BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)

よくわからぬ ( No.564 )
日時: 2012/12/05 23:48
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: .XV6mGg/)

 ——なぁ、伊織。お前は何を怯えてるの?



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「兄さん、どうしましょうか」

 伊織がどろりと濁った瞳で言葉を紡ぐ姿が俺は嫌いだ。いつもは冬の夜空のように澄み切った瞳が、何かとてつもない感情に覆われてどす黒くどんよりとしたものに満ちている。唇から色は失われていて、ふらふらと足取りがおぼつかない。信仰すべき神を失った教徒。ドラッグが手に入らない思春期のショーネンショージョ。何というか、無気力の三文字が似合う。

「どうしたの伊織。お金でも足りないの」
「いいえ、お金は足りてます。ただ、」
「ただ?」
「何か、足りないんです」
「何かってなーに?」
「わ、わかん、わかんない、んです」
「分からないの?」

 さらに問い続けようとしたところで、いつもの通り、伊織の眼がかっと見開かれる。濁りを含んだ眼球が今にも飛び出しそうにぎゅるぎゅるとあらぬ方向を向き始め、かさついた唇がわなわなと震える。
 ——あぁ、これ泣いちゃうな。
 ハンカチを用意する前に、俺の足元には号泣する一人の女の子が出来上がってしまった。これもいつものことだからたいして気にしないけど、これって他の人から見たらどう見えるんだろう。やっぱり俺が加害者、なのかなぁ。いつだって俺は加害者だからなぁ。

「わか、わわ、わかんな、わかんないです、っう」
「よしよし、伊織。大丈夫だよ、大丈夫」

 膝をつき、伊織と同じ目線になる。そして震えている小さな肩を抱き、驚かせないように優しくショートヘアを流れに沿い撫でた。
 肩につくかつかないかぐらいの長さの、伊織の髪の毛。昔は長く伸ばしていたのにね。一体いつから、お前はこんな風に切っちゃうようになったのか。

「知らな、違、知りたくない、知りたくないんですよぉ……ううう、ぐぅ」
「そっか。知りたくないんだね」
「やだ……知りたくな、嫌、いやです、私は、」
「うんうん。大丈夫だよ。知らなくてもいいからね」


 赤ちゃんをあやすみたいにして、嗚咽を漏らしている伊織を慰める。「こわい、こわ、いです、兄さん、こわ」涙で滲んだ声色の中でも、俺のポジションである兄さんの四文字だけは鮮明に響いている。そうだね伊織、お前は何か怖いことがあったら、唯一頼れる俺だけにその心を預けてくれていたんだった。

(預けてくれたその心が、一人で立てないようにしてしまったのは、きっと俺なんだろうけど)

 
 だからごめんね、伊織。
 多分、俺がこうしてお前を抱きしめるのは、罪悪感によるものなんだよ。






***

どこまでも報われない兄妹がしっくりくる