二次創作小説(紙ほか)

118話「『蜂』」 ( No.364 )
日時: 2016/04/17 18:22
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: Ak1jHfcH)

 花弁が散るようにして、神話空間が閉じる。
 《メイプル》に抱かれた柚は、舞う花びらを背景に、後ろ向きに倒れた。
「——ゆずっ!」
 空を仰ぐようにして、柚は仰向けになって倒れる。《メイプル》はプルへと戻り、暁と共に柚へと駆け寄る。
 彼女は恐らく気を失っている。最後の攻撃で、彼女の異常が消え、元の彼女に戻ったのかどうかは分からないが、どうあろうと柚は暁の大事な親友だ。倒れ込んで、心配しないわけがなかった。
 暁は柚へと呼びかけ、倒れた彼女の元に駆けつける。そして、腕を伸ばして彼女の肩を掴み、揺さぶろうとした。
「ゆず! 大丈夫、ゆず——」

 みしり

 嫌な音が響いた。不快感を催す音が、鼓膜を震わせる。
 恐る恐る覗き込むと、暁の顔から、サァッと血の気が引いていく。
「ゆ、ゆず……?」
 はだけた白衣から覗く柚の胸が、縦に裂かれたように、くっぱりと割れている。みしみしと、その裂け目は広がっていく。
 奇妙なことに、血は一滴も流れていない。その中にある臓物もなく、ただただそこには、暗い深淵が渦巻いていた。
 その時。
 柚の胸から、なにかが突き出した。
 やや湾曲している、鋭い針のようなもの。ぐぐぐ、と小刻みに震えており、胎児が生まれてくるかのように、裂け目をさらに広げながら、それは外へと出ようとしていた。
 蛹が割れて蝶が羽ばたくように、殻を破って蝉が飛び立つように、虫の脱皮の如く、柚という身体から、這い出てくる。
 やがて針だけでなく、その奥にも眠るものが、飛び出した。
「——ガジュマル! 戻ってこいや!」
 それは、素早く外へと飛び出すと、なにか叫んだ。すると瞬く間に、巨大な人影がどこからともなく現れ、小さな揺れを起こしながら大地を踏みしめる。巨人の如き威圧感を纏う男だった。そして、それはその男の肩あたりに己の針を突き刺す。すると、それはずるずると男の中へと入り込んでいく。男は前傾姿勢気味になっているが、やはり血は流れていない。体に歪な膨らみもなければ、傷もない。なにかが男の中に入り込んだ、それだけだった。
 一瞬の出来事だった。
 目線をどこに向ければいいのか。倒れている柚か、柚の身体から男の身体に移った謎のなにかか、それとも男にか。
「ゆ、ゆず……!」
 とりあえず暁は、柚へと振り返った。しかしそこには、胸を穿たれ裂かれた柚の姿はない。血は流れておらず、真っ暗な深淵が広がってもいない。ぱっくりと開かれた胸は、塞がっている。
 なにが起こったのか、まるで理解できない。
 困惑と混乱を極め、一同が唖然としていると、また、みしみしという不快な音が響いてきた。
「かー、畜生! 追い出されちまったなぁ」
 ノイズが混じったような、ざらつきのある声が聞こえる。鼓膜にヤスリをかけたかのような、ざらざらとした感覚が脳に響く。
 その直後。
 男の肩がぱっくりと割れる。そしてその中から、奇妙ななにかが、這い出てきた。
「な、なに、これ……!?」
 それがなにか、暁には分からなかった。それでもあえて、自分の知っているものでたとえるならば、“虫”だ。
 それも、奇妙で、醜悪で、巨大な虫。がさつで性格的に男っぽいところがあり、普通の虫程度ならなんとも思わない暁だが、これには流石に生理的嫌悪感を催す。
 それ以上に、本能的な恐怖を刺激する、おぞましさがあった。
 二つの眼の中にはさらに大量の眼が見える。額からはかくんと折れ曲がった触覚。口らしき部位には、鋭利な刃物のような大顎が一対ある。退色は黄色っぽいが、そこに深い緑色が混ざり、混沌とした色合いを演出する。首周りの体毛は白いが、同時に黒ずんでおり、背中から生える一対の羽は、赤と青が混ざらないまま、斑に色が這っている。
 その虫は、男の肩をぱっくりと割り開いた状態で、恐らく全身の半分ほどを外気に晒していた。時折、羽が振動し、不快な羽音を奏でている。
「あーあー、やっぱ赤いのはどぎついわ。無理矢理、力ずくで引っこ抜かれちまった。繊細な緑には辛いなぁ」
 その虫は、ざらついた声で、しかしそれでいてやたら陽気に言葉を発する。
 怪物が人の言葉を喋った。正にその感覚を味わう。
「なんなんだ、こいつは……!」
「……きもちわるい……」
 後ずさる浬に、視線を逸らす恋。二人からしても、目の前の怪物には少なくない嫌悪感を抱いているようだ。
 同じように不快感を覚えているはずだが、沙弓が一歩前に出た。
「あなたは何者? クリーチャー、なのかしら」
「あーん?」
 複眼でこちらを見つめる。瞳がないので、感情というものが読みとりづらい。
 虫はカチカチと顎を鳴らして、なにを言うのか考えているのか、首を捻る。
「俺は、そうだなぁ……『蜂』とでも呼んでくれや」
「『蜂』……?」
「おうよ」
 『蜂』、と名乗る奇妙な虫は、またカチカチと顎を鳴らした。同時に笑い声をあげる。
 愉快そうに笑っているが、暁たちの目は、まったく笑っていなかった。
「……名前なんてどうでもいい。ゆずに、なにしたの?」
「なにした、か。そんな難しいことはしとらんよ? “寄生”しただけだから」
「寄生……?」
 寄生。
 宿主と呼ばれる、ある生き物の体内外に侵入し、一方的にエネルギーとなりえるものを収奪する行為。ものによっては、宿主の身体を支配することすらも可能だ。
 それを行う、虫。
 即ち、寄生虫だ。
「俺はちーっとばかし特殊でなぁ。単独じゃ動けないんよ。俺は寄生する宿主がいないと死んじまうんだ。だから今もこうして、こいつに寄生してる。な、ガジュマル?」
「仰る通りで」
 ガジュマルと呼ばれた大男が答える。
 しかし暁たちが聞きたいのはそんなことではない。
「なんで、ゆずに……!」
「なんで? その方が効率的だと思ったからに決まってんだろ。たぶんもう気づいているだろうけどよ、俺の目的はお前らの持つ英雄の“力”だ。それを搾取するためには、とりあえずお前らを力ずくで屈服させるのが手っとり早い。そのためにはどうする? 仲間の身体を借りてお前らに近づけばいいんじゃね? と思ったわけよ。さらに言えば、今回ターゲットにした柚ちゃんは、自然に魅せられ、自然を魅せる、自然文明の力の行使者だ。色的に、俺とは相性よさげだったのよ。んで実際に寄生してみると、マジでびっくり、もうめちゃくちゃシンクロしてて、このまま身体をもらっちゃおうかと思ったわ。というか、もらうつもりだったね。若い、というか幼いけど、種の雌としては十分に発育してるし、そーゆー楽しみもできそ——」
 饒舌に語る『蜂』。陽気な口調からして、見た目とはまるで似つかないが、そういう性格なのだろう。
 だが、そのふざけた態度が、怒りの火を点ける。
 『蜂』がその口を塞いだ時。暁の手は硬く握られ、突き出されていた。
 ガジュマルと呼ばれた大男が、暁の拳を静かに受け止めている。
「そんな理由で、ゆずを……!」
「おいおい、太陽の嬢ちゃん。そうムキになんなや。お前のせいで失敗したんだしよぉ。それに、人間の女の子がそんな暴力的になりなさんな。どうせ非力なんだから。それに、あんま舐めたことしてっと——」
 スッ、と『蜂』の声のトーンが低くなった。
 ヤスリのようにざらついた声は、刃物の如き鋭いものへと変質する。

「——お前にも寄生すんぞ」

「っ!」
 その言葉に、暁は思わず跳び退る。本能が危険信号を出した。ほぼ反射による行動だった。
 目を見開き、早鐘を打つ胸の鼓動を聞く。
「なーんて、うそうそ! さっきも言ったけど、お前きついわ。赤とはわりと友好的なつもりだけど、お前みたいながさつで乱暴な奴に寄生しても、中で喧嘩するだけで、全然上手いこといかんもん。誰がお前なんかに寄生してやるかよ」
 そんな暁を見て、『蜂』の語り口はまた陽気なそれへと戻る。
 先ほどの言葉と、今の言葉。どちらもどこまで本気なのかは分からないが、目の前の存在が、語る以上に危険な存在だということだけは、理解した。
「……ねぇ、聞いてもいいかしら」
「んー? なんだ、月影の姉ちゃん」
「あなたたちの目的はなに? 英雄の力を集めて、どうするつもりなの?」
 『蜂』に問う沙弓。
 今回の一件。柚に寄生した『蜂』は、英雄の力を集めるという目的があった。
 しかしそれは、あくまでも、“最終目標”を達するための手段でしかないだろう。
 力とは、基本的には目的ではなく手段だ。求道者のような人物であれば、力そのものが目的ともなり得るが、目の前の怪物がそうであるとは到底思えない。
 だから彼の目指す、最終的な目的とはなんなのか。
 柚に寄生し、英雄の力を収集することで、彼はなにを成し遂げたいのか。
 それを問う。
 すると『蜂』は、ニタァ、っと口元を動かした。
「よくぞ聞いてくれました、だな。別に聞かれなかったら言うつもりはなかったけど、できることなら言っておきたかったってのはあるかんな」
 嬉しいのかなんなのか、カチカチと顎を鳴らして、ケラケラと笑う。その笑い声は、『蜂』にとっては愉快なのかもしれないが、こちらからすれば、不愉快極まりなかった。
 そうして『蜂』は、ざらつく声で、自らを語る。
「俺たち、【蜂群崩壊症候群】っつー集団なのよ。この世界(コロニー)からすべての命を消失させ、空っぽの巣にする……そんな夢を見てるのさ」
「い、命を、消失……!?」
 気取った風に言い切る『蜂』。やはり口ぶりはどことなくおどけていたが、しかし、その内容は聞き流せるようなものではなかった。
「この世界のクリーチャーを、すべて消し去ろうってのか?」
「ピーンポーン! ま、そーゆーこっちゃ。分かりやすくていいだろ?」
 まるでなんでもないように言う『蜂』。それが遊びだとでも思っているのか。
 予想を遥かに上回っていた。今まで出会ったどの連中とも違う。決定的に、致命的に、狂っている。
 その狂いっぷりに、まだ思考が追いつかない。
 今度は一騎が問うように前に出た。
「君もクリーチャーなんじゃないの? それなのに、同じクリーチャーを滅ぼそうだなんて……」
「同じクリーチャー、ねぇ。まあ確かに? 俺はクリーチャーだが、同じにされると困るんやよなぁ」
「どういうこと?」
「さーなー? そこまで言ってやるつもりはねーよ。別に面白くもなんともねーし」
 急に不機嫌そうになり、『蜂』は口を尖らせる。
 これ以上はなにも言わないとでも言わんばかりに、顎も鳴らさない。
「ま、そんなわけで、今日はもう帰るわ。やることやったし、柚ちゃんは取り返されちったし。じゃーなー」
 そう言うと『蜂』は、カチン、と顎を鳴らす。それが合図なのか、肩を『蜂』に寄生されたまま、ガジュマルは踵を返した。
 本当に、これで去るつもりらしい。
「な……ま、待て——」
「暁!」
 『蜂』を追おうとする暁を、沙弓は呼び止めた。
「深追いは禁物よ。あなたもボロボロでしょう?」
「部長、でも……」
「あいつはヤバいわ。手負いの状態で相手にしたら、絶対に痛い目を見る。そうでなくても危険な匂いがするわ……だから、今は堪えて」
「……分かったよ」
 沙弓の強い制止で、暁は足を止めた。
 去りゆく『蜂』たちを眺めるだけの暁たち。しかし、ふと、ガジュマルが足を止めた。
 そして、首だけで振り返る。
「……語り手ども」
 今まで自発的に口を開くことのなかったガジュマルが、初めて自分から言葉を発した瞬間だった。
 彼は重苦しい声で、語りかける。
「いつの日か、手前らと刃を交える時も来るだろう。だが俺は、たとえ同類相手であったとしても、容赦はせんぞ」
 ずしりと。
 彼の言葉は、重力を持っているかのように、不思議と重くのしかかる。
「ガジュマル! 行くぞ」
「……御意」
 『蜂』に促されて、ガジュマルは口を閉ざす。捻った首を正面に向け、そのまま歩を進める。
 ほどなくして、二人の姿は、森の闇へと消え去った。