社会問題小説・評論板

第7話 【狂いだした歯車】 ( No.8 )
日時: 2010/10/29 20:01
名前: 血吹 ◆FLNPFRRn8o (ID: wXN0Dq0s)

「やったやつは、正直に言え。
 それと、何か知っているやつも正直に言ってくれ」

言ってから、亜美は自分で自分に呆れた。
こんなことをしたところで、出てくるはずがない。
もっとましなことを言うべきだった——。
後でもいい、そう付け足そうとしたその瞬間、愛梨が口を開いた。


「あのっ……あたし、あたしと真里子は、見たんです。
 沙由里先輩が、部室でその絵を黒く塗っているのを……
 だから、それはあたしのせいです!
 あたしが、怖くて止められなかったからっ……!」


愛梨はごめんなさい、ごめんなさいと涙を流しながら、
腰を大きく折り曲げた姿勢でうつむいている。
鈴香は愛梨の演技の上手さを知り、感心した。


「あ、愛梨さん、それはいったい……」

あまりのことに呆然としながら、麗奈が口を開く。
——自分の言葉を信じかけていることを確信して、
愛梨はもう一度体を起こし、一気にたたみかける。
沙由里に、反論する隙は与えられなかった。



「朝、真里子と一緒に筆箱を探しに来て……
 ね、見たよね、真里子。
 ……うっ、それで、鬼みたいな顔してあんなっ……
 あんなことしてたから、混乱しちゃって……

 それで、出てきた沙由里先輩と、は、鉢合わせしたんですけど
 ……言ったら居場所なくすって、だからっ……
 黙ってたけど、やっぱり……う、うあああああ————!!」



ふたたび崩れ落ちる瞬間、
愛梨はさりげなく真里子の腕に触れた。
それに気づいた真里子も、
ごめんなさい、ごめんなさいと狂ったように謝り始める。


(ふぅん、全部話して納得させたみたいね。
さすがは愛梨ちゃん。
朝名のほうも、演技力はまあまあだね)


鈴香は、心の中でそんなことを考えつつも、
咄嗟に考えた『アドリブ』を入れる。
もちろん、不安げな表情でだ。

「だから愛梨ちゃん、私と会った時、様子が変だったんだね……。」


(そろそろ反論しないの?トロいんだから)

アドリブを入れてから、ちらりと沙由里の方に目を向ける。
沙由里はやっと我に返ったようで、あわてて反論を始めた。


「愛梨ちゃん、私そんなことしてないでしょ!?
 愛梨ちゃんたちは筆箱を探してて、
 私は鈴香ちゃんに頼まれたノートを探してた!
 それで、お互いに手伝おう、って、それで……」


「……な……何を言ってるんですか……?
 私たち、沙由里先輩と、話してませんよ……」


無理に強要された演技をしているせいか、真里子の声は震えていた。
だがそれが、かえって愛梨の話に真実味を持たせる結果となる。
『居場所をなくすと脅された、だから声が震えている』
……そう考えれば、とても自然だからだ。



「沙由里……本当、なの?」
「み、美紀ちゃん!違う!私、やってないっ!」
「……ねえ、どういうこと……?」
「だから、私は探し物をしてただけで——」


混乱している美紀と優に信じてもらおうと、
懸命に事情を説明する沙由里に、亜美がゆっくりと歩み寄る。
パニック状態のあまり、沙由里の視界にそれは入らない。


——パンッ、という乾いた音が木霊した。
沙由里の頬が、真っ赤に染まる。


「あ、亜美……先輩……」
「あ……え、と……」

突然のことによほど驚いたのか、美紀と優は同時に後ずさった。
その滑稽な姿は、いつもなら笑われていたことだろう。
しかし今、それを笑うものは誰もいない。


「ふざけんなっ!
 ……よくそんなでたらめな話を作れるな!

 鈴香に愛梨に真里子、こんなに証人がいるってのに、
 あんたはまだ嘘をつくのかよっ!!
 あたしは、橋本! あんたを絶対に許さないっ!」


3人のいうことと、1人のいうこと。
選択を迫られたときに前者を信じてしまうのは、人間の性なのかもしれない。
それによって、沙由里は苦しむこととなった。


「……ノートを取りに行ったのは、本当です。
 私、用事があって頼んだんですよ。
 ……こんなことになるなんて……
 麗奈先輩、亜美先輩、ごめん、なさい……っ」


泣きながら謝る鈴香を慰める余裕を、亜美は持っていない。
それに気づいたのだろう、麗奈は鈴香に歩み寄って、
あなたは悪くないから、とだけ囁いた。

それに対して、鈴香はうなずくだけだ。
返事をする余裕もない、そう見せたかったからである。



「……先生には、言わないで。
 きっと、おおごとになって、大変よ。
 みんなを巻き込むのは、嫌だから……」


もうすぐ先生が来るわ、と付け足して、
麗奈は散らばっている鈴香のアクリルガッシュを片づけ始めた。
鈴香も慌てて駆け寄り、その手伝いを始める。

亜美は、麗奈の意思を尊重したかったらしく、
わかったよ、とだけ言ってうつむいた。
いくら仲が良いとはいえ、上級生の意に反することなどできない。
美紀と優も、不満げではあったが、顧問には言わないと決めた。


「真里子ちゃん、愛梨ちゃん、どうして……」

ぼそりと呟いて、真里子の腕に触れる。
いたたまれなくなった真里子は、それを振り払った。


「……出て行けよっ!」

亜美に突き飛ばされて、沙由里は廊下に転がった。
沙由里が抗議する間もなく、ぴしゃりとドアが閉められる。

鍵がかけられることはなかったが、
気の弱い沙由里が再び部室に入ることなどできないだろう。


鈴香以外の全員が大好きだった平和な日常は、
音もなく消え去って、もうどこにもなかった。