二次創作小説(紙ほか)

127話「砂漠の下の研究所」 ( No.386 )
日時: 2016/05/08 07:23
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: uB4no500)

「ぐ……!」
「ご主人様!」
 神話空間が閉じ、再び熱された砂地に伏せる浬。
 今までなんとか気力を保ち続けていたが、この敗北を契機に、肉体も精神も限界を迎えたようだ。体は動かず、意識も朦朧としている。
 熱砂の上に伏した浬に、スッと黒い影が差す。勝者が敗者を見下ろしていた。
「賭けはわたしの勝ちですね」
 幼く軽い声が、浬の耳に重くのしかかる。
 奇々姫はくるりとステッキを回し、パチンと指を鳴らすと、背後に控えている奇天烈隊の隊員たちに告げた。
「後の作業はみなさんにお任せします。とりあえずお金になりそうなものをもらえれば、それでいいので。体は置いておきましょう。こっちの小さなクリーチャーさんも同じように」
「あ、あうぅ……」
 高い声が、どこか味気なく淡々と響く。その冷淡さが恐ろしい。エリアスは、ただ唸ることしかできなかった。
 浬は恐ろしさを感じることもできず、ほとんど思考力も失っていた。意識をギリギリのところで保っているだけで精一杯だ。
 手も足も出ない二人に、奇天烈の侵略者が迫る。
「それではみなさん、お願いしますね——」
 ——と、その時。

 ピチャンッ

 なにかが、額に当たった。
 冷たいなにかが。
 それは、もう一度、また一度と、幾度と体を打ち、やがて数えることもできないほど大量に、降り注ぐ。
「っ!? え? え? な、なんですかー!?」
「雨……?」
 視界が遮られるほどの大雨。さっきまで燦々と照りつけていた陽光が嘘のような土砂降りだった。
 目の前にいるはずの奇々姫の姿も見えず、雨音だけが鼓膜を震わせる中。
 頭の中に直接語りかけるような声が聞こえてきた。
『こっちだ』
「え……?」
 エリアスは目を凝らす。うっすらと、大雨の中になにかが浮かんでいるように見える。
「え? な、なにものですか……?」
『説明は後でする。早くこっちに来るんだ。身ぐるみ剥がされたくなかったらね』
 なにかはそう伝えた。
 この急な雨。身を隠してこの場を去るには絶好のタイミング。そこで、なにかよく分からないが、このなにかは自分たちをどこかに誘導しようとそしている。
 考える時間はなかった。今すぐ身ぐるみを剥がされるか、よく分からないなにかに従うか。不確定すぎて自分の主人の主義に反するが、そんなことは関係ない。エリアスは、後者に賭けることにした。
「……ご主人様! 立てますか? 立ってください! 立って歩いてください!」
「う、ぐ……頭に響くから黙れ……なんとか、立てる……」
 雨に打たれた体を起こし、水を吸った重い服を纏ったまま、おぼつかない足取りで浬は歩を進める。
『そのまま直進するんだ』
 何度も倒れそうになりながらも、浬は進み続ける。雨が強すぎて視界は塞がれ、聴覚も雨音のみの世界。寒さに震えた体は触覚だけでなく平衡感覚すらも狂わせ、全身の感覚がおかしくなりながらも、浬は前に進んだ。
 どれくらい歩いただろうか。肉体的にはあまり遠くまで歩けないはずだが、感覚的には気が遠くなるほど長い時間を歩いていた気がする。しかしその感覚は狂っているので、恐らく肉体的に考える方が正しいと思われる。それほど長くは歩いていないだろう。
 浬とエリアスが声に導かれ、歩を進めた先。その足元が、大きく口を開けていた。
 地面がそこでくっぱりと割れているのだ。砂漠という地質としてはありえない割れ方をしている。
 そして、その割れたところから下へ、段差が伸びていた。つまりは階段だ。
「これは、入口……?」
『中に入ってくれ、早く。連中に見つかる前に閉める』
 声に促され、急かされるまま、二人は中に入る。踏み出した直後に浬が足を滑らせて、そのまま下に転げ落ちたが、直後に素早く入り口が閉められた。結果的に早く入れたのでよしとする。
 肉体及び精神的に疲弊しきって、そのうえに物理的なダメージまで受けた浬は満身創痍もいいところだったが、それでも地面を這いながら首を回す。
 薄暗い通路のような空間だ。天井からは小さな明かりが最低限の光源となり、等間隔で扉のようなものが見える。そして、壁や天井、扉、浬が今這いつくばっている地面はすべて金属のようなものでできており、濡れた身体には冷たかった。
「ここは、一体……?」
「なにかの施設のようですが……?」
『廊下をまっすぐ進んでくれ。そうすれば、私の研究室が見えるはずだ。そこで待っているよ』
 声を発するなにかは、そう言い残して行ってしまった。薄暗くて姿はよく見えなかったが、とりあえずこの先に、声の主がいるようだ。
 転げ落ちた痛みが駆け巡る体を引きずりながら、浬はエリアスを連れて廊下を進む。ほとんど一本道のようなので、迷うことはなかった。
 しばらく歩くと、扉が見えた。ここがゴールのようだ。つまり、この先に声の主がいるはず。
 取っ手らしきものはない。そっと手を近づけると、扉はプシュゥ、という音を立てて開いた。
 中は広い空間だった。横に広く、直方体の空間になっている。しかし広さに対して物が多く、雑多な印象を受けた。
 天井が高く、暗くて見えないほど。壁一面には必ずなにかが置かれている。薬品かなにかが置かれている棚だったり、謎のカプセルだったり、パソコンのようなディスプレイだったり、それは様々だ。部屋の右側には巨大な円筒状の装置があり、その中には装置の巨大さに見合うだけの結晶のようなものが収められている。
 床にも配線やらメモ紙やらなんやらが落ちており、実験室か研究所のようだと、浬たちは思った。
「やぁ、来たね」
 そして、その中央奥。
 浬たちから見て、正面のさらに先。
 巨大なディスプレイがいくつも複合した、パソコンに似た機械の前に、その人物は座っていた。
 どことなく年季を感じさせる声だが、その声に反して見た目は若い。否、幼いと言うべきか。
 声の主は少女だった。翼のようなものが付いた、長方形の機械を手にしている。
 奇々姫とさほど変わらない体格を白衣で包んでおり、無造作に伸びた水色の髪を邪魔そうに括っている。前髪もヘアピンで留めていた。
 顔も子供のそれで、体の肉付きも薄い。どこからどう見ても、浬よりも年下の少女だ。
 そのはずなのだが、なぜだろうか。
 奇々姫からは感じられた幼さが、彼女からはほとんど感じられない。声も、立ち振る舞いも、確かな重みと存在感を放っている。
 その存在感を肌で感じながら、浬は声を絞り出す。
「……誰だ、お前は」
「窮地を助けてあげたのに、お前とは酷い言いぐさだね。まあ、どう呼ばれようと私は気にしないが」
 少女らしからぬ口調で、彼女は言った。
「自己紹介をしようか。私はノミリンクゥアという」
「ノミ……? なんだって?」
「長くて呼びづらいなら、ミリンと呼んでくれたまえ。私の仲間たちもそう呼んでいる」
「仲間だと?」
 ノミリンクゥア——ミリンの言葉を、浬は反芻する。
「そうだ。私は【フィストブロウ】という組織の、技術開発研究局の局長を務めている」
「【フィストブロウ】……」
 その組織の名前には、聞き覚えがあった。
 地上で奇々姫が【鳳】の名を出した時と同様に、その組織のトップと出会ったことがある。
「……あのメラリヴレイムとかいう奴の仲間か」
「おや? メラリーを知っているのか。では、私たちが今置かれている境遇も、知っているのかな?」
「境遇……?」
「ふむ、知らないか。では教えるとしよう。君たちとのつきあいは長くなりそうだし、できるだけ信用を得ておきたいからね」
 いまだ状況が飲み込み切れていない浬を置いて、どことなく思わせぶりなことを口にしながら、ミリンは話を進める。
「とはいえあまり時間はないから、ざっくりと説明しよう。私たち【フィストブロウ】は、先ほど君たちを襲った連中、【鳳】と同盟を結んでいた」
「それは知っている」
 だから浬は警戒を緩めない。彼女に助けられた形でここにいるとしても、なにか裏があるのではないかと、常に気を張っている。
 しかし彼女の口振りからは、なにかを企んでいるとか、そういったものとは違う、妙なものを感じる。
 それに、ミリンは言った。
 同盟を“結んでいた”、と。
「そうか、ならば話は早い。私たち【フィストブロウ】と【鳳】は同盟を取り消したんだ。正確には一方的に同盟破棄を押しつけられたのだが、その結果【フィストブロウ】は【鳳】に狙われ、追わるようになった。そうだな、確か連中は【フィストブロウ】狩りと呼んでいたか」
「【フィストブロウ】狩りだと? なぜ同盟を破棄したんだ?」
「あまり詳しく説明する暇はないが、簡単に言えば、我々のリーダーであるメラリヴレイムが死んだからだな。それも、【鳳】の手によって」
 事実を淡々と言い放つミリン。いくら【フィストブロウ】が【鳳】に追われているとはいえ、自分には関係ないことだと、対岸の火事のような気分でいた浬としても、その言葉には流石に驚きを隠せなかった。
「死んだだと……!?」
「私としても半信半疑だがね。仮にも私たちのリーダーだ、簡単に死ぬとは思えない。死んでほしくないという希望的観測を抜きにしても、メラリーは生きていると、私は思っているよ」
 そこで初めて、ミリンは微笑んだ。それも子供らしい笑みとは言い難かったが、それでも初めて彼女が感情を明確に表した瞬間だった。
 やはり、それほどに彼女にたちにとって【フィストブロウ】のリーダー——メラリヴレイムの存在は大きいということか。
「話が逸れたね、すまない。ともかく、【フィストブロウ】の仲間たちは散り散りになってしまい、今もなお【鳳】の狩りの対象だ。私は自分の研究所の一つに身を隠し、こうして仲間探しと研究に没頭する日々だよ」
 そう言って、一旦ミリンは話を打ち切った。
 それが今、彼女たちが置かれている状況であり、彼女の境遇。
 とりあえず、それだけは理解できた。理解できたが、まだ腑に落ちない点がある。
「あんたの事情は分かった。だが、なぜ俺を助けた? 敵がすぐそこに迫っているという時に、俺を助けるのはリスクを伴うはずだ」
 ミリンの話を信じるなら、【フィストブロウ】と【鳳】は今、敵対関係にあると言ってもいい。奇々姫は人を探していると言っていた。それが【フィストブロウ】狩りのことを指すのであれば、狩りの対象であるミリンは今、敵が近くにいる時に自分の隠れ家を晒したことになる。あの大雨はそのための隠蔽工作——視界を遮ることでカモフラージュしていたのかもしれないが、それでもあのタイミングで雨が降るということがかなり不自然だ。存在を悟られた可能性は決して低くはなく、狩人が獲物の存在を嗅ぎ付けたとなれば、血眼になって探すはず。だから、この場所が見つかってしまう可能性を大幅に引き上げたと言ってもいい。
 どうして浬が奇々姫に襲われているところを察知したのかは分からないが、浬一人を助けるために、自分の居場所を悟らせてしまうのは、あまりにリスクが大きい。ここで浬を助けることに、そのリスクを負うだけの意義があったのかどうか。
 そこだけが、ずっと気になっていた。
「ふむ、君が警戒を緩めないのはそこか」
 気がかりを残している浬とは逆に、ミリンは腑に落ちたように納得していた。
 ミリンは立ち上がり、考え込む仕草を見せる。浬の警戒心を解くにはどうしたらいいのかを考えているのか。
 しばし考え込むと、ミリンは浬の横で浮いているエリアスに視線を向けた。
「そうだな……エリアス」
「は、はいっ! ……って、え? なんで私の名前を?」
「知ってるからさ」
 さも当然だと言うように、ミリンは言った。
 しかしそれは、エリアスの名前だけを知っているという風ではない。“彼女のことを知っている”というような口振りだった。
「今の私は少女の姿だが、これは自分の身体を使って実験した結果でね。だからこう見えて、私は【フィストブロウ】の中でも最年長で、かなりの古株でもあるんだ」
「!? そうなのか?」
「そうさ。もう自分がどのくらい生きたかなんて覚えていないが、人間である君の数百倍以上は生きているんじゃないかな?」
 吃驚を露わにする浬。しかし彼女から幼さを感じないのは、そういうことだったのかと納得する。
 考えても見れば、相手はクリーチャーだ。人間の常識や観念がそのまま通じるとは限らない。なのでミリンがいくら少女の姿をしていようとも、それを自分の物差しで測り切ることはできないのだ。
 もっとも、そうであるとしても、目の前の少女が自分の数百倍も生きているだなんて、とても信じられないし想像もできないが。いくら常識が通じないとしても驚く。それに、彼女は自分の身体を使って実験したと言っていた。一体、どんな実験をしたというのか。
 それはともかくとして、ミリンはこんな外見でも、非常に長く生きているという。
「だから、十二神話のことも知っている。私はかの神話戦争があった時代から生きているからね。ゆえに、あの時のこともこの目で見て知っている」
「神話戦争があった頃? ということは、今の語り手の主が、まだこの世界にいた頃から、ということか」
「そうだ。そして、さらに確信を突くことを言おうか。私は元、賢愚神話の配下だ」
「なに……!?」
 立て続けに、驚きの表情を見せる浬。今日は驚いてばかりだ。
 だがこれは本当に信じていいものかと思案する。元賢愚神話の配下。その情報は確かに驚きだが、それが本当なのか。そして、それにどんな意味があるのかを考えなくてはならない。
 浬がそのことに頭を悩ませていると、同じくうんうん唸って悩んでいたエリアスが、ハッとした様子で声を張り上げた。
「……あぁ! 思い出しました! もしかしてあなた、第一機関長さんですか!?」
「そうだ。思い出してくれたか」
 どことなく満足そうなミリン。エリアスも、もやもやしていたものが晴れてスッキリしているが、同時に吃驚と感嘆が入り乱れ、目の前にいる人物の存在が信じられないとでも言うように、困惑の表情を作っていた。
 対して浬は、エリアスの言葉を、疑問符を沿えて反芻する。
「機関長? なんだそれは」
「ヘルメス様が設立した、研究及び開発機関です。賢愚神話の配下の中でも、特に優秀な頭脳と技術を持つ、選りすぐりのエリートだけで構成された機関で、この方はその第一研究機関の機関長、つまりすべての研究機関のトップであり代表です!」
「……あんた、そんな凄い奴だったのか?」
「まあ、昔の話だがね。今の私は【フィストブロウ】の研究局長、ノミリンクゥアだ。昔の地位も名前もすべて捨てたよ」
 あくまで私の経歴をハッキリさせただけだ、とミリンは言い切る。
「しかし、これで私がエリアスと同じ側の者だったことは理解できたはずだ。だから、警戒を解いてもらえると助かるのだが」
「…………」
 浬は黙り込む。そして考える。
 ミリンはエリアスと同じ賢愚神話の配下。噛み砕いて言えば、同僚といったところだろう。
 しかし、所属していたところが賢愚神話の下というところが、非常に引っかかる。浬としては、かの神話のことはあまり信用できない。エリアスは今までの付き合いがあるから別としても、他の配下まで同じように見ることはできない。
 賢愚神話がどの程度の影響力を持っていたのかは分からないが、仮にミリンが賢愚神話に心酔していたとしたら、それは浬からすればまるで信用できない相手となる。
 彼女は昔のことは捨てたと言っているので、そんなことはなさそうではあるが、それほどまでに過去のことであれば、今のミリンとの思想に大きな差異があってもおかしくない。昔は昔、今は今と分けて考えるのであれば、過去にエリアスと同じ賢愚神話の配下だったからと言って、それが信用につながることはない。
 だから、浬としては、ミリンを信用しきることはできないのだ。
「……悪いな。あんたの言葉がどこまで本当なのか、俺には確認する術がない。証明がきっちりできないことは信用できない。だからまだ、完全にあんたを信用することはできない」
「そうか。それは残念だ。しかし困った。これ以上、私は君に害をなさないという証明ができない」
「だが」
 浬は、逆接した。
 確かにミリンの言葉は完全には信用できないかもしれない。
 しかし、酷く感情的になってしまい、浬としては気に食わないのだが、彼女から敵意は感じなかった。
 彼女が嘘を言っているようには、思えないのだ。
 それに彼女は、敵に見つかるリスクを背負ってまで、浬を助けた。それがどういう目的によるものかは分からないが、助けられた事実は変わらない。
 だから、
「“とりあえず”でいいなら、俺はあんたを信用する。あんたが俺を助けた理由も分からないし、底が知れないからな。完全に信用するのは、それからだ」
「ふむ、成程。確かに今すぐ信用しろだなんて、土台無理な話か。いいよ、それで。私を本当に信用してもいいのかどうかは、今後の付き合いの中で決めてくれ」
 ミリンは浬の条件を受け入れて、飲み込んだ。
「それじゃあ、前置きが長くなってしまったが、本題だ。君を助けた理由も、今から話そう」
 ミリンは、真っ直ぐに浬を見据えて、言った。

「浬君——私と共に、革命の力を生み出してみないか?」