複雑・ファジー小説
- Re: 吉原異聞伝綺談 ( No.34 )
- 日時: 2011/03/27 17:29
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
- 参照: 第一話長すぎる(
◇
「巴?素敵なお話をしましょうか」
何処からか柔らかな女声が聞こえ、巴は襖を開けた。開けた先に黄土色に近い茶髪の女性が微笑みながら立っていた。左目の下には泣き黒子がある。茶髪はかみどめで留められていた。桃色を基調とした西洋服が眼に新鮮だった。
「熾織か」
"しほり"と発音してから巴は軽く舌打ちをした。
「久坂も居ますことよ。あら、わたくしでは不満でしたのかしら?」
熾織は鼻を鳴らす。口調は巴を見下しているようなものだった。
「……いや、不満では無いがな。どうかしたのか」
そう訊かれた熾織はくすりと笑った。紅の唇から言葉を放ち始める。
「高杉と兵器」語尾にハートマークでも付いているかのような物言いだ。「幕府の狗、新撰組も活動を開始するようでして、ねぇ」
「——新撰組が、だと…………?」
巴はその言葉を聞いて目を見開いた。新撰組、新撰組と何度も繰り返す。
……新撰組。近藤鄙子局長を中心とした幕府の精鋭部隊だ。この、浅葱色の羽織をトレードマークにした剣士たちの集まりは一種の過激派であり、幕府に楯突く者らには容赦が無い。——巴ら倒幕派を吉原に追いやった張本人たちでもあった。
————局長、近藤鄙子か。
その新撰組を束ねる近藤鄙子という人間は隊士の一部を覗いて、誰一人見たことの無い謎が多い人物である。無論巴も見たことがない。
「————韵の情報によれば、やつら、吉原の倒幕派を殲滅させる予定だそうでしてね。
単細胞猥褻物高杉嗣が早く兵器を持って帰ってきてもらわなくては、倒幕派は滅びますわ」
「今向かっているが、な。兵器と一緒に居るかはまだ分からん」
巴は寝床近くに置いてあった水差しを手に取り、湯呑みに注いだ。二つ注ぎ、一つを熾織に渡す。熾織は軽くお辞儀をしてから口を付けた。Ph7、常温で液体のものが冷たく喉の中に広がった。
「ああ、あとそう」
ふと何かを思い出した熾織は湯呑みを床に置き、にやにやとしながら巴に喋り始める。
「貴女の"両目"を奪ってくださった妖魔に会いましたわ」
「————ッ!!」
それを聞いた巴の躰は小刻みに震え始めた。——忘れはしなかった。自分の"両目"を奪った、あの憎き妖魔。巴の口元が斜めにつり上がる。今すぐ殺しに行きたいと躰が訴えてきていた。早く殺せ!殺せ!と本能が飢えた獣の如く疼くのだ。必死に押さえてもきりがないようであった。
「そう……————か」
声を絞り出すのにも相当精神が削られた気がした。湧いてくる殺意を押さえつけ、その上に発生という行為を乗せるのは今の彼女には容易では無かったのだ。
殺意を抑える女の姿を見て熾織はほくそ笑んでいた。自分が今まで感じていたコンプレックスの原因となる女は双眸の光を無くし、病に蝕まれつつある。今まで嫌なほど見せつけられたあの先だけを見つめる輝かしい光を放っていた珠は消え去り、憧れから妬みに変わるほど華麗な剣技は病によって封じられた。
「折角左目に光を持ったのですから、ちょいと倒してこれれば良かったですのにね。
————巴、わたくし貴女が羨ましい。だって貴女は重しが無いじゃないですか」
喧嘩を売っているつもりは無かったが、自然と相手を挑発するような物言いをしていた。
巴は軽く舌打ちをし、真ん前の胸に付いた大きな膨らみを睨み付ける。熾織が巴の才覚を妬んでいると同時に、巴も熾織の美貌に嫉妬しているのだ。生まれつき整った顔立ちを持ち、十代半ばからは躰が急成長し豊満な胸を持つようになった。「貧相な乳がお似合いだぞ」と嗣に笑われている巴にとって、それは羨望の的になるものであった。年を重ねるうちに羨む思いは変わり、やがて歪んだ羨みになり、今は嫉妬するものに変わり果てている。
「そうだな。さぞかし、その重しは重かろう。————お前は志士の活動を止めて、夜の御勤めにでも精を出した方が良かろう。その方が、重しも喜ぶだろうしな」
熾織の挑発的な物言いに、似たように挑発的な応答を返してやった。青筋を立てた笑顔の熾織は早口になる。
「あら、わたくしは自分の意志で此方に居りますの。
あーあ、羨ましい。貴女には重しになるようなものなんてぶら下がっておりませんからね。……あら、もしかして胸部ではなく股座にモノがあるのかしら」
「貴様こそ、脳の発達は全て残らず乳房に持っていかれたのではないのか?死ね」
「ほほ。頭のキレる桂巴殿は脳が発達しすぎているから胸が貧しいのね。死になさい」
「ふ、そうかも知れないな。だから貴様は馬鹿なのか。可哀想に、な。死ね。殺すぞ」
だんだんと口論が白熱してきた。先程まで巴の中にあった妖魔への殺意はいつの間にやら、熾織へ向けられていた。
「失礼ね。ふざけんのも大概にしろよ圧殺するぞこら」
「貴様もな。乳搾り体験一回××円と書いた看板を首にでも提げて外を歩いてろ。串殺(せんさつ-串刺しにして殺すこと)しようか」
「お前こそホストに転職したらどう?今貴女を殺しても罪には問われないような気がしますわ」
とうとう熾織は床の間にあった薙刀に手を出した。同時に巴も立て掛けてあった刀を取り、鞘から抜いた。
「これは誤殺だ!だから神は赦してくれるだろう!!」
と、桂巴。
「崩して斬って矧がして解体して殺してあげますわッッッ!!」
と、伊藤熾織。
同時に畳から跳躍し、大口を開けた!
「「天誅ッッッ!!」」
◇
廊下からどたばたという足音がし始めた。足音の主の青年は巴の部屋の前で急停止し、
「センパイッッ、センパイッッッ!!先程までツグル先輩が餓鬼二人と一緒に居たっていう情報が————————」
と二人に向かって声を放った。額だけでなく、黄色の羽織や伽羅色の髪にも汗が滲んでいる。
「「でぇぇりゃああああああああああっっっっっ!!」」
その様な女声とは思えないほどの猛々しい二つの咆哮に思わず青年は顔を上げた。
「————え、あ?」
額に滲んでいた汗が頬をつたって落ちる。……ぴちょん、と落ちたと同時に青年の顔には日本刀と薙刀が振り下ろされた。
————青年の名は久坂扈雹(くさかこはく)。"扈"の字は「付き添う」「広い、また大きい」の意味を持ち、"雹"は「雹(ひょう)」——雨を包み込んだ形のひょうの意味をあらわす。「物事を包み込む広く大きな心を持ってほしい」という親の願いから付けられた名であった。小さな躰であっても心は広いというのが彼の口癖でもある。嘗て通っていた学び舎の先輩である伊藤熾織に従事する、学び舎最年少の彼は、現在塾生の中で唯一の十代である。
特技、必ずと言っていいほど不幸に遭遇する。
◇
ぐしゃり、と脳みそを踏みつぶしたような音が足元でした。チェンはそちらを見てやる。嗣の斬り倒した妖魔の脳漿(のうしょう)が、自分の足の下から広がっていた。
「だんッだんと、数が減ってきたな」そう言って嗣は刀身で空中に弧を描いた。そのままの流れで鞘へと納める。「まあ、また再生するだろうし。取り敢えず、襖しめて閉じ込めて行くしかねーな」
「兵器が自分の役割忘れているんじゃどうしようもないよな」
襖を閉め、次の部屋へと進んだ二人はちらと琳邑の方を見た。チェンの背中で負ぶわれている彼女は小刻みに躰を震わせ、青白い顔を下方に向けていた。
ふと二人の視線を感じ取った琳邑はゆっくりと頭を上げた。眼は死んだ魚のように光を失っている。曇った硝子玉を二人に向け、白く変色した唇を震わせながら動かした。
「……よ、よく……こんなに殺せ……ますね…………」
「殺らなきゃ死ぬ。ったりめーだろうが」
「まー、確かに。この変態志士の言うコトは正しいと思うから言わないけど。——キミも本来はこれを殺すために作られたんだぜ?」
先程も同じようなやり取りがあったばかりであった。チェンの応えを聞いてから急に黙り込んでいた。自分はこんな人殺しとは違う!といった考えが根付いていたと思われる。
……妖魔は殺しても死なない。しかし唯一つ、殺す手段があった。
それが琳邑である。西洋の錬金術、魔術、東洋の錬丹術、尸解、陰陽術、科学、生物工学————あらゆる分野の物を調合し、半ば事故的な事象から誕生した、この世界で唯一、不老不死の妖魔を殺すことが出来る存在であり、世界を捻じ曲げることが可能な、危険なモノ。
それは幕府から送り込まれてきていたチェンも知っているし、討幕を掲げる嗣も知っていることであった。というか、それを知らなければ琳邑を狙う理由など見当たらないのだ。主に彼女を狙う輩の目的は後者のものであるのだから……。
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