複雑・ファジー小説
- Re: 吉原異聞伝綺談 ( No.20 )
- 日時: 2011/03/12 19:51
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
- 参照: テトリスが欲しい。
◇
「————っにゃぁっ!」
引き戸を開けた琳邑はぽてんと室内に転がり入った。薄暗い狭い部屋で無造作にいろいろな物が放置されている。恐らく物置か何かだろう。琳邑は脱げかけた帽子を被り直し、真っ直ぐと前を見た。
「ん————よしっ」
これであとは仙翁を探すだけだ、と大きく一歩踏み出そうとした。が、足が何かに掴まれていた所為でその場で派手に転ぶ。
ばたん!という大きな音を立ててから、むくりと顔を起こし、恐る恐る掴まれている足を見た。
「なんだよ、萎(な)えるなァ。パンツ見えねえじゃん」
白髪頭の青年が足を掴み、琳邑の股下を覗き込んでいたのだ。
「ちょっ……!!何してるんですか!?」
「ったく。スパッツ履きやがって……ロマン返せよロマン」
「離してくださいよ!なんで着いてくるんですかぁ、ツグル……さん?」
足をバタつかせて琳邑は嗣から離れようとする。
「ンなこたぁドウだって良いだろ。おーい、幕府のクソガキ。捕まえたぞ」
遠くに飛ばされた声がこだましてら少し経ってから、窓から金髪の少年が顔を出した。そのまま物置と思われる室内で、足を掴まれている琳邑の元に駆け寄った。
「琳邑、だっけ。ここが何だか分かってる?」
嗣に手を離してもらい、代わりに少年が琳邑を掴む。
嗣は琳邑の顔をくいとあげた。紫紺の目は鋭く嗣を睨み付けているのだが、全くもって迫力が無い。
「あと三年は待ちゃ、なんとか美人にはなるな。
遊廓なんかに用なんて、何考えてんだお前は」
にやにやと卑しい笑みを浮かべて喋る嗣に対し、琳邑は口をつぐんだままだ。
「おうい、クソガキ。お前なんか知ってる?」
代わりに訊かれた少年は琳邑から手を離した。眉間に皺を寄せ、膨れっ面で返す。
「クソガキじゃなくて、チェン・フェルビースト。それに俺も知らないよ。……琳邑、説明ぐらいしてくんない?何か様子が明らかにオカシイしいしさ……」
チェンは頭をボリボリと掻いた。琳邑はゴニョゴニョと口を動かしているが、全く聞こえない。
どうやら、塞ぎ気味の性分らしい。仕方無くチェンは彼女を出るように促した。
「分かってるか分かんないけどさぁ……。遊廓っていうのは妖魔が一番多く要る場所なんだよ」
そう言われて琳邑は先程よりも少しボリュームを上げて、さっき言っていた言葉を喋った。
「————仙翁に会いたいの!」
「洗脳?」
聞き返す嗣に琳邑は更に声を上げた。
「名前!仙翁!!花魁で、私に優しくしてくれた人なの!その人に、会いたい。それだけって駄目なんですか!?」
興奮気味の琳邑をチェンは抑えようとする。手を上下にひらひらとさせて言葉を繰り返す。
「琳邑、カムダウーン、カムダウーン」
嗣は"仙翁"という名前に聞き覚えがあった。最高位の遊女だと聞いた覚えがあったのだ。今まで姿を拝んだのも一度くらいしかなかった筈だ。なんということか、この琳邑という少女はその仙翁に会いたいのだと言う。私に優しくしてくれたと言っている辺り、実際に接したことがあるのだろう。
幕府が開発した対妖魔用人形兵器、名称は[琳邑(RIN-YOU)]。感情も何も持たされずにいたはずであるが、今目の前にいる彼女は普通の少女となんら変わらない様子である。
「この前までは会えたのに……」少女は目元を潤ませている。「急に会えなくなっちゃった」
嗣とチェンも、流石にこんな様子の娘を維持でも連れていくことは出来なかった。女の泣き顔など見てしまえば、非道になることは少し度胸がいる気がしてなら無い。
——チェンは仕方無く琳邑の手を取り、彼女が立ち上がるのを手伝った。急に変わった態度にどきまぎしながら立ち上がる。少年は琳邑に笑いかけた。
「"せんのう"に会うのを手伝ってやるよ」
その言葉に琳邑はピクリと動いた。直ぐ近くの嗣は「せけぇ!!」と叫び声を上げる。
「会ったら一緒に帰ろう」
続けてチェンは優しく語りかけた、が、
「…………それは、嫌です」と琳邑はピシャリと言い放ち彼の手を払い除けた。「仙翁は吉原が嫌だと言っていました。彼女を助けたいんです。会えなくなったのは分からないけど、でも、きっと何かあったはずだから」
チェンは唸る。それを聞いた嗣はニヤリと笑い、少女の肩に手をかけ、耳元で囁き始めた。
「なら、仙翁を助けて、お前に会わせてやるよ」
はむ、とついでに彼女の耳を甘噛みした。少年は思わず顔を赤らめ、目を瞑る。しかし、嗣の予想とは全く逆で、琳邑は平然としていた。
————なんだ、こいつは。
このくらいの女性なら、少しは面白い反応をしてくれるだろうと期待していた嗣は呆れる。
「あの、それ……本当ですか」
焦りすら見せず、彼女は会話の流れを乱さずに続けた。声色は淡々としている。
「ん——?あ、ああ。約束してやるよ」
時雨のように面白いくらい動揺もせず、巴のように冷静な殺意も見せない。琳邑のようなタイプは見たことがなかった嗣は暫し呆けていたので、彼女の言葉に思わず驚いてしまった。なので、かなり途切れ途切れの返事になってしまったのだ。
「なら、行きましょう」
琳邑は服の埃を素早く手で払い、部屋の戸を開けようとした。チェンは彼女を止めようとして思わず琳邑の折れそうなくらい細い腕を握った。
「待てよ!お前そんな野蛮人と居て良いわけないだろ!!」
「野蛮人って失礼だなァ、お前」
嗣は軽く舌打ちをする。
「第一、高杉!」チェンはいかにもビシッという音が出ているくらい、素早く嗣を指差して大口を開けて怒鳴るように喋る。「琳邑を取り戻すまでは横取りなしだっつたろ!! だからおれも着いてくからな!!!」
そう言い切ったチェンに対しての琳邑の反応はそっけないものであった。
「————勝手にすれば良いじゃないですか」
彼女の中には、"幕府=嫌な人たち"という等式が成り立っているのだ。そのそっけない応答にチェンはポカンと馬鹿みたいに口を開けたが、すぐに閉口して、琳邑の腕を改めて強く握った。ついでに嗣の袖口も掴む。
「兎に角仙扇に会うまでは、行動一緒にさせて貰うからな!」
言い切ったチェンに嗣は白けた目を向け、欠伸をする。
「————しゃあねえなァ。まずは花魁さん探しか」
琳邑は一言もしゃべらず、一回だけ頷いた。そして二人を引いて部屋を出た。
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