BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)

■メロウな渇きで満たされる ( No.687 )
日時: 2013/06/21 00:48
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: U3CBWc3a)
プロフ: ※テスト期間中







「乾いて仕方がないんだ」

 栄養が足りずにすっかり色素を失っているかさついた唇は、時折気まぐれのように俺に語りかける。垂れ目がちの濃紺の瞳は自分の変わり果てた下半身を虚ろに見つめている。猿比古は一切何も身に纏っておらず、不健康まる出しの痩せた身体を浴槽へと沈めていた。
 猿比古の身体は腰から下が、まるでスーパーでぶつ切りにされて売られている魚みたいだった。いや、魚だ。透き通った透明なうろこが、光の加減で群青色にみえるうろこが、びっしりと本来脚があるはずの箇所を覆っている。爪先があるであろうところにはうろこよりもわずかに淡い色合いのスカイブルーの尾ひれがついていた。ひらひらと水中で揺れる尾ひれは、幼い頃に母親と訪れた水族館を回顧させる。
 胸の辺りに肌の白とアンバランスな色合いの、赤く焼け爛れた痕が見える。「かゆい」とうろこのついた手のひらで引っかく姿はどうも不機嫌そうだ。

「……美咲、水足りない」

 浴槽で膝を抱き、猿比古はむすっとした顔をして呟く。うるせえ、水ならそこに嫌ってほど入れてやってんだろーが。狭いアパートにある風呂は猿比古一人が入っただけでいっぱいいっぱいだ。
 縁のところまでなみなみと入れてやった水を一瞥し、猿比古は「わかってねーなー」とゆるゆると頭を振る。

「だからあ、俺は美咲の涙じゃないと満たされないんだよ。ほら、見てみろよこの尾ひれ。こんだけ水につかってんのに、乾いてざらざらしてんだろ」

 じゃぶん、と飛沫をあげて俺の目の前に飛び出してきたのは水族館のガラスの向こうにあったそれだ。ひらひらと揺れていたはずの尾ひれは猿比古のいうようにぱりぱりに乾いているようで、水中での様子が嘘のようだった。指先で触れると、見た目通り乾いた感触が伝わってくる。少しでも不注意で力を加えてしまえば、そのまま割れてしまいそうなほど、尾ひれは乾ききっていた。
 ——ああ、本当だ。
 驚いて息をついた。すると、留めていたはずの涙がぽろりと零れ落ちた。するりと零れたひとしずくはたまたま手にとっていた尾ひれの元に吸い込まれる。その瞬間、そのひとしずくが吸い込まれたところだけが潤いを取り戻した。親指の爪ぐらいの面積だが、猿比古の尾ひれが鮮やかさを得る。触れてみると、他の箇所とは違い、みずみずしい弾力があった。

「な、言った通りだろ?」

 猿比古は浴槽から身を乗り出すと、にぃ、と歪んだ笑みをみせ、喜んだように尾ひれをぱたぱたと振った。俺はこれ以上泣きたくなくて、さきほど涙を流したほうの右目を隠し、ぴちゃぴちゃと水面に波を作る猿比古を眺める。
 しかし俺の思いとは裏腹に、涙腺は胸の奥からせり上がって来た感情に押され、ぐりぐりと刺激される。鼻の奥がつんとして、目の前では猿比古が笑っているというのに、そのまま声をあげ叫びそうになった。ぽろぽろ、と隠していない左側から不本意にも涙が零れ落ちる。

「あ、あぁ、あ」
「美咲ィ、もっと泣いていいよ」

 するりと頬を掠めた指に、誘われた。細長い猿比古の指が、俺の頬を濡らす液体を絡めとり、宝石を手にしたように大事そうに握り締められる。その拍子に俺の涙はひび割れた隙間へと入り込み、元の柔らかい質感へと乾いた肌を癒していく。
 猿比古の渇きが癒えていく様子を、俺はぼやけた視界で眺めることしか出来なかった。喉の奥から這い出てくる嗚咽を押しつぶそうと首を絞めてみるも、なかなか声は潰されてくれない。自殺めいた行為をする俺を、けれども猿比古は、心の底からたまらないというように愉悦めいた笑みを浮かべて、頬をなで続けていた。

「……お前の涙を、俺は許してやるよ。泣いていいよ。思い切り泣いて、そんでその涙を俺に頂戴。俺はぜーんぶ、お前の悲しみを受け止めてやるから」

 両頬を流れていく海水ごと、猿比古は俺をいとおしげに抱きしめる。
 ぴちゃりと跳ねた雫は浴槽に消えて、形を失ってしまった。












*****

下半身が魚になっちゃった伏見さんと、両目から海水が止まらなくなっちゃった八田さんのはなし