BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)
- Re: 【色々】 トロイメライの墜落 【短編】 ( No.670 )
- 日時: 2013/05/21 01:26
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: eNPK8IuO)
悪意や妬みや嫉みや辛みで溢れかえった、この腐敗した世界。誰もが笑みという皮を被り生きているこの世界。この世界においては、誰も悪意を抱かないなんてことはなく、誰も妬みを感じないなんてことはなく、誰も嫉みをぶつけないなんてことはなく、誰も辛みを噛み締めないなんてことはなく。厳しくて残酷で、脆い世界である。
それ故に、羽川翼はこの世界の異端児であったといえる。
全てを許しうる心を持つので他者への悪意を抱かない。誰よりも能力が高いため妬みを感じない。自らの感情の片付け方を理解しているので嫉みをぶつけない。悲しい出来事も辛い出来事もある程度納得できるので辛みを噛み締めない。聖母のような彼女は、この世界において純粋すぎていた。神が愛し、作り、この世界に堕とされた彼女。
故に異端。この澱みきった世界で、天使のように清らかな彼女は息をすることさえ許されなかった。
(じゃあ、私はこんな世界で、こんな場所でどうやって生きていけばいいの?)
そんな疑問を抱いた羽川翼を、やはり汚れきった人間である父親は怯えきった表情で見つめ、再びその右拳を振り上げたのであった。パァン、と容赦ない平手打ちは羽川翼の高校生女子の平均よりも数キロ軽い体重をやすやすと吹き飛ばした。壁に思い切り叩きつけられ、肺腑を微かに痛めた羽川は、けほけほと咳き込みながら、だがしかし、意識だけははっきりと保っていた。
(こんなもののために、生まれてきたんじゃない)
そこまで酷くするつもりがなかったのか、父親は今さらになって真っ青になり咳き込む羽川へと駆け寄る。羽川はずれた眼鏡のフレームを直し、慌てふためく父親であるはずの男の顔を見つめ、柔らかい口調であの言葉を呟いた。
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足が重い、と羽川翼は半ば左足を引き摺るようにして家の外へと歩み出た。ずきずきと鈍く痛み左足は、父親の腹を思い切り蹴った際に負傷したものだ。今日は夜中だというのに風が強く、羽川は自身の真っ白い髪の毛が突風に散らばっていくのを横目で眺めた。
——このまま、倒れてしまいたいな。
折れてしまいそうな理性が、自分にそう訴えかける。しかし喉元から零れた「にゃうん」という鳴き声はそれを許さなかった。ずるずると右手の荷物を引き摺りながら、当てもなく歩き始めた。
父親である男と母親である女は完全に意識を失っている。障り猫のエナジードレインによるものだ。数分前、羽川翼は自らの感覚を全て障り猫に預け、暴走した。本来ならば意識を全て乗っ取られてしまうはずなのに、なぜか、あの青年のことを思えば意識を保っていられた。
——結局、私は片付けられないのよ。
右手にかかる重みは、まだ両親が息をしていることを告げていた。本当にあの家庭が嫌だったなら、真っ先にこの二人の息の根を止めてしまえばよかったのに。自分に期待をしてくるクラスメートや教師たちの首を噛み千切ってやればよかったのに。そして何より——阿良々木暦のことなんて、忘れてしまうべきだったのに。
「……私はどこへ行けばいいのかしら」
誰も応えることのない問いは、夜風に溶けて攫われていく。
「にゃおぅ」と、その存在意義を主張するかのように、喉元がぐるぐると動いた。
///
「ご主人様は人間にゃ。人間にはできにゃいことにゃんていっぱいあるにゃ。にゃのにあいつ等はご主人をにゃんでも出来る秀才だと崇めてご主人様をまるで神様のようにその孤高の立ち居地に縛り付けご主人様が嫌だと祭壇を降りようとすれば期待やら好きやらの言葉を差し出して動けないようにしたにゃ。神を縛り付けるなんてのはおかしいのにゃ。怒った神様から天罰を受けてもしょうがにゃいんだぜ? だから俺は暴れてやるにゃ。ご主人が傷ついた分、動きたかった分、息をしたかった分。俺がぜんぶぜーんぶやってやるにゃ。俺にはそれを行う義務と権利があるにゃ。
……にゃあ、ご主人。だからそんにゃ風ににゃやまなくていいんだにゃ。ご主人は今までよく頑張った。頑張ったものには休息が必要にゃ。だから、今は俺に任せて楽に————」
「————ねぇ、理由は、それだけなの?」
ひっそりとした廊下で、いつものように布団にまるまって、私はぽつりと言葉を漏らした。お父さんやお母さんが起きてしまわない程度に。私の背中越しに眠っている障り猫にも聞こえるように。
「……もっともっと、もっと。私がこうしなくちゃならなかった理由を、喋り続けて。私が眠れるまで。私がこれでよかったんだって安心できるまで。睡眠薬なんて、そんなの効かない。効かない薬しか、この世の中にはないんだから」
私の言葉に、障り猫は返事をしなかった。ただ「にゃおん」と低く呻き、熱い額をぐりぐりと私の肩に押し付けて、甘えるように鼻を鳴らす。
ねぇ、貴方はそんな風に私を愛してくれるけど、貴方の姿は実際には存在していないんだよ。声すら、今の私にははっきりと掴むことしかできないんだよ。無いものを、どうやって信じればいいの。一体何を信じればいいの。ねぇ、猫さん。どうか教えてみせて。
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月光/鬼束ちひろ で 羽川さんのおはなし書きたい
長編書きたい