BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)

■慣れたあの感覚は、もう戻らずに ( No.628 )
日時: 2013/04/01 22:32
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: QGJGVn1c)






 兄貴は大学生になるので、昨日の朝、身辺整理の手伝いをする両親と共に旅立っていった。私が大嫌いな数学の春期講習から帰った午後二十三時、今まで当然のように存在した“兄貴がいた”景色は我が家から消えうせていた。そこにはぽっかりと、何かが欠けてしまっている。寂しさを覚えたが、手元の携帯にはすでに何通か兄貴とのメールがあったので、まぁ、そんなものかぐらいでおさまっていたわけである。母親も祖母もそれは同じらしく、さみしいねぇさみしいねぇとぼやく割にメールで何度も会話をしているので、そこまで悲しくはないらしい。
 問題は、父親だった。

「やっぱり兄ちゃんがおらんと、寂しいなぁ」

 あの父親から、まさかそんな言葉を聞くとは数日前の私は思ってもいなかっただろう。
 私の父親は厳しい人だ。そしてだいぶ繊細だ。マナーが悪い者が嫌いで、学歴や資格を重んじる、ドラマや漫画では真っ先に嫌われそうなタイプ。売ってある惣菜が気持ち悪くて食べられない、夜の八時からは必ず勉強をする時間、大学は一流のところにいってこそ。私も兄貴も父親の厳格さに幾度と無く苦しめられてきた。それでも、兄貴の方が知らないが、私は父親のことが嫌いではない。父親のがちがちの考え方は、あたたかくゆるい母の考え方とは異なり、冷たくて、マニュアル通りで心地よい。
 そう、そんな冷たい人なのに。そんな父の口から「さみしい」なんて単語が飛び出すだなんて。

「何するんも、兄ちゃんのこと思い出してなぁ。食欲もないし、見送られてる時なんて泣きそうになったわ」

 百八十を越える痩身をわずかに折って、ぼんやりとそう嘆く父親は、初めて人間らしく見えた。
 娘として、ここで私は「私がいるじゃん、大丈夫だよ」なんて父を励ますべきなのだろう——ということは、猿でもわかる。猿みたいに普段はしゃいでいる私は、珍しく大人しい面構えで、全てを悟ったように「ふーん」と頷いてみせた。先ほどの台詞を言わず、ただ、父親の寂しさを噛み締める。

 私はきっと、いくら父親がその言葉を待っているとしても、「私がいるから大丈夫」なんて台詞は吐かない。
 誰かは誰かの代わりには絶対になれないということを、私は知っている。
 父親が望んでいるのは、百八十三センチで、大食いで、なのに自分と似たほっそりとした体をしていて、お喋りが大好きで、友達が多くて、自分の遺伝である大きな二重の瞳を細めて笑う、我がままで気の強い兄貴だ。
 同じ血を分けた兄妹である私は、父の慰めにはなるだろうけど、代わりとなって彼の穴を埋めることは出来ない。

(受け止めなければ、ならんのんよねー)

 一人納得し、数学の冊子に向き直る。
 この家にぽっかりと空いた穴は、きっと、二度と塞がることはないだろうから。せめて辛くないように、私たちはお互いに寄りそうことしか出来ないのだろう。
 大嫌いで大好きだった、あの馬鹿面を思い出しながら、ぼんやりと思った。











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ちょっとどころかだいぶじんじん痛み始めてきてて、どうしようかなって