信頼≠小説で人に何かを訴える力何かを間違えたからこそ、より他人よりも自分の過ち、そして他人の過ちを良く知っている。偽善的にそこら辺で変な活動しているやつらよりは、よっぽど、虐め小説を書き続ける側の気持ちも、またそれを止めようとする側の気持ちもわかるんじゃないだろうかね。荒らしはときに利用者の力として正しき場合もある。知らないよな、わかろうともしない