複雑・ファジー小説

Re: 吉原異聞伝綺談 ( No.7 )
日時: 2011/03/22 19:34
名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
参照: テトリスが欲しい。




 建ち並ぶ遊廓。雑踏。金髪に緑の目を持つ少年はきょろきょろと、何かを探しているように見回していた。——チェン・フェルビースト、十七歳。ベルギー人の宣教師を父に持ち、中国人科学者である母を持つ少年だ。身に纏う、緑を基調とした中華服は母の祖国と自分が生まれ育った国を象徴している。

……両親が対妖魔用人形兵器の開発に携わっていた為に幕府から兵器捜索の命を受けていた。自慢では無いが、その兵器とは少しばかり面識がある。相手は自分のことを知らないだろうが、自分は顔と名前くらい合致出来るくらいは可能だ。


「ぜぇぇってぇ、なんかあったって」

手に持っていた団子を口一杯に頬張った。三色団子の桜色が串の並びから消える。

 彼女が抜け出したのは不測の事態であった。

 誰一人として予想もしていなかったのである。感情さえ生まれずにいた筈の兵器がある日突然抜け出した。やはり世の中は「予想通り」に行ってくれないものである。——団子をまた一つ頬張った。


——危険なんだよなぁ。

制御すること自体間違っていたと思い込みそうになるほどの力を持った危険な兵器。対妖魔用と言うのは、妖魔に敵対する人間が勝手に言っているだけだ。妖魔が持てば、対人兵器に成り変わる代物——つまり、使い手によってしまう万能のものなのだ。


 妖魔や対幕府勢力に奪われる前に保護しなければならない。が、そんなこと考えても仕方無い。それは考えて解決するものではなくて、行動して解決するものであるのだから考えなど殆ど無駄である。


 チェンは最後の団子を口に放り込んだ。そして雑踏の中で姿を消した————。







——こずゑ、か。

桂巴は苦笑した。藍の混ざった黒髪は後ろで団子に纏めてある。布団から起き上がって、咳をする口を覆っていた。右目には黒い眼帯がかけられている。……空いている左の細い黒目が陰った。


 "討幕"という目標を掲げて高杉嗣と共に過激な運動をしていた兄の名を継いだときから、自分は戦いに身を投じているのだと今まで思って生きてきた。母がくれた「こずゑ」の名を捨て、兄の「ともゑ」を名乗る今——、躰は病魔に蝕まれ始めている。まるで神は同名の人間を消し去ろうとしているかのように、この名を名乗ってから兄と同じ病が発覚したのだ。……それが三日前のこと。

 三日前までは戦線に立つのが当たり前だった。が、発覚してからは周囲から止められ、三日間部屋に篭りっぱなしである。だから今回の対妖魔用人形兵器の奪取は嗣と共に行くことが出来ない。そう暗くなっていた巴は、襖を叩く音に呼ばれた。

「巴、入っぞ」

呼んだ男が漸く到着したようだ。若い男声の持ち主は巴が答える前に部屋に入り込んだ。ボサボサの白髪に目を隠すためのサングラスを掛けた黒いスーツの彼は床に臥せている巴を見てニヤリと笑う。

「兄貴と同じだな」
「……『入ってい』と返事をした覚えは無いぞ」

そう言い放った巴は布団から出る。嗣を呼び寄せ、顔面パンチを喰らわした。あまりに唐突すぎることに予測できなかった嗣は女の拳をモロに喰らっていた。そこを中心に発生した衝撃に躰がよろめく。

「まあ入ってしまったなら意味はないな。時雨はどうした」
巴は殴り付けた拳を拭き取るように空いているもう片方の手で撫でた。寝間着の着物を整え、倒れた嗣を見下すようにして立つ。小さく湾曲したラインが巴を女性であることを示していた。決して豊満といえるものではないが、少なからず女という性別は確認することが出来るだろう。

嗣は立ち上がって、巴の黒髪を嗅ぐように彼女に顔を近付けた。
「時雨はテメェの部屋の前に俺を放置して、クスリ取りに行ったぜ。俺とお前の甘美で淫靡な一時を邪魔したくないってよ」
女の白く細長い首筋に吐息をかける嗣に、何処から出したのか、巴は剪定鋏を眼前に突き付けた。
「そういえば、まだ雄しべの剪定が済んでなかったな」じゃきん、と鋏の音を立ててやる。「まずは貴様の卑猥な雄しべから剪定するとしようか」
巴の目は本気マジだ。

「俺から性別を奪う気かよ」
「違うぞ。貴様から猥褻物を除去してやろうという思い遣りだ」
「いや、絶対違うだろ」
まだ手を離さず、顔も近付けたままの嗣に、ニヤリとした笑いを作った巴は饒舌になる。

「高杉。長州男児なら受け入れろ。嫌なら離せ。なんなら雄しべだけでなく、五体バラバラに解体バラして池に沈めてやろうか。その方が嬉しいだろう。
—— 一時ひとときの猶予をやろう。
今から遊廓に行って最期の時を過ごして来い」
「じゃあ、この場で冥土の土産になる時間でも作ろうかね」
高杉嗣は懲りない。離すどころか余計に躰を寄せ付け、巴の藍色の着物に手をかけた。

「気が変わった。今この場で処刑だ。取り合えず死ね。それは世界のためになる事だ」

淡々と言い放ち、するりと嗣から抜け出た巴は、壁に立て掛けておいた日本刀を手に取り、銀閃を放つ刃を彼に見せつけた。それを見て、嗣は渋々とその場に着席する。彼女からは殺意がはっきりと出ていたからだ。下手をすれば殺される。

が、嗣は躰の代わりに口を動かし始めた。
「兄貴が死んでから女っ気消え失せたよな、お前」
昔はまだ可愛かった、と聞こえない程度に呟く。が、それは聞こえていたようだ。巴は淡々と言葉を紡ぎ上げる。
「兄の名と遺志を継いだ時点で、性別と"桂梢"という人間は棄てている」

 昔から冷静沈着で人を寄せ付けなかったが、今は言葉遣いも一変させて尚一層人を寄せ付けない雰囲気を作り上げている巴は嗣の頸に刃を軽く当てた。

「こんなことする為に呼んだんじゃねえよな?」
そう言って嗣は右手で刀を首筋から退かした。このようなやり取りは一種の日常茶飯事である。
「解っているなら、阿呆な行為を慎め」
鋭く睨み付けられ、彼は「ヘイヘイ」と小声を出して両手を軽く上げる。——降参。


 嗣には、彼女が呼び出した理由ワケもこれから言うことも既に解っていた。——同い年の幼馴染み、幼い頃からつるみ合っていた仲である。

 恐らくは、吉原に紛れ込んだ兵器の奪取の話であろう。本来なら自分と巴がメインで動くべきであろうが、何の不幸か、彼女は肺の病に蝕まれていることが発覚し、療養を要されてしまったのだ。

「——なんなら時雨に着いていくように言おうか」
咳き込み紛れに巴は訊いた。嗣は首を横に振る。
「いいや。あんなクソ真面目な奴連れていったら遊べねえから勘弁してくれ」
根が真面目な、学級委員長タイプの織田時雨など着いてくれば、遊廓に向かうどころか女に触ることすら制限されてしまう。それは勘弁して欲しいものだった。
「大久保をつけようか」
「あの馬鹿の性格知ってンだろ。そもそもあの野郎は今子育て擬きの<光源氏計画>にどっぷり浸かってンじゃねえか」

半月前に家出した少女を拾った大久保のことを嗣に言われて気付いた巴は焦ったように次々と同志の名を上げていく。
「久坂扈雹(くさか こはく)、前原先輩、入江蕀いばら……」
「野郎は勘弁」
嗣は顔の前で腕をクロスさせ、×マーク
伊藤熾織しほり、山縣韵(やまがた ひびき)、井上珊瑚……」
「あれを女と言い張るか、テメェは。女って皮被ったバケモンだよ、あんなん」
かつての門下生をそう言うか」巴は笑う。「安心しろ。久坂と伊藤は吉原から出る手段を探していて此処には居ない。山縣と前原先輩もちょっとした用で出払っている。入江と井上は知らないがな」
機嫌が良いのか、彼女は珍しく饒舌で笑顔だった。しかし、それは彼女の死が近付いている予兆かもしれないと思うと不安に駆られて仕方ない。

『ヘーキッスよ!だって巴サン、スよ?オイラは長生きするって思ってるッス!だから心配無用スよ嗣サン』

伽羅色の目と髪をした久坂扈雹はそう言っていたが、不安と心配は和らぐことすら知らないでいる。——こんなところじゃ彼女は養生出来ない。日夜命を狙われている自分らが落ち着いて過ごせる場所は此処には無いのだ。一種の強制収容所だ、此処は。幕府への対抗勢力を全て封じ込めたような、この吉原は安らぎを得られるような場所は無い。

遊廓で得るのは刹那的な快楽程度。欲望だけが溢れる腐った世界。そんな世界だが、希望が差しこみかけていた……。


「……幕府の兵器があれば、奴等を倒せるし此処から出ることも出来る。頼む、高杉」
巴は真っ直ぐに嗣を見た。目から放たれる純水で真っ直ぐな光は彼を心底信用している証拠だ。

「言いたいこたァ分かってるよ。だからテメェは養生してろ」
嗣は立ち上がって、巴に背中を見せた。広い背が彼女の目に入る。いつの間にかこの男は自分より大きくなっていた——心も、躰も。
「ああ。貴様も無理せずなにな」
巴の言葉を聞いてから彼は右手を振った。
「ババァの口癖。『うがい、手洗い、ニンニク卵黄』……忘れるなよ」

女は漆黒の左目を瞑った。

「…………ああ、分かってるよ」

その言葉は、向けられた人間には届かず、閉じられた部屋に静かに響いていた——。

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