複雑・ファジー小説
- Re: 吉原異聞伝綺談 ( No.3 )
- 日時: 2011/03/06 12:46
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
- 参照: テストがオワタといか言わないよ。言わないよ。
◇
——吉原、某所。
「嗣殿、嗣殿!巴殿が御呼びです!」
紅毛碧眼の中性的な若者がどたどたと渡り廊下を走っている。黒いぶかぶかの西洋服を着たその人は男性に見えるが、どこか女性的な部分も垣間見える。声色も男の声にしては多少高いようだ。どこかぎこちない日本語と、西洋寄りの顔立ちはこの若者を日本人でないことを現している。
大きな木造建築の屋敷、目に入った障子を次々に開けていくが、呼んでいる人間は見当たらない。最後に自室を開けた。居ないと思っていたのだが、奴は人の予想を悉く裏切ってくれていた。畳四畳程度の部屋の中で寝転がり、何か書物を読んでいる。
「——『いや、止めるでありんす!イヤァ!!』『ククク、そう嫌がるな……可愛い奴よ』男は花魁の帯紐をほどき始め——」
「何を勝手に読んでるんですか。って!!」
サングラスを掛け、黒いスーツを着崩した白髪の男に急いで駆け寄り、若者は青年が持っている本を手で弾き飛ばした。乱れた着物の花魁の絵が描かれている頁が破れ、ひらひらと舞い落ちる。
「お前のエロ小説」
ごく当たり前の様に青年は答える。漆黒の瞳はサングラスに隠されているのを若者は知っている。この男が生まれつき白髪で無かったことも、事情も知っている。そして自分がこの男達の謀りによって、この吉原に閉じ込められたことも。
「I`m speechless(呆れて何も言えない)……」
吉原にやって来て一年弱。さらに遡ると、日本にやって来てからもう二年近く経っている。もとから日本を目指していたので日本語を勉強しており、更に現地で学んだために——まだぎこちないが——最初に比べれば上達した。それでもたまに、自国の言葉が勝手に漏れ出てしまうことがある。
白髪の青年の名は高杉嗣(たかすぎ つぐる)。今の江戸幕府を倒そうと考えている、対幕府派—— 一般には討幕派と呼ばれており、若者もそう呼んでいる——に属している男だ。短気で自分勝手、横暴、以下略!と言った人間性を疑うような人物であるが、カリスマ性を持ち合わせているのか、自然と周囲に人が集まるのだ。
「で、時雨(シグレ)。何か用があってきたんだろ。巴か?」
嗣の言葉に時雨と呼ばれた若者は呆れた顔で、ゆっくりと頷いた。
「Fair enough.(ごもっとも)分かっているなら、何で来ないんですか。理解出来ませんね」
「人間、相手のコトを百パーセント理解するなんて不可能だぜ?なァ、オルダ・シグレー」
ニヤニヤとしながら、嗣は時雨の"本名"を口に出した。完全に時雨の反応を楽しみにしている。そんな意地悪な悪戯には、もう慣れていたが。
「——今は織田時雨です。……第一、その名を付けたのは嗣殿ではないですか」
時雨は少しだけ声を張り上げて返した。その中には少しだけ怒りの成分が含まれていた。
——二年前の高杉嗣が属する長州藩の外国船への砲撃によって織田時雨ことオルダ・シグレーは運命を捻じ曲げられた。仲間と共に日本へ向かっていた時雨の船は砲撃によって一部破壊され、何故か"彼女"のみが海に放り出されたのだ。皮肉なことに、船を砲撃した者らが時雨を拾い、そして彼女を無理矢理倒幕派に入れさせた。本来なら、「討幕派勢力による外国船への攻撃の被害者」として幕府に保護される筈であったのだが、拾った人間が高杉嗣という何とも悪知恵の働く人間であったため、素直な時雨は嵌められて、保護されるどころかその身を追われることになってしまったのである。
「忘れたね」
ふと、嗣らに拾われた時のことを思い出していた時雨は男の言葉に対し、さらに怒りを覚えた。全くこの男には腹が立つ。無神経で、無頓着。だが、それが高杉嗣という人間を形成している物であるのだから仕方が無い。
自分が一応今の環境で一番慕っている巴殿こと、桂巴(かつらともゑ)、本名梢(こずゑ)が「嗣を連れてこい」と言っていたので、取り敢えず眼の前の男を無視し無理矢理連れて行こうと行動を決定する。これ以上、この男の会話に付き合っていては仕方ない。
「巴殿がお呼びです」
時雨は無理矢理嗣の右腕を掴みあげた。筋肉で硬くなった男の腕である。この右腕がどんなに凄いものなのか、時雨は何度も見てきた。彼の使う剣技は絶技と言っても過言ではない。
「あー、多分吉原ン中に迷いこんだ幕府の兵器探して来いってコトだと思うぜぇ?」
空いている左手の小指で左耳を穿りながら、またにやけた面を見つけてきている。ごくごく自然な会話の流れが出来ていたが、嗣の言葉に思わず時雨は彼の腕を離してしまった。
「Huh(えっ)?——何でご存じなんですか」
高杉嗣は何か良からぬことでも考えているような顔をしている。時雨があまり好きでない顔である。
「さあ、何ででしょうネェ」
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