BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)

Re: APH:4桁の数字と劇場 ( No.5 )
日時: 2015/09/05 10:15
名前: 伊莉寿 ◆EnBpuxxKPU (ID: qrMs7cjz)


2*1.5:歪なふたりの朝食

台所から漂う甘い香りに目を見開くと、気づいた彼はばつが悪そうに視線を逸らして「ええと……」と言葉を探しながら、フライパンに蓋をした。匂いから察するに、中身はパンケーキ。2日前に友人である農園の息子から貰った林檎が皿の上に転がってるから、焼いて乗せるつもりみたい。
なるほど、ね。委縮しなくてもいいのに、彼は慎重なのか、緊張してるのか。かちこちに固まった彼の頭をなでる。ふわふわの栗色髪の毛。ああ、そうだマシューの髪質とそっくりだ。愛おしいあの子。元気にしているんだろう。便りがないのは、って言うじゃないか。
切り替えて目の前の子供に微笑むと、少しだけ困ったように、けれど嬉しそうな笑顔を見せてくれる。

「いい匂いだね」
「お腹、空いてると思って」
「俺のために?」
「……こんなものしか、作れないけど」

緑色のまあるい目をのぞき込んで、ありがとう、と伝える。彼はまだ自信なさげに目を閉じる。
いつも、朝台所に立つ女性と違う。彼は何もかもが違う。俺のことを愛していないし、何も俺に差し出していない。
でも俺は彼が好きだよ。美しいから。見目も、心も。笑ってしまえるくらいあっさりと落ちてしまった。今まであった誰よりも美しい彼を、どうして手放せるだろう。
火を消した彼にコーヒーを飲むかと尋ねる。首を傾げた様子から、まさか、って思ったけど、どうやら本当にコーヒーを知らないらしい。
それなら、角砂糖と牛乳と一緒に出してやらないとね。
テーブルに並んだのは、薄切りの焼きりんごが飾られたパンケーキ二皿と、春らしい花柄のカップが二つ。ソーセージを焼こうかと尋ねると、朝はあまり食欲がないという。それなら昼間買い物に出た時に、おいしいものをまた食べればちょうどいいと計画を少し修正する。
こんなに心が躍るのは何年振りだろうか。いつもだって女の子に行きつけのお店を紹介したりして、楽しんでいるつもりだったのに。それとも、これは……。

「あっ」

小さな驚きの声が、俺を現実に引き戻す。コーヒーの苦みに目を丸くして口を押えた彼に、思わず目を見張る。彼は恥ずかしそうに俯いて、だんだんと顔を朱に染めていく。
ははは、って堪え切れなくて、笑う。アーサーよりも濃い緑の瞳が、戸惑った様子で見上げた。
角砂糖とミルクを、紅茶党の彼のコーヒーカップに入れてやる。その様子にも興味津々で、じいっと手を見つめられると少しこそばゆい。

「かき混ぜてごらん」

神妙な表情で彼がマドラーで円を描くと、数秒前まで真っ黒だったコーヒーが優しい色に変わっていく。カチャリ、カップが小さな手のひらに収まる。恐る恐る口をつけて、おいしい、と呟いた彼は、未知の味に目を爛々と輝かせた。
甘い甘い、カフェ・ラ・テ。そっと切り出したパンケーキみたいに、ふうわりとした彼の笑顔。
綺麗で、こっちの心も温かくなるような時間。瞼を閉じれば、まるで、心で食事をしているような甘さ。
どうして、すぐに瞼を持ち上げて、彼のおぼつかない所作でパンケーキを口に運ぶ様子を眺めようと思ったんだろうね。最後の一切れが、彼の右ほっぺたをぷっくりとふくらませている。

「そういえば、君の名前は何ていうの?」

しゅわり。バターミルクの香り。おいしそうだったから買ってみたパンケーキミックスは大当たりだったし、林檎はちょうどいい火加減で調理されてる。このくらい硬さが残ってるのが、俺の好み。
コックは咀嚼を休めて、少しの間沈黙する。何事もなかったかのように再開して、飲み込んで、視線を逸らしながら答える。恥ずかしがり屋さんみたいだ。笑顔を作る。

「……ルイ」
「ありがとう、ルイ。おいしかったよ」

きょとんとした顔が、日差しを受けて開く花弁のように、ゆっくりと明るくなっていく。その笑顔はあまりにも綺麗で、溜息が漏れた。頭は、それなのに、息を吸うことを忘れさせられていた。
どうして、こんなにも美しいのに。俯いたルイの緑からこぼれた水晶みたいな丸い水滴が、ナプキンに小さなシミを作った。真っ白なお皿を手に取って、出来るだけ優しく聞こえるように、声をかけた。

「ルイ、洗い物がすんだら買い物に行こう」
「うん……」

こくり、こくり。何度も何度も彼はうなづく。撫でてあげようか迷って、とりあえずお皿を流しにおいてしまうと、ふらふらと寄ってきたルイが背中に抱き付いた。
力ない腕は小刻みに震えていたけれど、ゆっくり頭を撫でてやれば、深呼吸を繰り返した彼は落ち着いた様子で大きな瞳で俺の視線をとらえる。宝石みたいに美しい君。きっと、穢れないからこそなんだろう。ああ全く、そんなことを思ってしまって、俺は彼を不安にさせていないだろうか。
そんな心配と裏腹に、力強い目は、そんな汚い俺もまっすぐに貫いてしまう。

「僕は、あなたといっしょにいたい」
「……いいよ」

いいの? って、俺は尋ねるべきだったんだろうか。
でもほら、俺は汚い大人だから。安堵したような表情に、心の中でごめんねと謝る。
それでもやっぱり、俺はこの無垢で麗しい少年を、手放せそうにない。だからほら、君のせい。閉じ込めてあげたりはしないよ。たとえ他の世界を知りたくないと思っても。美しさは多くの人の心を震わせる。隠されたりするのはいけないことだ。

開けてみた冷蔵庫の中は生憎、すっからかんだった。ちくりと痛んだ心は、虫食いの林檎みたいだと思った。