社会問題小説・評論板

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LIFE
日時: 2014/09/25 11:04
名前: TAKE (ID: H6B.1Ttr)

 午後七時、帰宅ラッシュの乗客を乗せた電車が急停止した。
 何事かと、アルバイト帰りの青年は動揺した。ほどなくして、人身事故を起こしたとの旨を伝えるアナウンスが流れた。
 通過する筈だった駅のホームでおよそ一時間近く、電車は現場検証の為に停車したままだった。窮屈な車内で不満を漏らす声や、帰りが遅くなる事を電話で伝える声が続いた。
 一通りの作業が終わり、電車の扉が開いた。復旧まで更に時間がかかる為、トイレで用を足す者や、この駅から別の手段で帰るという者は下車した。
 青年もその一人だった。自宅からはさほど距離がないので、タクシーを拾おうとホームへ降りた。
 出口へ続く階段を下りようとする時、青年の目に飛び込んできたのは、轢死体の一部だった。どの部位なのかは判別が付かないほどに細かく、異様に白い肌の肉片が、ホームの先端に転がっていた。
 つい先ほどまで、彼もしくは彼女がここで生きていた。
 寸断されたその遺体では、遺族も悔やむに悔やみ切れないだろう。

 その瞬間、痛みを感じたのだろうか。
 肉体が離れてゆく様子を、その脳は理解していたのだろうか。

 わずかな吐き気をもよおしながら、青年は急ぎ足で駅を後にした。


 通過する電車の前に飛び出したのは、日常的にイジメを受けていた男子高校生だった。
 その事を知ったのは、朝の情報バラエティ番組での事だった。昨夜の光景を思い出し、青年はベーコンエッグを食べる手を止めた。
 そのままパソコンを開くと、キーボードを叩き、彼は一編の詞を書いた。
 死ねば楽になる、なんて考え方を、彼らはどこで身に付けるというのか。
 生きていてこそ苦楽を感じる事が出来るものだというのに。学校という小さなコミュニティで起こる格差なんて、外に出れば微々たるものなのだと気付く事が出来たかもしれないのに。
 誰かの役に立つ音楽を。そんな想いで綴った言葉に、緩やかなメロディを乗せた。

 三日後、青年はギターとアンプとマイクを携えて、駅前の広場へ向かった。曇り空が広がる空の下、人々は足早に通り過ぎてゆく。
 機材を広げ、「星野なおき」と名前だけ書いた簡素な看板を立て、彼は歌い始めた。最初は人の足を止めるため、誰でも知っている曲をいくつか演奏する。
 B・Bキングの「stand by me」を歌い終える頃には、十人ほどの観客が目の前に屯していた。
「通行の邪魔になるといけないので、もう少しだけ近くに来てもらえますか?」彼が言うと、観客は二、三歩前へ進んだ。
 本当は、観客の存在を近くで感じていたいのだ。自分を認めてくれているその目線が、他の何よりも安心感を与えてくれる。
 アップテンポなオリジナルを二曲続けて演奏したところで、鼻の頭に雨粒が当たるのを感じた。雨の匂いは序々に強くなり、今にも本降りになりそうな空だった。
「すみません、次で最後の曲にします」そう言うと、彼はギターのチューニングを修正し、出来たばかりの新曲を披露した。

 また今日も誰かが 線路へ飛び込んで
 数え切れぬ人が 足止めをくらった
 車輪が彼の身を 引き裂いたその時
 遠く離れた地で 産声が響いた

 駅前というシチュエーションも相まって、至極残酷な描写から始まる曲を、彼はその内容とは対照的な至極優しい声で歌った。

 生きて 生きて 幸せを掴んで
 それが僕らに ただ一つ出来ることかも知れないから

 そんな言葉で曲を締めくくると同時に、雨が強くなってきた。
 聞いてくれていた観客へ頭を下げると、彼はアンプの故障を防ぐため、ギターケースから出したビニール袋をかぶせた。
「お疲れ様でした」
 不意に、後ろから傘が差し出された。途中から観客に加わっていた、リクルートスーツ姿の女子大生だった。
「あ、どうも。ありがとうございます」
 他の観客が足早に去ってゆく中、二人は会話を続けた。
「最後の曲、すごい好きです」ジャケットのボタンを弄りながら、彼女は言った。
「よかった。今日初めて披露したんで、ちょっと不安だったんですよ」
「なんだか教訓になる言葉が多くて、歌詞に聞き入っちゃいました」
 自分の作った曲が、少なくとも彼女の役には立ったようだ。そう思うと、今まで感じた事の無かったような喜びを覚えた。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいです」
「いえ、そんな」彼女は、少しうつむいてはにかんだ。「機材……大丈夫ですか?」
「ああ、ええ。いつも袋は入れてあるんで」
「傘は?」
「あ」
 楽器への備えは万全だったが、自分の事を考えていなかった事に気付いた。
「コンビニあたりまで、入っていきますか?」傘の方へ一瞬目線を移し、彼女は言った。
「いいんですか?」
「はい、全然」
 そう言いながら、彼女は顔の前で小さく手を振った。
「じゃあ、お言葉に甘えますよ。助かります」
「いえいえ」

 相合傘なんて、何年振りだろうか。
 二人並んで暗くなった街を歩きながら、彼はそんな事を思った。身長差があるので、彼女の傘を自分が持っている。
「普段は、どんな音楽聞くんですか?」
 なんとなく、当たり障りの無い話を切り出してみた。
「コブクロとか、好きですよ。あと、斉藤和義なんかも」
「へー。斉藤和義なんて、若い世代で好きな人って珍しいですよね」
「そうですか? セクシーでかっこいいと思いますよ。コナンの主題歌もやってたし」
「ああ、確かに。『せっちゃん』ってあだ名の由来とか、知ってます?」
 学生時代に四六時中「セックスしたい」と言っていたからだそうだ。そんなネタ振りをしてみると、彼女は顔を赤らめながら、声を上げて笑った。
「知ってるけど、それ女子に言わせたらセクハラですよ」
「そうね、上司とかじゃなくて良かった。……そういえば、就活ですか?」
 リクルートスーツについて、彼は問いかけた。
「はい。面接の帰りです」
「どんなとこ目指してるの?」
「えっと……中学校の教員です」
 口に出してから、彼女は照れくさそうな表情を浮かべた。
「すごいね。大変そうだ」
「すごくないですよ。内定だって、全然取れてないですし」
「目指してるだけでも立派ですよ。俺なんか、言ってみればフリーターだし」
「そっちも夢持ってるから、いいじゃないですか」
「そうかな。しかし、女教師って響きはなんか……いいよね」
「セクハラですよ」
「はい。すみません」

 他愛も無い会話を続けていると、最寄りのコンビニに辿り着いた。
「じゃあ、ここで」
 彼は傘を返却した。
「次はいつやるんですか?」彼女は問いかけた。
「毎週火・木に、同じとこでやってますよ」
「じゃあ、また見に行きますね」
「是非。今日はありがとう」
「いえ。私も、お話出来て楽しかったです」
 彼女は『全然』と言った時と同じように手を振った。
「就活、頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。……それじゃあ、また来週あたりに」

Re: LIFE ( No.1 )
日時: 2014/09/25 11:36
名前: TAKE (ID: H6B.1Ttr)

 駅前での思いがけない出会いを心の中で反芻しながら、彼女は一人暮らしをしている下宿へと帰宅した。
 郵便ポストを覗くと、電気屋のチラシと共に白い封筒が入れられていた。先週受けた学校からの結果通知らしい。

 ——また不合格か。

 合格者には電話で通知するという旨を思い出し、彼女は悟った。
 部屋に入ると荷物を下ろし、ジャケットを脱いだ。メイクを落とそうと洗面所に向かう。
 蛇口をひねると、机に投げ置いた封筒を見ながら、彼女は考えた。
(……何がいけないんだろう)
 水道を一旦止めて、鏡を見た。
 前髪を七三に分けた地味な姿が、そこに映っていた。
 マニュアル通りの見た目に、マニュアル通りの受け答え。こうすれば合格出来ると言われるがままに行動してきたけれど、やはり何かが足りなかった。
〝言われた事しか出来ません〟
 鏡の中の自分は、そんな言葉を体現しているようだった。

 担任の先生がこんなのだったら……正直どうなの? 私よ。

(言うこと聞かないだろうなー……)
 資格を持っていても、勉強を教えられるだけじゃダメだし、職員の目線だけでモノを考えるのもダメ。正解を見つけるのは難しい。
 ついでにシャワーも浴びようと、束ねていた髪を解き、服を脱ぎ捨てた。


 翌日、彼女は大学のゼミへ出席し、卒論の指導を受けていた。
「皆さん、就活の状況はどんな感じですか?」
 一通りの説明を終えると、担当の女性準教授が言った。各々が進捗状況を報告し、内定獲得率は半々といったところだった。
「それぞれ頑張ってると思いますが、数を撃てばいいってものでもないですからね。結局入る企業は一社だけなので、体に無理のないようにしてください」
 焦りを感じている生徒に対して、準教授はそのように諭した。

 ゼミが終わると、彼女は準教授に相談をした。
「教育学部だから、当然教員になれるような授業はしているわけだけど……。個人の実力が重要視されるから、意外と狭き門なのよね」
 今の状況をどのように変えればいいのかという彼女の問いに対して、準教授はそう言った。
「佐倉さんは、一般企業は受けてないの?」
「一応、いくつかは受けてます。内定も一つあって……」
「そこの職種は?」
「IT関連の事務です」
 ふーん、と助教授は思案した。
「最悪、教員になれなかったらそこに入社するという考えでいいのかしら?」
「今のところは、まだ迷ってます」
「そうですか。……とりあえず、一般企業でも自分が興味を持てるところを、見てもいいと思うの。ほら、教材を作りながら教室を開いてるようなところなんかもあるじゃない?」
「あー……そうですね」
「次の学年に募集がかかるまでは、あと半年ぐらいあるから。チャンスはまだ沢山転がってるはずよ。頑張って」

 軽い昼食を食べながら、彼女は準教授の言葉について考えた。
 教員「のような」仕事で、自分は満足出来るんだろうか?
 例えば教科書の出版に携わったとして、または予備校の講師をやったとして、誰が自分の事を覚えてくれるんだろう?
 高校時代、男女関係のもつれで不当な扱いを受けていた自分の事を見て見ぬフリせず、ロングホームルームで議題として掲げてくれた先生を見て、その仕事に憧れを持った。その先生が別の学校へ移ってしまった今、今度は自分が憧れを持たれる存在になりたいという思いで、彼女は教師を目指した。

 やっぱり、妥協しちゃダメだよね。

 今度は、昨日出会った路上ミュージシャンの事を思い出した。
 アルバイトをしながらも、誰かの憧れになろうという真っ直ぐな意思が、彼からは感じられた。
 ただの「夢」として見ているだけでは、何も叶わないんだ。
 彼が見ているのは、あくまでも目の前にある「目標」だった。


 帰路に就く途中、彼女は美容院の扉を開けた。
「予約してないんですけど、大丈夫ですか?」
 受付の女性にそう告げると、施術席へと案内された。
「おー、清美ちゃんだ。今日はどうする?」
 交代でやってきた男性は、鏡越しに目を合わせて言った。
「ショートにしようと思ってるんですけど」
「イメチェンか。いいね」彼はストレートの黒髪を指で挟み、おおよその目安を測った。「じゃあ一五センチぐらい切って、ボブにしてみようか?」
「そうですね、首元が出るぐらいで」
「オッケイ。ゆるーいパーマとかも、かけてみる?」
「んー……今日はカットだけで」
「了解」
 一度洗髪した後、彼は湿った髪に迷い無くハサミを入れていった。
「……失恋でもした?」
 そう言うと、彼女は首を振った。
「そんなんじゃないです」
「じゃあ、アレだ。就活のイメージアップにとか?」
「あ、はい。そうなんです」
 彼は前髪を揃えるため、彼女と向かい合った。
「やっぱり。同じ理由でショートにする人、結構いるんだよね」
「あんまり効果ないですか?」
「いや? あると思うよ。前髪を重たくしなければ爽やかな印象になるから、そういうのも面接官に伝わるみたいだし」
 その後、しばらく会話をしないまま、彼は黙々と髪を切り続けた。床に落ちる黒髪の重さと反比例して、彼女を取り巻く雰囲気は軽やかになっていった。
「よっしゃ、こんなもんか」ハサミをしまうと、再度の洗髪をした後にドライヤーをかけ、マッサージを行った。「証明写真、撮り直さなきゃな」

Re: LIFE ( No.2 )
日時: 2014/09/25 11:41
名前: TAKE (ID: H6B.1Ttr)

 会計を済ませた女性客を外で見送った彼は、次の客が来るまでの間に床掃除をしていた。
「……何?」
 自分をじっと見つめてくる視線を感じて、彼は言った。
「別にー?」
 受付で売上のチェック作業をしながら、たった一人の女性従業員は頬を膨らませた。
「またヤキモチ?」
「……別にー」
 そう言うと、今度はなんとも形容しがたい表情を浮かべた。
「まあ、確かに清美ちゃんはかわいいけどさ。それとこれとは別だよ」
 通りすがりに彼女の頭を撫で、彼は箒をしまった。
「何でもないって——」
「はいはい」
 予約客がドアを開けて入ってくると、彼女は笑顔を浮かべて接客した。

 閉店時間を過ぎ、店じまいをしていると、彼の携帯に電話がかかってきた。
 着信の表示を確認すると、それは宮城に住む母からだった。
「ちょっとごめん」
 彼女にそう言うと、彼は手を止めて電話に出た。
「もしもし」
〈洋一かい?〉
 母の声は、何やら切羽詰まっている様子だった。
「ああ。急にどうしたの?」
〈父さん、帰ってきたのよ〉
「……何?」

 津波で流された、父の遺体が見つかったという。

 スーツのジャケットに包まれた状態で白骨化した胴体が、復興活動を行っている瓦礫の中から発見されたそうだ。
「……どうしたらいい?」
 急にこみ上げてくるものがあり、声が震えた。
〈とりあえず、早い内にこっちへ戻ってきてくれないかい? 密葬にしようと思うから〉
 電話を切ると、彼は施術席に座り、目頭を押さえた。
「どうしたの?」
 様子の変化に気付いた彼女が、不安げに尋ねた。
「ちょっとね。……明日って、予約入ってたっけ?」
「今のところ、一一時に一人と午後に二人」
 彼は、電話で聞いた事情を話した。
「悪いんだけど、臨時休業にして実家へ行ってくるから、お客さんに連絡入れてもらっていい?」
「分かった。そういう事なら仕方ないね」
「夕飯どっかで食べる約束もあったのに、ごめんな。今度、ちゃんと埋め合わせするから」
 そう言うと、彼女は首を横に振った。
「埋め合わせとか考えなくていいから、すぐに行ってあげて」
「……ありがとう」

Re: LIFE ( No.3 )
日時: 2014/09/29 13:39
名前: TAKE (ID: H6B.1Ttr)

 帰宅した彼は仮眠を摂ると、夜の一時に起床し、東北自動車道を車で走り抜けた。
 暗闇の中、後ろへ流れてゆくオレンジ色の道路灯はどこかSF映画のワンシーンを連想させ、アクセルを踏み込んでいるプリウスは、過去へと戻るタイムマシンのように思えた。
 蘇ってくる父との思い出は、大して楽しめるものではなかった。
 地銀で働いていた父は口数が少なく、夕飯時に呑んだ焼酎の勢いで喋ったかと思えば、おおかた仕事の愚痴だった。笑う事が罪だとでも言うかのように生真面目で、無表情な男だった。
 彼が美容師を目指そうと決めた時も、父はその商売に対する不信感をチクチクと指摘した。
 専門学校に行くなら、学費は自分で工面しろとの事だった。上京した彼はバイトを掛け持ちし、遊ぶ余裕も無かったが、そんな甲斐あってか、在学中から働いていたサロンのオーナーに支援を受け、去年の暮れには自分の店を持つ事が出来た。
 その頃にはもう、父は行方不明となっていた。未曾有の大災害が起こり、独立の報告も出来ないまま時は過ぎた。

 空が白み始めてきた。左手の下方に水田や畑が見え、山の中を通り抜けるトンネルが多くなると、故郷が近づいてきている実感が湧いた。
 高速道路を下りて街を抜けると、馴染みのある風景と、復興がままならずに未だ見慣れない風景が混在していて、ちょっとした夢を見ているような気分になった。
 津波は、実家の隣にある一軒家を半分ほど浸食したところで治まった。その家も全壊には至らなかったが、基礎がかなりぐらついた為、そこに住んでいた夫婦と娘は、仮設住宅での生活を余儀なくされている。
「ただいま」
 玄関の引き戸を開け、彼は靴を脱いだ。
「おかえり。早かったわね」彼を出迎えた母は言った。
 居間へ行くと、畳まれたボロボロの衣服と骨壷があった。
「火葬供養だけ先に済ませたの。今日はご近所さんもいらっしゃるわ」
「そうなんだ」彼は体をかがめ、服を手に取った。「これ……本当に父さん?」
 母は頷いた。
「所持品検査と骨髄鑑定もしたから。間違いないそうよ」
「……そっか」

 十時頃になると僧侶が訪れ、仏壇の前で読経を始めた。
「あの日から長い時間が経って、故人も辛かった事と思います」僧侶は言った。「今日は目一杯、ご帰宅なさったお祝いをしてやってください。それが何よりの供養になりますので」
 僧侶を見送った後、すぐに寿司と惣菜の出前が届いた。テーブルを広げ、皿に盛り付けた料理を並べると、隣家に住んでいた仮設暮らしの親子と、向かいに住む夫婦、それに父が勤めていた会社の部下がやってきた。
 卓を囲んだ話の内容は、やはり震災当時の記憶に遡った。
「出来れば思い出したくないけど、忘れちゃいけないですよね」向かいの妻は言った。
「ここいらは坂になってたおかげで、名取辺りと比べるとまだマシでしたね」夫が言った。「それでも吉野さんなんて、大変な思いをされてますもんね」
「ああ、うちは本社への異動が最近決まった事もあって、来月に引っ越すんですよ」隣家の夫は笑顔を浮かべ、ビールの入ったコップを傾けた。
「あら、それはおめでとうございます」母が言った。「じゃあ、風花ちゃんも転校しなきゃいけないのね」
「そうですね」妻は娘の肩を撫でながら言った。「もう高三だから、出来れば卒業してからの方が良かったんですけど……」
「でも、仮設に二人置いて単身赴任ってわけにもいかないからね」夫は口を歪めた。「井上さんのところは、大丈夫だったんですか?」
「うちもアパートだったし……あと独身なので、被害は少なかったですね」少し自虐的な笑いを含めて、会社の部下は言った。「こうして皆さん集まっているだけに、たまたま取引先へ出かけていた篠崎さんだけが亡くなったというのは、残念でなりませんよ」
 そんな言葉を聞くと、皆思い出したように手を止め、骨壷を眺めた。
「愚痴しか聞いた事がなかったので、会社での父はよく知らないんですけど」彼が口を開いた。「イヤな上司じゃなかったですか?」
「そんな風に思った事は無かったな」心外だ、というような顔で部下は答えた。「呑みに行くと、君の自慢話をよく聞かされたよ」
「俺の?」
「うん」部下は頷いた。「『絶対音を上げると思ってたけど、あいつはやると決めたらやる男だった』とか……。今、美容師やってるんでしょ?」
 どこまで頑固なんだろうかと、彼は思った。
 自分の知らないところで認めてくれていた事が、どことなく腹立たしくもあり、嬉しくも感じられた。

「ちょっと、スーパーでお茶っ葉買ってきてくれない?」
 食事が終わると。母は彼に買い物を頼んだ。
「分かった。他には?」
「そうね……卵と牛乳切らしてるから、それもお願い」
 車の鍵と財布を持って、玄関で靴を履いていると、隣家の少女がやってきた。
「私も行っていい?」
 大人に囲まれて世間話を聞いているのは、どうにも退屈なのだという。
 彼女の両親に許可を取り、外へ出た二人は車に乗り込んだ。

「風花ちゃん、どこに引っ越すの?」交差点へ向かって直進しながら、彼は言った。
「埼玉だって。洋一君は東京にいるんでしょ?」
 面倒見の良い彼の事を、彼女は小学生の頃から慕っていた。通っている学校から家までは距離があったので、下校すると、友達よりも彼と時間を共にする事が多かった。
「近いから、どこかで会えるかも知れないね」彼女は言った。
「かもね。でも、高校の友達と離れるのは辛そうだな」
 彼はカーナビのラジオを付けた。外国人風のDJが軽快に曲紹介をしている。
「まあね。不安もあるし」
「向こうでまた友達作らないとな。そういえば、彼氏なんかは?」
 訊いてみると、彼女は首を振った。
「女子校だから、あんまり出会いはないよ」
「そっか」
 ラジオからは、野太いシャウトの効いたガレージロックナンバーが流れていた。歌詞が英語なので、どこかの大物アーティストがリバイバルするのかと思ったが、歌っているのは結成一〇年目の日本人バンドらしい。
「洋一君は、彼女いるの?」彼女は訊き返した。
「いるよ。もうすぐ二年になるかな」
「そっか。……どんな人?」
 彼は、店へ来た客に対して頬を膨らませる彼女を思い出した。
「ツンデレ、なのかな。あとヤキモチ焼き」
 そう言うと、彼女は笑った。
「なんか、めんどくさそうだね」
「んー……たまにね。でも、そこがかわいいとも思うし。ちゃんとしなきゃいけない時は、向こうがリードしてくれる事もあるしね」
「そっか」
 スーパーに着くと、二人は車を降りた。土日の買い物時とあって、なかなかの賑わいを見せている。
 頼まれていた茶葉と、卵と牛乳をカゴに入れると、他には特に買うものも無いが、何となく売場を巡った。
「何か欲しいのある?」そう訊くと、彼女は目を見開いた。
「買ってくれるの?」
「まあ、今日ぐらいは。あんまり高いのはダメだよ」
 その言葉を聞くと、彼女は早足で化粧品コーナーへ向かった。
 どうやらヘアスプレーを探しているらしい。
「それは枝毛が出やすいから、こっちの方がいいよ」
 彼は、彼女が手に持っているものと別の商品を棚から取った。
「さすが美容師」感心した口調で、彼女は言った。

 少し遠回りして、彼らは会話をしながら時間を潰した。
「進路とか、もう考えてるの?」
 彼が訊くと、彼女は首を捻った。
「最近まではなんとなく決めてたけど……引っ越すから、また向こうで考えないと」
「あー、そっか。厄介だね」
「そうなの」
 彼女は、看護士になりたいのだという。
「ケガした人とか、死んだ人とか、色々見てきたから。友達でもなりたいって言う子多いんだよ」
「いいね」彼は言った。「専門学校に進むの?」
「うん。大学だと、必要ない教科も受けないといけなくなるから」
「なるほどね」
 なんとなく学生生活を過ごしているように見えても、色々と考える事はあるものだ。
 高校時代の自分を思い出し、彼は懐かしい気分に浸った。

 交差点を抜けて坂を上り、家の前に着くと、彼女は不意に彼の左手を握った。
「どうした?」理由を訊いてみるも、彼女は黙っていた。
「俺、彼女持ちなんですけど……」彼は少しおどけて言った。
「うん」頷いた後も、彼女はしばらく手を離さなかった。「ちょっと寂しいだけ。特に意味は無いから」
 ハイブリット車の静かな音だけが響く中、時間は過ぎていった。
 頃合いを見て、右手でそっと彼女の手を解くと、彼はエンジンを止めた。
「……大丈夫、また会えるよ」

Re: LIFE ( No.4 )
日時: 2014/09/29 13:36
名前: TAKE (ID: H6B.1Ttr)

 彼の言葉は、「もう会うな」と言っているように聞こえた。
 東京へと帰ってゆく車の後ろ姿を見送りながら、彼女は手の平に残る温もりに切なさを覚えた。
 幼い頃からの付き合いだった彼女にとっては、彼は兄やいとこのような存在だった。そういった意味では、ある意味特別な感情だったのかも知れない。
 引っ越しは一週間後に迫っていた。丁度夏休みに入る時期という事もあり、友人が送別会を開こうと提案した。終業式の後、クラスメイトを集めて名掛丁へ行くという。
 当日、彼女はクラスメイトと共にカラオケやボーリングを楽しんだ。最後の記念にとプリクラを撮ったところで、一人一人からプレゼントを渡された。
 夜になって仮設住宅へ帰った彼女は、涙を流していた。
「送別会、どうだった?」
 父の質問には答える事なく、彼女は荷物を置き、風呂場へ向かった。
「離れるのが寂しいのよ」母は言った。


 転校初日、彼女は担任の教師に促されて教壇へ立ち、自己紹介をした。
 名前や趣味などを述べ、転校の理由を語った。いくつか被災時の様子を問う言葉が上がり、彼女はそれに淡々と答えた。
「ありがとう」年が若く見えるせいか、教員というよりも家庭教師といった雰囲気のある担任はそう言うと、彼女を席へ戻らせた。「吉野さんがここに来たってのも何かの縁だろうし、さっきもいくつか質問が上がってたのを見て、先生ちょっとした考えが浮かんだんだ。聞きたい?」
「聞きたくなーい」数人の生徒がそんな返答をした。
「そう言うなよ」担任は笑いながら話を続けた。「あのな、彼女の体験談をテーマにして、LHR(ロングホームルーム)の授業をしようと思うんだ。クラスに早く馴染めるだろうし、いっつも雑談ばかりだから、たまにはマジメな事もしないとな」
「それってどうなの? あんまり記憶を掘り返すような事すると、辛くなるんじゃない?」
 生徒の一人が言った。
「それもそうか……。吉野さん、どう? イヤなら無理にとは言わないんだけど」
「あ、私は全然大丈夫ですよ」
「よかった。じゃあ、明日は早速LHRがあるから、なんとなく話す事考えといてくれる?」
「分かりました」
 翌日から週に一度、彼女は自らの体験を語った。水に流されてきた死体や、家族写真を見た事。友達の家が瓦礫と化し、仮設住宅の入居先が決まらずに避難生活を続けていた事。汚染地域でなくとも、福島に近いというだけで野菜が売れない事。隣人の父親が二年も経ってから遺体で発見された事。
 それらの事実はクラスメイトに考える機会を与え、忘れ難い過去を話す事で、彼女自身の心を整理する効果もあった。

 三週間ほど経つと、新しいクラスメイトとも打ち解け、放課後に友人と女子会を行うようにもなった。
「ねえねえ。風花って、どんなのがタイプなの?」
 この日も二人の友人とファミレスへ寄り道をしていた。大人びたメイクで、同い年には見えない友人はそんな質問をすると、アイスティーのストローに口をつけた。
「男子でってこと?」
「他にないでしょ」
 彼女は左上を見つめて少し思案した。
「年上で、優しくて落ち着いた人かなー」
「あ、私も。やっぱり年上だよね?」
 ふわっとした印象を感じる、もう一人の友人が言った。
「そういえば、あんたもそんなこと言ってたね。やっぱり今の年頃だと、男子の方が精神年齢低いもんねー」
「そうそう。ただヤリたいだけって感じのばっかりだし。風花ちゃんは同級生と付き合ったことある?」
 近くにいた他校の男子グループに会話が聞こえていたらしく、彼女の席からはバツの悪そうな表情をしている姿が見えた。
「私はないよ。中高一貫の女子校だったし」
「そっかー。でもうちは共学だから、チャンスあるんじゃない?」
「風花は年上がいいって言ってるじゃん。うちらより先輩いないでしょ?」
「あ、そっか」
「ホント天然だよね、あんたって」そう言って友人は笑った。


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