二次創作小説(紙ほか)

131話「殺戮の資格」 ( No.405 )
日時: 2016/06/12 01:05
名前: モノクロ ◆QpSaO9ekaY (ID: ugLLkdYi)

 神話空間が閉じる。
 そこには、初めて地に伏した姿を晒す、隠兵王がいた。
 刃のように研ぎ澄まされた気を発し、油断も容赦も隙も見せず、一騎、沙弓と立て続けに下した男が、今は無様に地面に転がっている。
「……俺の勝ちだな」
 ラーザキダルクの声が響く。その言葉は、死の宣告に等しかった。
 荒々しいな足取りで隠兵王へと近寄る。そして彼の右腕の間接あたりを荒々しく踏みつけた。これで、彼の右腕は稼働しない。
 もう片方の足で、左腕の間接も踏みつける。隠兵王は両腕を封じられた。彼はもう抵抗できない。
「さて、俺たちの仲間を殺してきた落とし前は、きっちりつけてもらうぜ。てめぇもそのくらいの覚悟はできてんだろ。なぁ、隠兵王?」
「う……ぐ……」
 呻き声を上げる隠兵王。踏みにじられた腕間接からは、骨が軋む音が聞こえる。
 これが敗者の姿だ。それは誰よりも隠兵王自身が理解していること。
 勝者はすべてを手に入れ、敗者はすべてを搾取される。奪い、奪われるのがこの世界のルール。
 ゆえに、敗者たる隠兵王は、すべてを奪い尽くされても文句を言える立場ではない。
 だが、それでもだ。
 それでも、退けない一線はある。
「……ない」
「あん? なんつった? 聞こえねぇよ」
「死ぬつもりは……ない……!」
 絞り出すような声で、隠兵王は訴えかける。今にも死にそうなほど掠れた声だが、その言葉には、不思議と力強さが漲っている。
 もしくは、空元気か。
 ただの強がりか。
 しかし空元気だろうと強がりだろうと、そこが隠兵王の譲れない一線。彼の意地だった。
「自分は、死にたくない……いや、まだ、死ねないのでありますよ……!」
 彼の目が、どこか遠くを見た気がした。
 そう思った時には、彼は彼の見ている景色に向けて、言葉を紡いでいた。
 どこか、譫言のように。
「仲間の、ためにも……! 自分はまだ、死ぬわけには、いかないのであります……」
 ぴくり。
 ラーザキダルクの眉が、ほんの少しだけ、動いた。
 彼の言葉になにを思ったのか。ラーザキダルクは一度それを飲み込んでから、深呼吸するように息を吐く。呼気と一緒に、言葉も吐き出した。
「この後に及んで、ここまで圧倒的に勝敗が決していて、それでもなお抵抗するか。はっ、見上げた根性だ。流石、【鳳】幹部は言うことが違うな」
 悪魔的な邪悪な笑みを浮かべて、ラーザキダルクは皮肉をぶつける。
 しかし彼の目は笑っていない。
 スッ、と。彼の表情が消える。
 刹那——

「——っざけんじゃねぇぞ!」

 彼の激情が、爆ぜた。
「なにが死にたくないだ、なにが仲間だ! てめぇの仲間のために、俺たちの仲間は殺されたってのか!?」
 ぎしり、と隠兵王の腕を踏みにじりながら、その力を強めながら、迫る勢いで、ラーザキダルクは隠兵王にまくし立てるように、吐き散らす。
「てめぇらのエゴで殺された【フィストブロウ】の連中はなんだってんだよ! 他人を殺しといて、自分は死ぬのは嫌だとか。人の仲間に手を出しといて、自分は仲間のためだとか、ふざけたことばっかぬかしやがって! その程度の意識の奴に、俺たちの仲間は殺されたのかよ! ふざけんな!」
 奪うものには、それ相応の奪われる覚悟が必要だ。それは絶対的な条件ではなく、意識的な条件であり、究極的には不要であるものだが、実際に事を為すうえでは、そのレベルの意識を持つべきであるということを知らせる意識となる。
 それは資格と言い換えてもいい。反目の覚悟のないものに、その資格はない。
 略奪、征服、侵略——他者を搾取する行為には、必ず犠牲が付きまとう。被害者が存在する。だからこそ、その犠牲と被害を背負い、生き抜くだけの覚悟を持たなければ、怨恨に押し潰される。
 その結果が、今なのかもしれない。
 一通り怒声をまき散らすと、スッとラーザキダルクの表情から怒気が抜けた。
 あくまで顔から消えただけで、腹の中では地獄の大釜の如く、はらわたが煮えくり返っていることだろう。
「てめぇには失望したぜ、隠兵王。まさか、てめぇがそんな小物だったとは思わなかった。そんでもって、そんな小物に、略奪され、侵略されてきたあいつらが報われねぇ」
 蔑む眼差しで、ラーザキダルクは隠兵王を見下す。
「奪って奪って奪い尽くして、略奪と征服だけが生き甲斐みてぇなてめぇらが、その程度の奴らだったなんてよぉ……ムカつくぜ。こんな連中に、俺は仲間を奪われたってのか。てめぇは、その程度の覚悟で俺の仲間を奪っていたってのかよ……」
 怒りの感情が先走り、その後を、失望、虚無感、滑稽さ、嘲り……様々な感情が追っていく。
 敵視こそしていたが、それでもラーザキダルクは、隠兵王の実力は正当に評価していた。相対的な強さはさておき、隠兵王という一個人の実力、及びその実績は、認めざるを得なかった。
 現に、【フィストブロウ】の仲間の多くは、彼に手にかけられているのだから。
 だから、無意識的に彼の意識も相応のものと判断していたが、それは正しい評価ではなかった。
 この瞬間から、ラーザキダルクにとっての隠兵王は、一軍を率いる統率者ではなく、傲慢で意志薄弱な雑兵へと成り下がった。
「……自分のことをどう評価しようが、あなたの勝手であります」
 ラーザキダルクの幻滅を受けても、隠兵王は開き直るだけだった。
 それが自分だ。ラーザキダルクの今までの評価は、彼が勝手に誤認していただけにすぎない。本当の自分を自分は知っている。だからその評価が本来のものに上書きされただけで、隠兵王にはなんら関係のないことだ。
「しかし、自分だけがなにかを奪われたと思わないことでありますよ……!」
 隠兵王は、言葉を返す。
 それはラーザキダルクの非難とは関係ないことだ。だが、言わずにはいられなかった。
 なにも彼は、意味もなく略奪を繰り返していたわけではない。【鳳】には【鳳】の目的が、理由が、存在意義がある。
 反抗するような目つきで、険しい表情で、隠兵王は声を荒げる。
「故郷を奪われ、富を奪われ、名誉を奪われ、身体を奪われ、心を奪われ、そして、仲間を奪わた……我々【鳳】も、なにもかもを失っているのであります!」
 仲間たちを思い浮かべる。それはなにもラーザキダルクに限った話ではない。この世界において、死んだらすべてが終わりではない。しかし逆に、死んでいないからといってそれが個人にとっての終わりではないとも言い切れない。
 一人が生きていても、一人が背負う過去は、死と同義となり得る。
 誰もがなにかを奪われ、心身のどこかに大きな空虚が生まれている。それが【鳳】のもう一つの顔。
「この世界はすべてを搾取する。大切なものを奪われ、なにもかもを失った我々は、奪い返す道を選んだのであります! そのために【鳳】は集ったのでありますよ!」
 世界を、侵略するために。
 それが彼らに残された、生きる道。
 奪われてきた彼らが選んだ道は、それを奪い返すこと。そして、自分たちも奪い続けること。それが世界の真理であると悟ったゆえに、彼らは侵略という略奪行為に走った。
 征服を示す、【鳳】の名の下に。
「我々にはこれしかないのであります……生き残るために。そして、この腐った世界を、本来あるべき姿に変えるために、侵略するしか、ないのであります……!」
「……そうかよ」
 ラーザキダルクの表情は、声は、完全に冷めきっていた。さっきまで激しい感情を露わにしていたのが嘘のように、面相も声色も感動も、冷徹なものになっている。
 その恐ろしさは、もはや悪魔ではなく、魔王だ。
 残酷無比な無情の魔王。
「もういい。てめぇの戯言なんざどうでもよくなった。てめぇらがなにを失ったか? んなもん興味ねぇよ」
 ラーザキダルクは吐き捨てた。その間にも、踏みにじる足の力は強まるばかりで、隠兵王の腕から、みしみしと軋む音が響く。
「てめぇらの過去とか、なんのために侵略するとか、そんなもんは関係ねぇ。てめぇらがもがいて選び取った道に口出しするつもりはねぇよ。だがな」
 魔王は再び憤怒を取り戻す。沸き上がる激情を所作に、顔に、声に表す。
「その道程で俺の仲間に……【フィストブロウ】の連中に手を出して、タダで済むと思ってんじゃねぇぞ」
 すぅっと、ラーザキダルクの手が引かれる。鋭い爪が鈍く光る。その煌めきは、命を殺す煌めきだ。
「てめぇらの事情なんて知るか。んなもんは免罪符になんねぇよ。情状酌量の余地は一切ねぇ」
「…………」
「てめぇがなんのために語ったかなんざ知らねぇが、俺は分かり合うつもりなんざ、微塵もねぇんだ。ルミスやウッディなら、もしかしたら情に訴えれば絆されていたかもしれねぇが、俺には効かねぇ」
 切っ先は隠兵王に向けられている。獣軍隊長の喉笛を貫かんと、鋭利な魔爪が唸り声を上げている。
 隠兵王は、目を開いていた。彼の表情から、なにかを読み取ることはできなかった。悔恨なのか、憤怒なのか、諦念なのか、あるいはそれらすべてか。様々な感情が混ざり合っている。
「そういうわけだ……隠兵王。あの世でてめぇの仲間とやらとの再会を喜びな」
 最後に、魔王はそう告げた。
 殺意が込められた刃が、その命を引き裂く。

「死ね——」