二次創作小説(紙ほか)
- 88話「西入」 ( No.281 )
- 日時: 2015/11/10 00:14
- 名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: arA4JUne)
不沈没船ナグルファールから帰ってきた翌日。
霧島浬は通学用鞄を手に、廊下を疾駆していた。
より正確に表現するなら、速足で歩いていた。流石に廊下を全力疾走していては目立つ。目立つことを嫌う浬からしたら、校則やらちょっとしたマナーなどなくても、できればしたくない行為だ。なので、急ぎつつも、しかし目立たない程度の速度、つまりちょっとした駆け足程度の速度で、歩を進める。その姿は、さながら競歩選手のようだ。
ゴール地点は、遊戯部部室。
既に今日の授業はすべて終わり、今は放課後。それも、六限の授業が終わってから一時間近く経過している。
なぜそれほどに時間が経っても、彼は部室に行っていないのか。理由は至極単純だ。
日本には、掃除当番という制度がある。生徒の人間性を育むためだか、家事の大切さを知るための教育の一環だかは知らないが、浬からすれば非合理的で非効率的な習慣だ。アメリカのように清掃員にでもやらせて、もっと給料を与えればいいのに、と思う。
そんな風に考える理由はいくつかあり、その最もたる理由を理屈と理論に則って主張することもできるが、それを語りだすと長くなるので割愛。代わりに、今一番思っている最大の理由が、サボりだ。
掃除当番が面倒で、疎ましく思う生徒は多い。浬だってそうだ。だからこそ、掃除当番であってもこっそり教室から抜け出し、サボる者が出て来る。
つまり今回は、たまたま、偶然、運悪く、不幸なことに、そのようなサボタージュする生徒が続出し、これまた、たまたま、偶然、運悪く、不幸なことに、今日の清掃範囲はいつもよりも広く、さらにこれも、たまたま、偶然、運悪く、不幸なことに、教師が思考停止したせいで浬に今日の清掃場所全域の清掃を命じ、非常に納得がいかないながらも教師に反抗せず(流石に渋りはしたが)、黙々と今日の清掃作業を行っていたということである。
不運すぎる。
運命の理不尽さに嘆きそうになった。
そんな静かな憤りを感じながらも、思考を切り替えて、浬は部室へと向かうのだった。
やがて、『遊戯部』と書かれた面白みもなにもない、質素でシンプルなプレートの掛かった扉が見えてくる。その扉の前で止まると、ガラガラと引き戸を引いた。
「悪い、遅れました」
開口一番、部の長に言うつもりで、とりあえず形式的に謝る浬。同期のサボりと教師の思考停止のせいで部活に遅れて、自分に非はないと主張したいところだが、しかし謝罪というものは、形式の上でも大事なものだ。相手が見知った相手なので必要ないとも思えるが、それでも一応、人間として頭を下げておく。
頭を上げる。
そして視界に入ってきたのは、二人の部員だった。
二人しか、いなかった。
「……?」
もう一度、部室を見回す。やはり二人しかいない。鞄も二つだ。
部室にいるのも、パソコンを前にした沙弓と、その向かいに座る柚の二人。
太陽よりも暑苦しく、日光よりも明るい、浬にとっては工事現場のドリル音のような目障りさを感じる部員が、そこにはいなかった。
「あいつはどうした?」
「あきらちゃんですか? えっと、その……」
もごもごと、言いあぐねている柚。そんなに言いにくいことなのだろうか。まさか、風邪でも引いたのか、あの能天気な女が。と、なさそうだがそれしか思いつかない推測をしてみるが、
「あの子はね、今日はちょっと出かけてるのよ」
「出かけてる? 一人でか? いや、それか、家族か?」
「うぅん、あの子よ。日向恋ちゃん」
「……あいつか」
日向恋。その名前を聞くと、成程と謎が解けたが、それでもやはり、少々意外だった。意外と言うより、不可解だと言うべきかもしれない。
「今日は平日だぞ。烏ヶ森だって、ここからそんな近くないだろうに」
「それがね、急にメールが来たみたいよ。無視することもできないし、予定もないからって、待ち合わせ場所に向かったわ」
「あっちには行かなくていいのか? それとも、あいつなしか?」
「リュンからの連絡はないわね。ここ最近は連日あっちの世界に行ってたけど、今日はお休みみたい」
だから彼女も待ち合わせ場所とやらに向かったのだろう。もしもリュンが呼びつけていれば、今頃この部屋には女が三人いたはずだ。
もっとも、それは彼女が日向恋という少女のもとへ向かわないというだけで、その場合は向こうからこちらに来そうなものだが。
「久々に普通の部活動をしようと思ったのだけれど、暁もいないし、今日はもう閉めましょうかしら。柚ちゃんも、律儀にずっと居座ってることはないわよ」
「い、いえっ、わたしは、そういうわけでは……」
「でも、暁がいないと楽しくないでしょう? 私はこの後、会議があるし、カイの二人きりなんて、根暗すぎて息が詰まっちゃうわ」
「おい、誰が根暗だ」
「でも、デッキカラー的には青単よね」
「だからなんだ」
話をすり替えようとでもしているつもりなのだろうか。そんな適当な転換で、騙せるとでも思っているのだろうか。
「とにかく、今日はもう部室を閉めるわ。やっぱりあの子がいないと、気分的に暗いわ」
「ご、ごめんなさい……」
「柚ちゃんはいいのよ、清涼剤だから」
「それは暗に俺が部の雰囲気を暗くしていると言いたいのか?」
「じゃあ、帰りましょうか」
浬の言葉を無視して、沙弓は立ち上がった。
手早く帰り支度を済ませると、鍵を取り、窓もしっかり閉めて、戸締まりする。
「それでは、ぶちょーさん、かいりくん、おさきにしつれいします。さようなら」
「うん、ばいばい。気をつけてね」
ぺこりと頭を下げてから、とてとてと小走りに去っていく柚。その後ろ姿が見えなくなるまで、沙弓は手を振りながら、浬は無言で、見つめていた。
「カイも先に帰ってていいわよ。さっき言ったように、私は会議があるから」
「ゆみ姉が会議っていうと、部長会議か?」
「そうそう。ほら、そろそろ今学期が終わるでしょう? だから、今学期の活動報告とか、来期に向けての抱負とか、面倒なことが色々あるのよ」
「……俺も遊戯部の活動なんて大して知らないが、今学期、なにか特にしたか? ほとんど向こうに行ってたと思うんだが、大丈夫なのか?」
「その辺は上手くやるわ。大丈夫よ、先生とか生徒会の人たちとは仲良しだから」
「騙す気満々じゃねぇか」
「騙すんじゃないわ、説得するの。説き伏せるのよ。ちょっと虚言虚飾のフィクションが混じるけどね」
それを騙すと言うのではないだろうか。
しかし浬としては、表向きに遊戯部がきちんと活動している部であればいい。沙弓がそのように外部に対して丸め込むのであれば、それはそれで構わなかった。教師やら生徒会やらが騙されるより、遊戯部が安泰のままである方が重要だ。
なのでそれ以上は、なにも言わず、そのまま沙弓とも別れた。
「こんなに早く帰るのは、久々だな」
自転車を押しながら、浬はたった一人の帰路を歩く。
小学校を卒業し、中学校に上がり、東鷲宮に入学し、我が家の居候の勧めで遊戯部に入部した。
そのすぐ後、あの少女が自分のクラスや、果ては部室にまで突入してきて、気づけばクリーチャー世界などという世界に飛ばされて、世界の安定だのなんだのと言われている。
(冷静に考えれば、なんて非現実的で大仰な出来事に巻き込まれているんだろうな。狂ってる)
狂ってると言えば、そもそもそんな狂ったことを冷静に考えられる自分が狂ってるのかもしれないが、それにしても、自分はとんでもない世界に生きてしまっていると、改めて思う。
ただのカードゲームだったはずのものが、ただのカード以上の意味を持ち、自分たち人間と同じように社会があり、意志があり、命がある。
自分たちが生まれた地球よりもずっと広大で、壮大で、先進的で、退廃的で、規格外で、奇想天外な世界。
しかも、その世界に新しい秩序を作るための助力をしてくれと言われる始末。スケールが違いすぎる。この地球でも矮小な個人という存在なのだ、あの世界においてどれだけちっぽけになってしまうのか。そんな自分たちに、そんな重大な事を任されても、困惑する。
事実、困惑していた。
今は、そうでもないが。
(どう考えても感覚が麻痺してるよな……ゆみ姉とか、あいつとかは、ノリと勢いに乗って楽しんでいるようだが、俺はとてもじゃないが、そんな楽観的にばかり動けない)
確かに、クリーチャーが実体化したり、見たこともないクリーチャーを見て、実際に戦っていると、興奮を覚えないでもない。
しかし脳にアドレナリンが氾濫しているような状況が正常とはおよそ言えない。そんな状態はノーカウントだ。
その上で、事の前後になって冷静に考えれば、やはり自分の人生はおかしい。まだ中学生だというのに、一歩間違えれば命に関わるような道を歩んでいるのだ。常軌を逸している。
だが、やはりそんな人生を冷静に分析して、その上で仲間たちと迎合している自分は、それはそれで正常ではないと思えてしまう。命に関わると分かっていても、その危険性を承知の上で、加えて安全もある程度確保されていることを認めてしまっているので、結果的に危険な道にも進んでいた。ジェットコースターに乗るような感覚になってしまっている。
(本来なら、こんな人生を歩むはずじゃなかったんだがな……)
ならばどんな人生を歩むのか、などと自分の人生設計なんて立てていないが。
それでも自分は、理屈と理論で物事を押し進めていくような道を辿るものだと思っていた。机上で生きるものだと、漠然と想像していた。
しかし、現実はそうではなかった。
あの世界と関わって、その理を垣間見て、、理屈も理論も、すべてが常識から外れてしまったような気分だ。
(……そういえば、あいつ)
ふと、一人の少女が脳裏をよぎる。
つい先日のことだ。沈まない沈没船で出会った少女。
自分の論理を、運気だとか流れだとか、オカルトめいたことで完全否定しかけた、自分とはまったく違うベクトルに生きる持つ少女だった。
ある意味新鮮だ。理屈が伴っていない人間は、今まで何人も見てきたが、あそこまでロジックを捨てた人間は初めて見た。
それゆえに、少しだけ、ほんの少しだけだ。
興味深い、と思ってしまった。
(まあ、それ以上に自分の理屈が覆される方が屈辱だったから、躍起になって押し切ったが……)
彼女が信じる運気の流れ。
なぜ、それを信じられるのか。なにを根拠に、信じているのか。信じるものを、疑ったことはないのか。
一つの知識欲として、興味を抱いた。
「もっとも、それ以上に知らなければいけないことは多いんだが……この前は逃がしたしな」
せめて眼鏡があれば、視界がはっきりしてさえすれば、彼女を強引に捕まえられたというのに。
「……この眼鏡も、安物とは言え、何度も買い換えるわけにはいかないな」
この数ヶ月の間に、一体いくつの眼鏡がスクラップにされてゴミ捨て場に埋まったことだろうか。
このままでは、流石に持たない。眼鏡は消耗品ではないのだ。
などと、途中から心の声が独り言に変わりつつ歩いていると、ふと浬の目に、それは止まった。
「ん……?」
それが目に入ったのはたまたまだが、いつも視界に入れている存在なので、自分が帰り道を歩いてさえいれば、それが目に付くのは当然の帰結だろう。
しかし、あの世界からの帰りとなると、大抵横には居候の彼女がおり、そちらに意識を向けられるため、その他の場所へと目が行かない。身体的疲労もあり、注意力、洞察力は散漫になっていることだろう。
だからいつもよりも早く、そして一人で帰宅しているという状況だったからこそ、浬はそれに気づけたと言えよう。
「……新刊、出てるな」