二次創作小説(紙ほか)
- 106話「霞の子」 ( No.319 )
- 日時: 2016/02/18 20:21
- 名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: 9Mczrpye)
生まれてからずっと、一人だった。
母親はいる。父親も。義理の兄もいるし、親戚や、大切にしてくれる人もたくさんいた。
しかし、それはすべて、大人だ。
いくら母親に抱かれても、父親に頭を撫でてもらっても、義兄と一緒に遊んでも、一人でいるという虚無感は、埋まらなかった。
家の中で過ごす間は気にしていなかったけれど、幼稚園に入ると、自分が一人であることを強く意識するようになった。
だれもわたしとあそんでくれない。
入園してから、ずっとだ。先生に言っても、言葉を濁して去ってしまう。
なんで、どうして。
だれもわたしとともだちになってくれないの。
自問自答を繰り返した。答えは出なかった。まだその答えを出すには、自分は幼かった。
小学校に上がる頃。入学式の日。家族や親戚が、たくさん来てくれた。
でも、居心地が悪かった。この時から、薄々分かっていた。
自分の家族が——霞家という家柄が、普通ではないことが。
帰り道に、誰かのお母さんらしき人たちが話しているのを見た。
たまたま、その話が聞こえてきた。
——霞の子には近づくな——
——霞と関わるのは危険だ——
——うちの子を霞に触れさせてはいけない——
霞。自分の苗字。
家族との、そして、兄になってくれた大切な彼との、繋がり。
予感が確信に変わった瞬間だった。
自分の背負う名が、家の名前が、他人と自分の間を隔てる壁となっているのだった。
「若頭ぁ……お嬢のことですが、まだ学校で友達ができていないようで……」
「そうか。やはりな。霞の名は、あいつには重すぎたか」
「どうしやしょう。このままじゃ、お嬢が可哀そうですぜ……」
「俺たちにどうにかできるものなら、どうにかするがな。しかし、俺たちが手を出したところでどうにもならない」
「しかし……」
「むしろ逆効果になりかねない。俺たちは裏の社会に生きる者だ。それが表に干渉して、良いことは起こらない。下手をすれば、よりあいつを傷つけることになる」
「む、むぅ……」
「今は静観するしかない。苦節の冬を乗り越え、陽が昇る春の時が来るまでな」
兄たちが話しているところを聞いた。言葉は難しく、なにを言っているのか分からないところもあったけれど、雰囲気で理解した。
やっぱり、自分は他人と相いれない存在なのだと。
受け入れられない人間なのだと。
10にも満たない幼女だった自分は、理解した。
学校は辛かった。
校庭から、教室から、廊下から、学校全体から聞こえる、笑い声。子供も教師も一緒になって、一体感のある空間だった。
その中で、自分だけが外れている。自分だけ、その枠に入ることはできない。受け入れられない存在だった。
誰かと一緒に鬼ごっこをすることも、誰かと楽しくお喋りすることも、誰かと協力して勉強をすることも、誰かと助け合ってなにかを成し遂げることも、なにもなかった。
誰も近寄らない。皆が、自分を拒絶する。
だから自分は独りだ。昔も、今も、そしてこれからも。
「ケイドロするひとー! このゆびとーまれっ!」
ある日のこと。いつもの日のこと。変わらぬ日のこと。
生徒も教師も、自分のことを忌避する毎日。その中のたった一日。
今日もクラスは楽しそうな空気に満ちている。笑い声と笑顔が絶えない、和やかな世界だ。
当然、自分という存在を除いて、だが。
誰かが人差し指を突き上げていた。クラスメイトの女の子だ。よく彼女の声を聞く。よく誰かと一緒に遊んだり喋ったりしていて、クラスの中心人物的な子。
自分とはまるで接点のない、無関係な女の子。自分も、あんな風に明るくなれれば、ちょっとは変わったのかもしれない。その子を見て、ふとそんなことを思った。
「ひーふーみー……あれ? ケイドロやるのこれだけ? すくないよー、5にんじゃたりない。もうひとり、だれかやらないの?」
キョロキョロとクラスを見回すその子は、こっちを向いた。こちらも相手を見ていたので、たまたま、視線がぶつかって見つめ合う。
すると、女の子はにんまりとした表情で、駆け寄ってきた。
「ねー、きみ! ケイドロしない?」
「ちょ、ちょっと、あきら……!」
「え? なに?」
「その子はダメだって……」
始まった。予想通りだった。
たまに、なにも知らない人が近づいてくることがあるけれど、そういう時は決まって誰かが告げ口をする。そうしたら、結局その人も離れてしまう。
告げ口する人は、決まってこう言うのだ。
「その子、“かすみ”の子だよ……」
呪詛のような言葉。忌まわしいほどに自分を縛り付ける、呪いの文言。
その呪いをふりまかれたら、みんな顔を真っ青にして、逃げていく。
さっきまで明るい顔をしていたこの子も、すぐに怯えた表情で、背を向ける。
そう思っていた。
けれど、違った。
「カスミノコ? なにそれ?」
「え……?」
相手の子が、呆けた顔をしている。自分も同じ顔をしているのだろう。
「しらないの? おかあさんからきいたことない?」
「おぼえてないや。なに? カスミノコって?」
「え、えっと……よくわかんないけど、うちのおかあさんは、かすみのこにはちかづくなって……」
「なんで?」
「そ、それは、しらないけど……」
言葉に詰まった。なんで霞がダメなのか。その理由までは言われていない。きっと、言っても分からないから、とにかくダメ、ということだけを教え込んだのだろう。
従順な子供は、それだけで言うことを聞く。しかし、この女の子は違った。
母親が本当になにも言わなかったのか、それとも言われていたが忘れただけなのか。それは分からない。
「そういえば、きみ、なまえしらないや。わたしはあきら。きみはなんていうの? カスミノコ?」
「え……と……えと……」
彼女の勢いがこちらに向いた。人から話しかけられることなんて、皆無に等しいので、戸惑ってしまう。
霞は家の名前だ。自分の本当の名前。
家族から貰った、自分というたった一人を示す、名前。
喉の奥につっかえる。それでも必死に、一生懸命、声を絞り出して——名乗る。
「ゆ、ゆず……です」
言えた。
初めて口にした、自分の名前。
家の名ではない、自分の名前。
女の子はそれを聞くと、そっか! と手を差し伸べた。
「じゃあ、いまからともだちだね! ゆず!」
「ふぇ……?」
言葉が上手く出なかった。
この感情をどう表現すればいいのか分からなかった。
差し伸べられた手。にこやかな笑顔。楽しそうな声。
すべてが、輝いて見えた。
寒く、冷たく、苦しい時から、解放されたかのような、安堵感。
暖かく、温もりと優しさに溢れた安心感。
冬を超え、春が来たのだ。
そんな春を迎えてくれた彼女は、そう——
「ともだちになろう、ゆず!」
——自分にとっての太陽だった。
「……はいっ、あきらちゃん——」