 悔しさをばねに、だなんて、月並みすぎる言葉だけれども。
 事実その通りに、自分は生きてきた。
 浬はぼんやりと回想し、今日であったばかりの彼女を、あの時と重ねる。
(思えば、少しあいつに似てるな……やかましいところとか、やたらはしゃぐところとか)
 単なる自分の先入観と、表面上の部分を重ねているだけだが、そう思ってしまう。悪いことだとは思わない。それもまた事実だ。
(だからといって、今日の勝利があの時の勝利だとは思わない。あの時の清算は、当人の前で、いつか絶対にする。そう、決めたんだ)
 そのためにも、理不尽さを受け入れ、強くならなくてはならない。
 浬は目を開いた。
 気づけば、もう部室にいる。
 転送中の不思議な感覚。正にたった一瞬の出来事。瞬きの間に別の星、別の場所、別の世界だ。
 それがいつもの感覚だが、今日はやけに長く感じられた。テスト時間をすべて注ぎ込んで、数学の証明問題を解くかのような、長くも短い時間感覚。
「今日の部活動は、これで終わりね。解散!」
 部長が、そう告げた。同時に、他の部員たちが帰り支度をして、部室から出ていく。
 最後にその後ろ姿を眺める。
 それから、自分も鞄を持った。
「……帰るか」
 そして明日も、憤るほどの理不尽を感じよう。

 いつか来る、“決着”ために——