BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)

ろくたんリク1 心遠 ( No.485 )
日時: 2012/08/08 19:01
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: hFu5/zEO)
プロフ: 甘くて数年後パロで終わりgdgdだったりらじばんだり

 ぴりり、さくさく、しゃくしゃく。もぐもぐ、ごくん。ぴり、ぴりぴり。しゃくっ、しゃく、もぐ、もぐ、ごっくん。小さな咀嚼音を響かせながら、遠子さんは思い出したように呟いた。

「心葉君は、ずるいわ」
「……どうしたんですか急に」

 お互いの仕事も終わり、娘も子供部屋で寝息をたてている。夜、二人きりになると僕と遠子さんはお互いに名前で呼び合う。時々僕が高校の頃の癖で「遠子先輩」と言うと、「もう先輩じゃないわ。妻よ」と頬を膨らませてしまうのが彼女の可愛いところだ。今も学生時代からのおさげ頭を遵守し、細い肩には猫のしっぽのような三つ編みが垂れ下がっている。
 遠子さんはあまり子供の前でご飯——物語を食べたがらない。もう少し大きくなってから、と決めている。だから見えない誰かの目を盗むように、彼女は夜中になってから食事を始める。今夜も僕が即興で書いた三題噺を美味しそうに頬張っていた……はずなのだが。

「むぅ、急に言ったわけじゃないわ。ずっと昔から考えていたことを、今はじめて口に出したのよ。私は思いついたことをぽんぽん口にする女じゃないんだから」
「高校生の時、僕の話を聞かずに繁華街に出て警察に連行されちゃったのは誰でしたっけ」
「そ、それはそれ、これはこれよ! ていうか心葉君、その話はもう忘れて……昔の古傷を引っ掻き回すような子に育てた覚えはないわよ」

 ——僕も育てられたつもりはありませんよ。
 書きかけのコラムを一旦テーブルから避ける。一息つくと同時にかけていた眼鏡をとり、正面で真剣な顔をしている遠子さんを見た。遠子さんは子供のようにぷんとそっぽを向いていたけれど、その瞳には何か切なそうな色が含まれていた。「……何か、あったんですか」素直に答えてくれるだろうかという心配がなかったかと問われれば、答えに困る。

「別に何でもないわ」
「じゃあ、僕がずるいってどういうことですか?」

 それには答えず、遠子さんは僕が書いた夕飯を指で摘み、口に運んだ。また、しゃりしゃりという咀嚼音。彼女は育ちが良いせいか、口の中に食べ物があるまま喋ることも、話しかけられるのも好きではない。
 三十秒ほど待っただろうか。こくん、と彼女の細い喉が上下に動き、口内のものが嚥下された。
 彼女は言うべきか言わぬべきか、迷うように視線を彷徨わせていたが——ぽつりぽつりと語り出した。

「……心葉君は、ずるいのよ」
「だから、その理由を教えてください」
「心葉君は、人間だからずるいわ」

 きゅっ、と彼女の双眸が泣きそうに歪んだ。突然のことなので僕も驚いた。彼女は学生時代から泣き虫で、それは夫婦になった今でも変わらない。娘の借りてきた絵本で泣くし、テレビの作り話でも泣いてしまう、涙腺の弱い人だ。
 だけど彼女は泣かなかった。込み上げるものを堪えるように、淡々と続けた。

「心葉君は他の人と食べ物を同じように食べられるけれど、私は物語しか食べられないでしょう? さらに私は、心葉君というたった一人の作家のご飯しか、もう食べられないわ。……胃袋をつかまれるってきっとこういうことね」

 自嘲気味に零した笑いは、夜の空気に溶けて消える。彼女がこんな風に笑うのを見るのは初めてだ。ぼんやりと、どこか現実味を感じられないまま僕は話を聞いていた。

「私はこれから先——心葉君の手から生み出される物語からしか、生を受けられないわ。でも心葉君は、私に飽きてしまっても、他の女の子が作る美味しい手料理で生きていける。心葉君がいなくちゃ、私はもう生きていくことすら出来ない。……こんなのってずるいわ」


 ——だって、私は心葉君を縛り付けていられないもの。


 それを耳にした瞬間、僕はテーブルの上の原稿用紙が落ちるのも構わずに遠子さんを抱きしめた。彼女の華奢な体が潰れてしまいそうなぐらい、強く、強く。
 耳元で彼女が息を呑むのがわかった。離して、と涙声で僕の胸を押す力は弱弱しい。たまらずに、言葉を洩らした。

「僕は貴方の作家です、遠子さん」

 腕の中の彼女は、その言葉を黙って聞いていた。
 この細い体を生かし続けるのは僕だ。貴方のその声を生みだすのも僕だ。貴方の眼に浮かぶその涙は、僕の手でしか作り出せない。僕だけが貴方を生かしていられる。
 それがどれだけ幸せなことかを、貴方は知らない。きっと知らない。

「僕の手も、脳みそも、心も————ぜんぶぜんぶ、貴方と存在するために動かしています。貴方とずっと一緒に生きたくて、僕は物語を紡いでいます」

 甘ったるい言葉だと、誰かがせせら笑っているような気がした。
 だけど、それで良いと思った。
 彼女は辛いものや苦いものよりも——甘いタルトのような言葉の方が、好きなのだから。

「……僕はずるくなんてないですよ。強いて言うなら、貴方の方が、ずっとずるい」

 腕の中で遠子先輩が小さく頷く。その拍子に、二つの三つ編みがふるりと震えラベンダーの香りを放った。

「貴方のせいで、僕は貴方なしで生きていける自信が、無くなってしまった」

 




■アイデンティティを彼女に捧ぐ






 だから、大丈夫ですよ。
 これから先。絶対に、貴方一人で生きさせなどしない。









*****
書いてて恥ずかしくなったとか言ってないですけどアヒヤァァァァ
とりあえず黒紅葉様以外お持ち帰り禁止です。
よし、後ふたつやったるどー!