複雑・ファジー小説
- Re: 吉原異聞伝綺談 ( No.13 )
- 日時: 2011/03/06 14:47
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
- 参照: テトリスが欲しい。
◇
仙翁に会えなくなった。
あまりにも唐突過ぎるその事実が、琳邑は信じられなくて仕方がない。いつも出会う通りに姿が見えず、仙翁のいる遊廓を覗きこんでも見当たらない。……会えなくなって三日。
琳邑は吉原に来てからずっとマンホールの下で寝食をしてきた。寒くて、暗くて。しかしそれでも、仙翁に会えるのが楽しみで。だから彼女はここで生活出来た。それが、支えだったのだ。
「やっぱり……居ないのかな」
無意識に声を漏らした琳邑は、頭に被る白い丸帽子を左手で押さえながら、塀を登った。石造りのこれを越えれば、仙翁がいる遊廓に忍び込めるのだ。
……琳邑、と自分の名を呼ぶあの温かく柔らかな肉声が聞きたい。
今まで大嫌いだったこの名前が、今は好きだ。生まれて初めて"外"の人が呼んでくれた名前。もう、彼処には戻りたくない。と、少し意識を逸らしていたところ、
「えっ………あ??アッあ———!」
するり、と手が塀から滑り落ちた。
不思議なことに、落ちているその瞬間は自然と世界の時間の流れがゆっくりになったように感じられるのだ。だから思っていたよりもなかなか地面につかない。あれ、そんなに高かったっけ?琳邑がそう疑問に感じていた時、背中に衝撃が走った。
ガッ!という感じに細く脆そうな体躯が沈む。その後直ぐに躰がフッと上がる感じがした。そのままその場に停滞。———地面の感触がしない。
琳邑は思わず閉じていた紫紺の目を恐る恐る開いた。躰が浮いている。翠の透き通った双眸の少年の顔が、目に入った。
「落ちてくるなんて驚いたよ」
金髪や目の色からは、西洋人に思えたのだが、顔立ちは東洋の雰囲気だ。二つが混ざった、不思議な雰囲気を出している。
「あ、えと……。ありがとうございます」
抱かれたままの琳邑は小さな声で礼を言いながら頭を軽く下げた。
「いやいや。礼なんて良いよ」少年はニカリと笑って返す。「探し物が見つかったから」
「——探し物……で、すか?」
妙に嫌な予感がする。琳邑は少年の笑顔に違和感を感じた。これ以上、この少年と居るのは危険だ!そう頭が訴えている。
「あ、あの。もう一人で歩けるから……その」
人と喋ることに慣れていない琳邑はどぎまぎしながら躰をじたばたさせる。が、少年は放す気配すら見せていない。
「頼むからじっとしててくれよ」少年のがっしりとした腕が彼女を押さえる。「また探すの面倒だからさ」
——やっぱりあそこの人なんだ!
琳邑は確信する。彼は、"敵"である。自分を連れ戻しに来た奴だ。
折角手に入れた自由もこんなに短く終わってしまってはたまらない。琳邑は意地でも抜け出そうとして、激しく動いた。少年はそんな琳邑の躰をスムーズに地面へと押し倒した。
「きゃああっ!」
琳邑の甲高い叫び声が小さく響く。少年は彼女の両腕を押さえて、細い体躯の上に馬乗りになった。
「俺だって乱暴したくねぇよ。でもさ、これが仕事だから」
少年は苦い顔をして言った。申し訳なさそうに言われても琳邑には"敵"という者以外認めることは出来ない。頼むから大人しくしてくれ、少年の力は更に強まっていく。
——少年には幸い、琳邑には不幸にも——この場所に人はこの二人しか居ないために、いくら激しいやり取りをしても誰も気づかない。
逃げられないと諦めかけた時だった。
「なぁに。こんな明るい時間から若い少年少女がこんなとこでチョメチョメ?ちょいと早すぎんだろ」
低い男声と共に、黒いスーツを着た白髪の青年が現れる。サングラスをかけているため、表情はよく分からない。ただ、二人をまじまじと見ているのは確かだろう。
「チョメチョメって……チゲエよ、ぜんっぜん違うから!!」
驚いた少年はつい力を緩めてしまい、軽く琳邑は解放された。だが、まだ少年は彼女に乗ったままである。
「あ——、なに。フラれたから……!みたいな感じか。ボク、犯すなら遊女とチョメチョメしたほうが良いぞ。それは犯罪だから」
「だから違うって言ってんだろ!!お前の頭の中はそれでいっぱいかよ!!」
顔を真っ赤にして少年は怒鳴る。いや、この場合はボケに対してのツッコミ——と言った表現の方が的確かもしれない。
「でもな、俺もそのコに用があるからさ。
————退いてくんない?」
——ッッ!!!
突然琳邑の眼前に一筋の光が走った!それが刀の一閃であると反射的に反応した少年だったが、避けられず肩に傷をおってしまった。それ程傷は深くないのだが、ぼたぼたと垂れ落ちてくる深紅の液体は下の琳邑の白い頬を染めていく。
「いっッ—————やあああああああああ!!!!!!!」
それを見て、今までとは比べ物にならない叫び声が琳邑から発せられた。細い喉元から出るとは思えないボリュームである。
少年は傷口を押さえながら琳邑の上から離れた。緑の服は補色対比の赤に染められ、黒くなる。
「誰かと思ったら、討幕派の高杉嗣じゃん。これは一石二鳥だな!」
痛みも伴っている筈なのに、不思議と少年は笑顔だ。曇り一つない笑みである。
「やっぱ幕府からの奴かよ。アソコは餓鬼ですらここに送り込むんだな」呆れた顔をして、嗣と指された青年は右手に持つ日本刀を握り直しす。「俺の用事はそこの女の子なんだよね。頼むから退いてくんない。素直に退けば、斬らねえよ」
「誰が退くかよ!」
少年は拳を握り締めて低い体勢で嗣に襲いかかった。
「交渉決裂か」
向けられた拳をひらりとかわし、刀を振るう。突くように振られた刀の先を少年は飛んで避けた。
「交渉すらしてねえよ!!なんだよソレ!!」
地面に手をついて、嗣に向かって足を投げる。両足が彼の腹部にめり込んだ。嗣は呻き声をあげたが、直ぐに刀を少年の脇腹に刺し込む。少年も短い呻き声を放った。
——タカスギツグル……討幕派の、人。
一人孤立した琳邑はぺたりとその場に座り込んで、二人の様子を眺めていた。
——あの男の子は、幕府の人……。
幕府に戻るよりも、捕まるなら討幕派の人の方が断然マシかもしれないと思ったが、やはり一番は捕まらずにいることだと琳邑の思考はそれに留まった。どさくさに紛れて逃げ、そのまま遊廓に忍び込もう、そうしよう、と琳邑は静かに塀に手をかけた。音を立てずに登り始める。
「お前らは何考えてんだよ!!あの子は普通の女の子だっつの!!」
素早く懐刀からナイフを二、三本取り出して投げた。日本刀を盾にして、全て弾き飛ばした嗣は怒鳴りながら突き進む。
「全然態度からして違うんじゃねえの!?マァ、今ココで追ってる幕府の餓鬼を殺っておけば後々楽だから、死んでくれよ!!」
「誰が死ぬかよ!お前が死ねぇッッ!
俺は生きるもんね。生きて生きて生きて生きてやっからね!」
右足に短く突き刺さる刃物を少年は素早く抜き、足を滑らせた。青年の右足に当たる。青年はよろめいたら躰を支えるために刀を地面に刺した。押された足とは逆の足を少年に向けて放つ。それをギリギリで避けた少年は、ハッとした。丁度視界に、塀をよじ登る琳邑の姿が入ったからだ。
——ヤベッッ!あそこは————!
「ちょ、ちょいタンマ!」
抜いた刀を少年に向けている嗣に、少年は掌を見せた。楽観的な表情は深刻なものに変化を遂げている。
「タンマもなんもねえよ。何?命乞い?」
嗣はかちゃりと金属音を立てる。少年の言動は命乞いだと思っているようだ。
「ちっげえよ!あそこ見ろよあそこ!!」
二回も"あそこ"と言って強調しながら少年はよじ登る琳邑を指差した。それを見た嗣の目が見開かれる。
「何……あの子は男よりも女に欲情する方だった訳で」
「なんの勘違いだよ!違うだろ、違うって信じたい!!てかそしたらこの小説はそれ相応のところにあるから!」糞真面目な表情の嗣に少年はツッコミを入れた。妙に早口だ。「逃げてんじゃん!!こちとら追わなきゃなんだよ」
「俺も追わなきゃなの」
やれやれと言ったように嗣は刀を下ろす。
「だから戦ってらんねーじゃん。俺は向かうからな、あそこにさ」
そう言って少年は塀をよじ登り始めた。それを見て嗣は声を飛ばす。
「おーい、入るなら入り口から入れよー。幕府の役人がそれでどうすんだ」
そう言いつつ、彼も塀をよじ登り始める。
「って、お前も登ってんじゃんか!!」
「インディみたいになるのが俺の夢なんだよ。男のロマンだろ、インディは」
真顔で語る嗣に少年は呆れ顔を返した。
「一時休戦な。あの子を取り戻してから、また殺るからな」
嗣のその言葉に少年は頷いた。
「分かってるよ。……横取り、無しだからな」
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