BL・GL小説 (オリジナルで全年齢対象のみ)

Re: APH: Four Numbers' Theatre ( No.6 )
日時: 2015/11/25 23:51
名前: 伊莉寿 ◆EnBpuxxKPU (ID: qrMs7cjz)

「パスタが食べたいな」

* * *

俺が初めてその子に出会ったのは、19世紀、アメリカの家に居候していた兄ちゃんの顔を見に行った時だった。

「……ロマーノの兄弟?」

その子は儚い笑みで、俺を見つめていた。体は、まだまだ少年の細さと弱さを表していて、とてもアメリカの家には不釣り合いだった。この新大陸といえば、かの帝国から独立を勝ち取った、今は産業革命で沸く大国で、色々大きいのが普通だから。
さっきドアを開けてくれたこの家の家主だって、筋肉が逞しい青年だ。兄ちゃんが、今まで見たことがないほどの成長速度に驚いていたというのも納得だ。背が高くて、声が大きくて、自信に溢れてて、不思議と威圧感を覚えてしまう。
俺のほうがずっと長く生きているはずだけど、アメリカとはあまりに環境が違う。この広い広いアメリカ大陸を横切って、太平洋まであっという間に開拓してしまった彼は、強くなる運命にあったんだ。生まれた時から。
そして体力だけでなく、工業で世界を脅かす強さを、手に入れようとしている。
そんな場所にいるからこそ、その少年の存在にはますます違和感を覚えた。どこにでもあるようなリビング、中央の大きな木のテーブル、ゆったりとした背もたれの椅子の上で彼はひざを抱えていた。
色はきっと鮮やかなんだろうけれど、笑っていない目。どんよりとした雲がかかった、空みたい。真っ白な手が抱える、真っ白なひざ。腕と脚には、いたるところに白い布が巻かれている。
ブロンドの髪はふわりと、少し癖があって。右側の分け目からは前髪が流れて、目尻の辺りに華やかな印象を与えていた。
彼はまさしく家主と似た形質を持っていたけれど、とても似ていなかった。背後から靴音が迫ると、俺は一歩後ずさって二人を見比べた。あまりに似ていない体格。
少年は生まれながらに、必要以上の筋肉を持つことが許されていないような細さをしている。痩せこけているわけじゃなかったけれど。アメリカを見て、彼が浮かべた笑みには、人間離れした不気味さがあった。
笑わない空。対するアメリカも、表情は硬い。

「ロマーノ、どこにいるか知ってる?」

緊張した声色でアメリカが尋ねた。俺を迎えに来てくれたから、数時間は家を空けていたはずだ。少年は質問した男じゃなくて、俺に向かって、あっち、と言った。
延ばされた左腕は窓の外を指していたけれど、俺は、包帯がずれて二の腕に見えた、血管と並行するような、大きな傷跡に目を奪われていた。

「倉庫で機械いじりしてる。さっき、大きな音がしたよ」
「ええっ、何か壊してないだろうね?」
「出る前に、直しておいてって言ったの君でしょ」
「……ジーザス、そうだった! 行ってくるよ!」

簡単だと思ったんだけどなあ、とか愚痴りながらアメリカは走って行った。俺のこと、絶対忘れてたと思う。
兄ちゃんは機会が得意なはずがない。そもそも、家にそれがないから、アメリカにいたんだ。多少はできるようになるんじゃないかと予想してたけど、話を聞く限り、やっぱり、兄ちゃんは兄ちゃんみたいで、複雑な気持ちだった。
家の外の方から、がこん、と大きな音がした。叫んでいるのか怒鳴っているのか、聞き取れない声が続いて、俺は窓の向こうに視線をやった。
緑と赤が混じる、秋。アメリカでは感謝祭が迫っていた。広い庭の一角には、狭いながらも策で覆われた畑があった。兄ちゃんの庭かな、と思いながら眺めていると、きいい、と甲高く、何かのきしむ音がして。

「何か飲む? お客さん」

コーヒーしかないけれど、と目を合わせずに、少年が椅子から飛び降りた。ぴょんっ、と。少し、彼には高いらしくって。半袖の白いシャツと、ひざ丈のズボン。隙間では布が揺れている。

「うん、貰おうかな」
「座って待ってて。あ、果物すき?」

水を注いだ彼は、リンゴに手を伸ばす。俺はお礼を言いながら頷いた。彼の表情に、さっきまであった気味悪さは欠片も残っていなかった。
——家事をよく手伝う、子供みたいだ。
俺は単純にそう思った。だからもっと、わからなくなった。だって、彼の話は一度も耳にしたことがなかったから。

「俺はヴェネチアーノ、北イタリアです! さっき言い損ねちゃって……ごめんね!」

八等分に切られたリンゴとコーヒーとを出して椅子に戻った少年に、俺は内心ドキドキしながら話しかけた。彼の手のひらは、柔らかな香りのするコップを包んでいた。
まあるい瞳が、俺の顔を映して細められて。首を横に振り、彼がテーブルに置かれた白いカップに入っていたのは、底が見えるほど透明な、茶色い、液体——……。
ああ、もしかして。俺は、笑顔を一瞬忘れた。

「よろしく、北イタリア。どんな人なのかなって、会うの楽しみにしてたよ。フランス兄さんが、よく話してくれてたから」
「フランス兄ちゃんと知り合いなんだね」
「……良くしてもらったよ」

イギリスが愛してやまない、紅茶。砂糖が溶けていく様を、名乗らなかった少年はいとおしそうに眺めていた。ほんのちょっと、耳の先を赤くしながら。
俺はフランス兄ちゃんの名前が出てきて心が弾んだ。きっと、少年の髪はフランス兄ちゃん譲りなんだ。この美しさもそうなんだって、会えば言うかもしれない。
そう考えると楽しくなってきたけど、まずは濃そうなコーヒーに口をつけてみた。やっぱり苦い。少年に倣って砂糖を入れた時、ドタバタと階段を駆け上がる音が静寂をぶち壊して迫ってきた。
少年は我に返って、紅茶を一気にのどの奥に流し込むと、椅子を蹴って下りた。流しに向かって、慌ててコップを洗っていた。かなり雑に。胸騒ぎがした。彼は、そういえば、コーヒーしかないって言ってた。だけどあれがコーヒーなはずはなくって。

「はーもう、疲れたんだぞ! コーヒー淹れてくれよ!」

アメリカの声に、肩が震えたのを見てしまった。わかった、と静かに答えた少年は、あの気味の悪い笑顔を浮かべていた。お湯を沸かすやかんは、まだ温かいんだろうなとぼんやり思う。
兄ちゃんに名前を呼ばれて、振り返った。隣にいたアメリカが、リンゴに手を伸ばしながら、俺の持っていたカップを見つけて目を丸くする。どうだい、おいしいだろう!
笑顔が眩しくて、胸がちくりと痛んだ。今でも忘れられない、痛み。とげだった。アメリカをバラになんて、例えたくないけれど。俺自身もバラってことに、したくないけれど。

「うん、おいしいよ。アメリカ」
「……着替えたら」

アメリカが俺から顔を逸らす。オイルにまみれたシャツに、少年が顔をしかめているのは想像できた。洗濯物がどこにあるんだとかアメリカが尋ねて、そうして二人のアメリカが部屋を出て行った。
兄ちゃん、ちっとも変わらない姿の兄弟に、呼びかける。二人が消えて行ったドアを見たまま、南部アメリカだよ、と消えそうな声で呟いた。分かってる、分かってるよ、俺は笑いながら、冗談を言う準備はばっちりなのに、何も言えなくなって。
短い沈黙の間に、俺は兄弟らしくなりたいだなんて考えてた。もっと兄ちゃんと一緒にいたいって、居ても立っても居られないような。

「それにしても、しれっと嘘つくよな」

まっずいコーヒーをしみじみとさ。
吹き出した兄ちゃんの手を取って、訝しげなオリーブの瞳を見据えて、俺は息を吸い込んだ。どうかいつも通り、笑えていますように。音を乗せた息を長くはけば、霞んだ視界の向こうで、仕方ねえな、と兄ちゃんが笑った。