二次創作小説(紙ほか)
- 1-1 ( No.1 )
- 日時: 2017/12/25 10:35
- 名前: Asterisk (ID: 3KvV.ocm)
北宇治高校の吹奏楽部に所属する僕は、今日予定されている入学式での演奏とその準備のために朝早くから学校へと向かっていた。
少し走って学校に行くと昇降口に入り、スニーカーから上靴へと履き替えた。
上靴の後ろと爪先に、ネームペンで書き込んだ『朝倉司』の文字──それが僕の名前だ。
自分の荷物を教室へ置いたあと、楽器庫へ移動して準備をすませて僕は音楽室へと向かった。腕の中にある、艶やかに輝く金のユーフォニアムが、僕の担当する楽器だ。
『おはようございます』
音楽室の扉を開けた僕の視界に飛び込んできたのは、マニキュアを爪に塗る先輩や雑談をする同級生達を晴香先輩が止めようと必死になっているかと思えば、
後ろの方でトランペットの香織先輩が可愛いと犬のように走り回る吉川さんがいて──てんでばらばらな行動をする部員達だった。
呆然と立ち尽くしていると、僕の所属するパートのパートリーダーがやってきた。長身に赤フレームのメガネをかけた、田中あすか先輩。先輩は副部長も務めている。
「コレをどうにかしようって思ってたん?」
『僕の中学の後輩が何人か入ってくるみたいだから、後輩達にいい演奏聞かせてあげたいなって思ったんですけど……でも、これじゃムリそうですね』
「そうやな、ウチもそう思うわ」
たまに、あすか先輩は時々先輩らしくない言葉を言う。
「そろそろ、移動しよか?」
- 1-2 ( No.2 )
- 日時: 2017/12/25 10:37
- 名前: Asterisk (ID: 3KvV.ocm)
体育館に並ぶ新入生達。スカートを膝丈で揃えた女子生徒をチラチラと見る詰襟姿の男子生徒。
そんな中で、黄前久美子は隣にいる女子生徒の胸と自身を見比べて静かに落胆した。高校に入れば胸が大きくなる噂なんて信じなければ良かった──と。
彼女が北宇治高校への進学を決めた理由は制服が可愛いというものだった。北宇治高校は宇治市内唯一のセーラー服で、他校からの評判もよく学力は中の上。
同じくらいの学力の高校は沢山あるけど、その中なら制服の可愛い学校がいい、というなんとも不純な動機で進学したのだが、
いざ着てみると可愛く見えないから不思議なもので、もっと美人に生まれたらというのが彼女の悩みだ。
「続きまして、校歌斉唱。一同ご起立ください」
教頭の言葉に体育館にいた全員が立ち上がる。壇上には新入生用に校歌の歌詞が書かれた紙が用意されステージの下では吹奏楽部が真剣な表情で楽器を構えていた。
一方、その吹奏楽部の席に座る司はぼうっとしながら新入生の様子を眺めていた。彼の前方には指揮棒を手にするあすかがいる。彼女の手が上がると楽器が一斉に顔を上げた。
金銀にピカピカと光る楽器。彼もまた金色のユーフォニアムを構えるが少し不安だった。
(この演奏を聞いたら後輩達はどう思うんだろうな)
息を吹き込みピストンが動くのを確かめると、もう1度指揮を見る。手に握られた指揮棒が上から下に振り下ろされた。
- 1-3 ( No.3 )
- 日時: 2017/12/26 17:47
- 名前: Asterisk (ID: 3KvV.ocm)
校歌の演奏が終わると入学式が始まった。僕達は楽器を下ろしてその席で指揮に参加する。
それにしても、さっきのあの演奏はあまりに酷すぎる。不協和音に不揃いなリズム、まばらなテンポ。こんな状態でよくまあ、演奏しようと思えたものだ。恥ずかしさから俯きがちになりながら、僕は式の流れを見続けた。
「続きまして、新入生代表の言葉です。新入生代表 高坂麗奈さん」
「はい」
その凛とした声と共に壇上に上がってくる女子生徒。その姿と名前に見覚えがあった。
(あの1年生は……トランペットの、高坂さん?)
高坂麗奈。僕の卒業した北中学校の吹部でトランペットを担当していた一つ下の後輩。
演奏技術はあの中でずば抜けていて、勉強もできる……という話をいつかに聞いた記憶がある。
高坂さんの実力なら聖女中等学院や立華高校、洛秋高校などの京都府内の強豪校から推薦をもらっていても間違いないのに、何故このような学校へ進学してきたのだろうかという疑問が湧き上がった。
そんなことを考えているうちに入学式が終わってしまったのだった。
- 1-4 ( No.4 )
- 日時: 2017/12/26 10:10
- 名前: Asterisk (ID: 3KvV.ocm)
その後部長の指示で3つのグループに分かれると楽器の撤収、譜面台、会場の片付けをすることになった。
数少ない男子部員として僕は駆り出され、楽器の運搬、会場の片付けにと忙しく駆けまわり、
片付けが終わる頃にはへとへとになってしまっていた。もう少し体力があればと思いながら力なく壁へと寄りかかる。
「疲れたー、あんなんやって意味あるん?」
そんな声を上げたのはトランペットパートの吉川さんだった。彼女はパートリーダーの香織先輩を慕っていて、常日頃から行動を共にしている。
吉川さんの言う、あんなのとは入学式の演奏のことだろう。彼女は「あんたはどう思ってるん」と話を突然と振ってきた。
『どうだろうね。鎧塚さんはどう思う?」
「……わからない」
鎧塚みぞれ。部内唯一のオーボエ奏者だ。彼女の担当するオーボエはギネスに世界一難しい木管楽器として認定された楽器らしい。
今僕達がいるこの教室は普段、トロンボーンパートの練習部屋として使われている教室で、ミーティングまでこの教室で待機するように指示が出されているのだ。
やがて音楽室に移るように言われて僕らはそちらへと移動した。ミーティングの内容は明日松本先生が新しい顧問の先生を紹介してくださるというものだった。
- 1-5 ( No.5 )
- 日時: 2017/12/26 10:11
- 名前: Asterisk (ID: 3KvV.ocm)
その後ミーティングが終わり解散となったので、自主練習のためにユーフォを持って帰ることにした。
練習できる場所を探しつつ川沿いの道を歩いていると詰め襟姿の少年とセーラー服の少女が前を歩いていくのを見かけた。
「あれは……黄前さんと秀一君?」
二人もまた高坂さんと同じく、僕の中学時代の後輩で彼女の方は直属の後輩だった。秀一君はホルンをやっていたみたいだけど、高校はどうなるんだろう。
二人も演奏が上手だし、仮に北中の三人が吹部に入ったら宝の持ち腐れになってしまうかもしれない。
「二人とも吹部に来てくれるかな……」
二人の後ろ姿を見送ったあと、しばらく歩いたところにちょうどいい場所を見つけたので、そこでユーフォを吹くことにした。
『ただいま』
それから僕が家に着いたのは7時過ぎのことだった。
「おかえり」
出迎えたのは僕の兄だった。司が帰ってきたよとリビングの方へと声をかけ、早く上がれと手を招いた。北宇治高校の卒業生もある兄は今、京都市内にある大学へと通っている。
「何やってたんだ?」
『ユーフォの練習』
「そうか。練習すんのは構わないけど、あんまり遅くなるなよ」
母さんも兄も、あまり部活に対して口うるさくない。それは多分、母さんは去年の出来事を知っているし、兄はその現状を知っているからなんだと思う。
- 1-6 ( No.6 )
- 日時: 2017/12/26 10:13
- 名前: Asterisk (ID: 3KvV.ocm)
「司、入るぞ」
夕飯を食べ、風呂にも入り明日の準備も済ませ、いつでも寝れる状態の時に兄が部屋へと入ってきた。どうかしたの、と訊くと何だっけなとすこし考えて、そうそうと要件を述べる。
「お前がユーフォの自主練した話聞いて思い出したんだけど、今年の吹部どうなりそうよ?」
兄は北宇治吹部のコンバス奏者でもあった。だから、単刀直入に部はどんな感じかと僕へ度々聞いてくることがあった。
正直、僕が入部してから1年が経とうとしているけどいい報告はできていない。
『相変わらずってとこかな。サボる先輩はいるし、部の空気は緩いままだよ』
そうか、と兄は複雑そうな表情をする。
「北中の後輩いたりするのか」
『うん。ユーフォの後輩と、あの高坂さんと秀一君……ペットとホルンの』
兄と後輩達は5つも年が離れているので全くの接点がない。けれど、時々僕が名前を挙げているのでその3人のことだけは知っていた。
「あー、あの人ね……って、はあぁ⁈」
『そうだよ? どうかしたの、兄ちゃん』
「強豪から推薦貰えるはずなのに北宇治? はぇー、推薦蹴ってまで北宇治選ぶとか……お前もそうだったけど何を考えてんだ北中の後輩は」
しばらく話した兄が部屋から出て行ったあと、どっと疲れが出たのか普段寝つきが悪い僕が、珍しくすんなりと寝てしまったのだった。
- 1-7 ( No.7 )
- 日時: 2017/12/27 10:57
- 名前: Asterisk (ID: PBOj5esF)
その翌日の放課後、入部希望者の1年生が音楽室に集まってきた。ざっと見てその数は30人弱で、中には見知った3人の姿があった。
「部長、もうこれ以上来なさそうです。」
「えー、皆さん初めまして。うちはこの吹奏楽部の部長、小笠原晴香です。
担当楽器はバリサクなんで、サックスパート希望の人は関わることも多いと思います。
うちの吹奏楽部は歴史のある部活で、十年くらい前は結構名のしれた強豪校でした。全国も出たことがあります。
………まぁ、今は見る影もないって感じやけどね」
自傷気味に笑う晴香先輩。壁にかけられた写真に添えられた一言にはあまりいいとは言えない成績が残されていた。
「それでえーっと、実は今年から顧問が変わりました。
昨年は梨香子先生という人が顧問だったんですが、今年から産休に入られました。
代わりに新しい顧問の先生が来てくれたんですが、うちらもまだその先生についてあんまりよく知りません。
始業式で挨拶してくれた滝先生って人なんやけど、今日はちょっと遅れてきはるそうです」
5組の担任になった先生の名字が、滝という名前だったけど、おそらくその先生なのだろう。それと、と部長が続ける。
- 1-8 ( No.8 )
- 日時: 2017/12/27 10:58
- 名前: Asterisk (ID: PBOj5esF)
「副顧問の美知恵先生は保護者会があるので、今日は部活には来はりません。
先に一年生に言っておきますが、あの先生はめちゃくちゃ怖いんで怒らせないように気をつけましょう。」
美知恵先生。副顧問を務め音楽を教えているこの先生は、北宇治で一番怖い先生で、軍曹先生というあだ名がある。
「今日やることはまぁ、楽器の振り分けです。さっきからこの教室に立ってる先輩たちは、各楽器の代表者です」
トランペット、トロンボーン、ホルン、クラリネット、サックス、フルート、オーボエ、ファゴット、パーカッション、ユーフォニアム、チューバと言った面々だ。
僕の担当している低音パートからはあすか先輩と同じ2年生の卓也が紹介に出ていた。
「今から楽器の紹介をしていってもらうんで、高校から始める人たちは楽器を決める参考にしてください。
あと、経験者は事前に申告するように。
楽器にはそれぞれ相性というものがありますから、こちらも適正を考えて楽器を決めます。
自分の希望する楽器じゃなくても文句言わんといてな」
トップバッターは吹奏楽部のマドンナ香織先輩によるトランペットの紹介だった。多分、吉川さんがいたら騒いでいたかもしれない。
トランペットの紹介が終わるとトロンボーン、ホルンと続いていき、ユーフォニアムの説明が回ってきた。
ユーフォの説明はあすか先輩だ。正直嫌な予感しかしない。
「じゃ、次はユーフォの紹介です」
「低音パートリーダー、田中あすかです。楽器は見てのとおりユーフォニアム担当です」
「ユーフォ?」
と、未経験者らしき子が首を傾げると待ってましたと言わんばかりに先輩に火がついた。
- 1-9 ( No.9 )
- 日時: 2017/12/27 15:02
- 名前: Asterisk (ID: PBOj5esF)
「そうです! ユーフォニアムというのは、ピストンバルブの装備された変ロ長調のチューバのことを指します。
この楽器の歴史は未だにはっきりとしませんが、
ヴァイマルのコンサートマスターであったフェルディナント・ゾンマーが発案したゾンメロフォンをもとに改良が加えられ、一般に使われるようになったという説や、
ベルギー人のアドルフ・サックスが作ったサクソルン属のなかのピストン式バスの管を広げ、イギリスで開発が続けられ現在のユーフォニアムになったという説があります。
もともとはオイフォニオンと呼ばれていましたが、
この名前はギリシア語の『いい響き』に由来します。
良い響きという名のとおり、ユーフォニアムは低音部が広く、しかも柔らかい音を出せる非常に優れた楽器です!」
あすか先輩によるユーフォニアムの説明は始まって二分弱ぐらい経とうとしていた。
去年の今頃も先輩からこの話を聞いた覚えがあるけど、正直この話をすべて聞くのは辛い。
「はいはい、もういい!あすか、ウィキペディアで仕入れた情報をここで発表するのはええけど、せめて簡潔にまとめてからな」
晴香先輩の一言であすか先輩の説明は終わった。
晴香先輩に何か言われ端へと戻るあすか先輩。そして続く卓也によるチューバの説明は非常に簡潔なものだった。
- 1-10 ( No.10 )
- 日時: 2017/12/27 15:03
- 名前: Asterisk (ID: PBOj5esF)
チューバは地味で重くて10kgもあるから、マーチングのときはスーザフォンという白い楽器を使うけどそれも重い。
その説明に音楽室は沈黙した。もう少しアピールポイントをいうことは出来なかったのかな?
「え、終わり?」
「はぁ、終わりです……」
(これ、長瀬さんに任せた方が良かったような……)
2、3年生の誰もが僕と同じことを考えただろう。
「ちょっと、後藤! あんた全然チューバの魅力を伝えられてへんやん! 代わりにこの田中あすかがチューバーの紹介──」
をやろう!とか言いたかったのだろうが、それは晴香先輩により止められてしまう。
「はいはい、あんたは黙っといて。
本当は低音パートにはもう一つコントラバスって楽器があるんですが、残念ながら去年の三年生が卒業していまは1人もいません。
経験者の人がいたらぜひとも希望してほしいです。
このままじゃほんとヤバいんで」
「ちなみにコンバスってこれな!」
とあすか先輩がコンバスを持ってきた。すると未経験者の子たちからおお!!と声が上がる。
「経験者、おらんの?」
- 1-11 ( No.11 )
- 日時: 2017/12/28 11:44
- 名前: Asterisk (ID: nPUiXc5e)
晴香先輩が教室中を見回すとおずおずとほっそりとした手が上がる。
「あ、あの中学のときはコントラバスやってました」
そう言ったのは、猫毛の女子だ。するとあすか先輩はズカズカと歩いて猫毛の子の手を掴むと
「やってくれる?」
「は、はい。あの緑でよければ喜んでやります」
すんなり了承しちゃったよ。
「それほんま?やったー!めっちゃ助かるわ」
これで、低音のメンバーは一人確定。後低音でほしいのはチューバとユーフォだ。
そうこうしてると晴香先輩の指示でやりたい楽器のところへ新入生が移動し始めた。
我らが低音パートのコンバスに来てくれた子、緑こと、川島さんを早速いじり倒すあすか先輩。
卓也が先輩にやめるように頼んでいる。ひとしきり彼女にじゃれつくと手を離したようだった。
「朝倉! あんたの後輩来てんのやろ、この中の誰や?」
『後輩ですか、3人くらいいますけど……』
「その3人にユーフォ担当の子おらん?」
食いついてくるあすか先輩。確かにいるけど……絶対話したら突っ込んでいくに決まってる。
後輩が可哀想だったので、曖昧に答えたのだが、読み取ってしまったのだろう先輩は飛び出して行ってしまった。
- 1-12 ( No.12 )
- 日時: 2017/12/28 11:48
- 名前: Asterisk (ID: nPUiXc5e)
「どうしたん、手なんか合わせて」
『中学の時同じユーフォだった後輩がいてさ。絶対あすか先輩その子に話持ちかけに行くだろうなって』
「あー、なるほど」
そんなやり取りを中川さんとしていると、あすか先輩が黄前さんへ話しかけていくのが見えた。
「楽器、悩んでんの? うちのパートさ、さっきの子以外まだ一人も希望者来てないんやけど」
「あ、そうなんですか」
「うちのパートさ、さっきの子以外まだ一人も希望者来てないんやけど」
「あ、はい。さっきも聞きました」
「うちのパートさ、さっきの子以外まだ一人も──」
「あの、なんで同じこと三回も繰り返すんですか?」
彼女が耐えきれずに先輩の言葉を遮った。ほんとにごめん、うちの先輩一筋縄じゃ行かないんだ。
「あんたも鈍いなあー。うちに勧誘してるんやけど?」
「か、勧誘ですか?」
興味ない? と笑みを浮かべる先輩。ここまで来てしまったら多分入るのは確定だ。
「そう、勧誘。今うちのパートで残ってるのがユーフォとチューバだけやねんなあ。
毎年不人気やから困ってるんやけど……どう? 希望ないならやってみいひん?」
「ユーフォですか」
「そう、ユーフォ」
それでもまだ黄前さんは返事を渋っていた。すると、川島さんがそちらの方へと歩み寄っていく。
「久美子ちゃんも低音なん?」
「えっ」
「緑、うれしい! 知ってる子おらんかったら寂しいもん」
「……わかった、ユーフォにするよ」
「よっしゃあ! 部員確保!」
先輩がしたり顔で指を鳴らす。
こっちこっち、と招かれた黄前さんがふと僕をみつけ、「うげっ」と眉を潜めるのが見えた。
- 1-13 ( No.13 )
- 日時: 2017/12/28 11:47
- 名前: Asterisk (ID: nPUiXc5e)
先輩が言うにはここからは第一希望を外れた子達が回ってくるのを待つだけらしい。外れた人をチューバにするのかと聞かれた。
「しゃあないやん、希望する子がおらんねんもん。チューバとかユーフォは毎年こうなっちゃうんねんなあ……なんでかなあ、こんなカッコいいのに」
トランペットの方では、初心者らしき子が「あー、音が出えへん!」と不満そうに頬を膨らませ、
香織先輩が励ましているのが見えた。その子が息を吹き込んでもトランペットからは息が出るばかりだった。
金管楽器はマウスピースを当て唇を震わせて音を出す楽器なのだが、これが初心者には難しい。多分あの子が音を出せるようになるには時間がかかる。
話の話題はトランペットのパートリーダー、香織先輩についてになった。吹部のマドンナといわれる香織先輩は、この部の9割以上を占める女子、吉川さんを筆頭に熱烈な支持を受けている。
逆に男子はというと、悲しいことに男にすらみなされていないので支持なんてものは無い。
「田中先輩も……人気者ですけどね」
突然卓也が喋り出したので後輩達は驚いて体を仰け反らせた。
「田中先輩、この子、ユーフォ確定ですか?」
「そうやで?」
何だかんだあって、あのあとチューバ担当として、中学時代はテニス部だったという初心者の加藤さんが入り、今年の低音パートの人員募集は締切となった。
- 1-14 ( No.14 )
- 日時: 2017/12/28 22:39
- 名前: Asterisk (ID: QYM4d7FG)
1年生全員の楽器決めが終わったのは初めてから1時間経ってからだった。
低音パートには僕達2、3年生と入ってくれた黄前さん、川島さん、加藤さんの8人がいる。
中学の時はホルンだったはずの秀一君はトロンボーンにいて、高坂さんは言うまでもなくトランペットだった。
「楽器も無事決まったんで、これから部活の方針について決めていきたいと思います」
晴香先輩が音楽室を見回す。周りは気だるげな様子で雑談をしていて、騒がしかった。
「ちょっと静かにー、ミーティングですよー!」
先輩がなだめているところで、音楽室の扉が開かれた。
「おや、皆さんもう揃っていましたか」
やっぱり僕の予想は的中した。滝昇。この人が今年顧問を務めるらしい。
物腰が柔らかそうで爽やかな印象を与える先生に、女子の目は釘付けだ。
「おお、今年はたくさん新入生が入ったんですね。30人くらいですか?」
「28人です」
「では抜けていた楽器も揃いますね。助かります」
そう言って先生は目を細めた。
「まずは、自己紹介ですね。
始業式でも挨拶させていただきましたので、私のことを知っている人も多いと思いますけど。
私は今年からこの学校にやってきた滝昇という者です。音楽教師をしています。
本来ならばこちらの吹奏楽部で長く顧問をされていた松本先生が顧問になるべきだと思ったのですが、
本人立っての希望で私が顧問になりました。これからよろしくお願いします」
- 1-15 ( No.15 )
- 日時: 2017/12/29 10:15
- 名前: Asterisk (ID: XgzuKyCp)
「毎年この時期に、生徒の皆さんにお願いしていることがあります」
先生は、黒板に「全国大会出場」とパソコンに打ち出したような字で書いた。
「私は、生徒の自主性を重んじるというのをモットーにしています。
今年一年間を通して指導していくにあたって、まずは皆さんに今年度の目標を決めてほしいと思います。
これが昨年度の皆さんの目標でしたよね?」
去年掲げた全国大会出場。あんなのは嘘っぱちだ。少なくとも、この雰囲気が消えるまでのあいだ、全国なんて程遠い。
「いやあの先生……それは、スローガンというか……」
「ほう、なるほど。では、これはなかったことにしましょう」
滝先生はチョークを手を持ち「全国大会出場」という文字を消した。まっすぐで歪みのない線が文字の上に重ねられる。
「ですが、そういうのは困りますね。達成する気のない目標ほど無駄なものはありませんよ」
サックスの席に座る先輩が人の勝手だみたいなことを言ったが、滝先生には届いていなかったらしく先生は何事もなかったかのように喋るのを続ける。
「私は、目標を決めた以上、それに従って動きます。
もしも皆さんが本気で全国に行きたいと思うのならば当然練習も厳しくなりますし、
反対に出場して楽しい思い出を作るだけで充分だと思うなら、ハードな練習もいりません。
私自身はどちらでもいいと考えていますので自分たちの意思で決めてください」
「私達で決めていいんですか?」
- 1-16 ( No.16 )
- 日時: 2017/12/29 10:18
- 名前: Asterisk (ID: XgzuKyCp)
「しゃあないし、うちが書記したるわ」
「でも、目標ってどうやって決めたらええんやろ」
「あれでいいんちゃう? 多数決で」
あすか先輩は怪しく笑い、対照的に晴香先輩の方はというと、心配そうな顔をしている。
「えー、じゃあ今から多数決を取りまーす」
「集計はうちに任せて!」
何故か自身に満ち溢れた表情のあすか先輩。
「どちらを今年の目標にするか、自分の希望に手を上げてください。
全国大会に行くか、のんびり大会に出るだけで満足か、です。ではまず、全国大会を目標にする、を希望の人。挙手してください」
その言葉に部員の大半が手があがる。低音パートの全員がこちらに手を上げた。
それよりも、他のパートの先輩の爪がやけに色鮮やかなのが目に入った。よく楽器が吹けるなと思うし、第一楽器に傷がついてしまうとか思わないのだろうか。
さすがのあすか先輩でもこの人数を数えるのはイヤになったようで黒板に物を書くのを諦めたようだった。
「では次に、京都大会で満足な人」
そんな空気の中ポツリと手が上がった。
- 1-17 ( No.17 )
- 日時: 2017/12/29 10:19
- 名前: Asterisk (ID: XgzuKyCp)
手を上げたのはサックスパートの三年生、斎藤先輩だった。葵だけねとあすか先輩が文字を黒板へと書き込む。
「多数決の結果、全国大会を目標に練習に励むことになりました」
部長の言葉に拍手が起こる。先生はというと、穏やかな顔で拍手を送っていた。先生は立ち上がってあすか先輩を制すると教室を見回した。
「今決めた目標は、皆さんが自身の手で決めたものです。反対の人もいましたし、
内心で反対している人もいるかもしれません。しかしこれはみなさんが決めたことです。
私は皆さんの目標が達成できるように尽力しますが、私ができることはただ皆さんに支持することだけです。
それを忘れないでください。皆さん自信が努力しなくては、決して夢は叶わないのです。わかりましたか?」
『……はい』
控えめに僕はそれに返事を返す。僕以外に返事を返す人はいなかった。
決めたことなのになんで何も言わないんだろう? もどかしそうにする1年生がチラホラいた。
気まずそうな空気が流れ始めた時、先生が手を叩いた。
「何をぼーっとしているんです? 返事は?」
もう1度僕は返事をし直した。それでもまだまばらな返事しか返ってこない。
おそらく、1年生はこれで思っただろう。この部活は顧問へ返事を返すことも出来ないのかと。
「返事が遅いですよ、もう一度言います。……皆さん、わかりましたか」
3回目でようやく、部員全員が返事を返したのだった。
今日はこれで終了です、お疲れ様でした。
部長の声を合図にその日の部活は終わった。元気よく挨拶をした加藤さんや、
そのあとに続いた川島さんに挨拶を返して見送ったあと、椅子を片付けて僕も帰ることにした。
その帰り、黄前さんと一緒になったのだが、あすか先輩になにか吹き込んだのかと言われ、
何度も謝ることになったことは先輩に秘密にしておこう。
──── 第1章 完