二次創作小説(紙ほか)
- 1 ( No.1 )
- 日時: 2015/10/10 20:30
- 名前: Viridis ◆8Wa6OGPmD2 (ID: AurL0C96)
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私……『黒山羊の卵』で、とっても好きなシーンがあるんです。
(「東京喰種 第1巻 #001『悲劇』」)
「喰種(グール)にも性癖ってあるのかな」
オレンジ色の斜陽が射し込む教室で、宇佐美は僕に怪訝な視線を向けた。
長いまつげに挟まれた黒目がちの大きな瞳で、夕陽が揺らめいている。
いきなり彼は何を言っているんだろう、とも言いたげな——ある種の嫌悪と侮蔑を含めた表情を見て、僕はあわてて弁解しようとする。
「喰種って、ヒトに紛れて生活しているわけだろ? つまり……人並みの感情や、欲求や、思考を持っていることになる」
「そうね」
彼女は適当な相槌を打ちながら、手元の本に視線を戻した。
彼女が読んでいるのは、高槻泉の『黒山羊の卵』だった。昨日、彼女が読んでみたいというから貸してみたら、授業が終わってからほとんどずっとこの調子だ。
「だから、人並みの性癖や異常性癖があってもおかしくないよなと」
「例えば?」
いつにも増して彼女の返事は素っ気ない。ただ時折、ページをめくる手だけが動く。よほど目の前の僕より手元の小説にご執心だと見えて、僕はつまらないなと思った。
活字に嫉妬しながら、喰種が持っていそうな性癖を考える。
「例えば脚フェチ、首フェチとかみたいに、特定の部位に対して興奮するとか。ネクロフィリアなんていうのもあるみたいだし、血を見ると異常に興奮するような性癖もあるらしい。他にも、リョナ界隈は喰種の方が進んでそうだよね」
また、汚らしいものを見るような目を向けられた。
彼女の椅子が若干後ろへ離れたように見えたのはわざとだろうか。
「真面目な話さ、そういう性癖が喰種にもあるとしたら、喰種にとってそれはどういうことになるんだろうって」
「要領を得ないわね、つまり?」
「つまり——ヒトはハンバーグに欲情したりしないだろう?」
食べ物に欲情するとしたら、それはとても面白いと思わないかい。
僕がそう言うと彼女は、目を細めて首をかしげた。
ここは東京。平和に見えるこの街の闇には、ある化け物が跋扈している。それは、ヒトの姿を持ち、ヒトに紛れながら、ヒトを喰らう存在。
人々は彼らを——喰種と呼ぶ。
「私には分からないわね」
宇佐美の声だけが、他に誰もいない教室で、静かに響いて消えた。
またページをめくり、活字を追う瞳が動き出す。
黒いタイツで包まれたゆるやかな脚線、華奢な腰つき、しなやかな指先、手折ってしまえそうな細い首、丹念にくしけずった黒髪と、うばたまの闇に映える、白く整った顔立ち。
文字通り人形のような、この美しい少女——宇佐美織葉(うさみオルハ)も、喰種である。
僕たちのクラスには喰種がいる。これだけ近くにいながら、僕以外の誰もそれに気付かなかった。
喰種の彼女なら喰種の性癖について知っているかもと思ったが、そうもいかなかったようだ。あわよくば彼女の性癖について問い質せるかもだとか、そんなことは断じて考えていない、考えていないとも。
ごめんなさい、考えていました。
彼女が匂いフェチとかだったら妄想が捗るなとか思っていました。
「そろそろ帰ろう、宇佐美」
僕の心中を見透かしたのか、じとりとこちらを睨み付ける彼女の視線から逃げるように、僕はカバンを掴んで立ち上がる。廊下にも既に人の気配はなく、遠くから運動部の威勢良い声が聞こえるばかりだった。
このままでいたら彼女は、日が暮れてもここで小説を読んでいそうだと思った。宇佐美は不承不承といった様子で読みかけのページにしおりを挟み、カバンに小説をしまう。
この東京には『喰種対策局(CCG)』というものがあり、ここから一番近いその支局にでも通報を入れれば、彼女はたちまち『喰種捜査官』の標的になるだろう。
けれど僕は彼女を通報したりなどは決してしないし、彼女も僕を喰おうとはしない。喰ってしまえば口封じにもなると分かっているのに、だ。
それには理由があった。